1組 VS 8組②
根を踏み越え、枝をかいくぐり、カエリウスは森の中を走っていた。
木々の間を抜けるたびに、光が明滅する。
頭上の葉が風に揺れるたびに、地面に落ちる光の形が変わる。
足元は読みにくい。落ち葉の下に石が潜んでいたり、根が思わぬ方向に張り出していたりする。
それでも速度は落とさなかった。
枝が顔の高さに張り出していれば、首をすくめてかわす。
足元の根を踏んで体が揺れれば、腕を振って立て直す。
そうして、また走る。
呼吸が、口の中で湿った空気と混ざる。
腐葉土の匂い。青くさい草の匂い。どこかで水が染み出しているような、冷えた土の匂い。
汗が首筋を伝い、顎の先から落ちた。
(高貴なデーモン族であるこの俺が、こんな場所を――っ!)
だが、それは避けては通れない。
あの屈辱の敗北の後、何度かリオスに挑んだ。
それこそ、3日と空けずに挑んだ時期もあった。
その度に返り討ちにあっていたが、カエリウスは挑み続けた。
よく言えば、不屈。
実態は、単にしつこい。執念深い。と呼ばれる類の性格だった。
だが、それがよくなかった。
あまりに頻繁に決闘を挑んだため、ある時、決闘を管理する生徒会から規制を食らった。
――次に負ければ、1年間決闘禁止。
そして、カエリウスは敗れ、1年もの間決闘を禁じられた。
だが、対抗戦ならば別だ。決闘ではない。
リオスと直接対決で倒せば、善し。
直接対決が叶わずとも、カエリウス自身が宝珠を割れば、名誉は挽回できる。
カエリウスはこの機会を待ち望み、力をつけていた。
積み重ねた数ヶ月が、今日のためにある。
体術の切れも、魔法の練度も、決闘を繰り返していたときとは別物だ。
木の幹が目の前に迫った。右に体を傾けてかわす。
足元で枯れ枝が折れ、乾いた音が森に響いた。
その音が消えないうちに、また走る。
斜面が急になった。
傾斜に合わせて重心を落とし、木の幹を片手で押しながら体を前に運ぶ。
膝が上がるたびに、腿の前が張ってくる。
どこかで鳥が鳴いて、すぐに止んだ。
木々の密度が増すにつれて、森の奥が暗くなっていく。
光の筋が細くなり、地面の緑が濃くなり、湿気が肌に絡みつく。
土の匂いに混じって、青くさい、植物の生臭さが鼻に届いた。
カエリウスは足元に目をやった。
根が複雑に絡み合い、地面の形が読みにくくなっている。
速度を落とさずに走り続けるには、次の一歩を常に読んでいなければならない。
視線を前と足元で行き来させて走る。
だが、足が止まった。
地面から這い出た根が足首に絡み、体が前に泳ぐ。
視線が落ちる。その瞬間を待ち構えていたように――
矢が来た。
辛うじて、体を横へ逃がした。
木の幹に硬い衝突音が響く。
訓練用の、先を丸めた木製の矢が、幹に当たって落ちた。
カエリウスは奥歯を噛み、立て直した体勢のまま、木々の間を見渡した。
どこにもいない。羽音もない。上を見ても、葉の隙間しか見えなかった。
3度目だった。
カエリウスが脚を取られて体勢を崩したところに、上空からの矢。
ミーティングでクレイスが言っていたことを、カエリウスは思い出した。
アルラウネが植物魔法で足止めしていると。
(阿呆くさい戦法だと思っていたが……)
実際に食らうと、話に聞いて想定していた以上に厄介だった。
「おい」
カエリウスが声を上げた。
「隠れてないで出てこい。お前らが動かしてるんだろうが」
返事はなかった。
当然だ。出てくるわけがない。
正面から姿を現して勝てる算段があるなら、最初からそうしているだろう。
返事の代わりに、細い蔓が迫ってきた。
カエリウスは木剣でそれを払い、横へ跳んだ。
(遅い)
逆側からも来た。今度は手で掴んで引きちぎる。
刃のない木剣では切れないが、素手で容易く引きちぎることはできる。
だが、また来る。
どれだけ引きちぎっても、また別の蔓が伸びてくる。
足元をうろちょろと這いずり、くるぶしに絡もうとしてくる。
(うっとうしい……っ)
苛立ちがつのる。
ダメージは全くないが、虫を払うような動作を延々と繰り返させられる。
それが不快だった。
しかも、放っておけば、いかに細い蔓といえど、何本にも巻かれれば危ないことは、カエリウスにも分かっていた。
さらには、太い蔓が巻きついてきた。
反射的に両腕で押さえる間もなく、腕と胴をひと巻きされた。
締め付けてくる力は、さほど強くない。
カエリウスは息を吸い、腹に力を入れ、両腕を外へ広げて蔓を引きちぎった。
しかし、蔓はまだまだ襲ってくる。
どれだけ対処しようと、術者は無事なのだから、当然ではある。
(……いい加減にしろ!)
こういうやり方で疲弊させるつもりなのだ。
延々と、蔓を相手に無駄な動きを繰り返させる。
腹の底で、じりじりとした熱が燻っている。
(……姿が見えなければ、炙り出せばいい)
今日のために鍛錬していたのは、剣だけではなかった。
カエリウスは右手を前に突き出し、魔力を掌に集めた。
「炎よ――」
掌から、橙色の塊が弾け出た。
狙いは茂みの奥。
本来狙った場所とは違った場所に着弾したが、同じことだ。
枝葉に触れた瞬間、炎が歓声を上げるように広がった。
(やれる――!)
頭の中で蟲が這い回るような頭痛を抱えながらも、カエリウスは必勝を確信した。
だが、それは次の瞬間に崩れた。
火のついた枝葉が、ぱちぱちと火の粉を散らしながら――動いている。
木から垂れ下がって伸びていた蔓が、炎を纏ったまま、こちらへ向かって這い寄ってくる。
(……なんだ、これ)
退く間もなかった。
燃える蔓が、視界の左右から同時に迫る。
熱が頬を打った。焦げた草の臭いが鼻を衝く。
いくつもの炎が、生き物のように軌道を変えて絡みついてくる。
「しまっ……!」
自分で放った火を纏って蔓が襲ってくる。
植物など、焼いてしまえばいいという短絡的な思考が、逆に敵に利することになってしまったのだ。
カエリウスは、腰からナイフを抜いた。
刃のついた本物だ。
流石に、生徒同士の戦闘で振るうことは許されていないが、それ以外の工作などで使用することは問題ないものだ。
これも戦闘といえば戦闘だが、木剣で対処できるものではない。
ナイフで襲い掛かる蔓を切断してゆく。
どうやら、その使い方は教員の想定内らしく、ペナルティのアナウンスはない。
カエリウスは次々と襲い来る炎を纏った蔓を切り捨てていた。
「――おかしい」
カエリウスが火をつけた一帯とは別の方向からも、火を纏った蔓が襲い掛かってくるのだ。
何が起こっているのか目を走らせると、あろうことか、蔓が火を拡げていた。
「イカれてんのか? 8組のヤツは!」
恐怖にも似た困惑がカエリウスを支配した。
火をつけられたからと言って、それを延焼させようとするなど、正気の沙汰ではない。
「――ッ」
歯を食いしばって、構えを立て直す。
燃える蔓はまだ動いていた。踏みつけた先端が地面をのたうち、靴底を焦がす匂いが立ちのぼる。
(多い。だが、斬れる)
カエリウスの動きは速かった。
一本斬れば次が来る。それも斬る。また来る。また斬る。
デーモン族の膂力がある。腕は疲れない。速度は落ちない。
数で押してくるなら、手数で押し返せばいい。
右から。斬る。
頭上から垂れてくる。払う。
地面を這うやつが足元を狙う。踏み砕く。
周囲が明るくなっていた。
草が燃え、低木が燃え、足元の落ち葉まで火を拾って広がっていく。
煙が薄く漂い、空気が乾いた焦げ臭さに塗り替えられていく。
目の奥がじりじりと痛んだ。
それでも、カエリウスの剣は止まらなかった。
(追いつかない。俺の方が速い)
燃える蔓を相手に、カエリウスは確かに優位に立っていた。
斬り払うたびに数が減る。新しく伸びてくる速度より、斬り捨てる速度が上回っている。
幾度かの攻防の果てに、カエリウスは燃える茂みを睨んだ。
炎が広がったことで、遮るものが減った。
煙の向こう、奥の方まで、視線が通るようになっていた。
そこに。
木の根元に、うずくまる影があった。
深紅の髪。女と見紛う細い体。
両手を地面に押し当て、何かに集中している。
リコリスだった。
(そこだ)
カエリウスは猛然とリコリスへと向かった。
燃える蔓が、また左から来た。斬り払う。
右からも来た。踏み砕く。
頭上から垂れてくるやつは、肩で受けて引きちぎった。熱が肩口を焼いたが、足は止めなかった。
十数歩の距離が、縮まっていく。
リコリスはまだ気づいていないのか。地面に手をつけたまま、眉間に皺を寄せて集中している。
小さな指先に、細く魔力の光が宿っている。
あれが切れれば、蔓が止まる。
カエリウスは最後の燃える蔓を一本斬り飛ばし、地面を蹴った。
リコリスが顔を上げた。目が合う。
「――っ」
立ち上がりかけた瞬間、カエリウスの木剣が振り下ろされていた。
鈍い衝撃音。
リコリスの体が地面に倒れた。
『8組、リコリス、脱落』
その声が、煙の向こうから聞こえた。
同時に、燃える蔓の動きが止まった。
這いずっていた炎が、方向を失って揺れ、地面に落ちてくすぶり始める。
静かになった。
カエリウスは荒い呼吸を整えながら、剣を下ろした。
腕が重い。肩が熱い。足元に、焦げた草の残骸が散らばっている。
(あとはリオスを見つければいい。宝珠を破壊すればいい)
それだけが、頭にあった。
(――だが、少し休憩だ……)
そうして息を吐きだしたときに、背中に衝撃があった。
気づいた瞬間には、もう遅かった。
足元に、先が丸められた矢が落ちている。
空を見た。
ユルルが、弓を下ろしているところだった。
『1組、カエリウス、脱落。火は消すぞ』
声と共に、炎が消えた。
カエリウスの出した炎など、職員には造作もなく消せる程度のものだったのだ。
(くそっ! ……どいつもこいつも……)
こうして、カエリウスのリベンジは、リオスに会うこともなく幕を閉じた。




