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No Look Jamming〜私は見る事ができない〜  作者: 船木一底
ツキナミの生活
16/22

フェイズシフター1

 森の奥へ向かって走るチーの背で、私はことはの腰にしがみついたまま、胸元のレンズを指先で探った。さっきまで魔術師だった「何か」は、もう息をしていない。あの人の視界は、どこにも繋がっていない。

 代わりに私の頭の中には、さっきまで見ていた無数の視界の残り香だけが、まだ砂嵐みたいにざらざらと渦巻いていた。

「お姉ちゃん、そろそろ、あの辺じゃない?」

 ことはが前を見たままそう言うと、チーの速度を少し落とした。

 風の音が弱まり、代わりに耳に入ってくるのは、木々が擦れる音と、遠くでまだ続いている爆ぜるような音。燃えているのは、私たちの家だ。

「……はい。このまま真っ直ぐ、少し行くと、さっき視界で見た……」

 言いながら、私は顔を上げた。見えないはずの空を見上げる癖は、もう直らない。

 胸元のレンズに触れ、「ルック」と短く呟く。けれど、さっきまでみたいに一気に視界は開かなかった。頭が重い。神経のどこかがじんじんと痺れている。

「無理しないで。ここからは、私が見るから」

 しおりさんが、私の横に並ぶように走りながら声を掛けてくれた。

 その声だけで、少し安心する。けれど、今はどうしても、確認しておきたいものがあった。

 視界が一つ、ゆっくりと開く。

 さっきまで私が使っていた、小鳥の視界だ。森の頭上を滑るように飛びながら、焦げた匂いのする方角を映している。木々の隙間から、黒い煙柱がのぼっているのが見えた。やっぱり、燃えている。

 家も、納屋も、全部。

「……ご主人様と、みのりさんは?」

 自分で視界を覗きながら、私は口にした。

 返事をしたのはことはだった。

「さっきまでは、広場のちょっと南にいたよ。でも今は、見えない」

「多分、森のもっと奥に移動したんだと思う」

 しおりさんが補うように言う。

「姿は見えないけど、あの辺りの木の枝が妙に折れてた。人がぶつかったみたいに」

 さすがだと思う。しおりさんは、脳筋でバカみたいなところもあるけれど、戦いになると本当に細かいところをよく見ている。私はあの人ほどの直感も、ことはほどの頭の回転の速さも持っていない。ただ、他人の目を借りられるだけだ。

「……このまま、向かいますか?」

 私はことはの背中に顔を預けたまま、そう聞いた。

 本音を言えば、すぐにでもご主人様に会いたい。声が聞きたい。ここにいるよと、あの優しい声で笑ってほしい。

 けれど。

「それがねー、お姉ちゃん」

 ことはが、振り向かずに言った。

「さっきの変な奴ら、まだいっぱい残ってるよ」

「……燃えてる家の周りの鎧の人たち、ですよね」

「うん。それと、森の中にも、さっきすれ違ったやつらの足跡がいっぱい。今は広場の方に集まってるけど、時間が経ったら絶対こっちにも来るよ」

 お姉ちゃん。ことはの声が、少しだけ真面目になる。

「死んじゃったら、おしまいだよ。もう、お兄ちゃんにも会えなくなるよ?」

 胸の奥を、柔らかい指でそっと掴まれたみたいな感覚がした。

「だったらさ、安全なところで待ってよ。お兄ちゃん、絶対迎えに来るもん。怒りながら、いっぱい褒めてくれるんだから」

 頭の中で、あの人の声が蘇る。

 ——勝たなくていいから、ちゃんと帰っておいで。

——かっこよくなくていいよ。生きててくれたら、それでいいから。

 ご主人様は、いつだってそう言う。叱ることはあっても、怒鳴ることはない。無茶をすれば、ちゃんと叱られる。でも最後には、必ず褒めてくれる。

 だからこそ、余計に会いたくなる。けれど、死んでしまったら、その声は二度と聞けない。

「……ずるいです、ことは」

 私は小さく呟いた。

「それ、反則です」

「えへへ。知ってる」

 ことはが、少しだけ得意そうに笑った気配がした。

 チーが、速度をさらに落とす。どうやら、目的の場所が近いらしい。

 胸元のレンズ越しに、小鳥の視界をもう一度狭めて覗くと、地面が広く開けた場所が見えた。焦げた土、踏み荒らされた草、何本かの木の幹には、斬られたような跡が残っている。

 ここは、さっき、ご主人様とみのりさんの姿を見つけた場所だ。

「止まるよ」

 ことはの合図と共に、チーがぴたりと足を止めた。

 私は手綱の音と土を踏む感覚で、ここが広場の外れだと理解する。

「周り、見るね」

 しおりさんが先に地面へ飛び降りると、足音を殺して周囲を歩き始めた。草をかき分ける音、鎧の擦れる音。それに混じって、かすかな金属音が耳に届いた。

「……何か、落ちてますか?」

 私がそう聞くと、しおりさんはすぐには答えなかった。

 代わりに、ことはが「あ」と短く声を漏らした。

「お姉ちゃん、手、出して」

 ことはの小さな手が、私の手を取り、掌を上向きにさせる。その上に、冷たくて、硬い何かがそっと置かれた。

 指先で探る。丸みのある縁、細かい彫り込み。中央には、少し盛り上がった意匠。裏返すと、小さな留め具と、針。

「……ブローチ、ですか?」

「うん。お兄ちゃんが、いつも胸につけてたやつ」

 ことはの声が、少しだけ震えた。

「さっきまでは、ちゃんとついてたのに」

 喉が乾いた。

 さっきまで燃える家を見下ろしていた時も、魔術師と向かい合った時も、それなりに冷静でいられたのに。今、掌の上の小さな金属が、一番怖い。

「しおりさん……」

 私が頼るように名前を呼ぶと、しおりさんは少し息を吸い込んでから言った。

「……師匠は、このブローチを、わざと落としていったのかもしれない」

「え?」

「さゆりちゃんたちに、合流するなって、言いたかったのかも。ここまでは来るって分かってたから、目印みたいに置いていって……その先は、別行動って」

 そんなはずは、と言いかけて、言葉が喉で止まった。

 あり得ない話じゃない。ご主人様なら、きっとそうする。私たちを巻き込みたくないから。危ない方には、絶対に連れて行かないから。

「だってさ」

 しおりさんが、いつもより静かな声で続ける。

「もし合流してほしいなら、ブローチなんか置かないよ。絶対、師匠の方から迎えに来る。怒りながら、『なんで勝手に動いてるの』って言うよ」

 想像できてしまう自分が、嫌だった。

 それでも、納得してしまう自分がいるのも事実だった。

「……じゃあ、これは」

「『ここで終わりにしなさい』っていう、お兄ちゃんからの合図だと思う」

 ことはが、静かに言った。

「この先に来るな、ってこと。だから、行っちゃダメ」

 胸の奥で、何かがぐしゃっと音を立てた気がした。

 置いていかれた。そう思った瞬間、子供みたいにその場に座り込んで、泣きたくなった。

 けれど、泣いている時間はない。

「さゆり」

 ことはが、私の手の上にあるブローチを、そっと握り込ませてくれた。

「それさ、レンズの代わりに、使えない?」

「……え?」

「お兄ちゃんの魔力、いっぱい染み込んでるでしょ。だったら、森中のレンズ見るより、こっちの方が、ずっと楽なんじゃないかなって」

 私はブローチを胸元に当て、その上から、いつものレンズをそっと重ねた。冷たい金属と、馴染んだ硝子の感触が、服越しに伝わる。

「……ルック」

 小さく呟く。

 さっきまでとは違う、静かな感覚が頭の中に広がった。

 さっきのような吐き気も、頭痛もない。代わりに、細くてしなやかな糸が一本、どこか遠くへ向かって伸びているのが分かった。

「どう?」

 ことはが、期待と不安が混ざった声で聞いてくる。

「……見えません。でも」

 私は目を閉じたまま、ゆっくりと言葉を選んだ。

「ご主人様の“向き”だけは、少し分かる気がします。すごく、遠くですけど」

「やっぱり、別の所に行ったんだね」

 ことはが、寂しそうに笑った。

 ブローチを通した視界は、広がらない。けれど、その分だけ身体への負担は少ない。

「……じゃあ」

 しおりさんが、立ち上がる気配がした。

「一回、森の奥の遊び場のとこまで戻ろ?」

「うん、賛成」

 ことはがすぐに頷く。

「ここでウロウロしてたら、さっきの変な奴らに見つかるよ。死んじゃったらさ、本当にもうお兄ちゃんに会えないんだから」

 その言い方が、ずるいと思う。でも、正しいとも思う。

 私は、小さく息を吐いてから頷いた。

「……分かった。遊び場まで、戻ろう」

「ただ戻るだけじゃないよ?」

 ことはが、いたずらっぽく笑う。

「遊び場なら、私たちの方が詳しいし、罠もあるし、隠れる場所もいっぱいある。“安全な場所”っていうより、“うちらの場所”だもん」

「心強いですね」

 しおりさんが、少しだけいつもの調子を取り戻した声で言った。

 私は掌の中のブローチをもう一度握りしめ、チーの背に乗り直した。

 その時、耳の奥が、きゅっとすぼまるように痛んだ。

 風でも木の葉でもない、重い空気の揺れが、鼓膜の裏側を、ゆっくりと撫でていく。遠くの地面を、何か大きなものがこすったような、低い震え。

「……今、何か、聞こえませんでしたか」

 思わず、声が漏れる。

「え? なにも聞こえないよ?」

 ことはが、首だけこちらに傾けた。

「チーの足音じゃなくて?」

「違います。もっと……重くて、いやな音でした」

 自分の言葉に、自分で背筋が冷たくなる。

 ことはとしおりさんは、まだ本当の音を取れていない。目が見えない代わりに、耳だけは昔から良かった。そのせいで、聞かなくてもいいものまで聞こえてしまう。

 数呼吸分ほどの沈黙のあとだった。

 ——ドン。

 遠くで、地面を叩くような低い音がした。

 それに続いて、もう一度。今度は、さっきよりもはっきりと、近い。

「……今のは、さすがに聞こえた」

 ことはの声が、わずかに低くなる。

「さっきの変な奴らの足音じゃない。もっと、重い」

 ——グォォォォォ……。

 森の向こうから、喉を絞り出すような咆哮が聞こえた。

 鳥たちが一斉に飛び立ち、木々の上でざわめく羽音がした。耳の奥が、先ほどよりはっきりとした風圧でじんとする。

「……行こう」

 ことはが、小さく言った。

「遊び場のとこまで、全力で」

 チーの体が、ぐっと沈んだかと思うと、次の瞬間には風を裂くような加速が襲ってきた。

 私は、掌のブローチと、ことはの腰とを、必死に掴んだ。

 まだ見えない“何か”が、森のどこかで目を覚ました。

 そう確信するには、十分すぎる音だった。

久しぶりに更新します

本日含め3日間更新します。

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