chapter④ 4話
仕事を終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
自転車を押しながら夜道を歩く。肌を刺すような夜の冷気で身体が竦んだ。
歩きながら、昼に交わしたバーンズさんとの会話を思い出す。
彼が見たというウィルオウィスプは、ヨーロッパ各地に伝承が残る怪火で、彷徨う死者の魂だとか妖精の一種とも言われている。しかしその実態は、沼地で発生するガスが引火して発生したもの、らしい。
超常現象の正体など、得てしてそんなものだ。
ネッシー、UFO、ミステリーサークル……その他多くの不可思議な現象の数々は、科学と論理によってこっぴどく否定されてきた。
そしてその度にスタンは、期待と落胆を繰り返した。
死霊は嫌い。
けれど、宇宙人やUMAは好き。
なんの違いがあるのかと言われるが、むしろ違いしかないだろう。片や悪意の塊のような化け物、片や地球の外の住人だ。
宇宙人に会うため、いつか宇宙へ旅に行きたい。
そう友人に宣言した時、まるで小さい子供を見守るような視線を向けられた。
あれは、未だに納得がいっていない。
自分に言わせれば、心霊スポットなんて場所へ行く方がどうかしている。自殺行為だとしか思えない。
思考するうちに、自然と足が止まる。
「謎の浮遊物体、か……」
バーンズさんの話から正体を決めつけてしまったが、本当はもっと別の、未知の生命体かもしれない。
ミレニアム・カレッジまで、ここからそう遠くはない。
少しの時間寄るだけ。何も無ければ、そのまま帰ればいいだけのことだ。
スタンの足が、家とはまったくの別方向へ向かい始める。
心なしか、足取りが軽い。
人はみな、自分たちの理解が及ばないことが恐ろしいのだ。それはスタンとて、否定できない。
けれど空想を全て虚構で片付けてしまうなんて、つまらないと思う。
嘘でもいい。幻でもいい。
誰でもない、自分自身の目で真実を見るべきだ。
……なんて、こんなものはそれらしい建前だ。
今からすることだって、自らを危険に晒す、愚かな行為であることに変わりはない。
頭ではそう分かっていても、やはり心のどこかで、スリルと興奮を求めているのだろう。
だからみんな、馬鹿なことをやってしまうんだ。
「……でけー学校」
この学校の第一印象は、「余所者を拒む孤城」だった。現に今も人気のない夜にもかかわらず、排他的な雰囲気を纏っている。
学生の身分とはいえ怪しまれないよう、周囲を警戒しながら歩く。暗いので全体を把握しづらいが、スタンの通う学校の敷地より何倍もの広さがあることは確かだ。
勢いでやってきたものの、スタンが持ちうるのは「カレッジの近辺」という情報のみ。闇雲に探すのは無謀だが、棒立ちのままではそれこそ来た意味がない。一先ず道に迷わないよう、外壁に沿って探ってみることにした。
数分ほど歩いたところで、ふと、背負っていたバックパックの中で、何かが僅かに振動していることに気が付く。携帯が鳴っているのかと思い確認してみるが、ディスプレイには何も表示されていない。
首を傾げていると、ぱき、と何かが割れたような音がした。
「……?」
周囲を見回すも、薄暗い電灯の灯りばかりで視界が悪い。
大方、地面に転がる小枝でも踏みつけたのだろう。そう片付けると、スタンは再度歩みを進めた。
しかし、一向に何も見つからない。歯がゆさから、黒一色の空を睨む。
結局のところ謎の光とやらは、バーンズさんの前に偶然現れただけなのだろう。
まあ、どうせこういう結果になることは分かっていた。超常現象は、滅多に起きないからこそ価値があるのだ。盛り下がっていた気分を立て直すため、スタンはそう自分を慰めることにした。
これ以上帰宅が遅くなるわけにもいかない。いい加減帰ろうと踵を返した、その直後。
「あ――」
ゆらりと姿を現した、オレンジのような、白のような、淡い光を放つ物体。
確かに不規則に空中で揺れ動く様は、死者の魂を想起させる。
しかし不思議と、恐怖はなかった。
死霊をはじめ「人の念」というものは、少なからず邪気を纏っている。けれど目の前の光にはそれがない。
光に吸い寄せられるように、ゆっくりと近づく。
――綺麗だな。
感情のまま、光へ手を伸ばす。
そうして指先が、とうとうその光に触れようとして――
「それに触っちゃだめ!吹っ飛ばされるよ!?」
「うぇっ!?」
突如打ちつけられた声に弾かれ、スタンは咄嗟に手を引っ込めた。続いて揶揄う女性の声が、背後から降りかかる。
「なんてね、嘘嘘。触っても軽い火傷くらいのものだよ」
それでも危険なことには変わりないと思うのだが、彼女の口調は妙に軽い。
「気を付けてね。この辺り、『残り火』が発生しやすいの」
「残り火?」
「大したものじゃないよ。そのまんまの意味だし」
女性は曖昧な言葉で濁すと、スタンの目の前へ回り込む。
気が付けば光球は、幻のように消えていた。
「こんな時間に、こんな所へ来るなんて。案外君は好奇心旺盛みたいだね、スタン」
唐突に名前を呼ばれ、ぎょっとする。
「すみません、どちら様?」
「え?」
女性はその言葉を全く想定していなかったのか、素っ頓狂な声をあげる。
「君、私のこと覚えてない?」
どこか悲しげな声に、一瞬どきりとする。スタンは少し、申し訳ない気持ちになってしまった。
記憶を掘り起こすため、失礼だとは思いつつ、暗がりの中、女性の姿を頭のてっぺんから爪先まで観察する。
黒い髪を腰のあたりまで伸ばし、身長はすらりと高い。自分と同じくらいはありそうだ。年の頃は二十代前半ほど。
やがて、暗闇に目が慣れてきた。女性の姿が、先程よりも鮮明に映る。
そうして夜空の下目が合ったのは、蛇のような赤い眼――
「……あ」
その時スタンの脳内で、記憶のパズルピースがかちりと嵌る。
「思い出せた?なら結構」
スタンの表情で察したのか、女性は満足そうに笑った。
「私はルヴィアナ。都市の片隅で占い師をやってる、しがない魔女よ」
◇
『ベリアル様と行動を共に出来るなど、恐悦至極にございます!』
「うるせーやつだな。誰だお前」
「マルコシアスだ。お前たち、同じ七十二柱だろ?」
「あー……そういえばあったな、そんなの」
ベリアルはそうぼやきながらガラクタの山を漁り、手にしたそれの一つを無造作にぽいと投げ捨てた。
アルドリッジとの交渉後、ルークたちは人形工房へとやってきていた。
この工房は資料館を装っているが、関係者専用出入口を潜れば、ホムンクルスやその素材たちがひしめく魔術工房が姿を現す。
「しかし、おめーもあくどい奴だな。勝手に入って占領するなんてよ」
「僕はエインズワースだぞ。ここの出入りと使用は自由だ」
「エインズワース?……ああ、アルドリッジの同類か」
「それは流石に知ってるか」
「んなことよりガキ。アルドリッジに直接交渉までして、一体全体何をやらかす気だ?」
「……それは、まだ言えない」
「あ?」
ルークは地べたに寝そべるベリアルへ近づき、静かに見下ろす。
「……僕は、僕が選んだ道を進むために、何か功績を残さなくちゃならない。誰も文句を言えないような、ね。だから、並の研究じゃ意味がない。前人未到の領域へ踏み込む必要がある。そのために、お前の知識と能力が必要なんだ」
「――へえ、それがお前の欲か」
ベリアルが目を細めて笑う。歪められたその瞳は、不気味に浮かび上がる月のようだった。
「欠伸が出るほどくだらねえけど、お前の迷走っぷりは嫌いじゃねえぜ?」
「……そりゃ、どうも」
もとより彼女からの感心など期待していないし、必要ともしていない。
自分が得るべきは、この悪魔を上手く扱うだけの技量と精神力だ。
ふと時刻が気になり、腕時計へ目をやる。気が付けば、とうに夜の九時を過ぎていた。小窓から外を見ると、そこにはタールを塗りこめたような夜空が広がっている。
「おいガキ、いつまでこんなとこに居んだよ?」
「ガキじゃない、ルークだ。名前くらいちゃんと覚えろ」
「どうせいつかは死ぬ人間の名前なんざ、覚えてらんねーよ」
そう一蹴するベリアルに、「……あっそ」と気のない返事をする。
こうして彼女と接していると、悪魔に人間の常識や倫理を説くのが如何に無意味かということを思い知らされる。
「そもそもここに来たのはお前の——」
「……うん?」
「どうした?」
「なんか、外騒がしいぞ」
そうは言われても、ルークには何も聞こえてこない。彼女は耳が良いのだろうか。
小窓からでは外の様子を把握できない。一旦表の資料館へ出て、正面入り口の隙間からこっそりと外の様子を窺う。すると、遠くで人影が蠢いてるのが見えた。それらを判別しようと、魔術によって視覚を強化する。
見えたのは、黒い服の集団。
彼女たちの姿は、カレッジ内でも幾度か見掛ける。しかしこれだけの人数がこんな場所へ一斉に集まるというのは、初めて見る光景だ。
「なあ、あいつら……」
横からベリアルが顔を出す。
「……ああ」
故にルークは、直ちに理解した。
何か、只ならぬ事態が発生したのだと。
「懲罰局だ」




