第十二話 二人だけの時間……
二
十二月十九日、日曜日。
鏡華は兄の機嫌の良さに呆気に取られていた。昨日の夜はなにかソワソワしており、忠陽の自室から変なうめき声のようなものが聞こえていた。それだけに何かがおかしいと女の直感がそう告げていた。
「ねえ、陽兄。今日はどこかに行くの?」
朝食のなか、鏡華は忠陽に問う。
「鞘夏さんと買い物に行くだけだよ」
「そう……」
鏡華はジトーっと鞘夏を見ると、鞘夏は顔を背ける。
「何しに行くのよ?」
「買い物だよ。年末は母さんのところに帰るだろう? その前に必要なものだけを買っておくんだ」
「速くない? 来週でもいいじゃん」
「来週だと忙しくなるだろう? それよりもちゃんと部屋の掃除をしろよ。僕は嫌だぞ、鏡華の部屋、掃除するの」
鏡華は顔を赤くする。
「はあ!? 何言ってんの!! 入れるわけ無いじゃん!」
「とか言って、泣きついてきても知らないからな」
「いいもん! 鞘夏に頼むから!」
「鞘夏さんだって生徒会とかあって忙しいんだ。自分でやれることは自分でやるんだっ」
鏡華は頬を膨らませる。
「そんな顔をしても駄目だぞ。ちゃんと、掃除をすれば生誕祭のときにニコラウスおじさんからプレゼントが貰えるかもよ」
鏡華は鼻で笑う。
「なにそれ、馬鹿にしてんの? 今どき中学生が、ニコラウスおじさんの存在を信じてると思ってるの?」
「神宮さんはたぶん信じているよ」
「なんで、由美子さんが出るのよー」
「小学生の頃の鏡華は本当に信じてたよなー。大きな靴下作って、母さんに――」
鏡華は突然大声を上げ、忠陽の言葉を消す。
「バッカじゃないの! あれは若気の至りよ!」
「そうか。あの頃の鏡華はもう居ないのか……」
忠陽は淋しげに天井を見上げる。
「う、うるさいわね!」
鞘夏は二人のやり取りを微笑むも、鏡華に睨まれて、そっぽを向く。
「鏡華、来週の生誕祭、友達を呼んだら?」
「えっ?」
鏡華は驚いた顔をする。
「今日、鞘夏さんと飾り付けやら何やら買ってくるから」
「生誕祭パーティーやるの?」
「やるよ。ツリーは流石に買えないけど、おもちゃみたいなやつを買ってくる」
「本当!?」
「ああ、本当さ。だから、大きな靴下、用意してたほうがいいぞ」
「もう、また馬鹿にして……」
「それと、神宮さんやこの前の学戦リーグメンバーも呼ぶつもりだよ」
「由美子さん来るの!?」
「まだ決まったわけじゃないけど、来たときに慌てないように部屋は掃除するだぞ」
「分かってるわよ! 由美子さんにあんな部屋、見せらんないわよ!」
忠陽と鞘夏はただただ笑っていた。
鏡華は朝食を食べ終わると、食器を洗い場に置く。部屋に戻り、服を着替えて、すぐに出かけていった。
鞘夏と忠陽は朝食の食器を二人で洗っていた。無言のままは忠陽が洗い、鞘夏がそれをふきんで拭いて、乾燥機に入れる。息のあった連携は外から見ると夫婦に見える。
洗い物が終わり、忠陽が手に付いた洗剤を落とし、手についたタオルで拭う。後ろを振り返ると、鞘夏がハンドクリームを持って立っていた。
「陽くん、これ……。冬になるとあかぎれを起こしやすいから……」
「ありがとう、鞘夏」
忠陽は喜んでハンドクリームを受け取り、蓋を開けて、自分の手に塗る。それを塗っただけでなんだか手が温かい気持ちがした。
二人は中央街の外れにあるショッピングセンターが開店するまで、リビングでくつろいでいた。会話らしい会話はないが、テレビを見ながら同じ時間を共有しているかのようであった。テレビの情報番組の漫才で二人は同時にくすりと笑い、美味しそうなスイーツがあると、二人で見合い食べてみようと合図を送る。そろそろ開店時間が近くなると、忠陽は立ち上がり、自室に行く。鞘夏もそれを見て、何となく出かけるのだと思い、支度をする。
二人の中で何故か通じ合っており、言葉が少なくともそれだけで鞘夏は満足だった。
鞘夏は青い色のデニム生地のロングスカートに、ベージュのセーターと十代にしては落ち着いたものだった。そこにピンクのアウターコートを着ると、可愛らしさが加わり、鞘夏の魅力を引き立てる。
鞘夏のその姿を、黒のダウンジャケットを来た忠陽が鞘夏を見て、呆然となった。
鞘夏はさっきまでは違い、忠陽の心が分からず、戸惑う。
「どうかされましたか?」
「ううん。ただ、かわいいと思ったんだ」
鞘夏は目を逸らす。
「ピンクのコートはゆみさんからお下がりで貰ったの……。スカートは鏡華様が選んでくれた……」
「鏡華が?」
「この前、お買い物に同行したとき……。私には似合うから着てみなさいって……」
忠陽は二人の服を選ぶ姿が目に浮かび喜ぶ。
「鞘夏、似合ってるよ」
鞘夏は一瞬喜んだ顔をしたが、すぐに恥ずかしそうにする。
「あ、あ、ありがとう、陽くん……」
忠陽は気恥ずかしそうな鞘夏を見て、自分も恥ずかしくなった。
「そ、そ、それじゃあ、行こうか……」
鞘夏は二度頷いた。
中央区の外れにあるショッピングセンターは学生のデートスポットになっている。ショッピングセンターにはアミューズメント施設や、映画館などに加え、食事場所もあるため、ここで一日中遊べるという魅力で、学生たちに人気のある場所であった。
忠陽は映画館に向かう。事前に二人で何を見るかを決め、スパイアクションの映画を選んだ。選ばれた理由は、ロマンスものや子供向けもあったが、スパイアクションを見たほうが終わった後でも無難に過ごせると二人の中で合意があったからであろう。
鞘夏は映画が始まっても、その内容が頭に入ってこず、鑑賞のために買ったポップコーンの塩味をどう食べれば良いのかだけを考えていた。忠陽も忠陽で、暗闇の中、隣にいる鞘夏に心が躍り、変な考えだけが浮かんで、映画のキスシーンやアクションシーンでさえどうでも良かった。
映画が終わり、施設から出るとき、鞘夏は最後まで余ったポップコーンのことを気にし、忠陽は映画の内容が頭に残っておらず、この後、鞘夏とどう会話していいかと考えていた。
「ポップコーン……」
鞘夏の一言に忠陽は鞘夏の方を向く。
「どうしたの?」
鞘夏は忠陽から問われ、戸惑い、耳を赤くする。
「残してしまいました……」
忠陽はそれを聞いて不意に笑った。
鞘夏はやっぱり食べきるのが作法なのだと思い、俯く。
忠陽は鞘夏が落ち込んでいることが分かり、誤解を解く。
「鞘夏、違うよ。ポップコーンは残してもいいんだ。一番小さなサイズでも大きかったでしょ? 今は、持ち帰られるように袋詰できるけど」
「不勉強で申し訳ごさまいません……」
「鞘夏、二人のときは、敬語は」
鞘夏はつい癖で敬語を使ったのに気づき、悲しげな気持ちになる。
「いいよ。僕も押し付けてゴメン。いつも敬語を使ってるから仕方ないよ」
鞘夏は顔を上げ、忠陽を見る。その笑顔に救われるようだった。
「ありがとう、陽くん。私、頑張る」
「鞘夏、実はさ……」
忠陽は頬を掻きながら、後ろめたそうに鞘夏を見ていた。鞘夏は首を傾げる。
「どうしたの? 陽くん?」
「実は、僕……映画の内容が頭に入ってこなかったんだよね。何を見たか覚えていないんだ……」
鞘夏は自分もポップコーンのおかげで同じ気持ちだと思い、思わず笑う。忠陽が申し訳なさそうにしているので、その後悔をなくすことにした。
「陽くん、実は私もなの」
その品良い笑みに忠陽は胸を締め付けられる。
二人はファミレス入り、互いに覚えていることを出し合った。お互いの記憶を重ねてどんな映画だったのかを二人で考えた。継ぎ接ぎに物語を足していくと、なんだか滑稽話に見えてきた。
「こんな話だったかな?」
「そうかもしれないね」
「だとしたら、皆、勘違いで事件に巻き込まれただけじゃないか。それで、最後は原因だった主人公の祖父が間違っていたことを土下座して謝るんでしょう? 溜まったもんじゃないよ」
「でも、最後はみんな幸せそうで良かった」
「そうだね。そこは僕もそう思う」
忠陽の幼さを残す笑みを見て、鞘夏は喜んだ。
「もう一度、見てみる?」
「いいよ。レンタルで出たら、今度は鏡華含めて見ようよ」
「そうだね。鏡華ちゃんも含めて見よう」
「鏡華のやつ、たぶん、クダらない、よくこんなもの見る気になったわね、って言うだろうね」
鞘夏は忠陽のモノマネが似ていたから思わず笑ってしまう。
「陽くん、似てる。鏡華ちゃんに怒られるよ」
「大丈夫だよ、鏡華の前じゃあやらないから」
「鏡華ちゃん、怒るもんね」
「陽兄、それわたしのつもり? ぜーんぜん! 似てないんだけど!」
兄妹だからのか、忠陽が怒る姿が鏡華と重なっていた。
「だめだよ、陽くん。鏡華ちゃんは陽くんのことが大好きなんだから」
「鞘夏は?」
唐突な問に鞘夏は胸がキュッと締め付けられる。忠陽の顔が急にまともに見れなくなってしまい、顔を背けてしまった。自分のスカートをぎゅっと握りしめ、喉元に出かかった言葉を何度も飲み干す。
「ごめん……。また、自分勝手に言って……。鞘夏を困らせるつもりじゃないんだ」
鞘夏は忠陽の顔を見ると、悲しげな顔をしていた。すぐに忠陽へ手を伸ばそうとしたとき、忠陽は鞘夏を見て、言った。
「でも、僕は、鞘夏のことが好きだ」
その顔は悲しげでもあり、どこか吹っ切れた様子だった。鞘夏はその凛々しい顔をただ見ていた。
「答えは今じゃなくてもいい。ずっと待ってる」
鞘夏は嬉しかった。だが、その言葉を素直に受け入れない自分がいることに気づき、悲しかった。
あの日の夜と同じだ。あの日、初めて陽くんとキスをした日。私は悲しかったから泣いたわけじゃない。嬉しかった。とても嬉しかった。でも、私がそう望んだから陽くんはキスをしてくれたのかと思うと、自分の醜悪な姿が見えて、突然怖くなった。陽くんは自分が束縛していると思っているけど、そうじゃない。私が陽くんを束縛しているんだ。陽くんには幸せになってほしい。でも、私は陽くんを束縛し続けるだろう。私は陽くんの側に居ないほうがいいかもしれない。
「……さ……? ……や……? さ……か?」
鞘夏は顔上げると、自分の頬に涙が伝うの気がつく。
「ごめん……」
忠陽は俯いた。
鞘夏は涙を拭い、答えた。
「謝らないで……陽くん……」
鞘夏は笑っていた。
「私、嬉しいよ」
忠陽は顔を上げ、顔が綻ぶ。
鼻を啜り、鞘夏は続けた。
「陽くんの気持ち、嬉しい。……でも、待ってほしいの」
「うん、待つよ」
忠陽は鞘夏の答えに喜んでいた。
それから二人はさっきまでのことを忘れたように、クレーンゲーム機で遊び始めた。
嵐山の荒らし屋と呼ばれた忠陽にとって、こういったもので景品をとるのは造作もない。忠陽は鞘夏に取り方を指導しつつ、鞘夏に景品を取らせた。十ゲームぐらいで鞘夏はクマの縫いぐるみを獲得し、いつも凛とした姿が嘘のように飛び跳ね、喜んでいた。
クレーンゲームの後は生誕祭パーティーのための装飾を見た。そこで小さな飾り付けを付けるプラスチック製の木を購入した。二人はそれを買ったとき、鏡華が喜びながら飾り付けを作る姿が容易に想像でき、二人で笑い合っていた。
ショッピングセンターは老若男女問わず、多くの人が訪れていた。休日に訪れる人間は一万ぐらいと言われている。この小さな人工島からすると多い数であり、その人口密度は正午を過ぎた辺りから増えていき、ピークは午後二時から三時ぐらいの間であった。
忠陽たちは日が暮れる前にショッピングセンターから出ようとするも、人が多く、大きな荷物を持った忠陽たちには一苦労であった。忠陽は気を使って歩いていたが、一人の女性とぶつかってしまった。瞬時に見ても、異国の大人の女性であり、ぶつかった感触がもの凄く柔らかかった
「きゃぁ」
女性は体制を崩したのか、その場で倒れてしまった。
忠陽は、荷物を置き、すぐに女性に駆け寄った。
「すいません!」
グレーアッシュの落ち着いた色の長い髪がふんわりと動く。流れるような髪が乱れたのか、片目を覆い隠していた。
「ええ、大丈夫よ。私こそごめんなさい」
「大丈夫ですか? 立ち上がれますか?」
忠陽は女性に手を差し出す。
「ええ」
女性はその手を取り、忠陽に微笑む。その落ち着きのある笑みを見て、忠陽は単純に美しいと思った。その顔を深く覗こうとした時、視線が定まっていないことに気づく。
「……立てますか?」
「ええ。立てるわ」
忠陽は女性の補助をしながら、女性と一緒に立ち上がる。鞘夏はその姿に心の中でザラつきを覚える。
「ありがとう。優しいのね」
「いえ、こちらの不注意でしたから」
「そんなことないわ。私がもっと気をつけるべきだったわ」
「ここは人混みがすごいですよ。別の場所へ移った方がいいかもしれません。良ければ、案内しましょうか?」
鞘夏は忠陽のその優しさに不満を覚えてしまったが、すぐにその心を抑える。
「大丈夫よ。私はここで探し物をしているの」
「だったら、手伝いますよ?」
「ありがとう。その言葉だけで充分よ。どうも、違ったみたいだから」
「どういうことですか?」
女性はクスリと笑い、忠陽に微笑みかける。
「それに、あなたが良くても、あなたのガールフレンドは嫌みたいよ」
「えっ?」
鞘夏は胸が締め付けられる思いをした。
「ごめんなさい。余計な一言だったみたいね」
鞘夏は女性から視線を逸らす。
「あなたのガールフレンド、かわいいわね」
「……」
「あなた達はお互いを思い合っている。素敵ね。三人の心は絶えず一緒みたい。羨ましいわ」
忠陽は無言のままで居た。
「ごめんなさい。あなたの気分も害してしまったみたいね。マリナに最近言われるの、人の心を覗いちゃ駄目だって」
「人の心が見れるんですか?」
鞘夏は忠陽が女性を警戒していることに気づく。
「また余計なことを言ったみたいね。あなた達を怒らせるつもりはなかったの。でも、あなたの魂を見ると、ついね……」
鞘夏は忠陽の服の裾を掴む。
「安心して、かわいいお嬢さん。私はあなたと、あなたの愛する二人と戦いたいわけじゃない。私は、私の愛する人に会いに、この島に来ただけよ」
忠陽は眉間に皺を寄せる。
「それじゃあ、二人とも、縁があったら、また会いましょう」
女性は雲隠れのように人混みの中に消えていった。
「陽くん……」
忠陽は不安そうな鞘夏を見て、微笑んだ。
「大丈夫。関わるつもりはないよ」
鞘夏はその言葉に安堵する。
「きっと、伏見先生がなんとかしてくれるよ」
その答えだけは鞘夏は不満を覚えた。鞘夏にとって伏見という存在は触れてほしくないことを触れようとする人間だからだ。
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