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番外編1 私は自分の国が嫌い(皇帝の幼少期の話)

 私の名前は、イブリン・ラブラス・エストリア。この国の唯一の皇女だ。

 でももう関係ない。それも今日で終わるのだから。



「お嬢ちゃん、着いたよ。ここでいいかい?」


 馬車の荷台にうずくまっていた私に、おじさんが声をかけた。“国境の町で働いている母に会いに行きたい”とお願いしたら、同情してここまで運んでくれた。


「ありがとうございました。それじゃ」

 立ち去ろうとした私を、おじさんは屈んでこちらを気遣うように見た。

「お母さんの職場は分かる? おじさんが着いていってあげようか?」

「大丈夫です。母には手紙も送っているので」


 お辞儀をして、少ない荷物を持って歩き出す。ここからは使い魔と国境を越える予定だ。人気のない家屋の影に入り、名を呼んだ。地面に悪魔の召喚サークルが浮かび上がる。


「アイラ」

「ここに、我が主」


 サークルの上に女性の悪魔が立っていた。中年女性の格好をしている。


「はい、これで打ち合わせ通りよろしく」


 彼女に果物を手渡し、契約を結んだ。報酬は前払いで、この程度だと国境を越えるだけで終わってしまう。その後は一人でアルカナ王国ワンズ辺境伯領の修道院に向かい保護して貰う予定だ。路銀も用意している。


 アルカナは自国に比べて治安が良いと聞いていたので大丈夫だと思っていた。だが女児の一人旅と分かると、国境を越えて目的地に向かう途中の町はずれで男達に囲まれてしまった。


 悪魔を召喚しようか迷っている際に助けてくれたのが、後に友人となるエリアナとマリッサだった。

 公爵令嬢の彼女達は夏休みをワンズ辺境伯城で過ごしており、私もそこに保護された。



「あなた、お名前は?」

 エリアナがしゃがんで目線を合わせる。隣でマリッサも腰を落としていた。

「イブ」

「そう、ではイブ、まずはお風呂に入りましょうか? 私達が洗ってあげるわ」


 二人は自らの手で私の世話をしてくれた。何の報酬も与えてないのに、優しくしてくれた。夕方になると、三人でご飯を食べた。こんな緊張感のない、寂しくもない食事は初めてだ。


 夜になると、ひらひらした可愛いナイトウエアを着せてくれた。

「マリッサ、見て!‥‥イブのこの白い肌によく似合うわぁ」

 エリアナはゆるく波打つ黒髪にルビーのような赤い瞳、マリッサは綺麗な銀髪に瞳はアイオライトのような濃いブルーだ。


「ほんとね。明日は商人を呼んでいるから、お洋服も選びましょうね?」

 精霊のように綺麗な二人が、私を見て嬉しそうに会話している。眩しくて私は顔を伏せた。


「イブ、どうかした? 疲れたのかしら」

 マリッサがそっと私の肩を抱く。他人から心配されるなんて、久しぶりね‥‥涙が落ちた。

「私‥‥」

 自分の話をしたくなった。二人は黙って聞いてくれた。


「‥‥そう、イブはエストリアの貴族の嫡子で、お母様は既に亡くなっているのね?」

 エリアナの復唱に、私は頷く。

「そして、当主は自分の仕事をせずに、女性と遊んでばかりいると」

 マリッサが続け、それも肯定する。

「領地も荒れてるって辛いわね。家令とか、他の親族とか、頼れそうな大人は?」

「家令は居るけど、好き勝手してる。お母様の弟がたまに様子を見に来てくれるけど、関わりたくないみたい」

 私の言葉を聞き、二人が話し始める。


マ「家令は頼れないわね。叔父様が何とかしてくださらないかしら?」

エ「お父様は女性に溺れてはいるけれど、まだ権限が強いんじゃない? 性病にでもかかって引退すればいいのに」

マ「幼い娘が家出するって余程のことよ。ここまで追い詰める大人が許せないわ」

エ「全くね。イブ本人の事だけを考えたら、このままの方が幸せよ。うちで養女にしてもいいわ。けれど、領民を思うとね‥‥」

マ「そうね、彼らに罪はないし、彼らを守るのも私達の役目だわ」

エ「でも味方がいないのに戻っても、辛いだけよ。それにイブはまだ5歳だわ」

マ「そうね、成人するまで保護してくださる方が必要だわ」


 勝手に話を進めないでほしい。

「‥‥私は戻りたくない!」

 そう叫ぶと、二人は目を見合わせて頷いた。


「ごめんなさい‥‥そうよね、イブは嫌だって言っているのだもの。この話は、今日はここまでにしましょう」

 エリアナは優しく言って私の背を撫でた。

「ベッドが広いから、三人で寝ましょうか? 何か聞きたい話はある? あなたが眠くなるまで話してあげるわ」

 マリッサも横から覗き込む。

「私達にはもう婚約者が居るから、恋物語でもする?」

「そうね。イブの好みも教えてね?」



 それから二人は、私と毎日遊んでくれた。

「見て、マリッサ。イブの黒髪とっても綺麗よ。私も黒髪だけど癖っ毛だから、こんなツヤツヤのストレート憧れるわぁ。よくここまで伸ばしたわね」

 私の髪をセットしながら、エリアナが言う。私はそれに答えた。

「お母様が、髪は大事だから伸ばしなさいって」

 鏡の向こうでマリッサが大きく頷く。

「イブのお母様、大正解ね。娘の良いところをよく分かっていらっしゃるわ」

 父の愛妾達は私の母をけなしてばかりだったから、褒められて嬉しかった。



 魔法学園の話を聞くのは楽しかった。

「それで、火の精霊魔法が得意なエリアナは学園の生徒から“紅炎の魔女”って呼ばれているのよ」

 マリッサの言葉に、エリアナが言い返す。

「あら、女性が強いのは良い事じゃない?‥‥エストリアの前皇帝も女性だったと聞いているわ。ね、イブ?」


 私の母は皇帝だった。有力貴族の父とは政略結婚だ。叔父は皇位継承権を放棄しており、私が成人するまでは父が後見人を務める事になっていたが、現在は勝手に皇帝を名乗っている。

「前皇帝は‥‥素敵な人だった」

 弱者に優しく、どの国にも引けを取らない、強い皇帝だった。

「ええ、そうね」

 エリアナが背中を撫でてくれる。反対側からマリッサが肩を抱いた。



 綺麗な景色を見たり、街にも案内してくれた。

「おや、姫さん達、そのお嬢さんは初めて見るね? 妹さんかな?」

「彼女は立派なレディで、私達の親友よ」

「そうかい? まあ、お菓子でも食べて行きな」

「ありがとう」


 そのやり取りを見て、国境まで送ってくれた親切なおじさんを思い出す。私が見捨てたあの人は元気かなと思うと、泣けてきた。

 エリアナの指示で、女性の護衛騎士が私を抱き上げる。マリッサがハンカチで涙を拭いてくれた。


「イブ、辛い時は泣いていいわ。だけど、私達は勇気を出してまた立ち上がりましょう?」

「お嬢ちゃん、辛い事でもあったのかい? そんな時には甘いものだ。もう一本食べな」

 屋台のおじさんが、串に刺さった焼き菓子を差し出す。それを受け取り口に入れた。

「よし、食べられるならまだ大丈夫だ。貴族のお嬢ちゃんも大変だと思うが、頑張りな」

 おじさんの励ましを受けて、私は頷いた。マリッサとエリアナは微笑んでいた。



 ここの人達は誰も私を責めなかったし、私に何も無理強いしなかった。

 そして、私は‥‥叔父に連絡を取りたいと申し伝えた。


 1ヶ月近くも皇城を留守にしていたのに、父はそれに気付いていなかったらしい。

 私は成人になるまで叔父の邸で世話を受ける事になった。


 別れの日、エリアナとマリッサからプレゼントがあった。宝石が三つ輝くペンダントだった。

「イブ、これは私達の友情の証よ。あなたがどんな道に進もうとも、ずっと私達は親友よ。いつでもここに戻って来ていいわ」

「ありがとう‥‥二人にお願いがあるの」

「いいわ、なあに?」


 私と目線を合わせて聞いてくれる二人に言った。

「お手紙を送りたいの。後は、いつか領地が落ち着いたら、私の子供とあなたたちの子供を結婚させたいわ。それを励みに頑張るから」

「もちろん、いいわ」

 二人に了承してもらい、私は国に戻った。やり残した事があったので、数日間は皇城に滞在する予定だ。


 城に戻った夜、灯りを持って地下に向かう。悪魔をまつる祭壇は、地に棲み分けたと言う神話にならって地下に設けられている。

 私は悪魔の血を引く皇族の中でも、血が濃い方だと言われていた。上位の悪魔でも、比較的楽に呼び出せているからだ。


 手に持った包みの中には、切ったばかりの私の髪の毛の束が入っている。はさみを頭皮に付けるようにして切ったので、頭がずいぶん軽くなった。でも、これで足りるかは分からない。

 まずは、後継ぎの問題で争いが起きないように、父の種をなくす事、それと罪なき民の為にも最短ルートで改革を行いたい。それを成功させるには、私を裏切らない、強い使い魔がほしい。


 地下の皇族用の祭壇にたどり着き、扉を開けた。明かりはついている。今夜はここで祈りたいと人払いをしていた。

 少し前に呼び出したアイラに見張りをしてもらい、一人で中に入る。一般人が悪魔を召喚する際は事前にサークルを描いたりの準備が必要だけれど、血族の私は頭に想像するだけでいい。


 床に赤い光が現れた。サークルには、呼び出す悪魔の名前も刻まれる。“demónio mburuvicha guasu lucifer”の文字が輝きを増した。



 私の名前は、イブリン・ラブラス・エストリア。この国の唯一の皇女であり、いずれは女帝となり民を守る者だ。


最後まで読んで頂きありがとうございました。


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