第11話:朴訥(ぼくとつ)な青年と、芽生える期待
マリエルに導かれ、私は初めて「客人」として村を散策することになった。
昨日、馬車から降りた時は、疲労と不安で景色をまともに楽しむ余裕もなかったが、今朝は違う。
空は突き抜けるように青く、空気は澄み切っている。
石畳ですらない、土が踏み固められただけの道。
家々の庭先で干されている洗濯物。
家畜ののんびりとした鳴き声。
(……いい)
(すごく、いい……!)
前世では、ビルの谷間から見える四角い空しか知らなかった。
転生してからは、王城の息苦しい回廊しか知らなかった。
今、私を包み込んでいるのは、どこまでも広がる「生活」の風景だ。
私が感動に浸っていると、農作業の手を止めた村人たちが、ぞろぞろと集まってきた。
昨日、村の入り口で感じた、あの「目が笑っていない」視線。
その記憶が蘇り、一瞬、身構える。
だが。
「おお! マリエル様の客人だ!」
「昨日は疲れてるようだったが、もう大丈夫かい?」
「いやあ、しかし、なんて肌が綺麗な人だ! 王都の人は違うねえ!」
村人たちは、昨日とは打って変わって(あるいは、私の気の持ちようが変わったのか)、屈託のない笑顔を私に向けていた。
戸惑う私の手に、ゴツゴツとした手の老婆が、何かを握らせる。
「客人、これを食ってくれ。今朝採れたばかりの、一番甘い実さね」
「あ……こ、こんな、貴重なものを……」
「いいってことよ! 遠慮すんな!」
それを皮切りに、「こっちの水は美味いぞ」「うちの畑の野菜も持っていけ」と、私はいろいろなものを次々と手渡された。
(……温かい)
驚きで、声も出ない。
これが、田舎の「人情」……!
前世(社畜時代)の人間関係は、すべてが取引だった。お中元、お歳暮、接待ゴルフ。すべてに「見返り」が設定されていた。
王城(貴族社会)はもっと酷い。笑顔の仮面の下で、誰もが足の引っ張り合いをしていた。
なのに、この村の人たちは。
追放されてきた、素性も知れない私に、こんなにも無償の親切をくれる。
(……昨日、疑ってごめんなさい)
私は、心の底から反省した。
目が笑っていない、だなんて。
私の心が、都会の理不尽に汚染されて、ひねくれていただけじゃないか。
「(本当に……いいところだわ、ここ……)」
心の氷が、温かい日差しに溶かされていく。
私の居場所は、ここだ。
ここでなら、私、きっと、幸せになれる――
そう確信した、まさに、その時だった。
「あ……」
村人たちの輪の後ろに、見覚えのある姿を見つけた。
昨日、村の入り口で、私が(内心)「あわよくば」と目をつけていた、あの体格のいい朴訥そうな青年だ。
彼は、他の村人たちのように私に駆け寄ってくるでもなく、少し離れた場所で、顔を真っ赤にしながら、こちらをモジモジと見ている。
(わ、私に気がある……!? いや、自惚れすぎ!)
私がどうしたものかと視線を泳がせていると、意を決したように、彼が私の方へまっすぐ歩いてきた。
そして、私の目の前で止まると、ごしごしと泥のついた手をズボンで拭き、
「あ、あの……!」
と、裏返った声を出した。
「は、はい!」
私も、つられて緊張してしまう。
青年は、それきり黙り込んでしまったが、やがて、おずおずと、背中に隠していた「何か」を差し出した。
それは、一輪の、素朴な青い花だった。
店で売っているような豪華なバラではない。森の中に、ひっそりと咲いているような、可憐な野の花だ。
「これ……森で見つけた、珍しい花だ。……その、あんたに、似合うと思って」
「…………え」
私は、固まった。
時が、止まった。
(…………いま、なん、て……)
私の脳内で、前世(佐藤葵・28歳・彼氏なし・処女)の記憶が、猛烈な勢いでフラッシュバックする。
義理チョコ。社交辞令の「お疲れ様です」。
「佐藤さんは、気が利くね」(=この雑用やっといて)
「佐藤さんは、真面目だね」(=残業よろしく)
……人生で、一度もなかった。
こんな、純粋な、100%の好意を、異性から受け取ったことなんて。
「あ……」
震える手で、その花を受け取る。
指先が、彼のごつごつとした指に、ほんの少し触れた。
青年は「ひゃっ」と小さな声を上げ、ビクッと肩を震わせると、顔を蒸気機関車のように真っ赤にして、走り去ってしまった。
私は、その場に立ち尽くす。
手の中に残された、小さな青い花と、彼の指先の熱。
やがて、私の頭の中で、何かが、爆ぜた。
((キ、キ、キターーーーーーーーーーー!!!!))
((人生初!! 前世含む、人生初の! 異性からの純粋なプレゼント(ガチ)!!!))
((これよ! これこそがスローライフの醍醐味! 朴訥イケメンとの恋愛フラグよ!!!))
私は、今すぐ叫びだしたい衝動をこらえ、赤くなった顔を両手で覆った。
もうダメだ。
もう、この村から離れられない。
(私の第二の人生……いいえ、本当の人生、ここからよ!)
(お父様、お母様、婚約破棄してくれた王子様、ありがとう! 勘当してくれて、ありがとう……!!)
完全に有頂天になっている私の隣で、
「ロザリア様。そろそろお屋敷に戻りませんと、お昼の時間になります」
と、マリエルが淡々とした、いつも通りの声で告げた。
私は、その平坦な声に隠された(と、その時の私は思った)小さな照れ隠しさえも、微笑ましく感じていた。
手の中の花を、宝物のように握りしめながら。




