「本当に、事故ですか?」
僕は、今日も警察に呼び出された。事故の目撃者として事情聴取を行いたいとのことだった。昨日と違うのは、奏も一緒に呼び出されたことだった。警察署に入るまでは、僕の一歩後ろを歩き緊張の様な、恥ずかしさを隠す様な表情をしていた。奏のこんな表情は珍しいので、僕はちゃんと着いてきているかの確認のつもりで、何度も振り返った。
警察署に到着すると、奥の一室へと通された。しばらく二人で待たされたものの、何分後かに紺色の背広をきた人が入ってきた。
「おや? また君かい」
担当は名前の知らない女子生徒が飛び降りた時に事情聴取を担当したのと同じ警部さんだった。確か「洲崎」と名乗っていた筈だ。天然パーマで、無精髭を生やしている。
奏は少し戸惑った様な表情をしたが、僕が「先日はお世話になりました」と言うと、目の前の出来事と僕と州崎警部の関係に察しが着いた様だった。
「初めまして、大島奏です」
「はい、よろしく」
律儀に頭を下げて挨拶をした奏に対し、洲崎は右腕を上げて答えた。
そして、僕たちに座る様促す。机を挟んで正面に洲崎警部が座った。
「さて、昨日の今日だし、学校もあるだろうけど、話聞かせてね」
僕たちは事故当時の状況を思い出し、一つ一つ質問に答えた。正直、今回は奏が一緒にいてくれて助かった。僕よりも物怖じせず、はっきり的確に答えてくれた。途中からは僕は頷くだけになっていた。
今回もそこまで時間を取られる事なく事情聴取は終わった。
「はい、ありがとう。まぁ、今回も事故って事で片付きそうなんだけど、一応のルールなのでね。時間とらせて悪かったよ」
「いえ……」
洲崎警部はカチカチとボールペンの先を出したり引っ込めたりした後、最終的に引っ込めた状態にして胸ポケットに差し込んだ。そして書いていた書類をファイルごと脇に抱えて立ち上がる。
その行為から、事情聴取が終わったものとして受け取って荷物を手に持つ。席を立ち上がろうとした瞬間、奏が洲崎警部を引き止めた。
「本当に、事故ですか?」
「あぁ、鑑識からは看板の老朽化が原因と言ってたな」
「事件性は、無し、ですか」
「そうだな、極めて0に近いだろう」
奏は膝の上で拳を強く握り、少し俯いた。肩も少し震えている様に見える。
僕には奏がこうしている事への理解が追いつかない。ただ、その姿からは激しい怒りとも、底なしの絶望を抱えている様でもあった。
「何か、引っかかる事でもあるのか?」
「いえ、警部さんもご存知ですよね。この街の噂……」
「あー、まぁ、知ってはいるが……それが?」
奏は小さく歯ぎしりをすると、洲崎警部を鋭く睨む。まるで、察しの悪い警部に苛立っているようだった。
しかし、洲崎警部はそんな表情をものともせずに、奏を上から見下ろして次の言葉を待つ。
自分の態度が通じないとわかったのか、奏は一つ大きく息を吐き出して口を開いた。
「夏以はこの前、あの噂の引き金となる事に遭遇しました。そして昨日、危うく噂通りになるところだったんです。でも、事故なら単なる偶然という事ですし、夏以も無事でここにいます」
奏はガタリと大きく椅子を鳴らして立ち上がると、深々と頭を下げた。
「すみません。もしかしたら、噂の正体が誰かの作為によって仕掛けられたものかと、勝手に勘ぐっていました。でも、事故ならしょうがないですよね」
「あーいや、こちらこそ。すまない」
洲崎警部がそう言うと、奏は頭を上げた。
奏の嫌味や皮肉をたっぷりと込めた言葉には洲崎警部も負けたようだ。ほんの僅かに視線が右往左往して、視点が定まらない時間ができていたのを、僕は見逃さなかった。
洲崎警部は頭の後ろをくしゃくしゃと掻きむしると、申し訳ない気持ちを強がりで隠す様な声で言った。
「俺たち警察は噂程度では動けないんだよ。ましてや、事件が起きる前にどうにかする、ってのもだいぶ難しい。だから、すまないが力にはなれない。実際に事件性があれば、犯人が誰なのかも気になることもわかる。だが、噂は噂だ」
少なくとも、奏の言葉への理解が浸透した様に思えた。これは奏の噂について訴え方の勝利か、それとも洲崎警部の寛大さかはわからないが、とりあえずはこれで良い様に思えた。
州崎警部は前と同じく、先生と警察側からはこのことを公表しないことを伝え、事情聴取は終了した。
警察署を出ると、僕たちは学校に向かう。今回も三時間目に間に合うかどうか、といった時間だった。
外に一歩踏み出すと、夏の蒸し暑さが体全体に絡みついてきた。午前中とはいえ、太陽はまだまだ頂上を目指す時間だ。気温もまだまだ上昇するだろう。そんな中では、汗も自然と滲み出てくる。
セミの声も蜃気楼もまだ見えないのは、まだこれは春の暖かい陽気の延長ということだろうか。いや、季節とは、暦の上というより人間の感性の方が重要なのかもしれない。なぜなら、この暑さは夏の暑さと言って相違ないからだ。
隣に並んで歩く奏を横目で眺める。顎の辺りに汗を溜め込んでは、時々滴っていく様子に目が釘付けになる。暫くそれを眺めていると、視線に気付いたのか「どうしたの?」と聞いてきた。
僕は慌てて視線を前に戻し、咄嗟に言葉を吐き出す。
「あぁ、今日は奏がいてくれて助かったなぁーって思って。僕一人だと、あの時のことを思い出してしまって、何も話せなかったかもしれない。それに、緊張や物怖じみたいなものもあったからさ。ありがとう」
「別に構わないけど……もしかして、前もあんな風だったの!?」
自分だって警察署に入るまでは緊張してた癖に、とツッコミを心の中に留めておく。
素直にお礼を言ったつもりだったが、やはり聴取中の僕の態度が気に入らなかったのか、グッと顔を近づけてくる。
「い、いや、最低限は答えてたよ!?」
「本当にぃ〜?」
「……多分」
僕は両手を振って否定するが、奏は目を細めて表情で追求してくる。さすが、あの警部に噂について理解を求めただけあるな、と思った。いや、むしろ警察官の素質もあるのでは……。
そんな事を考えると、奏の心境について、一つの疑問が浮かんできた。僕はそのままそれを口にした。
「そういえば、気になるの? 噂の事……」
その話題を出した瞬間、奏の表情が一気に曇った。視線も外して俯き加減になる。
「余計なお世話かもしれないけど、やっぱり気になっちゃって……」
弱音を吐くような言葉に、僕はなんて答えたら良いのかわからず、黙り込んでしまう。「噂なんてないよ!」と強がる事も、「一応は僕も警戒しているんだ」と慎重になっている事も、今の僕の心境からは嘘になってしまう。
だって僕は、噂など無いと信じてやまないからだ。
「これからも夏以の周りに、こういう事が起こるかもしれないって考えると、やっぱり噂は無視できない。例え警察が動かなくてもね」
「心配してくれて、ありがとう」
「夏以はどうなの? 噂について何だか無頓着に見えるけど」
「どうだろう、まだ現実味がないのかもしれない。去年あれだけ調べた事もあるし、偶然と考えているのかも」
噂は噂だ。僕の中での結論は出ている。
しかし、こうして奏に言われてみると、少しばかりほころびが生まれる。現に、これは僕自身の生命に関わる問題だ。それならば、規定された噂の結末についてあがく事も良しとされるのではないだろうか。
僕は奏の一歩先に躍り出て、正面から向かい合う。
その様子を見て、奏は顔を上げた。
「もう一回、調べて見よう」
僕自身、屋上から名前の知らない女子生徒が飛び降りた時、看板が落ちてきた時、少なからず死への恐怖を感じた。もし、次があるならば、恐怖を感じる事さえ出来なくなっているかもしれない。それならば、生への執着としてあがいてやろう。
そして、もう一つの理由。奏だ。彼女も噂に関して心配事を募らせている。それを和らげる為にも、再び調査する事は意味がある。
奏は少しホッとしたような笑顔を見せると、「わかった」と返事をした。