第202話 お盆
丈一郎と両親の顔合わせは円滑に進み、次の日には両親が仕事先に帰った。
それから数日が過ぎた八月十三日の昼。昼飯を摂り終えた美羽が唐突に声を発する。
「ちょっとお出掛けしてくるね」
「了解、気を付けてな。……にしても、服装がラフだな」
詳しく聞いては駄目だと分かっていても、つい口にしてしまった。
夏場とはいえ、シャツとハーフパンツだけで出掛けるのは、いくらなんでも軽装過ぎるのだから。
悠斗の呟きに、美羽が気まずそうな微笑を浮かべて頷く。
「近くにお墓参りに行くだけだからね。掃除しなきゃいけないし、こういう服の方がいいんだよ」
「…………いや、待て。何だって?」
よくよく考えると、今日から三日はお盆だ。
墓参りというのは納得出来るものの、美羽にそういう相手がいるとは聞いていない。
もちろん、悠斗に言う必要が無かったからだというのは分かっている。
気まずそうな顔も、悠斗に詳しく知られたくなかったからだろう。
それでも相手が誰なのか知りたくて尋ねれば、美羽が気にするなという風な柔らかい笑みになった。
「だから、お墓参り。でもおばあちゃんのだし、悠くんは気にしないでいいんだよ」
「おばあちゃんって、もしかして丈一郎さんの――」
「そう、おじいちゃんの奥さんの、東雲真理子さん」
「滅茶苦茶大事な人じゃねえか……」
今まで何も疑問に思わなかったが、丈一郎には妻が居て当然だ。
しかし、既に亡くなっているらしい。
そんな人の墓参りに美羽が行くならば、悠斗も挨拶しない訳にはいかない。
勝手ではあるが、疎外感を覚えつつ立ち上がった。
「俺も行くよ」
「えぇ!? 私一人でも掃除出来るよ!」
悠斗からすれば当たり前なのだが、美羽は悠斗がついて行くなんて考えもしていなかったらしい。
心底意外そうに驚きの表情を浮かべている。
しかも、悠斗が掃除の手伝いの為だけについて行くと思っているようだ。
もちろん掃除もするが、それだけで済ませる訳がないと、大きく溜息をつく。
「そうじゃなくて、挨拶しておきたいんだよ」
「……私がこう言うのもなんだけど、祖母だよ? 悠くんは何も知らないんだよ?」
「それでも、俺からすると価値があるんだよ」
美羽に害を及ぼしていた人なら別だが、墓参りに行くという事は、少なくとも悪感情は持っていないはずだ。
ならば、真理子を知っているかなど関係ない。既に故人となっているなら尚更だ。
しかし、美羽は納得出来ないようで、唇を尖らせている。
「でも……」
「じゃあこれはどうだ? もし俺がおじいちゃん達の――実際は元気だけど――墓参りに行くとして、美羽が会った事のない人だったら、どうする?」
逆の立場であれば、美羽は墓参りに行こうとするに違いない。
悠斗の予想通り、美羽がむっと顔を顰めて頷く。
「そりゃあ墓参りに行くよ。悠くんの家族なんだもん」
「ほう。じゃあ今の状況は?」
僅かに声を低くして詰問すると、美羽が顎に手を当てて思案し始めた。
すぐに自らの間違いに気付いたようで、ばつが悪そうな顔になる。
「………………すみませんでした」
「よろしい」
問い詰めはしたが、実際のところ、逆の立場なら美羽と同じ行動を取ったかもしれない。
本当に似た者同士だなと苦笑し、美羽の髪をくしゃりと撫でて背を向けた。
「着替えてくるから、ちょっと待っててくれ」
「それなら私が準備するね」
「駄目だ。俺に何も伝えなかった罰として、美羽はここで待ってる事」
「そんなぁ……」
美羽が途方に暮れたような声を出したが、これはおしおきだ。
とはいえ、悠斗の準備をさせない事がおしおきになるのは、美羽くらいのものだろう。
おかしなやりとりに小さく笑みつつ、自室へ戻るのだった。
「言い辛い事なら言わなくていいんだが、真理子さんってどんな人なんだ?」
夏真っ盛りという事で外は蒸し暑く、蝉の声がうるさい。
手の平にじんわりと汗が滲んで来る中、ほんのりと申し訳なさそうな顔をしている美羽へと問い掛ける。
悠斗の問いに、美羽がゆっくりと首を振った。
「……正直な事を言うと、分からないの」
「分からない?」
「うん。私が生まれる頃には他界しちゃったみたいでね。写真で見た事があるくらいだよ」
美しい無表情と平坦な声からは、祖母に対して何の感情も抱いていない事が分かる。
とはいえ、会った事のない人に対して親愛の情を向けるというのも無理な話だ。
先程まで祖母との思い出があるから墓参りに行くのかと思っていたが、新たな疑問が悠斗の頭に浮かぶ。
「あんまりこういう事を言うべきじゃないと思うんだが、じゃあどうして墓参りに行くんだ?」
「それは……」
美羽の性格ならば、単なる義務として墓参りをしそうではある。
そうだとしても、丈一郎と一緒に行けばいいはずだ。
しかし、実際はこうして悠斗と――悠斗が問い詰めなければ一人で――墓参りに行っているのだから、どう考えてもおかしい。
かなり不謹慎な質問に、美羽が眉根を寄せて俯く。
暫くして顔を上げた美羽は、意を決したような表情をしていた。
「今が一番良いタイミングだから、だよ」
「タイミングか。まあ盆だから、確かにタイミングは良いけど」
「それもあるけど、本来は明日、家族全員でおばあちゃんの墓参りに行くはずだったの。それをおじいちゃんが気を遣ってくれて、私だけ今日にしてもらったの」
「家族全員? ……もしかして」
家族全員という言葉。丈一郎が美羽を気遣ったという事実。これらから、今の東雲家で起きている事が予想出来る。
思わず顔を顰めると、美羽も大きな溜息をついて表情を歪めた。
「そう。今、私の家には墓参りの為にお母さんが帰って来てるの。……お母さんと再婚した人もね」
「なるほど、そりゃあ美羽一人を先に行かせる訳だな」
美羽は仁美や再婚相手に会いたくないし、丈一郎としても会わせたくないはずだ。
おそらく、丈一郎は美羽が悠斗の家に泊まりに行っているこの状況を利用したのだろう。
ようやく事態を飲み込めると、美羽の眉が元気なく下がった。
「代わりに掃除してくれって言われたけど、お母さんに会うくらいなら、それくらい喜んでやるよ。……でも、こんな状況に悠くんを巻き込みたくなかったの」
「そんなの気にすんなっての。掃除も、この状況も、思いっきり巻き込んでくれ」
「ありがと、悠くん」
どうやら美羽は、悠斗に会った事のない祖母の墓参りをさせるのが嫌だっただけではないらしい。
しかし、これくらいの負担なら喜んでだ。
淡い栗色の髪を少し乱暴に撫でれば、美羽の顔に僅かだが元気が戻ったのだった。
家から歩いて三十分。見慣れない墓地にたどり着き、美羽と共に掃除をした。
真昼間の太陽に照らされながらの掃除だったので、二人共汗だくだ。
悠斗の励ましと掃除で気が紛れたのか、美羽は普段通りの明るい雰囲気に戻っている。
「ふー。こんなもんか?」
「うん。綺麗になった。それじゃあ、おばあちゃんに挨拶していこう?」
「もちろんだ」
掃除道具を片付け、美羽と共に墓前で手を合わせた。
目を瞑り、会った事のない恩人へと想いを伝える。
(貴女がどんな人なのか、俺には分かりません。でも、貴女の孫は俺が必ず幸せにします)
答えの返ってくるはずのない決意表明をし、ゆっくりと目を開けた。
美羽もそれほど伝える事はなかったのか、悠斗と同じくすぐに目を開ける。
悠斗を見上げる幼げな顔は、どこかすっきりとした面持ちだ。
「それじゃあ、帰ろう。ありがとね、悠くん」
「お安い御用だ」
掃除後で手が汗ばんでいるが、それでも指を絡ませて墓地に背を向ける。
夏の風が吹き抜け、悠斗と美羽の髪を撫でるのだった。
その後は何が起きるでもなく夜となり、晩飯と風呂を終え、自室で美羽の背もたれになっている。
二人して読書していると、傍に置いている美羽のスマホが突然鳴った。
「珍しいな」
「ねー」
何となく嫌な予感がしつつも、鳴った以上は取らなければならない。
画面を悠斗に見られるのも構わず、美羽がスマホを持った。
不用心だなと笑みつつ視線を向ければ、画面には『お母さん』の文字。
「……」
美羽が身を固くし、動きを止めた。
その間も、早く取れと言わんばかりに電話が鳴り続けている。
錆びた機械のように悠斗へと振り向いた顔には、不安がこれでもかと浮かんでいた。
少しでも力になればと、小さな頭をゆっくりと撫でる。
「大丈夫。どんな事があっても、俺は美羽の味方だ」
「……うん。ちょっと、行ってくるね」
聞かせたくないのか、聞いて欲しくないのか、美羽がふらふらと覚束ない足取りで部屋を出て行く。
それからの時間は、これ以上に長い十分は無いと実感できる程に長かった。
そして、美羽を探しに行った方が良いのではと思い始めていた時にようやく自室の扉が開いた。
ゆっくりと部屋に入ってきた恋人の顔は、今にも泣きそうに歪んでいる。
「……明日、悠くんを家に連れて来いって」
どうやら、悪い予感が当たってしまったらしい。




