第1話「偶然」
「痛みますか? ごめんね、いま新しい包帯に替えますからね。」
診療所の片隅で、私は怪我をした近所のおじさんの足に、洗って乾かしたばかりの古い布を巻き直していた。
昭和二十年の6月。遮光カーテンのせいで昼間も変わらず暗い部屋の中で、私は負傷した人の治療をしていた。
高橋陽子—私は数ヶ月前の空襲で、家も、母親も、まだ小さかった弟も失った。父親は戦地へ行ったきり。戦死公報のみ届けられた。
天涯孤独になった私を救ってくれたのは、村の古い医師だった。行き場のない私を助手として雇い、寝食を分けてくれた。感謝してもしきれない。
十六歳の私にできることなんて、怪我人の身体を拭いたり、包帯を替えたりすることくらい。
それでも、苦しむ人が私の手を見て「ありがとう」と微笑んでくれるときだけは、胸の奥の孤独が少しだけ和らぐような気がしていた。
「あの子の、触れる手は温かいねぇ。まるでお母さんのようだ」
「本当につらいだろうに、よく働いてくれる」
大人たちのそんな囁き声が聞こえる。
けれど私は、ただ目の前の命が消えてしまわないよう、必死に手を動かしているだけだった。
薬はとうに底を突き、包帯も何度も使い回してボロボロ。怪我人に十分な食事を与えることもできない。
それでも、怪我をした人たちの痛みを少しでも和らげたい――それが、生き残ってしまった私の、唯一の生きる意味になっていた。
「陽子ちゃん、これを持って、裏山の向こうの家まで行ってきておくれ」
夕方近くなった頃、先生に呼び止められ、小さな風呂敷包みを渡された。
中には、貴重な薬草を煎じた薬瓶が入っている。足の悪いお婆さんの家へ届ける、大事なお使いだった。
「はい、行ってきます」
「気をつけるんだぞ。ほらこれ。」
「えっ」
ずっしりと重い笹巻きが手の上にある。
「いいんですか?こんなに。」
「ああ、いつも手伝ってくれてるからな。今日は暑くて疲れるだろうし、途中で食べるといい。」
「ありがとうございます。」
私は風呂敷と笹巻きを大事に抱え、診療所を出た。
外の空気は、6月とは思えないほど昼間の熱をはらんだままどんよりと重く、暑苦しい。
空襲の爪痕が残る道を通り、私は人気のない山道へと足をすすめた。
無事にお婆さんに薬を届け終え、帰り道を急いでいたときのことだ。
日はすっかり落ち、あたりは夕闇に包まれ始めていた。
「お腹すいたなぁ。どこかで座れるとこないかな…」
その時だ。ガサリ、と不自然な音が、静かな山林に響いた。
ビクッとして足を止める。
憲兵さんだろうか。それとも、山へ食べ物を探しにきた村の人だろうか。
目を凝らして、音のした茂みの奥をのぞき込む。
――そこには、草むらに突っ伏すようにして、身動きひとつせず倒れている「人」の姿があった。
「あの……大丈夫、ですか……?」
声をかけるが、返事はない。
ただ、その人の背中はかすかに上下しており、息があることだけは分かった。
私は風呂敷を握りしめたまま、恐る恐る、その倒れている人へと一歩を踏み出した。
読んでいただいてありがとうございます!
今回の設定は戦時中ということで、どうなるやら…
引き続き読んでいただけると嬉しいです。




