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「この度、明日の舞踏会において、会場警備の任務に当たることになりました」
アイリスが舞踏会に参加する命を受けてから日が経ち、いよいよ明日が舞踏会本番となった。
前日の夜である今も訓練場には変わらず二人の姿がある。剣を暫し交えた後、休憩中にかわされる会話でフレントールが汗を拭きながらそう口にした。
「では、もしかすると会場でお会いするかもしれませんね。配置はどちらになるのですか?」
「主に会場の南の警備にあたりますが、細かい配置は他の騎士と交代で入れ替わりながら行う予定です。正装になりますので甲冑を着ますし、側近殿が私を見つけ出すのは難しいかもしれません」
フレントールは苦笑するが、「しかし」と視線をアイリスに寄越した。その表情はどこか期待に満ち溢れている。
「会話は叶わずとも、貴女のドレス姿を拝させて頂く機会があるかもしれません。貴女が踊る姿も」
楽しみだと目を細めるフレントールの台詞に、アイリスは微かに頬を染めた。そして眉尻を下げ、肩を落として溜息を吐いた。
「そこまで注目するほど、大層なものではありませんよ?」
ダンスの練習は毎日欠かさず行ってきた。上達はしたし、ステップは完璧に覚えたものの、毎年経験している貴族の令嬢たちには敵わない出来だ。ドレスだって、姫が素晴らしいのを選んでくれたが、どうにも“着られている”感じがしてならない。高いヒールだって未だに慣れない。明日の本番で転ばないか、裾を踏まないか、不安すぎて仕方がないのだ。「国を立てるため」と王子は言ったが、これでは国に泥を塗ってしまうかもしれない。緊張で今から震えが止まらなかった。
表情に影が差した彼女の緊張を感じ取り、彼はその顔を覗きこんだ。突然目の前に現れたその顔に驚いて目を丸くするアイリスに、フレントールは微笑みかける。
「大丈夫ですよ」
「……騎士様」
「毎日筋肉痛に悩まされながらも、ひたむきに練習に励んできた。そんな貴女を毎晩見てきたこの私が、保証します」
ですからどうか、楽しんで下さい。
ふわりと微笑んだフレントールの言葉が胸にすとんと落ち、彼女は素直に頷いた。
稽古が終了し、別れる前にそう言い残した彼の言葉をベッドの中で思い出し、アイリスは肩の力を抜いた状態で眠りに着くことが出来た。
***
そして、舞踏会当日。
城の門前に貴族達が乗った馬車が次々とやって来る。騎士達が一人一人対応し、会場へ誘導案内していく。その一連の流れが各々行われている様子を部屋の窓からちらりと見つつ、窓際で頬杖をついていたアーサーは短く息を吐いた。
普段の動きやすさを重視した服と異なり、本日の彼は式用の正装をしていた。長めの髪は一つに高く纏め上げ、首元は詰襟だ。白い手袋を嵌め、胸元には王家に忠誠を誓った証として、王子直属の部下であることを示す夕日色の丸石を埋め込んだ装飾を宿している。
「見違えたな」
控室に入ってきたオルトレンがそんなアーサーを見て冷やかしを入れた。それに文句を言うわけでもなく、ただ彼に一瞥を送ると、アーサーは無言で襟の釦を緩め始めた。
「おいおい、外すなよ」
「今だけだ。苦しくて仕方ねーんだよ」
それより、とアーサーはオルトレンの服装――基本はアーサーと同じ形の、色違いの正装である――をしげしげと見やり、最後に左手を見て続けた。
「嫁さん迎えに行かなくていいのか?あと一刻で始まるんだろ?」
オルトレンの左手の薬指にある輝きが示す通り、彼は既婚者であった。故に彼のパートナーは当然妻となる。
舞踏会における参加者達の入場は、男性がパートナーである女性をエスコートする形で行われるのだ。パートナーを誰にするかは本人達の自由だが、未婚者には兄弟や従兄弟が、既婚者にはその伴侶が、というのが通例であった。
「これから向かうつもりだよ。君こそ、そろそろ迎えに行った方がいいんじゃないか?」
手元に出した懐中時計を見ながらオルトレンがそう促す。それに対して何を言うわけでもなく、アーサーは踵を返して部屋を出ていった。
その背を、これから彼が誰を迎えに行くのか知っていたオルトレンは、どこか楽しそうに見つめて送りだしたのだった。
外の景色を見つめながら目的地までの距離を渋々歩く様は気だるげであるが、彼自身、内心では静かにこみ上げてくる感覚に戸惑っていた。
常ならば舞踏会などという貴族の行事は面倒以外の何物でもなかったものの、今日に限っては、どこかで楽しみにしている自分がいる。それに気付いた時というのは目的地である部屋の扉の前に立った時で、目の前のドアに向かって無意識に舌打ちをしてしまった。自分らしくない、いつになくそわそわしていることに苛ついて。
それでも、今日彼には、重大な役割があった。
ノックをして中から入室の許可を示す声をもらい、少し間を空けてドアノブを回した。
目に飛び込んできたのは、洗練された銀混じりの深い青色だ。
開けた部屋の中央で大きな鏡とにらめっこしている、その色を纏った彼女を見て、思わず息を吞む。
「伝令殿」
こちらを見てぱっと目を開いた彼女の表情が綻び、彼は現実に引き戻された気がした。小さくひとつ咳払いをして、なんとも言えぬ表情を見せながら彼女に歩み寄る。
「……」
目の前まで来るとぴたりと足を止め、思わず上から下まで視線を巡らせた。
彼女が着ていたのは、深い青色の、所々に銀色を散りばめた上品なドレスだった。肩は出し、腰元を絞った形で、細身な割には裾にたっぷりと布を使っているので華やかさに欠けることは無い。髪は一部を垂らして緩く纏め上げられており、白と銀色の花飾りが一つ挿してある。派手ではないが、落ち着いていて、聡明な彼女の魅力を引き出すのにはぴったりの、美しい装いであった。
彼の視線の意図に気付いた彼女は苦笑して、裾を持ち上げた。
「姫様がお選び下さったドレスです。髪は、メイド達が仕上げてくれました。……もったいない事です」
恐縮そうに眉尻を下げたその表情を見て、思わず手が伸びていた。彼の指先は俯きがちな彼女の頬に触れ、そっと顔を上げさせる。
肩から辿る首元には銀のネックレス。その下に出された鎖骨のライン。今までに見た他の令嬢よりも控えめだが、しっかりと化粧が施されている。微かに色を挿してある目元と、潤いを持たせた唇。
指が触れたことに驚いた瞳と視線が絡まって、何と言えばいいのか分からなくなった。
ただ、美しいとしか。思えずに。
「伝令殿?」
声に引き戻され、アーサーは無理矢理瞬きを一つした。そして一つ深く息を吐いて、「いや」と頭を振る。触れていた指も不自然に思われないように離し、口端を上げた。
「あー……、いつもと全然違うから驚いた」
「私もなんだか落ち着きません。ドレスなんて、初めてで」
胸元に手を置いた彼女の言葉に、ぴくりと微かに身体が動く。
つまり、彼女のドレス姿を見た男は、自分が初めてなのか、と。
思った時には胸に湧きあがる熱を感じ、気付いた時には自然と言葉が口から零れていた。
「よく似合ってる」
その言葉に、アイリスが驚き目を丸くする。直後、かーっと頬を染めてさっと俯いた。
普段着飾ることも少ない彼女の境遇を考えれば、こうしてめかし込んだ姿を男に褒められた経験も無いに等しいのだろう。世間の令嬢たちならば当たり前のことを。
(それを考えると不謹慎かもしれないが、これはこれで、ラッキーだったのかもな)
凛々しい普段の彼女からは想像できない反応に、アーサーは胸の内を擽られるかのような感覚を覚えた。決して悪くない、と思えるほどの、自分だけにしか味わえない様なものだ。
(俺が最初、か)
それは、可愛らしいと思う感覚に似た、こそばゆい感情だった。




