王都デート
2年に進級したリオスだが、彼の生活は特に変わりはない。
――というわけにはいかない。
まず、リオスが2年になったということは、2年歳上のリュシアは4年の最終学年となっている。
高等学校に進学するにせよ、どこかに弟子入りするにせよ、皆忙しい日々を送っているようだ。
リュシアは進学ということで、より座学に力を入れていた。
なにせ、試験がある。
貴族だからと優遇はなく、幼年学校卒業生の中から文武共に優れた者が選抜される仕組みだ。
リュシアほどであれば心配はいらないとお墨付きをもらってはいるが、そこで油断せずに勉学に励んでいる。
次に、シエラだ。
こちらは2年になる前、1年の末ごろから「流石に実家で過ごす時間が少なすぎました」と、意識的にルキフェル家に戻るようにしていた。
それでも幼年学校入学前とは比べるべくもなく、一緒にいる時間のほうが長いのだが、一度慣れた接触が減るというのは、それなりに寂しいものがある。
とはいえ、実家との交流も大事であることは、リオスも重々承知している。
気持ちの切り替えはうまくやっていくしかない。
そんなわけで、周りの環境が変われば、リオスの行動も自然と変わる。
以前は休みの日にリュシアかシエラ、或いはその両方と王都の散策や観劇を楽しんでいたのだが、現在はひとり。
――正しくは、従者のフィノアだけを連れて観劇を楽しんでいた。
演目は、『夜明けの巨影』。
リオスの父、バルトロメイの初陣の活躍が評価され、その戦果が物語として出版されたものだ。
息子の贔屓目を差し引いても、かなり人気を博しているらしく、こうして演劇としても上演されている。
現役の大魔将の、若き日の初陣の物語。
それが人気の要因であろうか?
「ここの劇団は、役者の演技も演出も良かったね」
「はい。本当に大軍を相手にしている迫力がございました」
拍手の中でリオスは立ち上がり、周囲を見回した。
「フィノ、楽屋口はどこにあるか、調べられるかな」
フィノアは一度だけ瞬きをした。
「……激励をお考えで?」
「うん。劇団の方に直接感想を伝えたい。それに――」
リオスは少しだけ間を置いた。
「父上の話を、こんなにも立派に演じてもらったお礼も」
フィノアは静かに立ち上がり、案内係を捕まえに行った。
翡翠の髪が、劇場の照明を受けて淡く光る。
楽屋口への案内を得て、リオスはフィノアと共に回廊を進んだ。
楽屋口の前には、荷物を運ぶ舞台係が行き来していた。
その一人に声をかけると、しばらくして座長だという壮年の男が姿を見せた。
フォールムの神官を演じた役者と同一人物だと気づくまで、少し時間がかかった。
舞台の上ではいやらしく憎たらしい敵役だったが、素顔は穏やかな目をした初老の人間だった。
「これはこれは……お客様でいらっしゃいますか?」
座長の目が、リオスの纏う衣服の質を一瞬で見抜き、正対した。
リオスは膝を折らず、腰から上だけを丁寧に折った。
貴族の子弟が目下の者に示す礼だ。
「グリムボーン家のリオスと申します。本日は素晴らしい舞台を見せていただきました。
役者の方々、演出の方々に、直接お礼を申し上げたく、無作法を承知で参上いたしました」
座長の表情が、微かに固まった。
グリムボーン、という名前が響いたのだろう。
「グリムボーン……まさか、バルトロメイ大魔将の……?」
「はい。本日の演目に描かれた本人の息子にございます」
一瞬の沈黙。
それから座長は、深く頭を下げた。
「……これは、光栄の極みでございます」
しわがれた、しかしよく通る声だった。
舞台で鍛えた喉の強さが、素のひと言にも滲んでいる。
「父上の初陣の話は、幼い頃から幾度も読み聞きしておりました。
その物語がこうして、これほど力強く、生き生きと舞台の上に立っているのを見られるとは……」
リオスはそこで言葉を止め、座長の顔を真っ直ぐ見た。
「主演の方が最後に上げた剣の角度が、父上の癖と全く同じだったのが、特に印象に残っています。
どのように調べられたのでしょう?」
座長の目が、丸くなった。
感嘆とも驚愕ともつかない表情だった。
「……実は、大魔将殿の古い戦友の方に、幾度かお話を伺いまして」
「そうでしたか。その方々のお話が、あれほど正確に再現されていたとは……
本当に、良い舞台でした」
もう一度、腰を折る。
座長は黙って受け取り、胸に手を当てて礼を返した。
◇
劇場の外へ出た後は、特に目的は決めていなかった。
フィノアが隣にいる。
主従として並ぶ時には半歩後ろが定位置なのだが、今日は人が多いからという理由をつけ、リオスの横についていた。
長い髪が夕暮れの空気の色に溶けている。
「フィノ、今日は付き合わせてごめん」
「なぜ謝られるのですか、リオス様。お供するのはわたくしの役目です」
「役目だとしても、休みの日にずっと付き合ってもらうのは……」
「リオス様」
フィノアが歩を緩め、視線をリオスに向けた。
黄緑の瞳が、夕日に透けてほんの少し明るい色をしていた。
「わたくしは、今日のような日を楽しんでおります」
それだけ言って、また前を向いた。
足音が石畳に落ちる。
リオスはしばらく黙って歩き、やがて人通りの少ない通りに折れた。
正面に、小さな菓子屋の看板が見えた。飾り気のない板に、ただ「焼き菓子」とだけ書いてある。
「入ってみようか」
「……あら、リオス様が甘いものを」
「たまには、いいでしょ」
店内は天井が低く、棚に積まれた紙袋から甘い香りが染み出ていた。
バターと砂糖を焦がしたような、鼻の奥を温める匂い。
リオスは棚を一通り眺め、焼き芋に似た形の小さな菓子を二袋頼んだ。
受け取った袋から甘い湯気が上がる。
「リオス様、お毒見は……」
「無粋だよ、それに……」
それ以上リオスは言わなかった。
勇者の力か、単に個人の特性か。
リオスは毒の類にかなり強い耐性を持っていると、自覚しつつあった。
リオスは1つ摘まんで口に入れた。
外側はかりっとして、中は柔らかく、蜂蜜に似た甘さが喉の奥に落ちた。
「美味しい」
「……はい」
フィノアも1口食べて、視線を前に向けた。
その横顔は、普段の控えめな従者の顔とも、夜の顔とも違う。
何かを考えているような、ただただ穏やかな顔だった。
王都の夕暮れが、2人の影を石畳に長く伸ばしていた。
通りの向こうから楽器の音が聞こえてくる。
辻音楽師が何かを弾いているらしく、旋律は風に揺れながら遠くなったり近くなったりした。
「リオス様」
「うん?」
「今日の演目の最後、客席から見上げていたリオス様のお顔は……」
フィノアは言葉を選ぶように、少し間を空けた。
「とても穏やかなお顔でした。誇らしそうというのとも、少し違って……」
リオスは答えなかった。
答えの代わりに、袋の中から菓子をひとつ取り出し、フィノアの方へ差し出した。
「もう一個、食べなよ」
フィノアは一瞬だけ目を細め、それからそっと受け取った。
夜が来る前の、石畳が橙に染まる時間。
2人は特に急がず、特に語らず、王都の路地を歩いていた。




