社務所
話の続きといこう。
『神隠し』とはつまり、十年前から村で起きている行方不明事件のことで、被害者は十代から七十代の男女十名に上る。同時期に村外の病院で入院中の患者が失踪する事件も相次いでいたことから、村の事件と何らかのつながりがあるとされていた。
しかし、二年前に村の根幹をなしていた採掘事業が撤退することが決まってから住民が激減し、今後も住民が一定数に達する見込みもなくなった。常駐していた警官の配置が解かれたことを契機に村での捜査が頓挫した。行方不明者の捜索についても打ち切られ、当時「家出」とみなされていた失踪者も山での「遭難」扱いとなり一斉に死亡認定が下された。
「村ではかつて口減らしの習慣があったとも聞いています。暗黙の裡に山中に捨てられることから、『山神様に魅入られた』、『神隠しにあった』として済まされ、それ以上言及されることはなかったそうです」
「でも今は状況が違いますよね。もしも村の失踪事件が人為的なものだとしたら、いったい誰が何の目的でそんなことをしたんでしょうか」
ガタンッ! ガタンッ! バキッ!
「……はっきりとは分かりません。ですが、少なからず父が関与していることは確かです」
「あの、いま『バキッ』って! え!? 大丈夫なんですか!?」
ダダダダダダダッ――
何者かが玄関から民家へとつながる廊下を駆ける音が家中に響き渡る。相当急いでいるのか、どうやら靴を履いたまま押し入ったようで、時折奥の方から床や畳を擦る音に加え荒々しい息遣いが聞こえてきた。
「麗子さん……?」
「シッ……!」
……――ダダダダダダダッ! ガラガラッ、ターンッ!
家屋を抜けた足音はすぐに玉砂利を通り神社裏へと遠ざかった。律儀にも最後まで引き戸を閉めていったあたり、必ずしも《《人外》》という訳ではないらしい。
強盗(?)を刺激せずにやり過ごした二人は襖越しに泥で汚れた床板を眺めた。
「アレはいったい何ですか?」
「ご心配には及びません。恐らく私の知人ですから」
そっと襖を閉め何事もなかったかのように座布団に落ち着いた麗子さんは再度話し始める。
「私の知る限り失踪者のご家族に捜索願いを取り下げさせたのが父でした。当時の私は村の長的な立場にあった父が、何年も悲しみに暮れる彼らに『前を向いてほしい』との意図があって決断したことだと思っていました」
「違かったと?」
「いえ、父は言葉数の少ない人ですから、どう思っていたかまでは分かりません。しかし、捜索が打ち切られてしばらくした時期に『あれは神隠しだった』『仕方のないことなんだ』と仏前で呟いていたのがどうにも忘れられないんです」
仏壇には妻の位牌が納めてある。麗子さんの話し振りから、かつて優しかった宗孝さんは麗奈さんの死に際して次第に心を閉ざしていった。
精神的にすでに弱り切っていたはずの彼が愛する妻を前に心にもないことを懴悔するはずがない。失踪者が「いなくなった」ことにも何らかの関係があるとみて間違いないだろう。
「お医者さんとはもう長い付き合いなんですか。帰り際にお会いしたもので」
「もうご存知でしたか。医師の暈原様とは義母が亡くなる以前からお世話になっています。書斎に籠ってばかりいる父にとっては唯一心を許せる方だと思います」
「麗子さんや沙智ちゃんとは話されないんですか?」
「はい。お恥ずかしいことに、今では抜け殻のようになってしまった父の姿を見るのが辛く、いえ、怖いんです。でも沙智はあの通り無邪気な年頃ですから、時々母さん――清代さんが止めるのを聞かず書斎に入り込むことがあるんです。そうした時には決まって父と何やら言葉を交わしているようでした。
あの普段は呆然と宙を見詰めているような父と、です」
実の娘との対話は一見して微笑ましいものであるが、父の容態のこともあり不審に思った麗子さんはついに書斎の扉を開きその会話を立ち聞きしてしまった。
「『麗奈、よく顔を見せておくれ』『私は沙智だよ。またおままごとするの?』『いいや、お前は麗奈だ。今によく分かる』。
父は違うと知りながらも幼い沙智に何度も麗奈さんであることを言い聞かせました。沙智はただ『ままごと』だと思って少し変な実父に甘えていただけだったのかもしれません。でもいつしか、父の言われるままに麗奈さんの立ち居振る舞いを仕込まれる様子に耐え切れなくなった私は書斎から無理やり沙智を連れ去りました」
「ナイスファイト!」
「ナイ……? 沙智の手を引いた時にふと見た父の恨みがましい視線が今でも忘れられません。とにかく沙智には二度と書斎に入らないよう言い聞かせましたし、清代さんにも十分協力してもらっています。今も時折私がいない間に沙智が怖い目にあっていないかと心配になるんです」
清代さんが特に書斎の物音に敏感だった理由がここにきて分かった。あれは単純に主人の御用聞きを円滑に済ませるためではなく、幼い沙智ちゃんを洗脳から守るためでもあったのだ。
しかしながら、神隠しと言い宗孝さんの奇行と言い、この村には奇々怪々が尽きそうにない。一連の失踪事件は相当に根が深いことが容易に窺える。
「私が出たときはスヤスヤ昼寝をしていましたよ。それにしても色々と大変ですね。他に頼れる方はいらっしゃらないんですか?」
「今となってはもう誰も頼ることはできません。ですがこうしてお話を聞いていただくだけでも随分と楽になるものなんですね。本当にありがとうございます」
「いえいえ。ところで、先程御櫃邸で沙智ちゃんによく似た子を見掛けたんですが」
「どういうことでしょう?」
麗子さんに屋敷であったことを伝えている内に、剥き出た腕や首筋に鳥肌を立てた多嬉ちゃんは不意に立ち上がり、麗子さんの案内に従ってお手洗いを拝借した。
平屋の方にしかない厠のそばには僕が先程探索した居間がある。
麗子さんは床の間をざっと見渡し、そこにあったはずのお面や変わった形状の神楽鈴が無くなっているのを確認してからぽつっと「可哀そうな人」と呟いた。
どうやら強盗(?)が盗んだのは神楽に使うであろうお面や鈴の一式だったらしい。奥の押し入れから先と同様のお面と神楽鈴が取り出され再び床の間へと飾られる。
「変わった形の鈴ですね」
用を足して戻った彼女は廊下から麗子さんの手元を窺った。
「この神楽鈴は『オビツキ様』の首を取った伝承になぞらえたものです。刃は落とされていますが、鉈の形を模したものはきっとこの村だけでしょう」
興味津々と言った様子の多嬉ちゃんを手招きし神楽鈴を持たせた麗子さんは微笑みながら、冗談半分に女面をあてがった。実に嬉しそうに多嬉ちゃんを見つめる表情は一瞬だけ強張り、外部から来たという一点において共通した同胞は彼女の奥に眠る何かを決心させるに至った。
「――私にはもう一人妹がいたんです。腹違いの妹でしたが、村にいると知ったのは七年前のことです。父のこともあって余計に周囲に気を配る余裕もなかったんでしょうね。ある日、村内で擦れ違った親子の内の父親らしき方が突然足を止めて、私のことをじっと見詰めてきたんです」
「その子が妹さんだったんですか?」
「はい。こんな狭い村にいて何年もお互いの存在を知らなかったなんて、おかしな話ですよね。まったく記憶にない男性が『結葵なのか?』って言うんです。当然訳の分からない私は男性のぎこちない説明を信じる外なく、元父親の隣にいたのが妹の葵でした。
お互いに新たな家庭がある手前元親子として会うことは今でもありませんが、葵ちゃんとは何故か打ち解けるものがあって時々一緒に外で遊んだりしていました」
二人は話しながらゆっくりと社務所へと続く廊下を進んだ。
「えっと……麗子さんの本名ってユキさんって言うんですか?」
「ややこしくてごめんなさい。表向きでは御櫃家の『麗子』を名乗っていますが、戸籍上では『勝呂結葵』が本名になっています。ですからもし私が消えたとしても、御櫃家にお達しが及ぶことはありません。
今思えば、父が十五年前に母や私を引き取った理由もそこにあるような気がします」
「でも麗子さん、いえ結葵さんや清代さんを迎えた当時は円満でしたよね」
「麗子で大丈夫ですよ。確かに家庭内は一見円満だったかもしれません。それでも、やはりこの村の因習に古くから関わっている家でもあります。あの頃からすでに何かが蠢いていたと考えても何ら不思議ではありません」
古の時代から村に伝わる因習や、御櫃家がそこにどれほど関わってきたのかは当主でない麗子さんには分からない。家にとって都合の悪いことを一子相伝の口伝えにしたり系図が改変されることはよくある話だ。
しかし長年過ごした場所において実感として「異常」を覚えるのであれば、その感覚を捨ておくことはおろか、何らかの異常事態として対処するのが善いだろう。
「6年生のときに行方不明になった葵ちゃんが、村や御櫃家の何かに巻き込まれたと考えているんですね」
「どうして、葵ちゃんが……!?」
まさか妹の情報が彼女の口から出てくるとは予想だにしなかった麗子さんは驚きを隠せず、加えてリュックから取り出された物に釘付けとなり、終いには涙をこぼして泣いた。
「御朱印をいただいたとき、お守りの横にあったものにそっくりだったんです」
「――ええ。これは私が葵ちゃんに渡したもので間違いありません。生憎と『葵色』がなかったものですから、青の物を選んで私が藍色で結んだのをよく覚えています。結び目の癖が本当に――……安直ですよね」
「いいえ、とても素敵だと思います」
昨日の夕方に森で偶然見つけたトンボ玉が何の因果か数年越しに持ち主に手渡した人物へと戻った。
本当の姉妹のように仲の良かった妹が後生大事に持っていた物だ。それが村の片隅に無造作に転がっていたともなれば「持ち主の身に善からぬことがあった」ことは明白である。
感動の再会と共に元の手に返ろうとしたトンボ玉は予想に反して多嬉ちゃんへと戻った。麗子さんによると「何となく」彼女に持っていてほしいとのことだ。
邪気を払い持ち主に可能性を与えるとされるそれはきっと好奇心旺盛な彼女こそ似合うだろうと。
「ところで、この短刀のことなんですが」
彼女が横にした短刀を取り出した直後、廊下の掛け時計が時を知らせる。
腕時計の針は五時を指しており、ちょうど外のスピーカーからは『夕焼け小焼け』の鐘が鳴り出した。
「実は私も五年程前に木滝さんと同じものを見ているんです。古くから村の巫女は異形を見たその日から白衣に短刀を忍ばせるようにとの決まりがあります。どうかご滞在中の『お守り』だと思って持っていてください」
「――え、でも私この村の巫女じゃないですよ?」
半ば強引に押し戻された短刀はリュックへと納まり、「お暇します」と席を立った彼女を玄関先まで出た麗子さんがそっと見送る。
空の日は森の向こうに沈みかけるが辺りはまだまだ明るい。