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平岡車庫~安戸家


「お嬢さん、お嬢さん!」


 もう何度目かになる運転手さんの呼び掛けによって彼女の目がうっすらと開いた。

 僕と同じ悪夢を見ていたのか、額にじんわりと汗を浮かべている。

「ここは……?」

 ゆっくりと辺りを見回した彼女はようやく夢の世界から戻り、周囲の異変に気付いた。


平岡ひらおか車庫。終点なんだけども」

「ごめんなさい! いますぐ降ります!」


 即座に荷物を抱え苦笑する運転手さんに急かされるようにして降車する。


 降り立ったバス停から見えるのは、元来た方と思われるトンネルとバス停の裏手にある大きな車庫、それから一車線の道が少し先の集落へと続く。

 集落を囲うようにして広がる鬱蒼とした森からは絶えず蝉の声が降り注いでいる。


 森へと傾いた日の具合から今は夕時と言ったところだ。

 異様な暑さに堪らず上着を脱いだ多嬉ちゃんは一先ず荷物を整理してからスマホの電波を確認する。

「電波無し」

 これまた嬉しそうに微笑んだ彼女は荷物を背負い、白Tシャツに黒のカーゴパンツ、バイクブーツといった出で立ちで次なる行動を思案した。


 ――現在時刻は二一時三六分。うん、時計もダメみたいだね。


 バイカーからバックパッカーへと瞬時に切り替えられる彼女の逞しさは心強いけれど、立派な膨らみがシャツに若干透けて見えることが気掛かりである。

 しかし、それほどまでに暑いということなのだろう。何せまだ三月だと言うのに蝉が鳴いているくらいなのだ。


「すみませーん!」

 ちょうど停車したバスまで駆け寄り運転手さんを捕まえた。

「この辺りに泊まれるところってありませんか?」

「うーん、無いねぇ。お嬢さんは祭りを見に来た人?」

 帽子を脱いだ運転手さんは白髪交じりの頭を掻きながら車庫で出来た日陰の方を指差した。


「お祭りがあるんですか?」

「お、違うんかね。てっきり見物に来た人かと思ったよ。でもね、残念だけどうちの村はド田舎だからね。ホテルなんて大層なもんはないよ」

「バスはもう出ないんですか? 近くの村に行ったりとか」

「あちゃー、しばらくバスは出ないよ? 近くの村っつっても山越えなきゃね」


 刹那の逡巡の末、手の平を合わせた彼女は運転手さんを拝み倒すことに決めた。


「お願いします勝呂すぐろさん! 今日一日だけ泊めてください!」


 突然名指しされた運転手さんは面喰らい、懇願の低姿勢へと固めに掛かる彼女の阻止に一瞬出遅れてしまった。バスに乗り合わせた時点で座席前に貼り付けられた運転手さんの情報は把握済みだったのだ。

 さすが多嬉ちゃん、クールだぜ。


 運転手さんの顔写真が随分と鯖を読んでいたらしいのはご愛嬌というやつだ。


「泊めたいのは山々なんだけどねぇ……何せ男所帯だから」

「全然気にしません! むしろいいと思います!」


 ――それは僕が気にする。そしてあまり良くはないと思うよ。


「お嬢さんには見せられねぇな。申し訳ないけど――」

「そこを何とか! 物置でもなんでもかまいませんので!」


 引いても尚食い下がる多嬉ちゃんに根負けした運転手さんは「ちょっと待って」と言い残し、急いで事務所に入って行った。


 姿勢を解いた彼女は手近に設置された自動販売機をざっと眺める。

 某精密機器メーカーの『写るんデス』のロゴの入った古めかしい箱の隣にはこれまた劣化した飲料サンプルが納まる錆びた箱が佇んでいる。


 カシャンッ――……カラッ


 すかさず財布から取り出した五百円玉を投入するも、すぐに異物と判断した箱から吐き出された。


「お待たせ、連絡取れたよ」

 自販機と数度格闘したところで運転手さんがお茶の缶を持って戻ってきた。


 勝呂さんの話によると、やはり年頃の娘さんを男所帯に泊めるのは忍びないとのことで、代わりに引き受けてくれる家を探してくれたようだ。

 泊まり先は気の良い老夫婦「安戸やすどさん」のご自宅とのこと。

 ありがたいことに今すぐ近くの交番まで迎えを出してくれるそうだ。


「何から何までありがとうございます!」

「いいよイイヨ。祭りじゃなきゃうちの村も閉じこもってばかりだからね。来てくれるだけでありがたいよ」


 運転手さんはそう言って柔和な笑みを浮かべ、快く僕らを迎え入れてくれた。


「まぁ祭りまで少しあるけど、ゆっくりしていってよ」

「え、祭りは今日じゃないんですか?」

「うん。明後日だよ。バスは取り敢えずその次の朝、八時が始発だから」


 色々言いたそうな彼女にバス停前の道先に見える建物を指し示した勝呂さんはそそくさと事務所に戻ってしまった。


 教えてもらった交番へと向かう足は重い。

 バスは早くても三日後の朝、歩いて元来た道を戻るにしてもどれだけ時間が掛かるか分からない。おまけに不案内な土地柄とくる。

 電波がないのではすぐに祖父母との連絡もつかない。予定していた一泊を大幅に過ぎてしまうことに、文具店の経営も相まって不安になるのも仕方のないことだった。


 こんな時こそ僕が一言でも掛けられればと切に思う。


「……明後日まで何して過ごそう」

 思案顔で彼女は呟く。少し上がった口角がどこか楽し気に見えるのは気のせいではないだろう。彼女はこの状況すら楽しむつもりでいるらしい。


 ――あれ、僕、いらなくない?


 小さな駐在所の赤ランプが近付くにつれ、どこからともなく鼻歌のようなものが蝉の音に混じった。

 どうやら道を挟んだ草むらから発せられているらしい声に向かって、彼女は迷わず草を掻き分け歩いて行く。


「こんにちはー!」

「死んだはずだよお富さん~、ん、おお!?」


 草むらで気持ちよく立小便に興じていたおじさんは慌てて一物をしまい込んだ。


「もしかして安戸さんですか?」

「あー、勝呂さんが言ってた姉ちゃんか。うん、俺が安戸。取り敢えず道出ようや」


 道へと急かす安戸さんに従って行くと、ふと道と草むらとの境界線に二〇センチ程の大幣おおぬさが地面に差してあるのが目に入った。


「安戸さん、これってお祓いとかに使う棒ですよね?」

「おお、そうだよ。このちょっと先んとこにも差してる。祭りで大事な演目があるんだわ」


 安戸さんはそう言って交番より更に先の方を指差す。

 おじさんの話によると、お祭り前日からお祭り明けまでこの大幣の立っている五〇メートル程度の区間は神事に使われるため通行禁止となるらしい。


「じゃ、行こっか」

 交番を横目にT字路を曲がり、疎らに民家の見える方へと進む。

 先の草むらを振り返った多嬉ちゃんはその更に奥へと続く鬱蒼とした森をじっと見詰め、すぐに先を行く安戸さんの後を追った。


 ――この先に何かあるな。


 二人を見送った僕は草むらに残り、まだ出来たばかりの獣道を辿る。

 複数人の「足」が踏んでいった青草はその生命力によってすでに大半が元に戻ろうとしている。


 しばらく進んだところでやはり道は途切れ、先には薄暗い森の木々が黄昏時の風に騒めくばかり。


 ――ん、これは?


 引き返そうと再び足元の草に目を落としたとき、山向こうへと消える夕日が地面に転がる小さな何かを照らし出した。

 拾い上げて見てみると、濡れた土で多少汚れてはいるものの、磨けば涼し気な青を湛えた美しいトンボ玉だった。藍色の紐で吉祥結びと房を尾に付けている。


 こんな縁起物が森深くに転がっているのはどうにも不自然である。


 しかしこの青はきっと多嬉ちゃんによく似合う。拾い物で申し訳ないけれど、不案内な土地で見つけた縁起物は持っておくに越したことはない。

 持ち主を探す意味も込めてご利益にあやかることにしよう。


 木々の間から覗く外灯の光を頼りに元の道へと戻る。

 ようやく見つけた『安戸』の表札のある家屋の玄関の引き戸を引くと、幸いにも玄関の鍵は掛けられていなかった。不謹慎ではあるが田舎特有の不用心さには救われた。


「おー! 多嬉ちゃんもいける口だねぇ!」

 夕飯を取っているのか、居間の方から安戸さんの陽気な声が漏れ聞こえる。その隣で「よしなさい」と宥めているのが奥さんなのだろう。


「はーい。あら、気のせいかしら」


 廊下に顔を出した割烹着姿の女性が僕の方に向かって返事をする。

 恐らく戸が開いた音に反応したのだろうが、誰もいない様子を確認してからそのまま早足で台所へと行った。


 ――あの程度の音で気付かれるの!?


 僕なりに細心の注意を払って開閉したつもりが、どういう訳か中の住人に気付かれていたのだ。家主の防犯意識を低く見積もった気はないものの、これならば確かに施錠の必要性が薄れるのも納得がいく。


 奥さんに付いて居間へ入ると、顔を真っ赤にした旦那さんが座椅子の背にもたれ天井を仰いでいた。横でビール瓶を手酌する多嬉ちゃんは普段より少し頬を火照らせ、更に二度グラスを呷った。


「もうやめておいたら? 無理に付き合わなくていいのよ?」

「ありがとうございます。ではこの瓶だけ」

 すかさず割って入った奥さんは多嬉ちゃんにお酌し、寝息を立てる旦那の身を揺すった。

「可愛いお嬢さんに無理やり飲ませて自分だけ夢うつつですか。もう上がったらどうです?」

「んー、まだ足りねぇよ……」


 寝言を呟く旦那の腕を肩に回した奥さんは半ばその身を引き摺り襖を隔てた隣室へと運んだ。


 手助けを遠慮された多嬉ちゃんは再び座布団に落ち着き、縁側からぼんやり見える庭を眺めた。

 時折吹き込む山間の風が彼女の頬を掠め艶やかな髪を揺らす。

 思いの外涼し過ぎたのか、彼女はTシャツから剥き出た絹のような肌を摩った。


「ごめんなさいね。若い子が来てくれて嬉しかったのよ」

 いびきの漏れる襖を閉じた奥さんは多嬉ちゃんと向かい合いグラスに残った酒を口に含んだ。


 ご夫婦にはもうすぐ三十になる息子さんがいるらしい。例に漏れず山間の閉鎖的な村の雰囲気に耐えられなくなった若者たちの一人と同じくして、十年前に村を飛び出して以来音沙汰もないとのことだ。


「この村もじきに廃れていくんでしょうね。少し寂しいけれど」

「でもまだお祭りがあります。他所から大勢見物に来るそうじゃないですか」

「……そうね。続くといいわね」


 寂し気に遠い目をする奥さんの様子に彼女はそれ以上何も言えなかった。

 部屋の明かりに浮かぶ庭より先にある闇を奥さんと共にしばらく眺めた。


「ちょっと外に出てきます」


 台所の後片付けも粗方終えたところで、酔い醒ましを兼ねて散歩に出ようとした彼女の手を引いた奥さんはやや強い口調で家にいるよう説得した。

「お祭り明けまで夜は出歩かない方がいいわ。お布団は二階に敷いてあるから」

 そう言って玄関の明かりを消し、やんわりと多嬉ちゃんを階段へと追いやった。


「夜は何かあるんでしょうか。旦那さんから神事があることは伺ったんですが」

 階段を登りかけた彼女は奥さんから新しいタオルと石鹸を受け取りながら何気なく尋ねた。


「うーん……最近不審者が出るって噂があるのよ」


 詳しい事情を知らないせいか言いあぐねる奥さんの横から、ちょうど手洗いから出てきたらしい旦那さんがぬっと現れる。

「え、なんの話してんの?」

「夜中にバケモノが出るって話じゃないですか。どんなだったか話してやってくださいよ」

「あー、ありゃただの噂だよ。村の年寄りが徘徊ついでに寝ぼけて見たんだろうよ」


「どんなバケモノだったんですか?」

 単なる噂として片付けようとする安戸さんを引き留めた彼女はここぞとばかりに食いつく。


 意外かもしれないが多嬉ちゃんは幼少からのオカルト好きだ。

 今では小旅行にかこつけて各地の集落や廃墟を巡るのはその趣味が高じたもので、事あるごとに不可思議な物事に関わろうとする癖がある。

 もちろん危険を伴うことも間々あり心配ではあるが、それすらも心から楽しむ彼女の姿は素敵だし、全部ひっくるめて僕は彼女のことが大好きなのだ。


「なんか黒くてデカいやつだったってよ。だいたい家の塀より高くて、幅もかなりあったみたい。顔とかは暗くてよく見えなかったんだと」


 この辺りの家の塀より高いとなると、二メートルは裕に越える巨体ということになる。黒くて幅もあるとなると熊か何かが塀伝いに民家を物色していたのではなかろうかと推測してみるも、旦那さんは「違う」と言う。


「この辺の熊は人の怖さを知ってるもんだから、村には絶対に近寄らねぇよ。爺さん共が木と見間違えたんでしょ」

「目撃者は一人ではないんですか?」

「ん、おお。ここ一年くらいで何人も見てるって。まぁ飲んだくれの与太話だから当てになんねぇけどな」

「被害者とかはいないんですか。怪我とかさせられたり」

「いないイナイ。みんなピンピンしてるね。問題なのは行方不明の方で――」


 ふらつく旦那さんを抱き止めた奥さんは「もう十分ですから」と言い聞かせ、寝室の方へと寄り添って行った。


「多嬉ちゃん、先にお風呂使って」

 そのままお風呂場を確認した奥さんは脱衣所から階段に座る彼女に声を掛けた。

「奥さん、行方不明って?」

「……うちの旦那ね、ちょっと前まで警官だったの。村の『神隠し』について色々調べてたらしいんだけど、何も話してくれなくってね。詳しいことは私も知らないのよ」


 奥さんは立ち尽くす彼女に新品の手ぬぐいを手渡して早足で寝室へと引っ込んだ。


「おやすみなさーい……」

 脱衣所で衣服に手を掛けたまま暫し思案顔になった多嬉ちゃんはそっと廊下に顔を覗かせる。


 ざっと入浴を済ませ素直に二階へと上がった彼女だが、当然の如く布団に納まることはなく、最低限の装備を整えてから深夜までを座して過ごし、零時を回る頃にはしんと静まり返った家屋を抜き足差し足で後にしていた。


        *


〈メモ3〉

 幽体の中には自在に壁をすり抜けたり、強く念じた場所へと瞬時に転移できる個体もあるらしい。

 ちなみに僕はどちらもできない。何なら、今の僕と「生前」との違いと言ったら姿形の可視不可視と、肉体を持った人へ声が届かなくなったことくらいなものだ。

 しかし取り分け「自由に」多嬉ちゃんとコミュニケーションが取れなくなったことは痛い。その理由はもちろんルールを設けられているからに他ならない(チラッ)。僕は君に期待の眼差しを向ける。


 もう少しルールが緩くなったりしないかしら。


        *

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