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井戸の下


 古くから籠目が魔を祓ったり封じるとされてきた由縁だが、そもそも魔物や邪なものは『目』、正確には視線を嫌うという特性を持つことから来ている。

 四六時中人目を光らせていれば魔物を寄せ付けることはないけれど、何しろ労力が掛かり過ぎる。そこで偶然にも「目」に似た模様、「籠目」を人目の代わりにしたところ、案外これが役に立った。連続した模様は美しく実用性もあり、衝立や間仕切りに好んで用いられてきた。


 西洋においては六芒星は魔を使役する際に用いるソロモンの印章が知られている。仮にこの葛籠を東洋風に捉えるならば、外敵を退ける意味合いが強く、西洋風では中の物を「閉じ込める」ことに重きを置く――日本において魔物を閉じ込めたり使役する際には五芒星を用いることが多かった。

 いずれにしても、中に治められた物が御櫃家にとって重要な物であることは間違いないだろう。


 彼女の手によって葛籠の蓋が開かれる。


「また黒箱か。取り敢えず鍵開けは後回しだな」

「今までの物より一回り大きいようです……待ってください耕太さん。これ、開いてます」


 作業に戻りかけた耕太さんを呼び止め、ずっしりと重たそうな黒箱の蓋を数ミリだけ浮かせてみせる。

 例に漏れず金の紋章が印された箱は比較的に他の物より状態がよく、手入れされているのは目に見えて分かる。鍵が掛かっておらず厳重とは行かないまでも、葛籠に納められていたのがこの一箱だけともなると中身への期待感も一入である。


「万が一のこともありますので、先ずは私が中を覗いてみます。もしもここで私が倒れたら後のことはお任せしますね」

「……無理はするな」


 複雑な表情を浮かべたまま彼は徐に頷き、彼女の様子を見守った。

 危険を犯してまで中身を確認する必要があるのか、という疑問はさて置き、先からワクワクに全身が疼いて仕方がない彼女を止める術は最早なかった。


 ギギギ――……ギッ、パタン……


 ゆっくりと五センチほど開かれた箱は一瞬だけライトで中を照らされ、そっと閉じられた。


「――ん? 何があったんだ?」

「中には、そうですね。カセットテープのような物が入っていました」


 僕も隙間から見た感じだと、確かにカセットテープが一つ入っていた。

 ただし、それともう一つ彼女の思考を一時的に停止させた原因が箱の大半を占めていた。

 黒く長い毛に覆われたミイラのように干からびた腕が一本。

 前腕部から握られた指先まで入れると相当な大きさであることが分かる。今でこそ干からびているが、腕を覆った二〇センチはある毛の長さからして元はかなり筋肉質で、全長は少なくとも二メートルを下らないと推測する。


 再び開いた箱から素早くカセットテープを取り出した彼女は何事もなかったかのように箱を葛籠に戻す。


「一先ず残りの箱も蔵に残しましょう。書斎を優先した方がよさそうです」


 訝しげに頷く耕太さんに有無を言わせずカセットテープを握らせ、早々に蔵から出るよう促した。

 御櫃家や物の怪に関する文書でもあればと探してみれば、ドンピシャでそれっぽい物が出てきてしまったのだ。その物に触れる前に、それに関する情報を集めるのが先決だろう。

 ましてやオカルトに敏感な彼女のこと。あの形状の「腕」を見れば間違いなく対処を急ぐはずだ。残りの箱に葛籠の箱と同様の物が詰められているかと思うとさすがの僕でもゾッとする。


 カタッ、カタカタッ……


 ちょうど多嬉ちゃんが蔵の扉を閉めかけた直後、不意に棚の方から何かが動く音が聞こえてきた。


「今の音はなんだ?」

「なんでもありません。きっと何か落ちたんでしょう」

「……おい、何か隠しているんじゃないか? 先からずっとソワソワしているのはなんだ?」


 言葉にピクリと反応したのを見て取った彼はすぐさま扉に立ちふさがる彼女を横に押し除け、ズカズカと音がした方へと近付いた。


 カタカタカタッ


「――この辺りだな。開けてみるか」

「ちょ、耕太さん、待って!」


 慌てた彼女が声を上げ駆け寄るも時すでに遅し。彼は葛籠を置いた棚の前でしゃがみ込み、そこにある「何か」を覗き見てしまった。


「耕太さん、その腕はもしかすると大変マズい物かと――」

「……『腕』とはいったい何のことだ?」

 耕太さんがしゃがみ込んだ場所を見てみると、そこには例の葛籠はおろか何一つ物はなく、ただ綺麗に敷き詰められた石の床があるばかり。


「ここを見てくれ。どうやらこの床の一部が浮き上がって――どうした?」

「いえ。てっきり()()()が来るのかと思いまして」


 彼が指摘した床の部分を見てみると、確かに時折隙間風のように空気が漏れ出し僅かに床板が動いていた。彼からの報復を若干期待していた彼女は構えを解き、這うようにしてその床辺りを入念に確認した。


「見た目は他とあまり変わりませんが、ここだけ明らかに材質が違います。どれもグレーの石のようで、大半の御影石に対して六枚だけは軽く、石灰岩に似ています。明らかに動かすことを前提としていませんかね」


 多嬉ちゃんは手にしたナイフを床板の間に差し込み、梃子で軽く動かして見せた。

 外部から目に付かない場所とは言え、これほどの良家が数枚の床板であっても目こぼしするとは考えにくい。床板の間に隙間が開いている点についてもそうだ。ぴったりはめられた大半の石材に対し、よく見ればこの六枚だけは爪を掛けられるだけの隙間が見られる。

 わざわざ軽い材質を選んでいる点からも、「動かすことを前提としている」との仮定も何ら無理はない。


「でも一つ気になるのは、なぜ今になって動き出したか、です。私たちが作業しているときに鳴っていれば何となく気付いたはずです」

「ああ、それなら単純な話だ。村の古い家屋にはよくあることなんだが、風向きによって床下の通気口から風が吹き込んで床板を軋ませることがある。この辺りは普段から西寄りの風で、天気の変わり目には急激に東や南寄りになる」


 おまけに夏の山間ということもある。日中あれだけ暑かった気温が夜間に一気に冷え込むことで天気が変わりやすいことにも納得がいく。僕らのいる蔵の西側と南側は母屋に囲われているため、風向きが変わったとすれば今は東側から風が吹いているはずだ。


「石蔵に床下の通気口ってあるものなんでしょうか。浸水を防ぐために床を高くするのは分かりますが、隙間風や虫、鼠などが入ってしまっては貯蔵に向かないように思うんです」

「……言われてみれば、確かに村にある蔵の通気口は上部の高い位置にしかない。木組みを覆うようにして隙間なく石を積んだ蔵に、風が入り込むこともない」

「蔵の東側に何があるかご存知ですか?」


 恐らく彼女はこの蔵の東側に風が入り込む原因「《《穴》》」があると踏んだのだろう。

 彼女の質問に耕太さんが唸る。母屋から下りた裏庭や蔵の反対側まで見切れていない僕もこれに関しては何とも言えない。敷地外となっては尚更だ。

 しかしこの敷地の北東、つまり鬼門の位置に大事な家財を納めておく石蔵だけを設置したとは考えにくい。もう一つくらい敷地内に何かがあって然るべきである。


「幼い頃の記憶で曖昧なんだが、裏手にある木塀のすぐ横に空井戸があったはずだ。分厚い板が打ち付けられ、その上から何重にも太い針金で留められていた。それをぐるりと四角く縄で囲っていたな。隅に大幣が立っているのを見て気味悪がっていたのを覚えている」

「大幣ですか……それ以前に井戸が置かれているのも不自然です。まるでこの家が後付けされたかのような、ずっと昔は蔵や空井戸より向こうにまだ何かがあったかのような……」


 僕はてっきり蔵の裏には龍や猿の石像、はたまた刺々した樹木が配されているものかと思っていた。蔵に吹き込む「穴」は敷地外にあるものかと。

 多嬉ちゃんが訝しむのももっともで、鬼門に井戸を置くことなど有り得ない。だからこそ木蓋や針金でぐるぐる巻きにしたのだろうが、確かにその井戸を後付けにしたのだとすれば随分とセンシティブな意匠と言わざるを得ない。


「しかし、この蔵が空井戸とつながっていることが分かりました。確かめるためだけに床板を剝がすのは気が引けたのですが、これで心置きなく除けることができます」


 床板の僅かな隙間に再びナイフの刃が捻じ込まれ、今度は間髪入れずに六枚の石板が取り除かれた。剥き出た下地は粗く削られた石組みで、ちょうど床板を取り除いた位置に収納ハンドルの付いた木製の床下扉が設けられていた。


「いよいよって感じがしますね。この先に何があると思いますか?」

「分からん。とにかく御櫃家の闇に触れることにはなりそうだ」


 耕太さんは取っ手を引き大人一人が難なく通れるサイズの重い扉を持ち上げる。開いた口からは蔵の時とはまた違った空気が妙な臭気と共にむわっと立ち上ってきた。中はライトで照らしても底が見えないほど深く、古い石組みには錆びたコの字の杭がずっと下まで続いている。


「野生の獣のような臭いがしませんか?」

「……いや、まったく分からん。どうも嗅覚まで鈍くなっていてな。そもそも何故木滝は野生動物の臭いが分かるんだ」

「野山を散策していると時々シカやイノシシと遭遇するんです。あとそれだけでなく、どこか甘ったるい匂いが混じっています。昼間この家に私と入れ違いでやってきたお医者さんがこれに似たお香のような匂いをさせていました」

「御櫃家に出入りする医者といえば『暈原』で間違いないだろう。ここに来てその匂いが無縁であるとは考えにくいな」

「暈原という人は宗孝さんにどんな処置をしていたのでしょうか。まさか、洗脳とか?」

「恐らくそうだ。当主の病が何であるかは明かされなかったが、清代さんの話では『診療の甲斐もなく日に日に会話もままならなく』なったらしい。奴に狂人の疑いがある以上、洗脳くらいやりかねない」

「狂人、ですか?」

「今は奴の足取りを追うのが先だ。ここを下りてから説明する」


 話を切った彼は錆びた杭を一つ一つ確認しながら先導し、蔵の地下深くへと進んだ。二〇メートルほど下りた辺りでようやく地に足を着いた二人は暗闇の中をひたすらライトで照らし回った。


 地下の空間は思ったよりもずっと広く、手を伸ばしてジャンプしても届かないほど高い天井に、蔵の倍の面積はある洞穴だった。


「こっちに道がある」

 反響する彼の声を辿ると大人が少し屈んで通れる程度の横穴が奥へと続いていた。穴に踏み込んだ矢先、先よりずっと濃くなる獣臭に嗅覚が鈍っているはずの彼も思わず顔をしかめた。


「相変わらず香の匂いとやらは分からないが、この獣臭はひどいな……。しかし、不思議と食欲がそそられるようだ」

「食欲が……? それよりお医者さんのことです。何故彼が『狂人』なのでしょうか」


 ゆっくりと歩み始めた横穴はその後五〇メートルほど続いた。その間、耕太さんは暈原という一介の医者だった男が村で起きた失踪事件とはまた別の重大事件と関与していることを話した。


 十年前、山間にあるこの平岡村から離れた麓の町病院で多くの患者が一斉に死亡する事故が発生した。

 総勢六十五人、十代から八十代までの男女が突然発熱や体中の痛みを訴え出し、苦痛に耐えかねたのか『手近に置かれた』ハサミやナイフ、ボールペンなどで自ら目や喉を何度も突き、その直後に死亡が確認された。


「辛うじて生き残った一人は一命を取り留めたものの、失明と重篤な意識障害を負い今でも昏睡状態にあるらしい。俺は病気について無知だが、この『事故』が異常であることだけは分かる」

「それだけの数ともなると、患者のそばに鋭利な物が置かれていたのも偶然ではありませんね。『被害者』の中には窓に近寄った方もいらしたのですか?」

「……ああ。上層階にいた半数以上の者が窓の開放を試みたそうだ」


 死を選択するほどの苦痛を想像するのは難しい。しかし、鋭利な物で目や喉を突くことに比べれば高所からの落下により一瞬で終わる方に掛ける者のが多いのではないだろうか。

 故に、窓からの落下を試みた者の多いこの「事件」は自らの刺突による突発的な自傷行為などではなく、()()()()苦痛から逃れようとした背景が窺える。


「では、耕太さんは何故暈原さんが『事件』に関与していると考えたのですか」

「そのことなんだが、先ず御櫃家の当主が沙智に洗脳まがいの行為をしていたことを覚えているか。清代さんによると、暈原は十年前に当主の担当医となって以来、その方法を当主に教え込んでいたらしい。

 当時の病院関係者に聞けば、偶然にも事故に遭った患者の担当がすべて暈原だったそうだ。診察は必ず一対一、その際は必ず『総合栄養注射』を投与していた。患者の容体についても患者を世話する看護師にすら伝えられていなかった」

「十中八九黒ですね。宗孝さんの『病』についても彼が原因なのでしょう。でも何故そんな人が未だに日の下を歩けているのか不思議でなりません」

「かつて例の病院の院長をしていたのが暈原だ。町の議会や警察と癒着していた奴が金の力で黙らせたのだろう。『事件』があったことはおろか、『事故』とすり替えたこと、事件を起こした真意についても隠しおおせている。奴がこの村に目を付けた理由は分からないが、少なくとも十年前から起きている『神隠し』は奴が元凶と見ていいだろう」


 二人は先より凹凸が増した足元を所々ライトで照らしつつ手探りで進んだ。

 会話を挟みながらも、ついに横穴の終点と思われる開けた空間がぼんやりと先に見えてきた。

 蔵に風を供給していた空井戸に通じるかと思われる縦穴はとうに過ぎている。



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