44 奥の手
手の中の小さなアイテム。これが俺たちの命綱だ。
「ガブ、ミレイ」
今や一本のロープを巡り、殴り合いの掴み合いの奪い合いをしている二人に声をかける。その声は自分でも驚くほどかすれ、まるで死人の呼び声のような絶望感を漂わせていた。
握りしめた手から汗が吹き出る。
「とにかくここから逃げよう。アイテム使うから集まっ……て……」
決意とともに放たれた俺の言葉は、視界の端をゆっくりと横切る小さな影の存在によって遮られた。
ミレイとガブがロープを奪いあっていた手を止める。俺は中途半端に掲げた腕の行き場を失い、ただ呆然とそれを見ていた。
グラグラと揺れる頭。
不恰好に短い両足を踏みしめ歩く姿。
まるで生きたぬいぐるみのように、ヨタヨタと体を動かしその着ぐるみは歩いていく。
――ニア。
さっきと同じだ。唐突に、しかし確かな存在感を持ってその体は動く。まるではっきりとした意思を持っているみたいに、迷いなく、小さな足を踏みしめてニアは歩いていた。
三人ともぽかんと口を開けて、その姿を視線で追っていた。ニアは巨竜の方向へ向かい、足場の端まで歩み出る。
何かが起こる。
俺達の視線はその少女の動きにすべて注がれていた。
そのまま足場の端を越え、宙に向かって歩み出すのではないかと思った寸前、ニアはこちらにくるりと振り向いた。着ぐるみのどこかとぼけた無表情な瞳が、じっと俺たちを見ているような気がした。全員の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
一瞬の間の後、ニアは尻尾の生えた小さなお尻をナンガナンガに向かって突きだす。
そして
――ペン、ペン、と二回お尻を叩いた。
まるで時間が止まってしまったかのような静けさが世界を覆った。ミレイも、ガブも、足元の魔物たちも、ナンガナンガも、夜空の大きな満月も、そして俺も。すべてが動きを止め、小さなニアだけが世界の中心にあった。
世界がフリーズしてしまったような錯覚の中、俺の頭は目の前で起こった光景を理解しようとしていた。
あの動きはガブのスキル、『挑発』の仕草。
つまりは――
――俺がその意味を理解した次の瞬間、時間の流れが一気に押し寄せるように世界は動き出す。
遠く、こちらに背を向けていたナンガナンガが土煙と、瓦礫と、冒険者たちと、その他もろもろの街の残骸を巻き上げながら、轟音とともに180度反転した。
舞い上がる粉塵の向こう。真っ黒な巨竜の瞳と、確かに視線が合う。
――来る。
「逃げろおおおお!」
ガブが叫ぶ。躊躇している時間は微塵もなかった。俺はミレイとニアを抱え込み、そのまま塔の端から空中へ走る。先に飛んだガブの軌跡をなぞるように、俺はその見張り塔から思い切り跳んだ。
目をつぶるな。
怖がるな。
空気を裂いて体が落ちる。
石畳の地面が迫る。
ミレイの悲鳴が耳を打つ。このままあの地面に叩きつけられれば落下の衝撃で間違いなく即死だ。
ここだ。
今しかない。
ここからの30秒ですべて決まる。
俺たちの奥の手。
使うなら今だ。
俺は手に握りしめたままのそのアイテムに意識を集中させた。
この小さなアイテムひとつに俺達とニアの命運が掛かってる。不思議なめぐり合わせを感じた。まるで今夜のすべてがこの時のためにあったかのようだ。
干からびた小さな尻尾。祈りを込めて握りしめ、俺は叫んだ。
「ミミミ!」
地面に叩きつけられる寸前、ボンっという煙とともに巨大なネズミが足元に現れた。まさしくそれは先ほど下水道で俺達を追いかけたあのネズミだ。
アイテム『ミミズの尻尾』。盗賊であるガブの簡易鑑定で明らかになったこのアイテムの正体は魔物召喚の媒体。
俺達を乗せたミミミは地面に難なく着地した。落下する寸前でロープを建物の屋根に絡ませて浮き上がったガブも、その背中にすたりと降り立つ。ごわごわとした背中の体毛に必死で張り付き、俺はもう一度叫んだ。
「ミミミ! 走れ!」
継続時間は30秒。走り出したミミミは街の路地をすごい速さで駆け抜ける。塔の下に集まっていた魔物たちが追いすがるが、まったくものともしない。前方に立ちはだかるように現れた魔物も、その巨体で踏み潰し、召喚者である俺の意思通りに走る。必死にしがみつくミレイはずっと悲鳴をあげていた。
振り落とされないよう全身に力を込める。腕の中のニアを庇いながら、俺は前方の通りを睨んだ。この速さならすぐ、すぐに辿り着く。
しかし背後から迫りくる巨大な影がある。
街を粉々に破壊し、瓦礫を巻き上げながらナンガナンガは確実に俺達へ迫っていた。地響きとともに建物をなぎ倒し、まるで道などないかのように一直線にこちらを目掛けて走ってくる。
ミミミの疾風の速さを持ってしても、その距離は縮まりつつあった。
腕の中のニアを強く抱き、俺は祈る。
このまま、このまま行け。
路地を抜け、両脇に店の並ぶ大通りを駆け抜ける。
見えた。
「凱旋門だ!」
俺達の目指すカリアのシンボル、凱旋門が夜の中に浮かび上がるように見えた。あそこでレドさんが俺達を待っているはずだ。
残り10秒。
自分が走っているわけじゃないのに緊張で息が切れる。俺の鼓動の高鳴りは、腕の中のニアにも聴こえているだろうか。
頭の上に巨大な影が落ちる。
「いやあああ!」
後ろを振り返ったミレイが悲鳴をあげる。俺は見ない。振り向かない。振り向いてもしょうがない。見たくない。
きっと背後にあるのは、俺達に噛みつこうと口を開ける、ナンガナンガの奈落のように何処までも深い喉頭だ。次の瞬間にでも訪れるであろう、終わりの時に俺は覚悟を決める。
残り
3
2
1
凱旋門のアーチをくぐり抜けるのと、俺達が空中に放り出されたのはほぼ同時だった。時間切れなのか、ナンガナンガがミミミの尻尾に噛みついたのか、正直どちらかなのかはわからない。
空中を舞う。何も考えられなかった。ただニアを庇い、身体を丸めて衝撃に備える。
地面に叩きつけられると同時、これまで体感したこともない爆発のような振動が巻き起こり空気を震わせた。
【ミミズの尻尾】
カリアの下水道に潜む巨大ネズミを呼び出す召喚アイテム。その不死身の魔物の正体は、かつて魔導研究所より廃棄されたミミズ型実験体の末路。宿主を転々と変え、下水道で孤独に生き延びていた。効果時間30秒。クールタイム30分。




