表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/32

平岡会堂


 平岡会堂は小学校に向かう道中ですでに見掛けている。さほど古い建物ではないようだが、外から見える駐車場や花壇には雑草が蔓延り、入口のガラス扉には蜘蛛の巣が幾重にも掛かっていた。

 規模や位置関係からして以前は村人たちの集会所として機能していたのだろう。


 敷地に踏み込むなり至る所から伸びる蜘蛛の巣と格闘しながら入り口前へと辿り着く。会堂正面は一面がガラス張りになっており、利用されていない割にはクリアに内部が確認できる。手前の下駄箱を上がるとすぐに両開きの鉄扉の先に板張りの広い空間が見える。空間には椅子が数脚と長テーブルが一台あるのみ。入り口の鍵は難なく開いた。

 内側に入ると充満したホコリとこもった熱気が彼女を襲った。手当たり次第に窓を開放し、ようやく口に当てたハンカチを解き会堂をぐるりと見回した。

 奥の隅の方に電子ピアノ、もう反対側には事務所にありそうな白いキャビネットが置かれている。


 ブブブブブ……!

 網戸に向かって数匹のコガネムシが羽を広げて突っ込んできた。会堂内は前面に窓が設けられているため開けばこうして虫の溜まり場となるものの、風が吹き抜け、日の光も程よい角度から差し込むため明るく案外快適だった。

 キャビネットは空。造りも比較的新しく構造的に仕掛けの類も望めそうにない。昨日安戸の旦那さんが「公民館の資料類は小学校に移した」と言っていたのはきっとこのことだ。


 試しに電子ピアノの蓋を開けてみると、上蓋につられて一枚の紙が落ちてきた。A4サイズの藁半紙を横に使った絵が描かれており、裏側左下部には『おまつり』というタイトルと『したがき』、更にその横に赤字で『H3・9/3』とある。画面一杯にお神輿らしい物があり、それを比較的大きな人物が前後に描かれている。

 描かれた人物の体には起伏が乏しく、着ている衣服の特徴とその人の性別のみが伝わってくる。鉢巻と法被姿でお神輿を担いでいるのは恐らく大人で、上に乗っている三人は子供。真横から見たような構図なので正確な人数までは分からないが、合計五人の人物がみんな同じニコニコ笑顔でこちらを見ている。お神輿に乗っている子供の内、真ん中の一人だけ長い髪を両サイドに結っていることから女の子だと分かる。クレヨンの色使いから見ても主役はこの子で間違いないだろう。自身を俯瞰して描いたものか、お友達を描いたものなのかは判別がつかない。


 カリカリカリ……パチッ


 多嬉ちゃんは早速購入したばかりのインスタントカメラでその絵を写し、ピアノの鍵盤に戻してそっと蓋を閉じた。

 会堂奥から振り向けば鉄扉の上部に三枚の大きな写真が目に付く。フックで固定されたそれらにはおよそ二十名ほどの大人がそれぞれ収められている。いずれもモノクロ写真で、劣化具合から右が最も古いことが分かる。

 中の人々は皆着物姿で、前後二列左右に十人ずつ、前列は椅子に座し前後共にやや斜め方向を向いたポーズで統一されているようだ。一番左の写真に至ってはまだはっきりと光沢が残っており、精々ここ二十年ほどといったところである。

 三枚に共通して見られる点はもう一つある。

 前列中央、左側の同じ位置に同一人物と見紛うほどに似た女性が一人座している。モノクロでもはっきりと分かるほど透き通った色白の、美しい女性である。周りの人間が真顔でどこぞに視線を送る中、その女性だけは真っ直ぐカメラを見詰めている。ひときわ目を引く整った小顔で、若干上がった口角が微笑んでいるようにも見える。否、微笑んでいて欲しいとすら思える。


「――サチちゃん……?」

 彼女は不意に呟いたかと思うと、徐に背にしたリュックをその場に下ろして中から御櫃家の書斎から持ち出した手記を取り出した。手記は背表紙を含めた後ろ半分近くが焼失している。

 辛うじて前のページが残ったのは、恐らく間に挟んでいた羊皮紙が火の手を緩めたからだろう。その焦げた紙の断片には引間邸で見た「片割れ」のもう半分が描かれていたらしく、今では煤まみれの六芒星の一角が辛うじて確認できる程度となっている。


『ここに帯付村の真実を記す』

 手記はこのような書き出しで綴られている。行書体ではあるものの、文字はお手本のように美しく暗号所や古文書よりは難なく読み進められそうだ。


『先ず御櫃家のみに伝わる伝承が口伝として代々受け継がれてきた由縁を説明せねばならない。ここのところ自身の精神が薄弱の兆候を見せ始めた故、引き継ぐ者がいない今、ただ消えゆくことを恐れこれを書くに至った。

 千年以上続くとされる村において御櫃家がこれを治めることができたのは、偏に地下に幽閉された猩々の権能を借り受けたからに他ならない。村人はこの事実を知らず、代々擁立した巫女を神の御使いとして敬い従う。よってこれを知られてはならない。

 猩々共は古くから数多の神々を崇拝するが故に、様々な願いを神々に届けることができた。現人神であるサチもその内の一つである。

 猩々共は肉体を取った現人神を最も崇拝した。故に死した後もその血を直に浴びたレイを神とみなした。古の頃から人肉を欲した猩々だが、レイが退治したとされる物の怪の肉を与えた後より更に多くの肉を求めるようになった。人身御供、時に口減らし、後に神隠しと称して村人を集めたのは、それらを用いて擬似的な物の怪を生み出すためであった。単体では飽き足らず、束ねたものにこだわるのは、かつて猩々共を束ねた権化の味を占めたためだろう。彼奴らは物の怪を与えさえすれば力を貸すが、五代前の頃より念のためにと内の一匹を地下に捕らえ片腕を封じた。願いは一匹でも届けられると分かり、以降捕らえた猩々のみを使った。

 他の猩々共にはこれまで通り肉を与えていたが、捕らえた一匹を要求したために村の外へと追放した。森の結界、及び物の怪の複製方法は後に記す』


 ここで一旦文章は途切れている。思い出したことをその都度書き足しているからなのか、字間が開いた箇所が散見される。

 しかし村における「神隠し」の内容が包み隠さず記されているだけに衝撃的である。村人が消えていたのはアレを生み出すためだったのだ。伝承が代々口伝だったという理由がようやく分かったような気がする。

 真実かどうかは定かではない。だがこれが村中に広まれば騒ぎになるどころか「お取り潰し」はまず免れないだろう。二ページほど間を開いて更に文章が続く。先とは異なり文字は崩れ格段に読み難くなった。これを書いたであろう宗孝さんの病状が察せられる。


『暈原氏が扱う術式は我々が従来行ってきたものと異なる。猩々を介さずして人の手のみにより神を呼び出すことができるのだ。

 麗奈を取り戻す方法として猩々を介する儀式では不十分である。媒介を利用してハタタ神の力を借り、すぐさま交換魔術を行う必要がある。内、媒介と下地となる古き印紋はすでに有る。これを二つの王に配分し封じる。


 必需――遺灰、同量の塩、依代』


 これ以降のページは焼失している。つまり儀式の内容について詳細を知るのは耕之助さん、宗孝さん、暈原医師のみと言える。書いた手記の内容は至って利己的なものに見えるが、宗孝さんがこれを残してくれたお陰で村の真実が本当の闇に葬られずに済んだ。

 残された僅かな手記だけでも書き口が明らかに変化しているのが分かった。更にページを進めるにつれて正気を失っていくのが容易に想像できる。これも暈原医師の「洗脳」が原因とみていいだろう。


 今思えば、手記を納めた机が不自然に綺麗だったことや、儀式に用いた紙が焼失するよう仕掛けが施されていたのは、医師に抗うためではなかったのだろうか。口伝という決まりを破ってまで手記を残そうとしたのも、薄れ行く意識の中で僅かながらに残った良心が禍々しい儀式を拒んでいたからではなかったのか。本当は誰かに気付いて欲しい、あわよくば止めてもらいたいという思いが彼にそうさせたのではなかろうか。

 或いは狂った状況と辻褄を合わせるかのように、僕が勝手にそう錯覚しているだけなのだろうか。


 手記をリュックに戻し、彼女は再び写真の女性を見詰めた。

 美しく整った顔立ちをしているが、どこかあどけなさを残した着物姿の女性。見れば見るほど、やはり沙智ちゃんの面影が感じられる。


 来たときと同じように窓を閉め会堂を後にする。

 外に出た途端辺りが急激に薄暗くなった。空を見上げれば、大きな入道雲の一端が先まで辺りを焦がし続けた陽光を阻んでいた。

 心なしか空気の熱も和らいだせいか、間もなく夕立の予感がする。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ