7
入場を終え、アーサーと共に用意された席に向かう間のアイリスは、表面上は笑顔でも、内心では蒼白の思いだった。
――やってしまった。
アイリスの心情は自責の念一色だった。
皆が注目する大階段からの入場場面で、足を滑らせ段を踏み外し、危うく転びそうになるところを伝令役の彼に受け止めてもらった。負傷もなく大きな事故にもならなかったが、会場の参加者たちに様々な印象を植え付けた事だろう。
(あんな危なっかしい側近で姫様を守れるのか。――そう思われたに違いないわ。どうしよう。ああ、私ってばなんてことを)
事が起こった時のどよめきが耳に沁みついて離れない。一斉に向けられた視線の意味を考えると、背筋が凍る勢いだった。脳内を巡る混乱の思いが、段々と彼女を俯かせる。
何より一番に感じた事は、パートナーの彼に対してだった。
彼女は家族も親戚もいないので、舞踏会でのパートナーは同じ王族付き部下であるアーサーと事前に決められた。立場上、王子と姫の側近同士が望ましいとも考えられたが、オルトレンには妻がいたので、独身で同じく家族の居ない彼が引き受けたのだ。これにはアイリスも安堵した。どこの誰とも知らない男性相手では輪を掛けて緊張したことだろう。
(それなのに、私のせいで彼に恥をかかせる事になってしまった)
自分の失態のせいで彼にも悪い印象を与えたのではないかと彼女は考えた。最も、彼はこうした貴族の交流の場に出ることをあまり好んでいない。自分のパートナーに選ばれたせいで無理をして参加しているのに、嫌な思いをさせてしまった。
「アイリス」
「で、伝令殿……」
席に着くと横からぽつりと声を掛けられ、はっと我に返る。落ち込んでいる場合ではない。彼に申し訳ない事をしたのだ。謝罪をしなければ。
「申し訳あ」
「その靴、脱げ」
「え?」
きょとん、としているアイリスに構わず、アーサーは近くに控えていた給仕を呼び、何かを言い付けた。頷いた給仕はさっとその場から去り、その背を見送ると再び彼女に向き直る。
合わさったその瞳は彼女を責める様なものではなく、どこか心配そうな色を携えていた。
「どこも怪我してないな?」
「あ、は、はい」
「……本当に?」
「本当です」
じっと覗き込む様な眼差しに首を傾げると、「お前はすぐ隠そうとするだろ」と言葉が付け足された。自分がそう思われている事に驚きつつも、アイリスは再度無事であることを伝えた。そうするとアーサーがほっと肩の力を抜いたかと思えば、苦虫を噛み潰したかのような渋い表情を見せた。
どうしたのかと思っている間に、先程見送ったばかりの給仕が戻って来た。手には何やら布を被せた箱を持っており、アイリスの足元に跪くとその布を取り払う。
箱のふたを開けると、一足の靴が入っていた。
「これは?」
「用意させておいた。安心しろ。お前が今履いているのと同じ型だ」
驚いて隣の彼を見る。どういうことなのかと訴えてくる彼女の視線に答える様に、その口を開いた。
「お前のその靴、ヒールの根元が剥がれかかってるだろ。だから転びそうになったんだ」
思わずドレスの裾を少しだけ上げて、今履いている銀の靴を見やった。すると彼の言ったように、確かにヒールが剥がれかかっている様が映る。
――ドレスと一緒に姫が用意してくれた新しい靴の筈なのだが。
疑問に思いながら靴を履き替え、元々履いていた靴を給仕が持ち帰るその背を見送る。
「気のせいだといいんだがな」
ぽつりと呟いたアーサーの言葉に反応して、アイリスはざっと会場を眺める。
次は王子と姫の入場を控えており、間が開いた時間となっている。照明を少し落とした状態で、参加者たちは近くの席の者と雑談を楽しんでいる。皆にこやかな笑顔を携えており、華やかな風景が広がっていた。
ふっと。会場内が一段階暗くなり、大階段の上場にぱっと照明が当てられる。
わっと会場から歓声が上がる中、現れたのは、フォルモンド王子とステラ姫だった。
紺と金を基調としたテールコートの裾をふわりとはためかせ、白い手袋をはめた手で姫をエスコートする。胸元には黄金に似た朝日色の石を嵌めこんだエンブレムを宿しており、金髪の合間に覗くのは王家の証である耳飾である。たっぷりとしたマントは赤と黒の地に金の糸で細やかな刺繍を入れていた。華やかで知的な正装である。
そんなフォルモンド王子に手を引かれ、ドレスの裾を持ち上げながら階段を降り始めるステラ姫は、海の色を模したような碧色の地に、彩り鮮やかな熱帯魚をイメージした華やかな柄を入れた愛らしいドレスを身に纏っていた。髪は美しい金色の長い髪を二つに纏め、珊瑚の髪飾りを挿している。目元には真珠のような煌めきの色を挿しており、まさに全身で南国の海を可愛らしく表現している。見ていて楽しいドレスだった。
煌びやかな二人の登場に会場の視線が集まる。無論、アーサーもアイリスも二人に注目していた。
すると、階段の途中で二人はぴたりと止まった。会場からは不思議そうな声が次々と上がる。そんな中で、アイリスは姫と視線がばちりと重なった。
かと思えば姫はアイリスに向かって満面の笑みを向ける。その笑みが持つ意味が分からず瞬きをしていると、次の瞬間、姫がとんでもない行動に出た。
「えいっ」
「!?」
なんと、可愛らしい掛け声と共に、姫が地を蹴ったのである。
会場全員の顔が蒼白になった。
(姫様、何を――!?)
側近として主の危機に反応して、思わずガタリと立ち上がる。その恰好で階段を飛び降りる様な真似をするなんて、危険以外の何物でもなかった。
だが、アイリスが駆けだそうとしたその時。姫はふわりと別の腕の中に収まったのである。
「――殿下」
姫を易々と受け止めて見せたのはフォルモンド王子だった。小柄な姫をすっぽりとその腕に収め、抱き上げる。
「まったく。お茶目さんだな、ステラは」
「ごめんなさいお兄様」
にこやかにそう言うと王子は姫を抱き直し、抱き上げたままに階段を降り始めた。紳士的な王子の行動に喜ぶ令嬢たちの黄色い悲鳴があちこちで上がる中、姫はにっこりと笑みを浮かべたまま王子に身を任せる。見目麗しい二人のその光景は、まるでおとぎ話の一場面を見ているような気分だった。
しかしアイリスとアーサーには伝わった。彼らのその行動は意図的なものだと。
「相変わらず只者じゃねーよな、あの姫さんも」
「本当に、有り難い事です……」
姫はきっと、先程のアイリスたちのやり取りを見ていたのだろう。そしてきっと察したのだ。会場の視線が躓いたアイリスに注目してしまうことも、失態を犯してしまったとアイリスが自分を責めることも。
だからあのような、わざと階段から飛び降りるような行動を取ったのだ。会場の視線をアイリスから逸らして自分に集め、話題を掻っ攫うために。
階段を降り終えて共に一礼した王子と姫が用意された席に誘導される間、アイリスは王子と眼が合った。一瞬だけふっと目元を緩ませた王子に、アイリスは目礼をした。隣では姫がにっこりと微笑んでいた。この舞踏会が終わったら、改めてお礼を言わなければ。
この後、国王と王妃が登場し、舞踏会の開会を宣言した。
湧きあがる歓声に包まれ、アイリスはいよいよだ、と表情を引き締める。この日のために今まで練習を重ねてきたのだ。不安はあるが、精一杯身を尽くすのみだ。
「最初の曲はパートナーと踊るのが通例だ。俺とのダンスは練習だと思って、楽にやるといい」
「伝令殿……」
「ああ。あとそれもだな」
見降ろしてくる彼を見上げると、どこか不機嫌そうに眉を潜めた表情が目に入る。まるで拗ねた子供の様なそれに似ていて、ぱちりと瞬きをした。
「今日だけとはいえ、俺はお前のパートナーなんだぜ?その呼び方、何とかしろっての」
「あ……そ、そうですね」
「ほら練習」
顔を覗きこんでくる彼との距離が近くて、少しだけ身を引く。すると逃がさんとばかりに腰を掴まれた。「早くしねーと始まっちまうぞ」と急かされて、縺れそうな舌を転がして彼の名を紡ぐ。
「アーサー、様」
「堅い。様はいらねえ」
「……アーサー」
言い直すと、彼の表情がふっと和らいだ。アイリスは目を瞠った。彼のこんな表情、今まで見た事が無い。
「ん、上出来」
腰から離したその手ですくい上げる様にアイリスの手を取る。労わるかのように優しく包み込んで、そっと手を引いた。「いくぞ」と短く言う言葉がどこかぶっきら棒なのに、その動作は普段の彼からは想像もつかないほど、丁寧なエスコートだった。
「もし転びそうになったら、遠慮なんかしねーで俺に掴まれよ」
ダンスホールに向かう途中、耳元で小さくそう囁かれた。低い声と吐息を直に感じ、ぞくりと背が震える。同時にこみ上げてくる熱のやり場に困って俯くと、制されるように繋いだ手に力が籠められた。
「さっきみたいに、守ってやる」
それを聞いて頬を微かに染めた彼女を横目にして、アーサーはどこか満足そうに笑みを浮かべたのだった。
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伝令殿のターンが続いておりますが、皆さまは好みの男性とか既にいらっしゃるのでしょうか……。どきどき。
あまり大きな盛り上がりのない展開ばかりで物足りないかもしれませんが、微糖の中に一瞬だけ甘さが増す様な、そんな物語になれば良いと思っております。よろしくお付き合い下さい。
そしてそして、今年もお世話になりました。来年もどうぞ側近殿を見守ってやって下さい。




