地下牢
「これだけの穴を掘るのにどれほど掛かったのでしょう」
「ノミやツルハシで削ったような跡を見る限り、十年は下らないだろう。仮に何かを隠すために掘られたのだとすれば更に少数の人員で掘り進めたことになる」
秘密を共有する者は少ない方がいい。それにただでさえ狭い横穴にいくら人員を割いてもあまり意味がない。いくら採掘技術が発展した村とはいえ、一〇〇メートルは越えるかという穴を穿つには相当の年月を要したことは想像に難くない。
最奥部に到達した二人は先と同様に開けた空間をライトで照らして回る。
しかし先とは違い、横穴を通った時よりも獣臭が濃くなったことを警戒し探り方もより慎重になった。むせ返りそうなほど空間に充満した「臭い」は常に「何か得体の知れない存在が傍にいる」かのように錯覚させた。
「……!?」
壁伝いにライトを照らしていた多嬉ちゃんが不意に立ち止まった。
光を辿って見てみれば、壁の一角には古びた鉄格子がはまっていた。格子の幅は粗く、小さな子供であれば難なく通れてしまうほどだった。錆び切った扉には当然のように厳つい南京錠が掛けられている。
そこに座すものの存在を認知した途端、僕は本能的にそれを見ることを拒絶した。耳鳴りを通り過ぎてから数秒もの間、僕の視界からその空間だけがぽっかりと抉り取られていた。
「……耕太さん……」
ようやく言葉を絞り出した彼女はその異様な光景をありのまま彼に伝えようとした。だがどうあってもソレは僕らの知る世界のものではなく、形容するのも躊躇われた。
全身が黒く長い毛で覆われたソレは三メートルは裕に越えるかという巨体を抱え込み、じっとこちらを凝視していた。
頭部と思われる個所に大きく縦に割けた口を物言いたげに開き絶えず呼気を発す。口を中心にしてやけに離れたいくつかの目玉が不気味に動き、しかし確実に僕らを捉えている。全身から漏れ出す臭気はやがて麻痺した僕らの嗅覚によって芳香に変わり、紡ぐことはないかと思われた言葉は自ずと僕らの神経を伝って明らかとなった。
「――腕を返さないと!」
「おい、待て! いったいどうしたんだ!?」
叫びと共に唐突に走り出した彼女を寸でのところで彼が抑える。
どういう訳かは分からないが、僕にも彼女が「そうしなければならなかった」理由が理解できた。だがどうやら平静を保っているらしい彼にはそれが分からず、頻りに腕を振り解こうと藻掻き続ける彼女の行動が理解できなかった。
ソレの言い分は概ねこうだ。
『腕を返せ。さもなければ無数の同胞たちがお前たちを許さない。身を裂くだけでは飽き足らず、神々に祈りお前たちを永遠に呪い殺すだろう』
言葉にならないそれらの信号は夢中において自明となる真理のような明確さでイメージと共に伝えられた。途切れ途切れのイメージの中で、ソレに酷似した「同胞たち」は人々の肉を割いては深い闇に紛れ、古の時から祈り奉る神々にそれらを捧げている。
だが同時に、ソレらが奉る神々の大半はその行為に対し怒りを露わにしてもいる。
多嬉ちゃんは蔵で見た腕の一つをソレに返そうとしたのだ。返すことによって少なくともソレらが僕らを襲うことはない。
在るべきものは在るべき場所へ。ソレは欠いた一部を補うことで、すぐさまここを去るだけの力を取り戻す。
それと、『絶対にその人間を近付けてはならない』。ソレは表面上では何でもない風を装ってはいるが、イメージの奥深くでは酷く耕太さんを恐れていた。
どうやらその感覚は僕らがソレを本能的に恐れる感覚に似ている。
「落ち着いたか?」
「……はい、もう大丈夫です。いずれにしても彼には腕を返すべきかと」
「『腕』というのは蔵の箱にあったものか? 何故奴に返す必要があるんだ?」
どうやら本当にソレが発する信号のようなものを理解できていない、もしくは受信できていないらしい耕太さんに彼女はソレから受け取ったメッセージをできる限り伝えた。話を聞いた彼は納得がいった様子で頷き不用意に鉄格子へと近付いた。
ガタガタガタッ!
「お前がどういう理由でここに入ったかは知らん。だが、俺たちに危害を加えるようなことがあったら承知しないぞエテ公」
「――シューッ、ヒュッ……シュー……」
鉄格子が九の字に曲がるほど大きく揺らした彼は中にいるソレに向かって威圧的に言った。
ソレにとっては狭すぎる檻において巨体は更に縮こまった。ヘビが威嚇の際に発するような呼気も、その様子からしてヒトが極度の緊張の際に過呼吸に陥る様に似ていた。
ソレの監視役として耕太さんを残し、多嬉ちゃんは元来た横穴を往復して腕が入れられていた箱ごと檻の前に運んだ。その間耕太さんの持つライトの僅かな光を頼りに檻の中を観察してみたところ、鉄格子の四隅と岩を穿った内部に籠目模様が描かれた無数の札があった。鉄格子に貼られた四枚は比較的新しく、定期的に張り替えられていることが窺える。御櫃家が封印、もしくは使役している『物の怪』は檻のソレと見て間違いない。
では、野放しになっていたアレはいったい何なのだろうか。
「耕太さん、すみませんがこの腕を彼に渡していただけませんか? 彼の影響を受けていない耕太さんなら、ある程度の耐性があるんじゃないかって……」
「気にするな。俺もバケモノだってことをさっき自覚したばかりだ」
彼女の手にある箱から毛むくじゃらの腕が放られる。
鈍い音を立てて地面に転がった腕はソレが手を伸ばせばいつでも拾える位置にある。しかし、ソレは耕太さんのことを凝視したままいつまで経っても拾おうとしない。
拾い上げる瞬間、その隙を狙って殺されるかもしれない。ソレが抱いているであろうそんな危惧がイメージとして僕らにも伝わってきた。
「あの、耕太さ――」
「早くしろエテ公! さっさと村から出て行け!」
――ガンッ、ガシャッ! ドドドドドドドドドッ……ガリガリッ……!
彼の怒声に飛び跳ねて動き出したソレは腕を抱えたまま形振り構わず鉄格子に体当たりして突き破り、狭い横穴に身をねじ込み時折外壁を崩しながら外を目指していった。
「これで『儀式』を阻止できるでしょうか」
「……いや、儀式はすでに始まっている。まぁ多少の邪魔はできただろうがな」
彼はソレが居座っていた場所に残された無数の骨を見詰めたまま沈んだ口調で言った。骨は明らかにヒトのものであったり、奇妙にねじ曲がったりしたものもあった。
二人は物の怪が通った後の横穴を戻った。
途中見た空井戸に続く縦穴は見事に粉砕され、封じられていた蓋が吹き飛んだおかげで夜空の星がいくつか遠くに見えた。
蔵に通じる縦穴を登り切る頃には時刻は四時を回ろうとしていた。
「まずいな。もうすぐ清代さんが起き出す頃だ」
「大丈夫じゃないですかね。一応黙認されているわけですし」
「そういうわけにもいかんだろ。仮にそれを置いても宗孝さんに見つかるのは避けたい」
「恐らくそれも大丈夫なんじゃないかと思います――」
何らかの儀式を交わした二人、宗孝さんと耕太さんの父耕之助さんは例の医師によってどこかに隔離されているのではないか。
引間邸にはすでに耕之助さんがいないことは分かっている。誰にも知らせず忽然と姿を消したことからして「失踪」。耕之助さんの手記からは、耕之助さん自身が儀式に対して「受け身」であることが読み取れる。
ならば「主体」となるのは勿論もう一方の宗孝さんになるわけだが、如何せん彼の精神はボロボロであり他者と意思疎通をはかるのも困難な状態にある。
そこで暈原医師が仲介し儀式を執り行うわけだ。儀式を成功させるには「誰にも邪魔されない状況」、「人目につかない場所」が好ましい。
よって、訳の分からない因習に否定的な清代さんがいる御櫃邸は儀式に相応しくない。
「昨日の清代さんと医師のやり取りから見ると納得がいきます。清代さんは『呪い』といった言葉を選んでいましたし、医師はそんな清代さんのことを『迷信深い女』と言っていました……。なんだか思い出したらイライラしてきました」
「少し休むか?」
「いえ、冗談です。しかし今更気付いたんですが、彼らの『儀式』には麗奈さんが関わっているんじゃないでしょうか」
「何故だ? 手記には引間家が生き残るために儀式の『分け前』が必要だと書かれている。当然村の発展を願うのだろう。麗奈さんが関わっている理由が分からない」
「先ず儀式の目的が一つとは限りません。確かに宗孝さんは村の長的存在ですが、麗奈さんを亡くした後の憔悴具合を考慮すると村を必ずしも第一に取るとは思えないんです」
「……そうか。沙智の枕元に立ったあの少女、どこか麗奈さんの面影があった。目の前であれだけの怪異を見せられては理屈など言っている場合ではないな。儀式による影響と考えた方が筋が通る」
二人は蔵を後にし急いで書斎に向かった。隣接する使用人部屋からは時折微かな物音がするため、今にも清代さんが出てきてしまいそうで妙な緊張感が漂った。
もし彼女に見つかっても何のお咎めもないことは目に見えて分かるものの、一度「不法侵入」してしまった以上、人目をはばかりコソコソせずにはいられないのである。
重々しい木の扉は呆気なく開いた。開いた隙間から微かに例の香の匂いが部屋にこもった空気と共に溢れ出し二人の緊張感を更に煽った。
「書物を漁るのも骨が折れそうだな」
「そうですね。取り敢えず机の周りに集中してみましょう」
部屋を囲うようにして配置された大きな書棚にはぎっしりと本が納められている。これを端から調べていては夜明けどころか数年の時を経てしまいそうだ。
書斎の奥に配置された立派な机にはいくつもの引き出しが備え付けてある。幸いにも机上に大量の書物が散乱していることもなく、整然と万年筆やペン立てなどの筆記具が置かれている。二人は早速手分けして机の両側に付いた引き出しを調べ始めた。
「――なし。こちらの引き出しには何も入っていなかった」
「はい。こちらも《《鍵の掛かった引き出し》》を除いて何もありませんでした。物を入れないのも逆に不用心かと思うんですが」
多嬉ちゃんが調べた引き出しにはすべて鍵穴らしいものは見られなかった。
しかし何かにつかえて開かない引き出しが一つ。五段あるうちの真ん中に位置するその引き出しを真下の引き出しから持ち上げてみたところ、下板は軽く持ち上がった。
つまり物が詰まり過ぎて開かないのではなく、何らかの「鍵」が施されている可能性が高い。あるいは単に建付けが悪いか。
もしこの引き出しに大切な物を入れた場合、他の引き出しに物が入っていなければすぐに特定できてしまうため今の状態は防犯上非常によろしくない。
ただし、わざと見つかりやすくしている場合はその限りではない。
「こういう仕掛けって何だかワクワクしますよね」
鍵の付いた鍵穴のない引き出しの仕組みは数多くある。鍵の掛かった部位の周囲に開錠の仕掛けがあるものや、屋敷全体に及ぶものまで存在する。
内部の構造にまで目を向ければ、それこそ江戸のからくり箪笥に見られるような多岐にわたるバリエーションが挙げられる。手掛かりがない以上ここでは無難に周辺から探るのがよさそうだ。
「左右対称になっているのがどうにも怪しいです。こっちの真ん中を見てみれば――やっぱり。奥の方に不自然な継ぎ目があります。この板をどうにか剥がせばレバーのような物があったり」
「……おい、なんか焦げ臭くないか?」
先程多嬉ちゃんが下板を持ち上げた方の引き出し、つまり鍵が掛かっている方から煙が上がっている。
見る見るうちに煙の量は増し、一方の引き出しの奥に腕を伸ばしていた彼女は飛んで先の引き出しをこじ開けに掛かった。
「耕太さん、お願いします!」
幾度か引いてビクともしない引き出しが彼に託される。
恐らく下板を持ち上げた時に中の何かが引火する仕掛けだったのだろう。
非正規のやり方をした際に「罰」が待っていることは間々ある。しかし「こんなことなら初めから彼に任せていれば」と言うのは無しだ。
不法侵入に盗難未遂を重ねていることを思えば今更ではあるが、廃墟やいわくつきの物件を調べる探索者とは、とかく現場の「現状維持」を心掛けねばならないからだ。
彼女はその最低限のマナーを守り、「たまたま」失敗したに過ぎない。
バキッ! ガリガリガリッ! ガタンッ!
彼の腕力によって無理やり内部の仕掛けと分離させられた引き出しは見るも無残な姿で床に放られる。すかさず彼女は取り出したタオルで火元を覆い足で踏み消した。
中には大半の燃えカスと、辛うじて手記であったであろう紙束の断片だけが残った。
「どうやら当たりでよさそうだな。少々コンパクトになったようだが」
「面目ありません」
「気にするな。それよりそろそろ日が昇る。テープと手記の解読は後だ」
二人は素早く燃えカスごとリュックのポケットに詰め急いで勝手口から屋敷を離脱した。
すでに白んだ空には青空が浮かび、日の光が向こうの森から漏れ出そうとしていた。
「これからどうする。一旦解散するか?」
「私は構いません。テープや手記の内容が気になって他のことが手に付きませんし、それに今日はお祭り当日なので」
ただでさえ非現実的な状況下に加え、徹夜明けの状態にある彼女の心身が心配である。いくら不案内な土地における野営や探索に慣れているとはいえ休息はいつも以上に取るべきだ。
しかし、状況に「危険」が伴っていることもあり、早急な情報収集と迅速な対応が必要なこともまた事実。人手が不足している以上、彼女がそれらをこなさねばならないのだ。
――僕にも何か手伝えることがあるはずだ。
村に来てこれまで僕ができたことと言えば、トンボ玉を拾ったこと、バケモノを遠ざけたこと、物音を立てたことくらいだ。
特に物音においては神社での鈴音、蔵の床板を動かした程度であり、結局は多嬉ちゃんの力なくして役立つことができていない。ここいらで何か貢献したいものだが、如何せん魂の拠り所である多嬉ちゃんから離れて行動することに不安が残る。
御櫃邸を出た足でそのまま引間家に戻るかと思われた二人は「一応信用できる」らしい新たな協力者を求めて何故か採掘場の方へと向かった。
少しずつ離れて行く彼女の背を追いつつ、僕は柄にもなく今後の身の振り方について思案してみるのだった。
〈メモ6〉
多嬉ちゃんの両親、晴男さんや亮子さんのように安定した高次元の存在である「霊体」に比べて、僕のように不完全な幽体は往々にして「拠り所」が必要となる。拠り所は特定の場所であったり人や物だったりする。そもそも拠り所から離れられないことが多いらしいが、僕の経験では彼女からおよそ一キロ離れた当たりで意識が遠退くことが分かっている。亮子さんによるとそれは幽体にとって危険な状態であり、幽体によっては「自身の目的」、あるいは「自我」まで失ってしまうほどだという。目的を果たせなかった幽体は「輪廻の環」から外れ、霊体などの高次存在となることはおろか来世を迎えることすら難しくなる。
彼女を見守ること。僕の目的はこの一点に尽きる。故に彼女から離れることは極力したくないが、この与えられた一キロという猶予を活かさないのも何か違う気もする。