1 敗戦
自分が気絶している状態を認識しているというのはよく考えてみると不思議だ。現実にはあり得ないし、そんな状態があるならそれはそもそも気絶してない。幽体離脱でもして自分を眺めていれば話は別だけど。
全部が現実通りならすべてのゲームはきっとつまらなくなる。少し走れば息が切れ、魔法などと言った超自然的な力も無く、日々必死で稼ぐ賃金は雀の涙。そして何より、一度死ねばそれで終わり。ゲームオーバー。やり直しも、生まれ変わりもできない。そんな現実世界を完璧に模しただけのゲームなんて誰もやりたがらないし求めてもいない。
しかしそれは、
逆に言えばつまり、
「リアルはつまらない」ということになるだろうか。
真っ暗な画面を見つめながら俺はそんなことを考えていた。
視界の右下、バイオリズムを表す複雑な幾何学模様が真っ赤からオレンジに変化していく。そのゆっくりとした動きはとても綺麗で、俺はただじっとその変化する模様を見つめていた。
動かない体。何も見えず、聞こえない世界。馬鹿みたいに口を開き、ただ目覚めの時を待つしかない。
なぜなら俺は今、まさしく「気絶」しているからだ。
ほんの十数秒のことだけどとてつもなく長く感じられた。眠気がふいに襲い、一瞬意識が飛びそうになる。いかん。このまま寝落ちなんてした日にはあの人たちに後で何とどやされるかわからない。頭を振り、目を瞬く。集中しろ、俺。
オレンジから黄色へ、 徐々にステータス表示の色が変化していく。もうすぐ、緑になれば目が覚める。
そもそも何故あのパンチをかわせなかったのか、と頭に疑問と後悔の念がよぎる。俺を狙って放たれたのはなんてことない大振りの一撃だった。余裕でかわせるという油断があったのかも知れない。いや、眠気のあまり一瞬意識が飛んだのかも。僅かなタイミングのズレ。一つのミス。大きな後悔。自己嫌悪。
考えても無駄だ。過ぎたことを嘆いても仕方ない。今はこれからどう立て直すべきかを考えるべきだ。俺は深呼吸し頭の中でカウントダウンしながら来たるべき時に備えた。
誰が生き残ってるか。確認。
スキルはチャージされているか。確認。
敵の位置と味方の位置。確認。
命の優先順位。確認。
表示は青から緑へ。
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4
3
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1
そして、目が覚める──
◇
「寝てんじゃねーぞ!フジ!」
ゼロのカウントと同時、視界が開けるより先にガブの声が聞こえた。切羽詰まった声。それだけでなんとなくパーティーの状況は察せられる。
そりゃそうだ。盾役の俺がボスの大振りパンチに吹っ飛ばされて戦線離脱してたんだから。でもまあ謝るのは後。それより先にやらなきゃいけないことがある。
画面に光が差し、ぼんやりとした視点が結ばれて行くと巨大な何かが目の前にあるのがわかった。青い皮膚。深く刻まれた皺。地割れのように深い暗黒の割れ目。
それはボスの筋肉質で巨大な尻だ。
引き締まったその筋肉の隆起は恐ろしくもあるが、彫像のような美しさも感じさせた。こんなにまじまじとこいつの尻を見たのは初めてである。普段は見えないところだが、なんという作り込みだろうか。
その芸術的な股の向こう側に、毛むくじゃらの小さな体を盾にしてボスの前に立ちはだかっているガブの姿が見えた。勇ましいその姿はまるで、群れの仲間を守る小型犬である。
さらに奥には床に倒れているレドさんと八丁さん。ああ、あの二人がやられたんならこれは確かにピンチだ。いくつか想定していた状況の中でも最悪の展開。俺は申し訳無さにこのままログアウトし、消えてしまいたいとさえ思った。
少女の姿をしたレドさんと、タヌキの着ぐるみを着た八丁さんが寄り添うように倒れている様子は、見ようによってはメルヘンチックで、心温まる光景のようにも思える。そのすぐ傍らで、筋肉の鎧をまとった青く巨大な全裸の悪魔が暴れまわっていなければ。
「フジタゲ!」
ガブがボスの股ごしに俺に言った。「フジタゲ」とはおそらく、フジのクソボケいますぐボスのヘイトを自分に向けてターゲットをとれ、ぼーっとしてるんじゃねー殺すぞ、の略だ。はい、すいません、すぐにそうします、と心の中で返事をしながら俺は立ち上がり、盾を構えた。
──さて、どうするか。
ボスは今にも目の前のガブに飛びかかりそうだ。いや、もしかすると狙いはその後ろのミレイかもしれない。当のミレイもそれはわかっているらしく、うかつに動けないでいる。
俺は剣を抜いた。『鎖』のチャージタイムはまだだ。他のスキルも守りのスキル以外はあらかた回しきってる。
とにかくボスの意識をこちらに向け、パーティーが立て直す時間を稼ぐのが先決だ。てか、気絶してる間はスキルがチャージされない仕様なんとかならないのだろうか。エグすぎるだろこのゲーム。
俺は思い切り飛び上がり、運営への憎しみも込めて目の前の青い尻に剣を突き立てた。ほとんどダメージは無いだろうけどこうするしかない。ボスのヘイトをもぎ取るスキルが無い時は最終手段、ヘイトは殴って取る、だ。
無防備な尻に突き刺さった剣は予想以上に効いたらしく、前方に向けて今にも飛びかからんとしていたボスは振り返り俺に視線を向けた。よし、いいぞ。
その隙をついてミレイがレドさんに駆け寄り詠唱を始めるのが見えた。祈りの所作、揺れる金色の髪。ボスの股越しにちらりと目が合う。戦闘中とはいえ、エルフ特有の色素の薄い瞳の美しさに、一瞬心が奪われる。
しかし、俺に向けられたその視線には突き刺すような氷の鋭さがあった。
──フジ、あとで話あるから。
言葉は無くとも瞳がそう物語っていた。変に真面目な分、こういう時はミレイが一番怖い。戦闘が終わったら真っ先に謝ろうと思いながら、俺は再び盾を構えた。言い訳は色々あるがとりあえず頑張るしかない。仕事の失敗は仕事で挽回する。サラリーマンの心得だ。
ボスが繰り出した拳の一撃を俺は盾で防ぐ。続けざまに振り下ろされた二撃目のパンチはくすんだ黄金色の鎧にかすって派手な音を立てた。HPがごっそり減ったが大丈夫。まだ耐えられる。
次。ボスの挙動から攻撃を予測する。ここが大事だ。
呼吸を聞け、視線を読め、モーションをよく見ろ。
その筋肉の躍動がボスの次の動きを示す。殴ってこない。下半身が動く。足だ。俺を踏みつけようと片足を浮かせるのが瞬間的にわかった。
来た。これはかわせる。
すかさず身を横に放り出して回避する。今まで立っていた石畳が砕け散り、四散した破片が辺りに飛ぶ。すぐさま立ち上がり追撃に備えて体勢を整えた。ボスは俺に続けて視線を向けている。
いいぞ、ヘイトは固定、このままあと数秒耐えればミレイの詠唱は終わってレドさんが生き返る。パーティーは立て直し、そのままボスを倒して結果的には万々歳だ。失敗をうやむやにしてやりすごすのもまた、サラリーマンの心得である。
と、思った次の瞬間、ボスの側頭部に炎の矢が当たり爆発した。
あ、ヤバい。
ボスの斜め背後、杖を構えたベルさんが、しまった、という顔をしている。ベルさんの魔法は強力だが、その分敵の怒りが向きやすい。しかも運が良いのか悪いのか、今の一撃はクリティカルヒットした。最悪だ。
案の定、ボスは俺などそっちのけでベルさんの方に向き直った。顔には怒りの表情が浮かび、瞳が真っ赤に燃え上がっていた。見るからに激怒している。ボスは今までご執心だった俺の事など忘れたかのように、ベルさんに向かって咆哮しながら駆け出した。
ボスの激昂とは対照的に、ベルさんは時間が止まったかのように立ち尽くしているが、それは決して恐怖で硬直している訳ではない。いつものこと。ヘッドギアのスペック不足。つまりはただの処理遅延だ。
きっと、彼女の視界では迫り来るボスの動きはカクカクと、お粗末なパラパラ漫画のように断片的に見えているだろう。繰り出される攻撃を見極め、器用に身をかわすなんて期待できそうもない。
ボスの筋肉に隆起した背中が、俺からどんどん遠ざかっていく。
あと五秒、あと五秒で鎖がチャージされるんだ。待ってくれ。待ってくれ。
ボスはベルさんの目前まで迫る。
変わらず動かないベルさん。
もうだめかも。
俺が天を仰いだその時、小さな影が颯爽とボスの前に立ちはだかった。
「食らえ腹筋チョコモナカジャンボ野郎!」
おお、言葉の意味はよくわからないが頼もしい。ベルさんの前に割って入ったガブは懐から小さな玉を取り出し、素早い動きでボスに投げつけた。
ガブの手から放たれたそれは空気を切り裂き、まるで吸い込まれるようにボスの体に直撃し爆発する。同時に中から飛び出した謎のネバネバが、その巨体に絡みつき動きを止める……はずだった。
理想とは違い、ガブの手をすっぽ抜けあらぬ方向に飛んだ玉は、まるで花火のように空中で爆散した。謎のネバネバが辺り一面に放出され、倒れているレドさんと八丁さん、そして詠唱中のミレイに向かって降り注いだ。
「ちょっと!何これ!気持ち悪っ!!」
ミレイが悲鳴をあげ、蘇生呪文の詠唱は中断された。走り抜けるボスに激突され、その小さな体を回転させながらガブは吹っ飛んだ。壁にそのまま打ち付けられ、頭の上に気絶の表示が出る。
「いや~!来ないで~」
やっと動くことが出来たベルさんはボスに追いかけられ、位置取りもめちゃくちゃに逃げ回り始める。
追い討ちをかけるように、死んだままのレドさんがパーティーチャットで「うお!トイレ行って戻ってきたら、どうなってんのこれ!?」と騒ぎだした。どうりでなんか静かだと思った……。
「何なのこれー!取れないんですけどー!」
ミレイはネバネバから逃れようと一人奮闘している。
これはもうだめだ……。
俺はその場で立ち尽くし、縦横無尽に暴れまわるボスの姿を眺めていた。
まるで戦いの終わりを告げるように、八丁さんがポツリと呟く。
「……このネバネバなんか臭い……」
うん、 俺達のギルドは今日も平常運転だ。
【黄金騎士の鎧】ランク:A
絶対王ゼタイの忠臣、伝説の黄金騎士が着用していた鎧、のレプリカ。塗装がすぐ剥げる。本作の主人公、フジも長く愛用している。いつかは本物が欲しい。




