終幕 黄昏の銃姫
倒れたルリアを、ロクジンはしばし呆然と見下ろした。肩で息をするロクジン、だがその呼吸は浅く、顔色は悪い。もはや立っているのも辛い、という風情だ。
肉体のすべてを噛み合わせ、踏み込みから突きのエネルギーまでをすべて標的に伝達する『螺旋掌・真』。反動は全身に散らしたとはいえ甚大、全身の筋肉と骨が悲鳴を上げていた。出来ることなら、もう地面に倒れ込んでしまいたかった。
「……リア……」
ロクジンはメリアドールが気がかりだった。その後ろで倒れているレアも同様に。彼女もまた、あの怪物を倒すために尽力してくれたのだ。せめて安否を確認しなくては。
ロクジンは痛む体を強いて振り返り、一歩一歩時間をかけて踏み出した。十数メートル先にいるメリアドールたちのもとに辿り着くまでの距離が、はるか遠く感じられた。
「二人、とも……大丈夫かい?」
「はい、ロクジンさん。私は大丈夫……でも、レアが」
「私のことは心配には及びません、メリアドール様」
片手を突き、レアが体を起こした。全身から出血したものの、ほとんどはすでに止まっている。目から流れ落ちる血が痛々しいが、それも眼球を赤く染めるほどではない。
「実力を超えた過剰行使によって、少し体を痛めつけましたが……大丈夫です、動けないほどではありませんから」
「無理はしないでくださいね、あなたは……」
そこからメリアドールが小言を続けようとしたが、しかし唐突に止まった。
「ロクジンさん!」
そして、叫んだ。
振り返ったロクジンは、右肩に凄まじい衝撃を受けた。痛みが高速で通り抜けていく。声を上げ、倒れ込みそうになったが、かろうじて踏ん張り前を見た。
「……冗談だろう」
そして、顔を青くした。
彼を撃ったのは、いままさに彼が倒したはずの相手。
ゆっくりと立ち上がるルリアの体から、黒鎧の破片がポロポロと落ちる。ひしゃげた右腕にはまだ手甲が残っているが、左手はそうではない。代わりに拳銃を握っている。
「逃が、さん。メリアドール、お前、だけは……」
目の焦点は合っていないが、その銃口ははっきりとメリアドールを向いている。底なしの悪意、絶えることのない憎しみ。
「なぜですか……なぜ! 私は、ルリア姉さま! あなたのことが大好きです!」
涙さえ浮かべてメリアドールは叫んだ。
姉妹同士の戦いに、彼女の心は軋んでいた。
メリアドールは必死にルリアに呼びかける。
ルリアはそれに、怨嗟を返した。
「お前が……いるから。父上は、ダメになった」
「えっ……?」
思いもかけない一言だった。
まさかここで、父のことが出てくるとは思わなかった。
「ライオネル兄様を、喪い、父上は悲観に、暮れた。私は何度も、言ったのだ。兄様の死を、無駄にしては、ならないと……!」
「そうです、ルリア姉さま! だからこそ戦を止めなければならないと――」
「それが無駄にしていると言っているのだ!」
ルリアは声を絞り出した。
その気迫に押され、メリアドールは押し黙る。
「何度も言った! ライオネル兄様のためにもこの戦を続けなければならないと! かの悪辣なルーナを排し、この世界にマドラサの平和をもたらさなければならないと! それこそが兄様への弔いになると!
だが父上はもはや、兄上のいない世界になど興味がなかった……戦に倦んでいた、そこにお前が毒を流し込んだんだメリアドール! お前が兄上を二度殺したんだ!」
あまりにも支離滅裂な言動だ。
普段の、凛としたルリアの姿からは想像も出来ない。
しかしだからこそ。
これこそがルリアの本心なのだと、メリアドールには思えた。
「私が兄様の後を継ぐのだ! 私こそが、父上のお側にいるべき人間なのだ!」
きっとそれは――甘える時間がなかった彼女の、コンプレックス。
あまりにも身勝手で、切実な。
誰にも曲げることの出来ない感情だ。
「お前はここで消えろ、メリアドール!」
ルリアは銃口を向けながら左手を掲げた。半壊した手甲に黒い炎が収束する。火球は安定性を欠き、ゆらゆらと揺らめいている。そして揺らめく炎が時折、ルリアを焦がす。
それでも、彼女は意に介さない。
死なばもろとも、すべてを消し去るつもりだ。
(どうする、どうすればいい? 手持ちの武器はない、姉さまに近付くことは……)
絶望がメリアドールを支配した。
もはや、打つ手はない。
「……神は去り、灰が残った……」
その時。
ロクジンはよく通る声で、そう言った。
マドラサの言語、サイード語で。
「はっ。文明を介さぬ猿と思ったら」
その言葉をルリアも聞いた。
メリアドールも聞いた。
しかし。
その意味を理解しているものは、片方だけだった。
「消えろ、メリアドール! 忌まわしき血族よ!」
ルリアは火球を投げつけた。ロクジンはメリアドールを守るように、両手を突き出し足を内股に広げて立った。そんなものが憎しみの黒炎を止められるはずもなし。
黒炎がロクジンを飲み込み、そして――
通り抜けた後には、ロクジンだけがいた。
「なっ……!?」
ルリアは驚愕した。あの炎に呑まれて、生き残れるはずはなかった。
ロクジンには魔力がほとんどない。魔法を行使する能力が存在しない。
魔法が物体を破壊するメカニズムは単純だ。
魔力と魔力の激突。エネルギーとエネルギーの衝突だ。
ロクジンは鍛錬により、自らの肉体を『空』にする技法を体得した。
魔力のない、ロクジンにしか使うことの出来ない技。
ロクジンを《魔導士殺し》たらしめる、力の本質だ。
(……メリアドールはどこに行った?)
その背後には、つい先ほどまでいたはずのメリアドールがいなかった。ロクジンだけが生き残り、メリアドールはあの炎に呑まれて死んだのか。
ガチン、とボルトを引く音がした。
ルリアは反射的に、そちらを見た。
昼間、ルリアが取り落とした長銃。
回収されなかったそれを、メリアドールは構えていた。
ルリアは左手の銃を向けようとした。
昼間は、メリアドールの方が速かった。
今回はルリアの方が速かった。
トリガーを引こうとして――固まる。
目が眩んだのだ。
メリアドールが背負っている光に。
世界を燃やす黄昏の炎に――!
メリアドールはトリガーを引く。ルリアの肩に着弾。ボルトをまた引く。
メリアドールはトリガーを引く。ルリアの胸に着弾。ボルトをまた引く。
メリアドールはトリガーを引く。ルリアの胸に着弾。ボルトをまた引く。
メリアドールはトリガーを引く。ルリアの胸に着弾。ボルトをまた引く。
「さようなら、姉さま」
メリアドールはトリガーを引く。ルリアの頭に着弾。
ルリアはふらふらと数歩前の方に歩いてから、糸の切れた人形のようにどさりと地面に倒れた。じわじわと赤い血が広がり、体が痙攣した。
しばらくして、ルリアはまったく動かなくなった。
「……キミの言葉を聞いているうちに、興味が湧いて来たんだ」
ついにロクジンも気力を失い、ぺたんと地面に座り込んだ。
「キミともっと、いろんな話がしたかったから」
ロクジンはルーナ語とサイード語を織り交ぜた暗号をメリアドールに伝えていた。
『キミの右側に銃が落ちている』、と――