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白き翼に誘われ  作者: 月龍波
3/53

二翼:日常

 天使の少女ラティエが目覚めた翌日、窓から朝日が差し込み、雀だろうか、鳥の鳴き声が小さく聞こえる。

 そんな朝の知らせを受けてもエルはまだ目を閉じ、静かに寝息を立てている。

 しかし、不意にエルの眉間に皺が寄った。

 殆ど意識が無い中で腹部に重みが伝わったのだ。


「起きて、エル」

「むぅ……」


 天使の少女ラティエが一足早く起き、エルの腹部に乗って起こしていた。

 だが、エルは何か苦しそうにすこし呻きはしたが、完全に起きはせずラティエが乗っているにも関わらず自身に掛けている掛布団を少し顔の方まで引き寄せた。

 布団越しにエルに乗っているラティエも引き寄せられる形となり、バランスを崩し前めのりに少し倒れた。


「起きて!!起きて、エル!!」

「げふっ!!」


 一度頬を膨らませたラティエは、大声で怒鳴ると同時にエルの腹の上で跳ね始めた。

 エルはというと腹部に強い衝撃を感じ、その鈍痛のためか情けない声を上げる。

 それのおかげか、完全に目を覚まし自身の腹に乗っている白髪の少女とご対面する。

 何故ラティエが自分の腹に馬乗りになっているのか全く分からないが先ほどの腹の鈍痛は彼女のせいであろうと考えた。


「……おはよう、ラティエ」

「おはよう、エル」


 満面の笑顔で返してきた彼女を見て、怒る気が消えうせたらしく

 今日一回目の深い溜息をついたエルだった。



 そして、軽めの食事を済ませた二人は外へと出た。

 既に村の中では仕事を始めている者が多く何処から足を運ぶかを迷った。


「どうしたの?」

「あぁ、いや何処から案内しようかなって」


 村の規模自体は小さい方だが、意外とこの村は色んな事に手掛けているのか意外と見る物が多い。

 そんな二人を余所にパタパタと近づいてくる足音が聞こえる。

 エルが足音の主を見て納得した様子で「あぁ」と呟いた、アルだ。


「おはようエル兄ちゃん」

「おはよう、アル」

「あ、お姉ちゃん起きたの?!」

「あぁ、つい昨日な。んで今日は村の案内」


 挨拶が終わり、アルはエルが連れているラティエの存在に気が付くと

 目を輝かせに問うと、エルは大雑把に答えた。

 彼女は状況が把握できてないのか小首を傾げたままだが。


「僕の名前はアル!よろしくねお姉ちゃん!!」

「私は、ラティエ。よろしくね」

「うん、よろしく!」


 無邪気に跳ねながら自己紹介するアルにラティエは微笑んで答える。

 そんな様子を見ながらエルは口元に笑みを浮かべて見ていた。


「でもラティエお姉ちゃん、これからどうするの?

「……?」

「お姉ちゃんがこのままこの村にいるならエルお兄ちゃんのお嫁さん候補だって皆言ってるよ」

「ぶっ……!」


 抽象的な問いに対してラティエは微笑を浮かべ小首を傾げる。

 それに対してアルの言葉にエルは盛大に噴出し、咽かえった。


「んー……まだ分からない」

「えー? はっきりしないねぇ」

「……殴るぞ、アル?」


 少し困ったような笑みを浮かべて答えるラティエにアルは面白くなさそうに言うが、見かねたエルが指を鳴らしながら近づく。

 それを見たアルはささっとラティエの後ろに隠れた。


「私はまだ、分からないけど……けど、今はエルと一緒に居たいかな?」

「…………」

「…………」


 エルの腕を抱くように身を寄せたラティエの言葉に二人は口を閉ざした。

 直球的な告白に近い言葉に何を言えばいいのか分からなくなったためだった。

 当の本人であるエルは耳まで赤くする始末でそれどころではなかった。


「……えぇっと僕、お父さんの仕事手伝ってくるね」

「……おう、いってらっしゃい」


 その場の空気に耐えられなくなったのか、もっともな理由を付けてアルは逃げるようにその場から離れた。

 そして何とも言えない気分になったエルはラティエを連れて別の場所に向かうのだった。




「此処は村の広場だ。さっき会ったアルや他の子供達の遊び場となっているのが主だ」

「かなり広いんだね」

「読んで字の如く広場だから、そりゃね」


 ラティエの言葉に苦笑しながらエルは広場をぐるりと見渡す。

 広場には数人の村の子供たちが走り回っており、大人達の姿は少ない。


 ――おや……珍しい……。


 とある一軒のそれなりの規模の建物を見てエルはそんな事を思った。

 屋根から突き出ている煙突から煙が出ていないのだ。


「どうしたの、エル?」

「あぁ、あそこの建物、バートラっていう鍛冶屋が住んでいて、そこで仕事しているんだけど……今日は煙突から煙が出てないから休みなのかなって」


 いつもならこの時間帯では既に彼は仕事を始めているはずである、煙突から煙が出ている事がその証となるのだ。

 エルの思い当たる限りではバートラが仕事をしていない時は、定休日か体調不良の時くらいだ。

 だが、今日は定休日ではなく可能性として考えられるのはバートラの体調不良だ。


「……少し気になるな。ラティエ、ちょっとバートラの家によって良いか?」


 彼の問いにラティエは頷くのを見て、エルは少し早歩きでバートラの家へと向かう。

 木製のドアの前に立つと、その中央辺りを軽く三回叩く。


「はぁーい」


 中から女性の、ポーラの声が聞こえ、バタバタと慌ただしい音も聞こえてくる。


「あら、エルじゃないかい。それにその子目が覚めたんだね」

「おはようポーラさん。昨日目が覚めたんだ」

「ラティエだよ、よろしくね」

「ラティエちゃんね、よろしくねぇ」

「それで、ポーラさん。今日バートラは体調不良ですか?」


 互いが自己紹介を終え、エルはポーラに問うが、彼女の表情は険しい物と変わっていく。

 二人はその表情の意味を理解できず首を傾げた。


「体調不良なのはそうなんだけど、いきなり腕が動かなくなってねぇ……」

「腕が……?」


 ポーラの言葉にエルは怪訝の表情で聞き返すように呟いた。

 自身の記憶の中では彼の腕は昨日まで十全に動けていたはずだった。

 それがいきなり今日になって動かなくなるのか謎であった。


「心当たりとかはありますか?」

「そう……ねぇ……ここ一週間前に腕の調子が悪いって言っていたのは覚えているわ。その時にルーリット先生の所に行けって言ったけど、あの人頑固でしょう?それが原因かもしれないわ。今もようやくルーリット先生の所に行ったばかりなのよ」


 ――あいつ、また意地張っていたのか……。


 ポーラの言葉にエルの中で呆れの感情が湧いていた。

 バートラとは長い付き合いにもなる為、彼の性格は多少なりとも理解している。

 村で年長者に部類される彼は意地を張る事が多かった。

 以前も小さい怪我も何ともない様に振る舞い、それが原因である日に高熱を出した事があった。

 その小さい傷が原因で碌に治療せず細菌が入り込んだのが原因だ。

 それから村の医者であるルーリットに散々説教されたが未だに直っていないらしい。


「……バートラの事が心配だ。ポーラさん、先生の所に行ってきます」

「悪いわね。あの人を見かけたら遠慮なくぶっ叩いてあげてちょうだい」


 彼女の言葉に苦笑をしながらエルはラティエへの方へと顔を向ける。

 今までの話を聞いていたからか、彼女は心配そうな表情でエルを見つめており、それに深くため息をついた。


「そういう訳で、次はこの村の医者、ルーリット先生の所にいくね?」

「うん、バートラさんって人、大丈夫かな……」

「ラティエは優しいんだね……行こう、先生の家は此処から少し行ったところの大き目の家だから」


 彼女の言葉にエルはまともに答えることができなかった。

 今日になっていきなり腕が動かなくなるなど、どう考えても症状は酷いものだと予測は容易である為だ。

 下手な事を言って余計に不安を掻きたてるのは好ましくないからだった。




「先生、入るよ」


 村の中でも大き目の部類に値する木造の一軒家の前でエルは中にも聞こえるように声を張りながら扉を開け放つ。

 扉の向こう側は少し長めの廊下の先にまた一つ扉があり、その先が診察所となっている。

 一歩ずつ歩を進めるごとに鼻孔の奥を刺激する消毒液の匂いが強くなっていく。

 エル自身は慣れているので何ともないが、嗅ぎ慣れていないのか隣に居るラティエは鼻をひくつかせては指で揉んだりしている。


「ラティエ、大丈夫か?」

「うん、お鼻がちょっとムズムズするけど……大丈夫。ありがとう」


 気に掛ける様なエルの言葉にラティエは微笑を浮かべて彼の手を握った。

 突然手を握られ頬を僅かに赤く染めながら、彼女の手を引いて奥の扉へと目指す。

 数歩足を進め、奥の扉へたどり着くなりゆっくりと開け放つ。

 扉を開けた時にまず見えたのは、右腕を白い布で動かないように固定されたバートラに、それを呆れに満ちた表情で見やるルーリットの姿だ。


「ん……おぉエルか。それと、天使の嬢ちゃんも目が覚めたのか」

「昨日目が覚めたんです。エレンさんから聞いてないんですか?」

「あいつ今日は一日休みだからな。おっと……初めまして嬢ちゃん、村の医者をやってるルーリットだ」

「ラティエだよ、よろしくね」

「ほほぉ、やっぱり近くで見ると別嬪だなぁ。俺はバートラだ、いってて……」


 上機嫌に笑みを浮かべたバートラは直ぐに苦痛に顔を歪ませ右腕を抑えるように左手を添えた。

 彼が小さい痛みでは表情を出さない事を知っているエルは彼の腕の具合が相当に悪い事になっていると理解した。


「先生、バートラの腕の具合はどうなんですか?」

「……筋断裂だ。相当前から負荷が掛かって今日になって限界が来たんだ。全く、数日前から痛かっただろうからもっと早く来ればよかったものを」

「へっ……村の農具の修理や製作を待ってるやつらが居んだ。そいつらの為だったらしょぼい痛みに構ってられるかってんだ」

「それが原因で以前も今日も駄目になってんだろうが。言っとくがここ一月はマトモに腕を動かせると思うなよ」

「うっ……一月もかかんのか……」


 ため息をつきながら淡々と告げる事実にエルは愕然とした表情を浮かべた。

 いったい何故そうなるまで無理をしていたのか理解できなかった。

 かと思えば、バートラの言葉にルーリットとエルは同時に呆れ果てた。

 若干怒りを含んだルーリットの言葉に流石に彼もバツの悪そうな表情を見せながら右腕をさすっていた。


「…………」

「ラティエ?」


 今まで黙って話を聞いていたラティエが不意に動き、バートラの目の前まで移動する。


「どうしたんだ、嬢ちゃん?」

「……ちょっとごめんね?」


 首を傾げながら問うバートラに彼女は小さく謝ると、目を閉じて両手をバートラの右腕へと突き出す。

 いったい何をするのか、そんな感情がラティエ以外の三人が思い始めた瞬間、彼女の両手から青白く、淡い光が生み出された。

 その光景に三人が目を見開く頃には光はバートラの右腕に吸い込まれるように溶けていき、数秒後に光は完全に消えていた。


「ラティエ、今のは……?」

「…………」

「ンッ……?!」


 エルの問いに彼女は答えず、代わりに閉じていた両目をゆっくりと開けるだけだった。

 突如、バートラから素っ頓狂な声が聞こえ、そちらを見やると、何を思ったのか彼は右腕を固定していた布を取り外し始めた。


「おい、バートラ! 布を外すな!!」

「……腕が動く」

「はぁ?!」


 彼の行動にルーリットは声を荒げるが、彼は既に布を取り去った後だった。

 数瞬後に彼から洩れた言葉にルーリットは彼の右腕を手に取り、触診を始めた。


「いてぇか?」

「いや、まったく」


 そんなやり取りを見続けていくうちに、ついにバートラはゆっくりと右腕を大きく動かし始めていた。

 今分かる事はラティエの生み出した光が原因だというのは分かっている程度だ。


「こりゃすげぇな……嬢ちゃん、神聖魔術(サンクチュアル)を使えたのか」

神聖魔術(サンクチュアル)って、確か治癒を(おも)とする魔術(スペル)で特に習得が難しいやつ……ですよね?魔術(スペル)を扱う者でも十人に一人くらいしか習得できないという」

「あぁ、それも完治に一月以上掛かるような怪我が既に治ってやがる。専門外だから詳しく分からんが、相当レベルが高いってのが分かる」


 ラティエが神聖魔術(サンクチュアル)を使えた事にも驚嘆していたが、それ以上にルーリットも言うそのレベルの高さだった。

 魔術(スペル)についてはかじった程度の知識しかないエルだが、詠唱が必要としないものは効力が低いというのは知っている。

 それを詠唱無しである下級の治癒の魔術でバートラの腕を完治させるのはとてつもない才能を持っているのと同意義だった。


「ありがとうなぁ、ラティエちゃん。おかげで仕事ができそうだ」

「えへへ……」


 若干ながら涙を浮かべながらお礼を言うバートラにラティエは満面の笑みで答えていた。

 その光景に自然とエルの表情に笑みが浮かび上がっていた。


 ※


 それからエルとラティエはルーリットの家を後にして他の場所を歩き回っていた。

 村長の家にあいさつに行き、村長が孫娘を見る様な暖かい眼差しでラティエを見ていた事。

 牧場へと向かった時はハルトにからかわれたエルが青筋を浮かべているのをラティエがクスクスと笑っていた。

 海ではヴォルンとエルが親しく話している間に彼女はカニに夢中であった。


「ふぅ……大体は回れたかな?」

「うん、みんな楽しそうにしていたね」


 広場まで戻った二人は設置されている木製のベンチに腰を掛けてクッキーを食べながら休憩していた。

 二人が食べているクッキーは広場まで戻った時にポーラが渡してきたもので、ラティエがバートラの腕を治した事によるお礼で受け取ったものだ。

 小腹が空いたのもあり、丁度軽食として食べていた。


 ――にしても、もう夕方なのか……腹も空くはずだ。


 そんな事を思いながらふとラティエの方へと見やると、彼女はクッキーに夢中の様でその姿に口の両端を持ち上げた。


「みんな色々な事をしていたけど、エルはどんなお仕事しているの?」

「俺?」

「うん」


 突然の彼女の問いにエルは考える素振りを見せる。

 仕事はしているとはいえ明確にこれというものではないためどう答えるかを考えていた。


「そうだな。俺は所謂何でも屋ってところかな」

「何でも屋?」

「うん。畑仕事を手伝ったり、雑貨屋の品揃えを手伝ったり、ルーリットさんの仕事に使う薬草と取りに行ったりね。ただ一番のメインはこれかな」


 言いながらエルは立ち上がって腰に帯刀している長剣を抜き放ち、彼女に見せる。

 その剣をラティエは小首を傾げながらもマジマジと見ていた。


「剣?」

「俺は魔物が近くに出現した時などの有事の際にそれを狩る、所謂用心棒みたいなものを主にやっているんだ。もちろん危険を伴うけどその分報酬は多いからね」

「へぇ……エル強いんだ?」


 ラティエの問いにエルは苦笑しながら手を横に振り否定する仕草を取る。

 その仕草に彼女はまた小首を傾げて彼を見やると、エルは剣を鞘に納め再びベンチに腰を下ろした。


「此処の付近の魔物はそこまで強くないし、俺自体は本当にマダマダなんだ。でも物心がつく頃には両親が居なかった俺を村の皆は支えてくれた。だからもっと修行して強くなって、村の皆を守れるようになるのが俺の目標、かな?」

「よく、分からないけど。それはとっても素敵だと思う。エルならもっと強くなれるよ」

「……ありがとう」


 満面の笑みを浮かべて答えるラティエにエルも自然と微笑を浮かべていた。

 小恥ずかしい事を言った自覚はあるが、それを真っ向から受け入れられるのは恥ずかしくもあるが、決して悪い事ではなかった。


 ――そういえば、今日は……。


 ふと、ある事を思い出したエルは立ち上がって彼女へと視線を向ける。


「ラティエ。これから森へ行こうと思うんだけど、体は大丈夫?」

「うん?大丈夫だよ」

「よし、それなら行こう」


 肯定する彼女の手を取り、エルは森へと歩み始める。

 自身が見つけた特別を見せるために。


 ※


 森の中を歩き始めて既に一時間以上は経とうとしていた。

 自分一人であればもう少し早くたどり着いていたが、ラティエを連れている為に歩きやすい場所を選びながら歩いた結果が既に空は黒く染まっていたのだ。


「エル、もう暗いよ?」

「もうちょっとだよ……見えた」


 若干疲れを交えた彼女の声にエルは目の前の草木を押しのけながら言い、道を彼女へと譲る様に体を動かした。

 それに従い、ラティエは先に進むように動き、次に見えた光景に目を大きく見開いた。


「うわぁっ! 綺麗……!!」


 目に映ったのは一本の桜の大木の周りに浮かび上がる様に魔原(マナ)の光が溢れ出て、周囲は桜の花びらが舞っている。

 更に花びらは通常と桜と違い真っ白な色をしており、魔原(マナ)の光を受けては反射させ更に幻想的な光景を生み出していた。


「この桜は雪桜って言って、年に一度だけ満開になって花びらをその夜の内に全て花を散らせるんだ。そしてこの地は元々豊富な魔原(マナ)が自然発生するからこんな風に視認化して浮かび上がるんだ」

「これを見せる為に連れてきてくれたの?」

「うん、今のところ俺だけが知っている秘密の場所なんだ。気に入ってくれたら良いんだけど」

「うん、とても綺麗。ありがとう!」


 満面の笑みで答える彼女を見て、連れてきたかいがあったと、エルは胸を撫で下ろした。

 ラティエは目の前に広がる幻想的な光景に目を奪われ、すっかり夢中の様だった。


「……なぁ、ラティエ」

「うん?」

「こんな時に聞くのもどうかと思うけど……記憶が無い事に不安じゃないのかい?」


 その問いにラティエは直ぐに答える事が出来なかった。

 自身の記憶は名前以外の事はなくなってしまって、自身が何者であるのかも分からないのだ。

 それを改めて認識すると、胸が苦しくなるのもラティエは感じていた。


「うん、本当の事を言うとね……すごく怖い。皆は私を天使だって言うけど、私には翼は無いし、私が何者かなんて分からない」

「…………」


 翼が無い、その言葉にエルは罪悪感からきつく眉を閉じた。

 そもそも彼女から翼を奪ったのは自分自身なのだ。

 何れは言わなくてはいけない、だが怖くて言えなかった。

 こうまで自分に懐いてくれる彼女にそのことを打ち明け嫌われる事を恐れているからかもしれない。

 それが最低な事だと自覚しても。


「でも、今はエルが居るから大丈夫だよ」

「……そっか。なぁ、ラティエ」

「なぁに?」

「もし、記憶が戻っても戻らなくても、君が良ければこのまま俺と……」


 そこまで言いかけてエルは口を閉ざした。

 最後まで聞けず理解できなかったラティエはただ小首を傾げて彼を見つめている。


 ――いや、俺が言う資格なんて無い……。


 そう心に押し込めて彼は無理やり笑みを作って彼女へと向き直った。

「何でもない。あと三十分もすれば桜は全て散るから、そしたら帰ろう」

「うん……」


 彼の言いかけた言葉を気にしながらも、ラティエは目の前の光景に視線を戻した。

 まるで今のこの光景を心に刻むように。

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