38 記号②
躊躇している時間は無かった。
覚悟を決め、仮面に向かって突進する。左腕にニアを抱えてるから片腕しか使えない。俺は盾を捨て、走りながら剣を抜いた。これで次の攻撃は確実に防げない。もうこの数秒でケリをつける。俺の剣なんてほとんどただの飾りだ。それでもやるしかない。
敵に向かう自分の歩みの遅さがもどかしい。ミレイかガブにニアを投げ渡すか? という考えが頭をよぎった時、何かが目の前に投げ込まれた。
瓶が割れる音とともに煙が俺の体を包む。攻撃力アップのバフ。地面に横たわりながらも投げてよこしたレドさんの援護は、俺の迷いを払った。
選択肢は無い。俺がやる。
八丁さんみたいに動けたらいいと思った。いつも近くで見ていながら、その背中は遠い。あの人にはこの世界はどう見えているんだろう。強いってどういう気持ちだろうか。
少しでも、八丁さんみたいに。そう願いながら俺は夢中で吊り目の仮面に剣を振り下ろした。
カン、と乾いた音が鳴り、確かな打撃の感触が手に伝わる。しかしダメージが足りない。こいつ、ふわふわして狙いづらい。剣を払う風圧にすら漂うようだ。
もうひと振り――
薙ぎ払った次の一撃は相手の仮面をかする。浅い。その白い表面にヒビが入ったが致命傷ではなかった。
仮面の脇で回る魔方陣が音を立てて動きを止めた。撃ってくる。相手は堅くない。あと一撃。あと一撃打ち込めれば倒せる。もういちど剣を振り上げるがそのモーションの遅さに絶望的になる。間に合え。間に合え。しかし相手は二撃目の衝撃で、後ろにふわりと遠のいていた。一歩踏み込まなければ届かない。
もっと速く。空気を動かさないほど静かに、速く。止めの一撃を放つためもう一度、踏み込む。
だけど、間に合わない。
魔方陣が輝く。撃ってくる。
視界の端にもう一体の、笑う仮面の顔が見えた。俺の傍らに佇むその姿。空虚な瞳の奥。空っぽの黒い穴に俺の視線は囚われる。
その笑みの奥。
(何かが)
何も無いはずの瞳の奥に、別の視線を感じた。
(何かがいる)
瞳の闇から覗く何かと目が合った気がした。俺の非力さを、俺のあせりを、俺の諦めを歓び、愉悦にひたる瞳。
笑みの奥の笑み。
合わせ鏡のように幾重にも連なる悪意の連鎖。
頭のてっぺんから氷の槍で串刺しにされたような感覚がした。腕の中のニアの重さが遠のく。
これは絶望だ。
きっと、俺の心を写している。
こんなのは気のせいだ。
しかし、真っ黒な悪意は確かに、俺を掴まえようと手を伸ばした。
それと同時に腕の中から放たれた光が輝く。
そして、俺の時間は凝縮した――
◇
気が付けば真っ暗闇の中にいた。何処までも続く暗闇。時間が戻ったのかと思った。ニアと出会う前の、あの世界の裏側に。しかしそうではない。この感覚は知ってる。そう、夢だ。
目の前にはレドさんがいる。
しかしそれはレドさんではなかった。
俺が瞬きをする度に、その姿は一瞬で変わる。
ミレイ、ガブ、八丁さん、ベルさん、レドさん、ミレイ、ガブ、八丁さん……
次々と姿を変える不定の人影は口を開いた。
(君は、精神構造がシンプルだから繋げやすい)
こんなのはおかしい。だけど夢特有の曖昧な思考で俺は答える。
なに? 馬鹿にしてるのか……?
(そうじゃない。親しみを込めてる)
親しみ……。
(そう、わたしたちは君に親しみを込めてる)
わたしたち……。その言葉でぼんやりとその正体がわかった。姿は違うが前にも夢の中で会ったことがある。いや、夢の中だけじゃない。俺達はきっと、今も一緒にいるはずだ。
(その通り。わたしたちに決まった姿は無い。でもそれだと認識する上で都合が悪いからね。便宜上何かの形をとらなければならない。君のいう『記号』だね)
記号。さっきもそんなことを考えていたかも……。
俺の頭の中に俺自身の声が響く。
『この世界のすべては記号で成り立っている。斬られれば血が出るし、クリティカルで殴られればメガネも割れる。強い武器は光を纏うし、回復されれば暖かなエフェクトが舞う。でもそれはすべて記号だ。血が吹き出ても……』
やめろ。自分の頭の中を再現されるのは言いようもない恥ずかしさがある。
(君の考えは特別読みやすいから)
また馬鹿にしてる……。
(君だけじゃない。君たちはみんなわかりやすい。わたしたちのことをどう捉えているかも知っている。さしずめこんな形に……)
∴
うん。合ってる。
頷いた瞬間、不定の人物は姿を変えた。もう人ではない。金色の毛並みを持つオオカミ。しかも三匹。
傷だらけのオオカミたちは、痛みを和らげるように寄り添いながら、俺をじっと見据えていた。
そうだ。俺達は戦いの最中だったはずだ。どうなった?
(どうもなっていないよ。世界の時間は数秒遅延しているけどね。今は君の夢に無理矢理介入しているだけ。夢の中の時間なんて曖昧なものだろ)
そういうものか……?
(もちろんこれは禁忌だから許されることじゃないけどね。でも先に理を破っている者が沢山いるから)
理……なんか難しい言い方だけど……『仕様』的なこと?
(そう、仕様。当たらずも遠からずかな)
仕様を破ってる奴……そんなのは即刻BANだ。あ、いや、そういう問題じゃなくて……あの仮面の奥から見ていた奴?
(覗き魔のことだね。あいつはもう祓った。でもきっとまた来るよ。わたしたちを逃がしたのがよほど口惜しいみたいだから。それとは別で外からの手も動いてるけどね。意図と想定外が絡み合って彼らは大混乱みたいだよ)
外からの手……? 大混乱……? あ、運営のことか?
(多分それかな。運営とか仕様とか、君たちの言葉はいちいち面白い。なんだっけ、さっきの。BANって追放のことだよね。あとは言霊をチャット? まるで荘厳な神話とは別の所に在るみたいだ)
やっぱり馬鹿にしてる……。
(どうかな。捉え方は色々さ。いずれにしても、君たちは君たちの理の中で戦わなきゃいけない。物語と、記号の中で)
また記号か。お前自身ただの∴のくせに。
(言うね。でもわたしたちから見た君たちも大差ないよ。例えば、君はこうだ)
⛓
鎖。
俺は鎖か。
(ちなみに、君がいつも気にかけてる女性はこれ)
✞
だ、誰のことでしょうか……わ、わからんなあ……
(他にも)
⚖
†
❅
⚔
(君が思うようにこの世界は記号の連続で構築されている。君たちは不思議だ。あの子が興味を持つのも頷ける。記号それぞれに意味を見出し、物語を想像する。どうか、その時感じた事を忘れないで欲しい。わたしたち以外の守り手は、忘却の時に消えてしまったから)
どういうことだ。あの子、ってニアのことだろ。聞きたいことが山ほどある。
(どうせ夢の中さ。聞いてもすぐに忘れてしまうよ。でも目が覚めた時、この夢の断片だけは掴まえておいて)
どうして?
(君にとって必要だからさ。わたしたちにも。そしてあの子にも)
オオカミたちは俺に背を向け歩き出す。
その姿が闇に紛れ見えなくなる。
(いいかい、よく聞いて)
遠くから声だけが聞こえた。
(目の前の記号をもっとしっかり見るべきだよ。君たちは得意だろ、そういうの)
待ってくれ、行かないで。
(優しいあの子を、守ってあげて)
その言葉を最後に、オオカミたちは姿を消した。
◇
瞬きの一瞬。
それから俺が見たもの。
仮面の奥の瞳。
そこにはもう誰もいない。
代わりに、視線の中に映る赤い何かに俺は気付く。
赤い。
赤い文字。
はっきりと目に映った文字の羅列。
これも記号だ。『瀕死』を表す、血のような赤い文字。
俺が攻撃したのは吊り目の方。にも関わらず、笑う仮面のHP表示も瀕死になっている。
そうだ。
こいつらは二体で一匹の魔物。
HPも共有している。
俺はそのまま無我夢中で、突き出していた剣を真横に薙ぎ払った。
手応えは無かった。仮面がまるで、ただの木片みたいに割れる音。あまりに軽く、あっけないその感触。勢い余って俺が倒れ込むのと同時にカラン、と空虚な音を立てて、壊れた仮面は地面に落ちた。
それで終わりだった。
吊り目の仮面も、足元に群がる亡者の手も、いつの間にか姿を消していた。
「フジ!」
ミレイが駆け寄る。抱きつかれるかと思ったがまあ、そんなことにはならない。俺の腕からニアを抱き上げ、子供の無事に安堵する母のように頬を寄せた。
その腕の中のニアを見る。そこにはいつも通りの人形のような少女がいるだけだった。気付けば壊れたガーディアンも姿を隠している。
「なんか一瞬変な遅延した気がしたけど……良かったぁ……」
ミレイの呟きに、あれが夢では無かったと知る。
「やばいよやばいよ!撤収!撤収だ!!」
そう言って床に散らばった小瓶をかき集めるレドさんの声に、皆が急いで動き出す。魔物の次の襲来を意味する囁き声の断片が、壁を伝い洞窟を震わせ始めていた。
白昼夢のような夢。
『どうせ夢の中さ、聞いてもすぐに忘れてしまうよ』
そう言ったオオカミの声が耳の中で鳴っていた。
「フジ、何やってんだ! 逃げなきゃやばいって!」
通路の先から叫ぶガブの声を聞きながらも、俺は上の空でその場に立ち尽くしていた。
「フジ! おいって!」
なぜなら夢の輪郭はすぐに消えてしまうどころか、細部まで思い出せるほどはっきりと、俺の頭にこびりついていたからだ。
ミレイ「そいえばさ、フジって武器何使ってるの?」
フジ「え、これだけど……」
ミレイ「ふむふむ。儀礼剣?え、いつも俺の武器は飾りだー、とか言ってるけどホントに飾りじゃん。えーと説明は……」
【古グラノーラの儀礼剣】ランク:A
古の大国グラノーラの近衛兵が祭事に使用した片手剣。儀礼用とはいえ女神フェミニーナの加護により強力な護りの印が施されている。
ミレイ「へー、なるほど。パラディン的にはいいのかもね。でもほら、槍とかハンマーとか他の武器もさ、一応持っておくといいんじゃない?今回みたいなこともあるし」
フジ「うーん、他の武器……やっぱりさ、主人公としては剣を持ちたいというかなんというか……」
ミレイ「(こいつ……)でも槍とかハンマーもカッコいいよ!わたし好きだな槍とか。なんかプロっぽくない?フジ似合うよきっと!」
フジ「そ、そう?じゃあちょっと良いのあるか見てこようかな」
露店へ走っていくフジ。
ミレイ(単純なやつ……)




