第201話 顔合わせ
丈一郎へ会いに行くのは昼からという事で、昼飯を終えて東雲家に向かった。
そして今、悠斗と美羽の親――片方は祖父だが――が初めて顔を合わせている。
どこか張り詰めた空気の中、正臣と結子が頭を下げた。
「お初にお目にかかります。芦原悠斗の父親の、芦原正臣です」
「妻の芦原結子です」
「東雲丈一郎だ」
普段よりも固さ二割増しの仏頂面で、丈一郎が両親を見つめる。
怒っている訳ではなさそうだが、いつにも増して感情が読めない。
それどころか、丈一郎の態度に慣れた悠斗ですら圧を感じる。
しかし、そんな丈一郎に臆する事なく、正臣が柔らかな笑みを浮かべた。
「美羽さんには息子、そして私達もお世話になっております」
「私達の都合で息子の傍に居られない中、美羽さんは悠斗の傍に居てくれました。そして、その許可をしてくれたと聞いております。本当に、ありがとうございます」
結子も珍しく「美羽さん」と言いつつ、綺麗な所作をしている。
普段のふんわりとした雰囲気からは考えられない結子の態度に、悠斗の隣の美羽が目をぱちくりとさせた。
そして両親の言葉を受けた丈一郎はというと――
「儂の方こそ、勝手に美羽を預けてしまった。会いに行けずに、申し訳ない」
悠斗からすれば二度目になるだろうか。丈一郎が深く頭を下げて、両親に謝罪した。
丈一郎の態度が予想外だったようで、正臣と結子が目を見開いて驚きを露わにする。
その間に、丈一郎が泣きそうに顔を歪ませ、ゆっくりと口を開いた。
「それに、感謝をするのは儂の方だ。悠斗には儂も美羽も救われたのだから」
「……私も息子から軽くは聞いています。父親として、誇らしいですね」
正臣が少しだけ胸を張って笑みを落とす。
既に丈一郎の圧は無くなっており、そこには僅かに顔が怖いだけの、孫思いの老人がいた。
「そうだろうな。悠斗は本当に良い男だ」
「いえいえ。美羽さんも、とても良い子ではないですか」
「この子が良い子に育ったのは、儂の力ではない。この子の努力の賜物だ」
「そうでもありませんよ。最近の美羽さんは、東雲さんの――すみません、丈一郎さんとお呼びしますね――事を私達に話してくれます。美羽さんはいつも丈一郎さんに感謝していましたよ」
「祖父として、これほど嬉しい事はないな。それもこれも悠斗の――」
丈一郎と正臣の口から、次から次へと悠斗と美羽の褒め言葉が出て来る。
当の本人達が傍に居るというのに、その勢いが衰える事はない。
あまりにも恥ずかし過ぎて、美羽と共に顔を真っ赤にして俯く。
「……私、今すぐに逃げ出したいんだけど」
「……俺もだ。喧嘩とかが起きなかったのは良いけど、これはキッツいな」
おそらく、丈一郎は緊張していただけなのだろう。
それが解け、滞りなく顔合わせが済んだのは喜ばしい。
しかし、目の前で褒め殺しをされる悠斗達の気持ちを考えて欲しいものだ。
二人の会話を聞いていると背中が痒くなるので、これ以上耳に入れないように、美羽と小さな声で会話する。
流石に見ていられなくなったのか、結子が肩を叩いた。
「この調子だと暫く盛り上がりそうだし、席を外していいわよ」
「でも、こういうのって俺達も居ないと駄目なんじゃないのか?」
出来る事なら結子の言葉に今すぐ従いたいのだが、あまりよろしくないのではないか。
そんな悠斗の心配を吹き飛ばすかのように、結子が柔らかな笑顔を浮かべる。
「そんな事気にしないでいいのよ。それに、こういう時に付き添うのは私の役目だわ」
「……じゃあ、お願い」
「すみません、結子さん。これは耐えられないです……」
結子に促され、悠斗と美羽の心はあっさりと折れた。
音もなく席を立つ悠斗達の事など目に入らないようで、正臣と丈一郎が盛り上がっている。
「あんまり羽目を外しちゃ駄目よぉ」
逃げるように背を向けてリビングの扉に手を掛けると、悪戯っぽい声が掛かった。
「誰が外すかっての。……すまん、美羽の部屋に行かせてくれ」
「いいよ! すぐに退散しよう!」
「気を付けてねぇ」
ひらひらと手を振る結子を視界の端に収めつつ、美羽に手を引かれてリビングを後にする。
一度だけ通った廊下を歩き、美羽の部屋に着いた。
「さあ、入って入って」
「お邪魔します」
入るのは二回目なので、それほど緊張はしない。美羽の部屋があまりに簡素で、生活感がないというのもあるが。
ぼんやりと部屋の中を見渡していると、くすりと小さな笑い声が聞こえた。
「そんなに見ても、何もないよ」
「まあ、そうなんだけどな。何か、前より生活感が無くなってないか?」
「当然だよ。だって、最近は悠くんの家に居るんだから」
「……確かにな」
美羽の言う通り、既に一日の殆どを芦原家で過ごしているし、夏休みの間は毎日泊まっているのだ。
正論に口を噤みつつ、眉をひそめる。
(にしたって、これはなぁ……)
いくら悠斗の家で過ごしているといっても、この部屋はあまりにも寂し過ぎる。
参考書と勉強机に、衣類用のクローゼット。そしてベッドのみという部屋は、どう考えても女性の部屋ではない。
何かしたいとは思うが、美羽は望まないはずだ。
悠斗の予想通り、美羽が柔和な表情で首を振る。
「気にしないで良いよ。だって、私の居場所は悠くんの隣なんだもん。……おじいちゃんには、申し訳ないけどね」
悠斗の部屋で、悠斗の隣で過ごすのだから、この部屋に余計な物は要らない。
その意思がこれでもかと伝わってきて、苦笑しか零せなくなる。
「……分かったよ」
「ならよし。ほら、悠くん、おいで?」
悠斗が心の整理をつけると、美羽がベッドに上がって隣を叩いた。
強引な恋人の傍に行くと、勢いよく抱き着かれる。
準備が出来ておらず、美羽のベッドに思いきり倒れ込んだ。
濃ゆいミルクのような匂いが香る中、悪戯っぽい瞳が悠斗を見下ろす。
「時間はたっぷりあるから、ゆっくりしよ?」
「だな。昼寝してもいいくらいだ」
一、二時間程度なら、何も問題ないだろう。
そう判断して、肩の力を抜く。
すぐに美羽が顔を寄せてきて、柔らかいものが唇に触れた。
「えへへ、おやすみのキスだよ」
「日課だもんな。ほら、おいで」
「わぁい」
とろりと蕩けた笑顔を浮かべる美羽の頭を腕に乗せ、寄り添い合う。
その後、結子が来るまで昼寝を堪能していたのだった。
「「うわぁ……」」
結子に呼ばれてリビングに行くと、そこには顔を真っ赤にした男が二人いた。
二人の手にはグラスがあり、その傍には焼酎のボトルが置いてある。
美羽と共に呆けたような声を漏らすと、結子が肩を落とした。
「二人共すっごく盛り上がっちゃってねぇ。ついに酒盛りを始めちゃったのよ」
「……まだ夕方なのに、すっかり出来上がってるな」
未だに会話は途切れていないようで、お互いに小さい頃の美羽と悠斗の事を話している。
内容については、あえて耳にしないようにした。
「それにしても、父さんが飲むのなんて久しぶりじゃないか?」
「そうねぇ。弱いから普段はあんまり飲まないようにしてるんだけど、随分テンションが上がっちゃったみたい」
「それに、おじいちゃんもだよ。飲んでる所なんて初めて見たなぁ」
見た限りだと丈一郎は飲めるようで、正臣よりもペースが速い。
おそらく、普段飲まないようにしているだけで、酒には強いのだろう。
とはいえ、既に酔っ払い二人が爆誕しているのだが。
悠斗達が来た事に気付いたようで、二人が胡乱な瞳を美羽と悠斗に向ける。
「おぉ、来たか美羽! 今は美羽が子供の頃に、どれだけ頑張っていたかを説明していたのだ!」
「悠斗! いやぁー、丈一郎さんは良い人だねぇ。悠斗の事を凄く分かってくれてるよ!」
二人から手招きをされているものの、向かえば間違いなくロクな事にならない。
美羽へちらりと視線を向ければ、明らかに嫌そうな表情をしていた。
絡まれたくはないと結子に助けを求めると、結子が思いきり溜息をつく。
「はいはい。正臣さんも丈一郎さんも、二人に絡んじゃ駄目ですよ。今から悠斗と美羽ちゃんには晩御飯の買い物に行ってもらうんですから」
この五人で晩飯を摂るのが勝手に決まっているが、それは構わない。
そして、この状況での買い物は渡りに船だ。
美羽と共に大きく頷き、後を結子に任せてリビングを後にする。
「美羽は儂の料理をすぐに盗んでなぁ……。流石儂の孫だ!」
「美羽さんの料理は美味しいですからね。私も結子も、帰って来た時の楽しみにしてるんですよ!」
「おぉ! では今日の晩飯は美羽に頼んでみるか!」
「……あんな事言ってるけど、大丈夫か?」
後ろから聞こえてくる声に顔を引き攣らせて尋ねれば、美羽が盛大に溜息をついた。
「まあ、仕方ないよ。今のおじいちゃんに料理させる訳にはいかないしね。多分結子さんも手伝ってくれるだろうし、何とかなるはず」
「……悪い。俺が何も出来ないばっかりに」
何も出来ない無力感に肩を落とす。
しかし、そんな悠斗を心配するような、気まずそうな瞳が見上げた。
「むしろ、悠くんには大役があるよ。頑張ってね」
「大役?」
「私と結子さんが料理してる間、おじいちゃんと正臣さんに付き合うっていう、ある意味私達より大変な役だよ」
「…………ガンバリマス」
あの酔っ払い二人に絡まれるなど、地獄でしかない。
しかし、悠斗以外に出来る人がいないのも確かだ。
がっくりと項垂れる悠斗の頭を、美羽が必死に背伸びをして撫でてくれたのだった。




