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白き翼に誘われ  作者: 月龍波
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三翼:平穏の終わり

 天使の少女ラティエがミノリス村にやってきて既に七日もの時間が過ぎていた。

 記憶喪失で身寄りのない彼女はこのまま村に滞在する事を選んだ。

 その際の住家をどうするかで多くの者がラティエを預かる事を希望していた。


 だが、本人の強い希望と彼女の第一発見者であるエルが責任を持っているのか、彼女をの面倒を見る事を進言した事で結局はエルの元で暮らすことになった。

 若い男と女が寝食を共にするのは世間一般的にはそれなりに問題となるであろう。

 だが此処は辺境の田舎も良いところであり、そんな都会風な風習など知ったことではない。

 人口が二百も満たない小さな村では、成人の体になると言われる二十になる前に子を作ることなど別におかしい事でもないからだ。


 そもそも地方にもよるが、ミノリス村の存在するウルサエ地方では男は十五で女は十六で成人と見なされる。

 エルは十七でラティエは外見年齢からしてエルと同年代の為、条件自体は満たしているのだ。

 ただ、一つの問題があるとすれば。


「先生、これ何処に置けばいい?」

「あぁ、それは右の棚だ。ラティエちゃん、エレンの手伝いが終わったら次の患者さんの方頼むわ」

「はぁい」


 ラティエは兎も角、エルは全くその気がないという事であった。

 そもそも、そういう浮ついた話が苦手なエルにとってはなるべくなら触れないで貰いたい内容でもある。

 それらは村の住人全員が知っている為、からかいはしても無理強いをすることが無い。

 そして今、二人がルーリットの診察所にて働いているのかといえば、ラティエが目覚めた日に神聖魔術(サンクチュアル)でバートラの腕を治したのを見たルーリットが是非とも来てほしいと懇願したからであった。


 ミノリス村に神聖魔術を使える者はラティエ以外誰も居ないため、唯一の神聖魔術師である彼女が彼の診療所で働くようになれば村全体の治療が行き届くのだ。

 それについて彼女は村で過ごす為に何かしらの仕事をしようと模索していた所であり快く受け入れたのだ。

 では、何故エルまでも一緒に居るのかというと、実に単純な話でラティエが泣くからだ。


 当初、エル自身は魔物狩りに備える為に一緒に来るつもりはなかった。

 だが、自分が離れようとするとラティエは一気に不安に満ちた表情を浮かべ、あげくには目に涙を浮かべて離れようとしないため、致し方なく診療所の雑用を行っている。

 最初はそれでいいのかと思っていたが、診療所の雑用する事で怪我の簡単な治療や応急処置、薬草の種類などを学ぶことができるため、悪くないと感じている。


 そして診療所での役割分担はルーリットがやってくる患者の様子を見て振り分け、かつ薬の処方と全体的な指示、助手のエレンはそれの補助と応急処置、ラティエは大きな怪我等を神聖魔術での治療とエレンの手伝い、そしてエルは必要な器具や薬草などを運んだり軽い応急処置となっていた。

 二人が診療所に来てからというもの、人手が増えて余裕ができたと思えばそうでもなく、むしろやってくる人物が多くなっている。

 大体がラティエとエレン目当てにやってくる若い男共が原因であり、軽い治療程度で済む怪我を態々二人の女性を指名する事からルーリットとエルを辟易とさせていた。

 特にラティエがハルトを治療していて、彼がセクハラを行ったところをエルに鉄拳制裁され彼女の神聖魔術を受けるはめになったのが記憶に新しかった。


「ふぅ……大体ピークは過ぎましたかね?」

「だな。おーいエレン、休憩にしよう。エル茶を淹れてきてくれ」

「はーい、今行きますね」

「分かった、淹れてきます」


 隣の部屋から聞こえてくるエレンの声を聞き流しながら、エルは頷いて台所へと向かっていった。

 大体診療所のピークは昼過ぎには終了するのでそれが終われば後はまばらと来るだけでありこの時間帯は休憩時間となっている。

 この時は診療所の奥の部屋にテーブルとイスが設置されておりこちらで休憩を行う事になっている。

 そして休憩時に嗜む茶を淹れるのはエルの役目となっている。


 それも紅茶を淹れる事には人一倍拘りがある彼が一番上手に淹れられることから一任されているのであった。

 湯を沸かしている間にテキパキと人数分のカップと茶菓子を用意し、お湯が沸騰するまで待つ。

 不意に背後に気配を感じ、ゆっくりと振り返ると、ラティエが興味深そうに茶菓子を見つめていた。

 今回の茶菓子はロールケーキであり、彼女は見たことが無いのか興味深そうに見つめて、そーっと手を伸ばした。


「……まだ駄目だよ。お茶を淹れて皆で食べるときにね?」

「はぁい」


 つまみ食いをしようとしたところをエルが苦笑を交えながら止めると、彼女は聞き分けよく手を引っ込めてニコリと笑みを浮かべる。

 恐らく構ってもらいたいがためにわざとやっているのだと思われるが、仕事中はどうしても構っていられないのでそれも仕方ないと、彼女の頭を撫でながらエルは思う。

 撫でられているラティエは彼の手の感触を楽しむかのように目を細めて黙って受け入れていた。

 数秒撫でているうちに湯が沸いたのを確認し、彼女に断りをいれてからエルは作業へと戻る。

 その間もラティエはエルの傍から離れようとせず、彼が紅茶を淹れる様子を興味深そうにじっと観察していた。



「お待たせしました」


 人数分の紅茶の入ったカップを乗せたオボンを手にエルは既に着席しているルーリットとエレンに微笑を浮かべながら言う。

 最初にルーリット、エレン、ラティエの分と置いていき最後に自分の分を置くとテーブルの真ん中におかわり用のティーポットを置いて完了だ。

 因みに茶菓子の方はラティエが持ってきており、配膳を行っているところだった。


「おう、ありがとうよ。にしても、毎回毎回見せつけてくれるなぁ?」

「な、何をですか?」


 自身の席に腰を下ろそうとした瞬間にルーリットから意味ありげな言葉が飛んできてエルはその身を硬直させた。

 彼の顔には意地の悪そうな笑みが浮かんでおり、絶対に碌な事を言わない事を直感が告げていた。


「とぼけんな、毎日毎日台所で見せつけやがって、俺への当てつけか?」

「んなっ……当てつけでも何でもありませんよ!」


 ルーリットの言葉にエルは頬を赤くしながら声を荒げて反論する。

 しかし、それは自身でも認識する程の失態であった。

 そんな分かりやすい反応はこの男にとって弄る要素が増えただけに過ぎないのだから。


「くっくっく、良いんだよ仲良きことは良い事かな?」

「このっ……」

「先生、今の時間にエル君をいじめるのは止めましょう?せっかく淹れてくれた紅茶が冷めてしまいますよ」

「おっと、それもそうだな」


 エルが何かを言おうとした瞬間にエレンが呆れを交えてルーリットを嗜めた事で話題がそこからズレるようになった。

 ようやく解放されたからか、エルは彼女に礼を言いながらやっと席に腰を落ち着かせた。


「だけど、仲が良いのはそうですけど。エル君とラティエちゃん、よく見ると()()()()()()()()?」

「……今度はいきなりなんですか」

「あぁ、言われてみれば……すこーしだけ似てる感じがするな」


 ティータイムを行っている最中、エレンが突如放った言葉にエルは怪訝の表情を浮かべながらロールケーキにフォークを突き刺した。

 それに乗るようにルーリットは呟きながらエルとラティエの顔を交互に見やるように視線を動かし、エルを困惑させていた。


 ――そんなに似ているか……?


 思わずラティエの方へと視線を移して観察するように見やると、視線を感じたのかラティエは小首を傾げて彼を見返す。


「エル、どうしたの?」

「いや、似ていると言われたから……ラティエはどう思う?」

「うぅん……分かんない!」


 考えるように虚空を眺めた後に苦笑を交えながら言う彼女の答えにエルも同じ感想だった。

 自身の顔は知っているが、それと比較してみても彼女と似ているというのは思えないのだ。

 それに対して、言い出した本人であるエレンとルーリットもクスリと笑みをこぼした。


「まぁ、そういうのは他人が見た時の感想だからな。言われた奴はそう認識できねぇよ」

「そうね、ごめんなさい。変な事言って」

「いえ……」


 釈然としないながらもエルはティーカップに口を付けて中身を一口含んだ。

 ふと、隣のラティエを見れば、彼女は満面の笑みを浮かべてロールケーキを頬ぼっており、見るからに幸せそうだった。

 些か、一口分が多いような気がしたと思えば、キッと陶器を擦る音が聞こえ、見れば彼女の皿にケーキがなくなっていた。


「……ラティエ、俺の分を食べるか?」

「いいの?」

「うん、でもゆっくり食べな」

「ありがとう!」


 エルが苦笑を交えながら言うと、彼女は食いつくかのように目を輝かせる。

 更に苦笑しながら自身のロールケーキを彼女の皿の上に置くと、お礼を言いながら彼女は早速かぶりついた。

 そのやり取りをルーリットとエレンの二人は微笑ましそうに見守っていた。


「ごめんくださーい」


 突如の来客に四人は一斉に顔を上げた。

 この時間帯は休憩時間ではあるが、あくまでも仮であるため患者が来ればそれに対応しなくてはならない。


「この声は、ハルトか」

「だな。悪いがエル、相手をしてくれ」


 ルーリットの言葉に頷きながらエルは残った紅茶を一気に飲み干すなり、立ち上がって診療所の方へと向かう。

 彼がエルを指名したのは、治療技術の向上と共に、言うまでもなくラティエとエレンを近づける訳にはいかないからだ。

 先日にラティエへセクハラ行為を行ったことから彼の評価はこの診療所では右肩下がりであり決して女性を近づけさせないという内部での決まりがあったのだ。


「よう、ハルト。何処を怪我したんだ?」

「おぉ、エルか。ちょっと羊にどつかれてな、膝を擦っちまったんだ。一応大事をとってな」

「なるほど、言っておくが俺が担当だからラティエやエレンさんはやらねぇぞ?」

「んな事は分かってるよ。それにお前に用があったしな」


 ――俺に用ってことは、本業の方か。


 ハルトの言葉の意味を察したエルは黙って治療箱を取り出しながら、彼と対面するように座り、消毒液とガーゼと包帯を取り出した。

 とりあえず消毒液をガーゼにし染み込ませ、ピンセットでそれを掴むと、患部である膝に押し当てた。


「それで、今回はどんなのが表れたんだ?」

「いつつ……いや、実被害はまだ何だけど、牧場の近くで“フォレストウルフ”を見つけてな。群れでやって来られたらマズイからその前にお前に頼もうと思ったんだよ」


 消毒液による痛みに顔を歪ませながら説明する彼の言葉にエルは相槌を打ちながら頭の中で魔物の情報を整理していた。

 フォレストウルフは名の通り森に生息するオオカミであり、個体の強さはそれほどでもない。

 だが、群れを成して家畜を襲う習性から小さな村であるミノリス村では十分驚異的だ。

 エル自身も依頼で何回も狩っていることから相手にするには問題はなかった。


「他に何か情報は?」

「あー……」


 消毒を終えた患部に新しいガーゼを軽く押し当て、包帯を巻いて行くとハルトは思い出すように天井を見上げる。

 これらの情報は本人しか持ち合わせてないので待つしかなかった。


「そういえば……遠目だったから実際はどうか分からねぇけど、普通のよりデカかったかもしれない。相手をするときは気を付けてくれ」

「分かった。ほら、終わったぞ」

「サンキュー、ついでにラティエちゃんの顔も拝みたいんだが」

「お前はレッドリストだ、とっとと帰れ」



「そういう訳なので、これからフォレストウルフを狩る為に森に行ってきます」

「あぁ、この時間帯なら三人いれば余裕だからな。気を付けて行って来い」


 ハルトの治療を終えて、自身の本業を行うためにエルは事の経緯をルーリットに話していた。

 時間帯もピークを過ぎて後はまばらに来るためだったため、ルーリットは快く承諾した。

 エルは頷くと休憩所に置いてあった自身の長剣を右腰へと装着し、外へと出ようと歩を進めたとき、袖を引っ張られる感覚を覚え後ろへと振り向く。

 袖を掴んでいるのはラティエだった。


「……ラティエ?」

「エル、私も行く」


 彼女の申し出にエルは目を見開いた。

 今から彼が向かうのは遊びではなくもっとも危険を伴う仕事なのだ、それを彼女を連れて行くのは彼としては避けたい事であった。


 だが、彼女の指の力は更に強くなり意地でもついて行くという意志を感じる。

 どうしたものか、とルーリット達の方へと視線を投げるが、彼らは肩を竦めてため息をついた。


「連れて行ってやれ、お前はその仕事でしょっちゅう怪我するからな。ラティエちゃんが居れば少しは楽だろ。最悪はお前が守れ」

「……分かった。狩りの時は俺の言う事を聞くなら一緒に行こう、ラティエ」

「うん!」


 最終的に根負けしたエルは自身の言う事を聞くことを条件として彼女に手を差し伸べた。

 満面の笑みで頷いた彼女はその手を取り、彼と共に診療所を後にする。


 ※


 ハルトからの依頼を受けたエルはラティエを連れて森へと足を踏み込んでいた。

 誰かを連れて魔物狩りに出かけるのは初めてではないが、それはハルト等ある程度武器を扱える者とである。

 彼女の様に武器を扱えない非力な少女を連れて行うのは初めての事であった。

 いくら神聖魔術(サンクチュアル)を使えるとはいえ不安というものは拭える気がしない。


 ――最悪はお前が守れ。


 あぁ、分かっている。無論そのつもりだ。

 診療所を出る前にルーリットから言われた言葉が繰り返され、エルは口を引き締め最大限の警戒を払う。

 森に棲むものは気配というものに敏感だ。それは魔獣であろうとただの動物であろうと同じだ。

 故に殺気というものには特に敏感であり、魔獣を相手する場合は気を張り詰めなければいつ背後から襲われてもおかしくない。

 ふと、エルは足元に視線を移し、その場で屈みこんだ。


「エル、どうしたの?」

「シッ」


 ラティエの問いにエルは立てた人差し指を唇に当て、静かにするように促す。

 その意味を理解した彼女は両手で口を塞ぐのを見て、ふっと苦笑を浮かべると地面へと視線を戻す。

 彼の目に映るのは何かの足跡の様な物だった。

 注意深くその足跡の隅々まで観察し、やがて彼は立ち上がった。


「間違いないな。フォレストウルフの足跡だ」


 彼の言葉にラティエは顔を綻ばせるが、彼の表情は正反対であり眉間に皺が寄っているものであった。


 ――足跡のサイズが……違う、少し大きい?


 彼の表情が険しいのは見つけた足跡のサイズであった。

 何度も見ているので間違いではないはずであった。

 とはいえ自身の記憶が全てあっていると思えるほど自信があるわけではないのでそれが余計に彼の表情を険しくさせていた。


「エル?」

「あっ……何でもない。足跡をみつけたからこの先に居るはずだ。気を引き締めて行こう」


 彼女の声に我に返り、笑みを浮かべて彼女にそう伝える。

 エルの事を信用しきっているのか、彼女は深く追求しないまま頷き彼の後をついて行く。


「……おいおい」


 目標は見つかった、今丁度彼らの目の前であった。

 足跡を見つけてから要した時間は約十分、至って順調だった。

 だというのに彼が呆れに満ちた表情で呟いたのは原因があった。


「グルルルルル……」


 こちらに威嚇の唸り声を上げる、それは問題ない何度も聞いたからだ。


「いくらなんでもデカすぎるだろ……」


 問題は別だ、サイズがでかすぎる、ただサイズがでかすぎるのだ。

 通常のフォレストウルフの標準サイズは自身の腰ほどの高さぐらいだ。

 だが目の前で対峙するそれは、明らかにそれの倍はあった。


 自身の身長と同レベル、後ろのラティエを基準で見れば余裕で上回っている。

 これほどの大物が村で暴れれば家畜など一夜で全滅するのは目に見えている。

 だが、間違いなくこのフォレストウルフはこの森に棲む同種のボスであるには間違いない。

 つまりは此処で狩ればボスが居なくなりしばらくの間は行動が控えめになるはずだ。

 そう理解したエルは剣を抜刀し、自身の体を駆け巡る魔原(マナ)を開放、身に纏った。


「悪いが、恨みはないが狩らせてもらうぞ……!」


 言い終わるや否や、目の前に対峙する者の気配が変わったのを感じ取ったフォレストウルフは鋭利な爪をむき出しにしてエルに飛びかかった。

 対するエルは長剣を両手に保持し爪に向かって振り上げる。

 金属同士がぶつかり合う音が響き、剣と爪の間に火花が散る。

 お互い一歩も譲らない、力と力のぶつかり合いであるが、若干エルが押されている様に見える。


 ――なんて、力だ……!


 彼が抱いた感想はそれだった、普通の魔物でも力はとてつもなく強い。

 一瞬の油断が命を落とす事を知っているから、最初に魔原(マナ)を開放しての肉体強化だ。

 だが、サイズが大きければその分だけ力も強く体重も多くなる。

 普段なら弾き飛ばせる力も今回は勝手が違い、彼が押されている状況を生み出していた。


「エル!!」


 力を受け流して振り払うか、更に魔原を開放して肉体を強化するかどちらかを考えていたとき、後方からラティエの声が響いた。

 その刹那、彼女の両手から放たれた光が彼の体を覆い、自身の力が急激に湧き上がるのを感じ取った。

 神聖魔法(サンクチュアル)の一つである筋力を強化する魔術(スペル)だ。


 ――これならいける!


 そう確信したエルは今まで自身が発した事のない力を最大限に活用し、振り払うように剣を薙ぎ払った。

 力が上回り均衡が崩された事により、フォレストウルフの体は僅かにだが地から離れ、向けられた力の方向に沿うようにその身を投げ出された。


 ドシャッと地に叩きつけるような音が響くと同時にエルはその場から跳躍し剣を上段に構えフォレストウルフへと向かい、適切な距離になった瞬間に振り下ろした。

 それに迎え撃つように爪を突き上げる。

 今一度のぶつかり合いに響く高音、だが強化の魔術を受け、落下と共に叩きつけられた剣の威力は先ほど比較にならず、易々と爪を切り落とし、そのままフォレストウルフの顔面を切り裂いた。


 赤黒い液体が周囲に飛び散り、目の前の獣から悲痛な悲鳴が鼓膜を揺るがす。

 顔面を切り裂かれ、明確な隙が生まれた好機を逃さずエルは剣を逆手に持ち、目の前の巨大な獣の喉元に渾身の力を込めて突き刺した。


 水分が混ざった肉を突き刺す音が響き、目の前の獣の目が見開く。

 そのまま力を込めて横方向へと力を加え引き裂くように薙ぎ払い、刹那の沈黙の後に獣の首元から一面の地面を塗り替えるほどの赤黒い液体が噴出した。

 ゴポリと泡立つような水音を吐き出す獣は、その場から逃れようと弱弱しく足を引きずるが、数秒と立たぬうちにその巨体は崩れ落ちた。

 ピクピクと痙攣する獣の体を一瞥しながら、エルはその場で剣を振り払い、付着した血糊を弾き飛ばす。


「……よし、こいつがボスならしばらくはフォレストウルフの行動も収まるだろ」


 大きく息を吐き出しながらエルは剣を収める。

 自身の目測ではこの個体がボスであればフォレストウルフの群れも新しいボスを立てるまでは活動が控えめになるはずである。

 当面はこれで大丈夫なはずだ。


「…………」

「どうしたんだ、ラティエ?」


 ふと、彼女を見ると悲しそうに瞳を伏せて、フォレストウルフの亡骸を見つめている。

 彼が彼女に声を掛けると、ラティエはゆっくりと顔を上げてエルを見つめる。

 その瞳は明らかな悲しみに満ちているものだった。


「ちょっとだけ、悲しいな。って……いくら村の為といっても殺さなくちゃいけないなんて……」


 彼女の言葉に唖然としながら、エルは短く息を吐いて彼女の頭を撫でようとするが、自身の利き手が血で汚れているのに気付き、慌てて右手で彼女の頭を撫でる。


「確かにね……こうしなくちゃ村は被害を負うけど、こいつに罪は無い。それは俺たちのエゴだよ。でも殺したのは俺だから、ラティエは気にしなくていいんだよ」


 どちらにしても言い訳である事には間違いない、生きている限りは罪を重ねるものであるから。

 ただ彼にとっての今の最優先事項は彼女を宥める事であった。

 理解しているのかは定かではないのだが、彼女の表情は先ほどよりも僅かに明るくなっており、エルは優しく微笑みながら彼女の頭をもう一度撫でた。


「依頼は達成したし、村に帰ろう」

「……うん」


 その時、近くの草木が揺れる音が聞こえ、二人はその方向へと視線を向ける。


 ――帝国兵か……!?


 最悪の事を想像し、エルは剣を抜かないまでも柄を握りいつまでも抜刀できるように構える。

 ガサガサと音が近くなるにつれて剣を握る手の力が強くなっていく。

 ラティエにかけてもらった強化魔術の効力はまだ残っている。

 帝国兵であったとしても、出会い頭に強襲すれば勝てるはずだ。

 音が近くなるたびに心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。

 草木をかき分けるように突き出た手が見えた瞬間にエルは姿勢を低くしていつでも飛び出せるように構えた。


「ふぃー……やっと広いところに出れた出れた……おんや? やぁやぁ、エル君!お久しぶりぃ」


 姿を現せたのは肩辺りまで伸ばした銀髪の髪を結った、糸目の男がエルを見つけるなり気さくな笑みを浮かべて手を挙げた。

 その男の姿を見た瞬間にエルは盛大なため息をついて、肩を深く落とした。


「なんだよ、エアかよ……驚かせやがって……」

「あはは、狩りの途中だった?ごめんね、紛らわしくて」


 すっかり脱力しきったエルにエアと呼ばれた男は彼に近づくなり、更に笑みを浮かべて肩をバシバシと叩いている。

 二人のやり取りに取り残されたラティエは訳も分からず二人の顔を交互に見やるだけだった。


「あぁ、ラティエ。こいつはエア。たまにミノリス村に来る行商人」

「自称何でも屋のエアさんだよぉ。よろしくねぇ」

「う、うん……私はラティエ、よろしく……」


 好意的な笑みを浮かべるエアに対し、ラティエは一歩後ろへと引きながら自己紹介する。


「あらら……? 警戒させちゃった?」

「お前がズカズカと入り込むからじゃないのか?」

「あっはっは、これは失礼。お詫びと言ったらなんだけど、商品見てってよ」


 エルの呆れに満ちた声にエアは呆気からんに笑いながら背負っている大き目のリュックの中身をまさぐり床に広げる。

 広げた品物は各国のアクセサリーから始まり、絵画、本と様々の物が並べられた。

 全てが初めて見る物の為か、ラティエは目を輝かせて品々を見つめていた。


「よかったら満足するまで見てってよ。本に限っては中身もOKだから」

「わーい!」


 すっかり上機嫌になったラティエは商品の物色を初め、そのコロコロと変わる態度にエルは唖然としながら手持ち沙汰になったため血の付いていない右手で後頭部を掻いた。


「にしてもエルくぅん、いつの間に彼女なんて作ったの?」

「彼女……!? ち、違う違う! 彼女はそんなんじゃない、訳あってミノリス村で過ごしてるんだ」

「あっはっはっはは、相変わらずだねぇエル君」


 おちょくられている、嫌でもそれは分かる。

 そもそも自分がそういう話題が苦手で過剰な反応してしまうのがそもそもの原因ではあるのだが、それでも面白くない。


「……エル君、少し良いかい?」

「……?」


 ニコニコした笑みを浮かべていたエアは、ふとラティエを一瞥するとエルだけに聞こえるように小声で語りかける。

 急に態度が変わったことに怪訝な表情で彼を見やると、ほんの少し離れた位置まで歩いて手招きをする。

 真意が分からないまま彼の手招きに応じ、近くまで歩むと彼は身を少し屈めて耳打ちする。


「……彼女、天使だろう?」

「……何故、そう思う」


 彼の問いにエルは目付きを鋭くさせ、睨むように彼を見やる。

 その反応に彼は苦笑を浮かべながらも更に続けた。


「その反応でも分かるけど、ワンピースドレスの背中側が空いているし、彼女の髪は長いけど隠しきれてないから縦に延びるような傷が二つ見えちゃうんだよね。傷の位置から翼の位置と同じだ。今は何かしらの原因で翼が無いようだけど」

「……だからと言ってどうする?」


 エアの言う事は事実であり、ラティエの後ろ髪も毛先に向かうにつれて髪束が細くなっている為、傷は殆ど丸見えの状態だ。

 だがエルは声を低くし、鋭くさせた目を向けたまま右手で剣の柄を掴んだ。

 それを見てエアはふっと息を吐いて肩を組むように腕を回した。


「そんな怖い反応をしなくても何もしやしないよ。それに君、()()()だろ?右手で柄を握った所で抜き放つ速度が遅すぎるし僕の位置からじゃ刺せないよ」


 彼の言葉に沈黙で返しながらエルは柄から手を離す。

 確かに右手で抜くと普段より抜刀の時間は遅いし、彼が立っている位置はエルの丁度左後ろに位置する場所に立っているので刺すことはできない。

 自分諸共刺すのであれば話は別であるのだが。


「まぁ、そんなことは良いとしても……どうするんだい? 最近ここ等辺で帝国兵が見えるし、ミノリス村の規模だと毎回隠すことはできないだろう?」

「……だとしても、帝国兵にラティエを渡しはしない」

「なるほど、相変わらず真っ直ぐだね」


 納得するようにエアは頷くと、少しエルから離れ、懐に手を差し込んで一枚の封筒を取り出した。

 その中身を抜き去り、持ち合わせているペンでサラサラと何かを書き走ると、それをもう一度封筒へと収め、エルに差し出した。


「手紙……?」

「そんなところかな。もし何かあればアルタイル地方のアクイラエ王国首都ナスルに存在する大聖堂に行くんだ。そこの大司祭にこれを渡せば君の力になると思う」


 アクイラエ王国、それはエリューミア教会の総本山ともいえる最大の宗教国家だ。

 エアの言う何かというのは想像が付く、その時はラティエを連れてナスルへと向かえという事なのだろう。

 確かにアクイラエ王国であれば天使であるラティエの事は匿ってもらえるだろう。

 だが、疑問なのは渡された手紙の事だ。


 たかが行商人の彼の手紙で大司祭という教会の上に立つ者から力を貸して貰えるというのはどういう事なのかまるで分らない。

 そんなエルの思考を読み取ったのか、エアはニッコリと笑みを浮かべて立てた人差し指を左右に揺らした。


「これでもお得意様は多くてね。大司祭さんもそのうちの一人さ」

「……まぁ、そういう事にしておくよ。ありがとう」


 聞いたところでそれ以上の事は言わないだろうと確信したエルはため息をつきながら渡された封筒を懐へとしまった。

 納得するように頷きながら、エアは次に商品を物色しているラティエの方へと視線を向ける。

 その視線は背中の方へと向いており、特に縦に延びる左右の傷痕を凝視していた。


「やっぱり、あのままじゃかわいそうだよね……」


 そう小さく呟いたエアは彼女へと近づきながら置いてあったリュックの中をまさぐる。


「どうだい、ラティエちゃん。色んなものがあるだろう?」

「うん。これとか凄く綺麗だね」


 そういって彼女が手に持ったのはペンダントだった。

 ペンダントと言っても、それはポイント部分に青い宝石がはめ込まれており、しかもかなり粒が大きい。

 素人目でもそれなりの値段がすると分かるレベルだ。


「へぇ、お目が高いねぇ。それはブルーダイヤモンドのペンダントでね。世界で一番美しい宝石って言われているんだ」

「へぇー……」


 良く分かっていない様に見えるが、感心したような表情で彼女はそのペンダントをマジマジと見ていた。

 その様子にクスリと笑みを浮かべたエアはエルの方へと顔を向けた。


「どうだい、エル君。彼女の為にこれ買ってあげたらどうだい?特別価格で200(ゴル)だよ」

「に、200(ゴル)!?」


 (ゴル)(1G約1000円)はこの世界で最も高価な金の単位だ。

 無論そんな大金はエルが持ち合わせているはずがないしミノリス村の予算の半分は行くレベルだ。

 そうでなくとも基本的に自給自足が主である村で、魔物討伐などで資金を得ているエルでも報酬などよくて2(ジル)(1g100円)である為、どんなに無理をしても無理だ。


「い、いいよエル。ただ見ていただけだから無理しないで?」


 エルの反応から大金だと察したラティエは首をブンブンと横に振ってペンダントを商品の列へと戻した。

 彼女の心遣いはありがたいものだが、それはそれで何とも言えない感覚が彼を襲った。


「あっはっは、流石に200(ゴル)は無理だよねぇ。まぁ、ペンダントは無理でも、お近づきの品としてこれを受け取ってよ」


 そう言いながらエアがリュックから取り出したやけに丈が短いマントの様な物だった。

 白い生地に縁が青い布でできており、彼女の純白のワンピースドレスととても似合いそうだった。


「いいの?」

「うんうん、良いよ。背中丸出しだと寒いだろう?」


 ラティエの問いに笑みを浮かべながら頷くエアはそのまま彼女にマントを着せる。

 マントによって丸出しとなっていた背中が丁度隠れるようになり、外見では傷が一切見えなくなっていた。


 ――なるほど、この為か。


「……ありがとう、エア。それと、さっきはすまなかった」


 エアの考えを察したエルは彼に近づき、小声でそう語りかけると彼はニッコリと笑みを浮かべて手を振った。


 ※


「それじゃ、僕は此処で退散するねぇ」

「ん、村に寄らないのか?」

「うーん、此処まで来たから寄っていきたいけど、嫌な予感がするからねぇ……今回は止めとくよ。あと、エル君、血塗(ちまみ)れだから近くの水場で洗った方が良いよ? それじゃあねぇ」


 エルの問いに悩むような素振りを見せてから、先ほどの様な軽い笑みを浮かべ手を振りながらエアはその場をスタスタと歩いて遠ざかっていく。


「なんだ、それ……まぁ、いいや。村に戻ろう、ラティエ」

「うん。行こう」


 エルの言葉に頷いたラティエは彼の左手を握ろうとするが、その手は遠ざかり差し出した手は空を切った。

 それにきょとんとした表情でエルを見つめていた。

 代わりにエルは微笑みながらラティエの左隣まで移動して右手を差し出した。

 エアも言った通り今自分の左半身は血塗れであり、彼女の手を血で汚したくなかったからだった。

 それを握り返したのを確認してからエルはその場から歩き出した。


 ※


 二人は村への帰路の途中にある水辺に休憩として留まっていた。

 後はハルトに依頼を終えた事を報告すれば、今日のやるべきことは全て終えるだろう。

 だが、その前にエルは血塗れの状態をどうにかしないといけない為、洗浄の為に寄っていたのだ。

 殆ど乾いた状態であったが、水に濡らすことで溶けるので完全には無理でも少しはマシにはなるだろう。


「だいぶマシになったかな……」


 上着を完全に脱いで、上半身が裸になったエルは肌と服の洗浄を終えて具合を確かめていた。

 肌はともかく、服の方は少しだけこびり付いており、これ以上落とすにはちゃんと洗濯するしかない。

 面倒だと感じため息をついた所で、ずっと背中に感じる視線を辿るとラティエがずっとこちらの背中を凝視しており、なにがどうしたのか気になってしまう。


「俺の背中をずっと見てどうしたんだい?」

「エル、背中に付いてる模様はどうしたの?」


 言われて彼はずっと背中を凝視している理由に納得した。

 エルの背中には全体一面に刻み込まれた刻印が刻まれているのだ。

 彼としては物心ついた時からずっと存在しているもので、気にもしていなかったが他人が見ればそれは確かに異様な物である。


「俺にも分からない。物心ついた時にはあって、文字みたいだけど何て書かれているのかすら不明なんだ」

「ふーん? 不思議だねぇ」


――本当に不思議だよな……何でこんなの付いているんだ?


 そう考えながら服が吸い込んだ水を絞り、数回はたいて着込む。

 準備が整った為、エルは村に帰る為に彼女の手を取り帰路へと向かう事にする。

 



 他愛もない会話をしながら村へと歩いている時に前方から人影が見えた。

 前方をよく見ようと眉間に皺を寄せながら目を細めると、見えてきたのはヴォルンの姿だった。

 彼はやけに切羽詰った表情でこちらへと走っていた。


「ヴォルン、そんなに急いでどうしたんだ?」

「エル! それにラティエちゃんも居たのか……今直ぐラティエちゃんを連れて此処から離れろ! 帝国兵が今村に来ているんだ!」


 彼の言葉に驚愕し、足が硬直する。

 その瞬間にガサリと草木を揺らす音が聞こえ、その方向へと三人は視線を移した。

 それは甲冑姿の兵士五人の後ろにいかにも貴族風な服装をし、口ひげを生やし、嫌味たらしい目付きをした男が立っていた。


「見つけましたよ、天使の少女。帝国の掟に従い、貴女を狩らせて頂きますネ!」


 男の言葉にエルは守る様にラティエの前へと移動し、剣の柄を握った。

 額からは汗がこめかみを伝って頬へと落ちている。

 無論余裕なんてなかった、むしろ正規の訓練を施された帝国兵五人も相手に何とかしのげるのか、いや手を出した瞬間にこちらの立場が危うい事も含め、エルは頭の中でどうすればいいのかを模索していた。

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