⑤ 「ずっと探していたんじゃないの?」
カチャカチャ。パチパチパチ……ジュワー。
先程から、この一連の音が台所から聞こえてくる。今の分で既に四度目だ。失敗を繰り返しているのではないかと心配になる。
今日の夕飯当番はサンだ。地球に来てから僕達は当番制で夕飯を作っているが、その夕飯にはそれぞれの個性がよく表れている。
サンの前回のカルボナーラは温玉が乗っており、とても美味しかったのを覚えている。卵が好きだと言っていた彼は今回も卵を大量に買い込んでいたが、一体何を作っているのだろうか。
「ちょっと礼音さーん。手伝ってもらえませんかー」
台所からサンが大きい声でレオンを呼ぶ。ハイハイと言いながらレオンは立ち上がった。
「礼音さんの食べる量が分からないので、卵もどれだけ使うか分からないんですけど」
「お、美味そうだな。飯が隠れるくらいは欲しいなー。自分で焼いとくからちび太はそっちやってていいぞ」
「ちび太じゃないですー」
二人の会話が聞こえてくる。レオンはサンを“ちび太”と呼ぶのが気に入ったのか、最近はずっとこの呼び名を使っていた。サンが一々反応するのもまた楽しいのだろう。
「あの二人、なんだかんだ言いながら仲良いよね」
「本当に兄弟みたいです」
紙パックのミルクティーを飲みながらソフィアは言った。そういえば彼女も、このところ毎日紙パック飲料を飲んでいる。余程気に入ったのだろう。
「ソフィアは宿題とか無いんですか? サンは終わったと言っていましたよ」
「エイゴは翻訳してこいとか言ってたけど、後でネットの翻訳サイト使ってやるからヘーキ。それとも手伝ってくれるの?」
「いえ、英語はもう忘れたのでサイトに頼ってやってください」
高校生になってまで宿題(というか予習だろうが)に縛られるとは、日本の学生は本当に辛いな。自分もよくやっていたものだ。
「篤志達はダイガクで何やってるの? もっと難しい勉強とかしてるんでしょ」
「まぁ、専門性の高い講義を聞いていますよ。とは言え僕達は単位を取る必要がないのであまり行っていませんけど」
「えっ、行ってないの⁉︎ 羨ましい……」
そう言ったソフィアは机に伏せる。勉強嫌いの彼女には高校の授業は厳しいのだろう。
しかし彼女には、高校に行ってもらわねばならない理由がある。
「あ、ピコだ。誰からだろう」
そう、日本の女子高生というものは、いつの時代も流行の最先端を行くものなのだ。社交的なソフィアには、今やJKと言われる彼女らに馴染んで、世の中の最新情報を得てもらう必要がある。
そのためには、今彼女が開いたピコと呼ばれるものがとても便利だ。これは昔で言えば自分のサイトに置いた掲示板のようなもので、仲間内でやり取りが可能らしい。他人から見られないという点においてディープな情報交換が盛んに行われる可能性があるため、彼女らのピコに参加することには大いに意味があるのだ。
「楽しそうですね」
「うん、チキューの子達結構仲良くしてくれるの。今日もサッカーをしたんだよ。網にボールを入れるとみんな褒めてくれるの。楽しかった!」
「それは良かったです」
まだ高校に潜入して三日程だが、この分ならソフィアは大丈夫だろう。
「そういえば、今日年下の子と知り合ったんだ。担任の先生の娘さんなんだって」
「他の学年との交流も良いことですね」
「それでね、その子、何処かで見たような気がするんだよね。黒くて長い髪の、美人の女の子なんだけど」
何気なくソフィアにそんな話を振られる。黒い長髪と聞いて、先日の女生徒の姿が頭に浮かんできた。
「名前は何と言ってましたか」
「えっと、サクヤ。北条咲夜って言ってたよ。色が白くてとても細いの。良い子そうだったなぁ」
「他に何か特徴はありませんでしたか」
ソフィアは少し驚いた様子だったが、昼間に会った彼女のことを思い出そうとしてくれていた。
「うーん。活発な先生とは逆で、小柄で大人しそうな感じだったかな。顔がね、先生にそっくりなの!
あ、でもほくろは咲夜さんには無かったな」
「ほくろ?」
「そう。恵美先生には目元にほくろがあるけど、咲夜さんには無いの。見分け方発見! って感じだったよ」
そこまで聞いて衝撃を受ける。
自分の知っている友人は目元に泣きぼくろがある。長い髪をいつもポニーテールにし、忙しく動き回っていた。そして彼女は、メグミという名前だった。
もしかすると、ソフィアの担任だという彼女は、地球に来てから自分がずっとその存在を確認したかった友人かもしれない。更には、先日喫茶店しえすたの近くで出会ったあの少女は、友人の娘だというサクヤという子なのではないか。
頭の中で点が徐々に繋がっていく。
「ソフィア。そのメグミという担任には、目元にほくろがあるんですね」
「あるよ、左目に。優しくて明るい良い先生。体育が専門なんだって」
「そうですか」
当時自分の一つ年上だった彼女は、体育系の大学に通っていた。教員免許も取れる大学であった為、今の職業との合点がいく。
しかし、その彼女に高校二年生の娘がいるとなると、大学在学中に出産した計算になる。果たして本当に、ソフィアの言う恵美先生は自分の友人“メグミ”なのだろうか。
「篤志、恵美先生のこと知ってるの?」
「知り合い、かもしれません。顔を見ないことには断定は出来ませんが」
「分かった! じゃあ今度篤志のこと先生に紹介するね」
ソフィアは輝いた表情でそう言った。何故かは分からないが、とても嬉しそうだ。
「それはいいです」
「なんで?」
しかし直ぐにその提案を断る。ソフィアの頭上にはハテナが浮いているように見えた。
「僕はこの世界ではもう十九年前に死んだ事になっている人間です。仮にそのメグミが僕の知り合いだったとして、会ったところで何と説明するんですか。生まれ変わって別の星で生活していますなんて言ったら、この任務は強制終了し、僕はリマナセを退学することになります。
……わざわざそんなこと、しなくていいですよ」
冷静に、しかし最後はやや投げやりに、ソフィアにそう説明した。
自分はもう地球上には存在しない人間なのだ。故人が当時の知り合いに会うなど、許されていい筈がない。自分は生存確認さえ出来ればそれでいい。
……それに。
最期に惨めな姿を晒しておいて、今更彼女の前に姿を見せるなんて出来るわけないじゃないか。
「でもさ、ずっと探していたんじゃないの?」
「え?」
そんな僕の心内を知らないソフィアに、疑問を投げかけられる。
探しているような素振りは見せていないつもりだったが、どうやら彼女は何となく気付いていたようだ。
「篤志の知ってるそのメグミって人は、もしかしたら恵美先生かもしれないんでしょ。それを確かめられるチャンスを逃していいの?」
「僕は会いたいわけではないですから。生きていると分かればそれで」
「声を聞いたり会話したり、したいとは思わないの? 任務の合間に行方を探す程大切な人なのに」
「それは……」
ソフィアの言葉が胸に突き刺さる。まるで本心を見抜かれているような気になり、それ以上反論出来ないでいた。ジッとこちらを見つめる視線からも思わず目を反らす。
「生まれ変わったなんて正直に言う必要無いじゃない。私の従兄弟のお兄さんとか、嘘はいくらでも言えるよ。
私は篤志とメグミって人との関係性とか分からないけど、生存確認して終わりってだけじゃ後悔しないのかな、って思うの」
彼女の言うことはもっともだと思う。もう自分は故人として処理されたし、恵美は細かい事を気にするような性格でもない為、そこまで踏み入っては来ないだろう。
ただ、自分の中でブレーキがかかり、恵美に会うという選択肢に踏み出せないでいる。
いつもそうだ。地球で生活していた頃も、ソフィアとの関係性も、自分は肝心なところにいつも待ったをかけていた。
一歩を踏み出す勇気が、自分には足りない。
「……しかし、僕は十九年前に死んだ時と似た姿をしています。別人ですだなんて言って、信じてもらえるかなんて」
「アッシュ」
ソフィアは本当の名で僕を呼んだ。久しぶりにそちらの名で呼ばれて反応すると、両手で頬を覆われる。
「今のアッシュは、十九年前のあなたとはまた別の人間だよ。十九年前のことを忘れなよとは言わないけど、続きをやる必要もないでしょう。だからさ、アテラ人のアッシュ・ハイディアとしてまた新しい関係を作っていけばいいんじゃないの」
ガッシリと固定された顔は、真っ直ぐとソフィアの顔と向き合った。その言葉と彼女の綺麗な翠の瞳が徐々に僕を引き込んでゆく。
「私ね、アッシュの良いところって状況を冷静に判断して対応できるところだと思うの。だから大丈夫。何があっても、アッシュなら上手く乗り切れるよ」
気付けばもう顔は固定されていなかったが、目の前の彼女の笑顔から目が離せなくなっていた。
心につっかえていた何かがスッと消えていく。
「僕と恵美がどういう関係だったかとか、君は気にならないんですか」
「そんなことまで気にし出したら、私のブレーカーが落ちちゃうって」
「なんですかそれ。そんな原理初耳ですよ」
「当然よ。今私が考えたんだもん」
そんなことを言って胸を張るソフィアに、笑いが込み上げてきた。面白いから笑うのではない。自分がいかにくだらないことで悩んでいたのかを思い知り、笑うしかなかったのだ。
そんな僕を見て、ソフィアもまた笑った。ソフィアのその感性とひたむきさに、僕は今までどれほど救われてきただろう。
「ふぅ。不思議ですね。ソフィアから大丈夫と言われたら、本当に大丈夫な気がしてきました。ありがとうございます」
「ふふん。篤志には強引に押し切るくらい言わなきゃ通じないの、知ってるからね」
「さすが、伊達に幼馴染やっていませんね。
……その恵美先生に会ってみようかと思います。提案した以上は案内頼みますよ」
「もちろん、任せてよね!」
彼女はポンと胸を叩いた。同時に、緩い金色のパーマが揺れる。その顔はとても誇らしげだ。
「でも忘れないでください。今の僕は地球人の灰田篤志だってこと」
「あ、そうだった。アッシュって紹介しちゃったらごめんね」
眼鏡の位置を直してそう言うと、ソフィアはぺろっと舌を出した。
僕らの間に和やかな空気が流れる。
その時、居間のドアが開かれた。皿に乗った金色の物体と共に、くまさんエプロン姿のサンが入ってくる。
「お二人ともぉ、ご飯出来ましたよ〜。って、向かい合って何してるんですか? あ、ソフィアさん遂に成し遂げたんですね! じゃあボクお邪魔でしたね! コレも冷蔵庫に入れておきますからごゆっくりどうぞ!」
こちらを見てニヤリと笑ったサンは、回れ右をして台所へと戻る。何故かとても面白そうだ。
「何勘違いしてるのよ! ちょっと陽太ぁ! あ、何そのトロトロ卵! 早く食べようよー!」
「ちゃんとラップして取っておきますから、ソフィアさんはいちゃついててくださいって。あ、ケチャップでハート描いておきますね」
「こらー陽太ぁー!」
ダッシュで追いかけたソフィアと楽しげなとサンのやり取りが聞こえてくる。先程見えた金色の物体と今の会話から、今日の夕飯はおそらくオムライスなのだろう。卵好きのサンらしいチョイスだ。
「あっちは忙しそうだな。なんかあったのか?」
「また陽太がソフィアをからかっているだけですよ」
山盛り飯を持ったレオンが顔を出す。彼の持つ食欲のそそらない物体は、オムライスというよりはただの焼き卵の集合体だ。聞かなくとも誰のものか分かる。
「そうか。まぁいいか。腹減ったしとっとと食っちまおうぜ」
「そうですね」
レオンは、もう一つ持っていた常人サイズのオムライスを僕の目の前に置く。ケチャップで描かれたヒゲ眼鏡に悪意を感じるが、突っ込まないことにしよう。
トロトロの卵を崩すと、中からツヤのあるケチャップライスが現れる。フワリと香るベーコンの匂いが空腹を刺激した。
先程のソフィアとのやり取りで今日はもう疲れてしまった。今後の予定を立てたいが、それよりも今は目の前のこの黄金のオムライスに集中したい。
「……また明日以降考えましょう」
独り言のように呟いて一口運ぶ。
卵とケチャップライスの絶妙なハーモニーが、小さな幸せを感じさせてくれた。




