一騎当千
イラスタマイア王国、王城。
謁見の間にて。
「敵軍から何か返答はあったか?」
イラスタマイア現国王、ペタリ・イラスタマイア二世は、外交官に尋ねた。
その声色は至極落ち着き払っており、今日の天気でも聞いているかのような調子だった。
「いいえ。我々からの三度の幸福宣言も、全て無視されております。心なしか、降参を口にするたびに敵の攻勢が激しくなっている様にも見えますね。」
「そうか…実に残念だ。」
王室の誰もが、この国の終わりを確信していた。
そもそも最初から、既に貴族に主権を奪われた形だけの王国。
腐った領主に苦しめられる民を、ただ指をくわえて見ている事しか出来ない張りぼての王政。
相手が根絶やしを望むなら好都合。
もう一層、ここでこの国の膜を閉じよう。
此処に居る誰もが、そう思っていた。
「そういえば、我が息子はどうなった?」
国王が、思い出したように聞く。
「前線の風向きが怪しくなった時点で既に脱出を終わらせておりますので、今頃は遠い異国で平民としての門出を迎えている事でしょう。」
「そうか。それは良かった。」
王はそれだけを聞くと、懐から、紫色の液体で満たされた小さな試験管を取り出した。
「ならばもう、思い残す事は無い。先に行くよ。」
王がそう言って、試験管の栓を開けた瞬間だった。
「失礼します!アシュリー・ヘルヴェチカ公爵令嬢が、国王陛下への謁見を希望との事!」
それを聞いた国王は、自決用の薬を再び懐にしまい込んだ。
「通してくれ。」
「は!」
王は玉座に座りなおす。
周囲に居た者は、恐らく最後になるであろう公務の邪魔をしないように、各々退出していった。
暫くして、謁見の間にアシュリー・ヘルヴェチカが入出してくる。
「火急の要件故、長ったらしい挨拶は省略させていただきますわ。」
「そうか。仕方あるまい。」
終末が、もうすぐそこまで迫ってきている。
今現在起こっている事の全てが火急の用であろうことは、国王も承知していた。
「それで、用件は何だろうか。最後のヘルヴェチカよ。」
「今回は一つ、お願いがありまして馳せ参じましたの。」
「お願い、とな?」
「ええ。わたくしに、陛下の護衛を任せては頂けませんでしょうか。」
「…何だと?」
王は耳を疑った。
騎士学校にすら通っていないただの貴族令嬢が、突然自分の護衛を志願したのだ。
意味不明この上なかった。
「勿論対価は頂戴する予定ですわ。もしも侵略者の手から国王陛下を守り切ったあかつきには、わたくしにあるだけの土全てを下さることを御約束してくださいな。」
「待て!其方は先程から何を言っておる!」
「事態は火急ゆえ、お急ぎの判断を。」
アシュリーは跪くが、その目は王を捉えたままだった。
「…解った。もしも余を、この国を守り切れると言うのであれば、我が国の財産は好きなだけくれてやろう。やってみるが良い。」
答えを聞いたアシュリーは、飛び上がる様に立ち上がった。
「あは!ありがとうございますわ!」
アシュリーはそう言うと、王に背を向け、謁見の間を睨むように佇んだ。
「陛下は自室にて、午後の紅茶でも楽しんでいて下さいまし。少なくともわたくしが倒れるまでは、自死などは考えないで下さいまし。」
「分かっている。」
最初国王は、アシュリーの言う事など一片たりとも信じては居なかった。
然し、アシュリーの紡ぐ言葉の端々から溢れ出る確固たる自信は、決して虚栄による物では無かった。
(なあに。最後に素っ頓狂な駆け遊びに興じたとでも思えばいい。)
アシュリーへの淡い期待を残し、王は謁見の間を後にした、
◇◇◇
マウス・アーノルド軍曹は五十人の兵士を連れて、王城を進んでいた。
既に、城の隅々にまで侵略者の兵士は浸透しており、残るは謁見の間と、そこからのみ繋がる王族の私室のみとなった。
目に入る動くものは例え女子供だろうと全て殺し、行軍の痕跡は物理的に消して回った。
自分達を戦争犯罪で咎める者が、一人残らず居なくなる様に。
(この作戦を成功させて、あの絶対に認めさせてやるんだ。俺が次期将軍に相応しいと!)
マウスの眼前に、謁見の間へと繋がる大きな二枚扉がある。
地下と上空は既に制圧されており、王族の逃亡は確認されていない。
となると必然的に、ターゲットはこの中に居る。
クリアリングもせずに、マウスはその扉を蹴破った。
「貴様らは完全に包囲されている。大人しく投降すれば楽に…」
玉座に、少女が一人。
身体を大きく傾け、頬杖をついて座っていた。
夕日が差し込み、少女のオッドアイと髪の毛が怪しく光っている。
「こんにちは。良い午後ですわね。」
マウスとその兵士達は、一斉に銃口を向ける。
少女は眠たげに侵入者を見るばかりで、その場から動こうともしない。
「貴様が国王には見えない。さしずめ、最後の番人と言った所か。」
「うふふ。ええ、そうね。貴方達は本当に幸運ですわ。」
アシュリーは立ち上がろうと身を起こす。
兵士達が一斉に発砲する。
「最期に見るのがこのわたくし、アシュリー・ヘルヴェチカの美貌で。」
兵士は皆死んだ。
皆、己が撃った銃弾でハチの巣になった。
アシュリーの両手には、赤と青の刀が輝いていた。
「反射?いや違う。【パリィ】か。」
近距離戦でパリィが発揮されるとエネルギーが攻撃者に跳ね返り大きくのけぞるが、傷とまでは行かない。
然し遠距離攻撃をパリィした場合は、攻撃そのものが数倍の速度で攻撃者に戻って来る為、殆どの場合は致命傷となりうる。
最も、銃弾のパリィなど、剣の達人が百回やって一回成功するかどうかと言う難易度である。
「それがそのアーティファクトの力か。」
マウスは銃を捨てると、ポケットから水色の石を取り出し、握り潰す。
するとそこに、大振りな斧が現れた。
「アーティファクトの軍事利用は国際条約で禁じられている。然し例外として、相手が先にアーティファクトを使用した時に限り黙認される。」
マウスは斧を構える。
「さあ…水神の大斧の威力、とくと味わうが良い!」
斧を取り囲む様に水流が現れる。
「これはパリィできまい!【強打】!」
マウスは飛び上がる。
斧に赤い光が宿り、アシュリーを両断せんと振り下ろされる。
十字に交差した二振りの刀が、斧の一撃を受け止める。
そのまま鍔迫り合いにもつれ込んだ。
「貴様のその貧相な刀ごと、真っ二つに叩き切ってやる!」
「随分と乱暴な殿方だ事ですわね。」
アシュリーが少し力を込めると、マウスは斧ごと後方まで吹き飛ばされた。
「それでも、引き金を引くだけの能無し様方よりかは好感が持てますわね。」
アシュリーにとって、銃とはとてもつまらない武器だった。
当てれば相手が死ぬし、当てれなければ自分が死ぬ。
そこには最早技術の良しあしで左右される要素など無く、ただ運がいいかどうかだけでしかなかった。
そんなものを、どうして戦いと言えよう。
「兵器は確かにかっこいいですわ。ですが、兵器による戦いでは、痛みでは、」
窓ガラスが割れる。
遥か彼方よりやって来た大きな銃弾をアシュリーは、紅の刃ではじき返した。
銃弾はそのまま主の所へ帰って行き、狙撃銃と狙撃手の頭を破壊し、遥か天空へと飛んで行った。
「人は、成長出来ないんですの。」
窓枠の下部から顔を出すように、一機の戦闘機が顔を出すように浮上する。
アシュリーに機関銃の銃口を向けた瞬間、中心から真二つに両断され、ばらばらになりながら墜落していった。
「ははは…ああそうさ。兵器なんぞ所詮、人間がアーティファクトを真似て作っただけの欠陥品さ。だが!」
マウスが再び突進してくる。
「俺の部下を能無し呼ばわりした事だけは関心できないな!」
アシュリーに向けて、斧が振り下ろされる。
快活な音を立てて斧は紅の刀によって弾かれ、マウスが体勢を崩している間にアシュリーは徒歩で彼の背後まで移動する。
そのまま、蒼の刀で背中を一太刀。
「ぐあああああああ!?」
背後に回られた事にすら気付かぬまま、マウスは背に深く傷を負い、倒れる。
「確かに、貴方の武器は立派でしたわ。そう、武器だけは。」
「ぐ…」
アシュリーはマウスから斧を取り上げる。
すると斧はボロボロと崩れて行き、最後は水色の石の形に戻った。
「その立派な武器を、水酸化ナトリウムの殻を被せてやっと人並みに扱える貴方はどうだか知りませんが。」
アシュリーの手の中で、アーティファクトを覆っていた水色の殻が解ける様に剥がれ落ちて行き、中からは金の斧のシンボルが彫り込まれた丸い黒曜石が現れた。
「[神斧ガイアペイン]を、ただの概念の入れ物と動力源としてしか使っていないなんて。非効率にも程がありますわ。」
アシュリーはガイアペインをポケットに仕舞うと、マウスの首根っこを掴み、割れた窓から放り投げた。
通常の人間であれば確実に助からない高さだったが、アシュリーには知った事では無かった。
「…ふん。」
アシュリーは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、再び玉座に深く腰掛けた。
その服には、一滴の返り血も無かった。