⑥ 「……もう死んじゃったんですけどね」
珈琲の香りが漂うその空間には、人が疎らだった。イヤホンをつけて小説を開く学生、ケーキを食べながら談笑する奥様方など、まさにしえすたという喫茶店の名通りの雰囲気だ。
その中に一人、珈琲を飲みながらも落ち着かない様子の若い青年がいた。奥の席に座る彼は、何度も時計を確認しては忙しなく眼鏡の位置を直している。
「憂鬱だ……」
溜息を漏らしつつそう呟く。手元の珈琲はあと一口を残す程度だった。
「すいません。珈琲をもう一杯いただけませんか」
最後の一口を口に入れ、どうにも落ち着きのない青年アッシュはそう言った。
いつもは感じるスッキリとした苦味が、何故だか今日はあまり感じられない。
店員は、お待ちくださいと軽く頭を下げて奥へ入っていった。すぐに豆を挽く音が聞こえてくる。僅かに聞こえるそれはいつもなら心地良いが、今は何故かカウントダウンに聞こえた。
一体どれだけ緊張しているんだ、僕は。
眼鏡を再度直しながらそんなことを思う。しかし、考えれば考えるほど、心臓の鼓動は早まるばかりだ。キースが非番なのが唯一の救いだろう。
手汗を拭いていると、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。画面にはピコが表示されている。送り主は待ち合わせの相手、ソフィアだ。どうやら駅を降りてこちらに向かっているらしい。
「お待たせ致しました。コーヒーをお持ちしました」
画面に集中していたため、声を掛けられ思わずびくりとする。横を見ると、先程とは違う店員が二杯目の珈琲を持ってきていた。淹れるのがやけに早い気がしたのは自分が単に緊張しているからなのだろう。
置かれたカップを眺めていると、店員はこちらを見て曇った表情を浮かべる。
「あ、えっとミルクとかは要らないので」
「貴方何処かで……」
ジッと見られているため、彼女に退席を促そうと顔をあげる。すると彼女は驚いた様に言った。
「この前の不審者……! まさか私がここでバイトしてると知って」
「えっ、待ってください。何の事だか分からな……あっ」
そこまで言って自分も言葉に詰まる。
数日前に自分が声を掛け、その手を振り切られた、友人によく似ていた少女。その子が目の前に立っていた。
「あの時の……」
「どうして此処に居るんですか。後を着けてきたんですか? 警察呼びますよ」
「いえ、待ってください。僕はただ待ち合わせをしているだけで」
「そんなの信じろと言われて簡単に信じられるわけ」
「あれ、咲夜さん?」
少女に責められていると、その後ろに金髪パーマが見えた。待ち合わせの相手、ソフィアが到着したようだ。なんて良いタイミングだろう。
「えっ? 確かソフィアさん……。どうして此処に」
「そこの眼鏡のおにーさんと待ち合わせていたんだ。咲夜さんこそ、その格好」
「あ、私はここでアルバイトをさせてもらっていて……」
ソフィアの言葉で事情を知ったその少女は、ソフィアと僕の顔を往復してしどろもどろになる。まずい事をした、という表情だった。
「あの、私、その」
「いえ。僕こそ、この前はすみませんでした」
焦る彼女を前に僕は自ら頭を下げる。先日の件で彼女に恐怖を与えた事は間違いないのだ。また出会えたのだから、きちんと謝っておきたかった。
それに。ソフィアは今この少女をサクヤと言った。自分の予想が当たっていれば、彼女はこれから会う人物の関係者だ。要らぬ蟠りは先に排除しておきたい。
「うーん、よく分からないけど話を進めていい?」
「は、はい。えっと、では一名様で……、いえ、二名様、ですね。お水をお持ちします」
「おー、ありがとう!」
ソフィアの後ろの人物を確認した咲夜は、一瞬目を開いたが直ぐにマニュアル通りの対応を行なう。後ろの人物は手を振って咲夜を見送ると、自分の正面へと座った。
先程の件で少しずれた眼鏡の位置を調整し、僕は背筋を伸ばす。
「ごめんね、待った?」
「いえ、今来たところですよ。えっと、先に注文をどうぞ」
「うん。先生、メニューどうぞ」
「あぁアタシは決まってるから。シュルツさん見てていいよ」
メニューをソフィアに手渡したその人がこちらを見てくる。自分も顔を確認したかったが、目を合わせたら何か言われる気がしてなかなか正面を向けずにいた。
「お水をどうぞ。ご注文はお決まりでしょうか」
「アタシはコーヒー。ブラックでいいから」
「私はショコラオレお願いします」
「かしこまりました。お待ちください」
水を運んできた咲夜に、二人はそれぞれ注文を行なう。一連の流れはあっという間だった。
グッと拳を固く握る。
遂にこの時が来た。
心音が鳴り響くのを抑え、意を決して顔をあげる。
目の前にはショートボブの女性が座っていた。左目元に泣きぼくろがあるその人は、当時より髪は短く、少し歳を重ねてはいるものの、自分の記憶にある懐かしい彼女だった。
一つ歳上の友人、木下恵美。
ふわりとあの頃の恵美の姿が蘇る。
「じゃあ早速だけど、先生に紹介しますね。
この人は、今住んでいる寮で一緒に生活している従兄弟のお兄さんの、灰田篤志。歳は一つしか変わらないけど、私の保護者みたいな人です」
「初めまして。灰田篤志と申します。ソフィアが学校でお世話になっています」
次々と蘇る当時の記憶に目を細めつつ、ソフィアの紹介に続き簡単に挨拶を行なう。噛まずに言えたことで少しホッとした。
「こちらこそ初めまして。シュルツさんの担任の北条恵美です。保健体育が専門です。どうぞよろしくお願いします」
恵美は丁寧に挨拶を返した。そこに昔の馴れ馴れしい感じはなく、社会人としての誠意が感じらた。あの頃から少しは成長したようだ。変わらないようで変わった様子に、少し寂しさを感じる。
「灰田さんは従兄弟のお兄さんなんですよね。名前も見た目も全然違うけど……日本人、ですか?」
「はい、僕は日本人です。ソフィアと僕の母親同士が姉妹なんです」
「じゃあシュルツさんはハーフなのね。確かに日本語すごく上手だもんね」
「あ、そうそう。ハーフなんですよ〜」
恵美との会話でボロが出ないよう注意しながら、ソフィアが設定した“従兄弟のお兄さん”を演じる。幸い彼女は何の躊躇いも無くその設定を受け入れているようだ。正直少し寂しいが、その方が今の自分には都合が良い。
「シュルツさんが家族を紹介したいって言うから緊張してたんだよね。アタシ英語とか無理だし。日本語通じて良かったよ」
「先生大袈裟ですよー」
「いや本当に英語はね〜」
楽しそうに話す二人を、珈琲を飲みながら眺める。
こうやって誰とでも気さくに話が出来るのが恵美の取り柄だった。大人になった今もそこは変わらないらしい。
ここの雰囲気と相まって、タイムスリップした気持ちになる。
「お待たせ致しました。こちらがショコラオレです」
けれど。
「それと、はい。これお母さんのね」
「アタシも一応客として来てるんだけどなー」
「それなら一店員として私と接することね」
「それはちょっと無理かも」
あの時大学生だった友人は、成人し、結婚して名字が変わった。そして、母親になった。ほとんど同じ顔をしたこのエプロン姿の店員が、その事実を僕に突き付ける。
「あぁ、ごめんなさい。紹介します。これはアタシの娘の咲夜で、アタシの学校の二年生。ちなみにここでアルバイトしてます」
「北条咲夜です。少しお話は聞こえていました。ソフィアさんの従兄弟さんだったんですね」
咲夜ははにかみながら言った。恵美よりも小柄でおとなしそうではあるが、見た目はあの頃の恵美と本当によく似ている。それに、物怖じせずにはっきりと物を申すところはそのままだ。養子の可能性も考えたが、紛れもなく彼女は恵美の遺伝子を持っている。
自分が死んでから、もうこんなに時が過ぎていたのか。
これまで然程感じていなかった十九年という時差が、一気に襲ってくる。恵美のその後が知れたのは良かったが、今はまるで浦島太郎の気分だ。
「あれ? でもあなたに会ったのは確かソフィアさんと知り合う前……」
「え、えっと灰田篤志です! 咲夜さんですね! ソフィアと仲良くしてください!」
そんなことを思っていた矢先に、咲夜から爆弾を投下されそうになり焦る。先日の件はもう水に流してしまいたかった。
彼女は怪訝な表情を浮かべていたが知らん振りをする。
「まぁいいです。私は仕事中なので失礼します」
そう言って咲夜はホールへと戻る。その後ろ姿をもう追うことはしなかった。
地球に来てから自分の中でずっと気にしていた、恵美のその後についてを知ることが出来た。巡り巡って、恵美と言葉を交わすことが出来た。
ソフィアの言っていたように、きちんと会っておいて良かった。自分はこれで任務に集中が出来る。
安堵して珈琲のカップに口をつける。今度の一口は深く身体に染み渡っていった。
その余韻に浸っていると、こちらをじっと見つめる恵美と目が合う。その目はまるで小さな文字を見るように細められていた。
「……あの、どうかしましたか」
「灰田さん、お名前をアツシと言っていましたが、どういう字を書くんですか」
ギクリとした。もしかしたら恵美は、既に死んでいる“アツシ”と自分を比べているのではないか。自分はこうなるのを恐れていたのだ。乗り切ったと思っていたのに。
「たけかんむりに馬でアツ、シは志すと書きます」
「いい名前ですね。後もう一つ、眼鏡を外してみてもらえますか」
あぁ困った。これはもう、完全に“アツシ”ではないかと疑われている。
当時は眼鏡をかけておらず、外したら当時のアツシに更に似た顔になる為、出来ればこの場で外したくはなかった。
それに、この眼鏡にはもっと別の意味がある。ここで外す訳にはいかない。
「えーっと、篤志は眼鏡が本体なので外すと死んじゃうんですよ! だから先生、これはちょっとごめんなさい!」
切り抜ける方法を考えていると、ソフィアが横からよく分からないフォローをしてくる。眼鏡が本体というのは少々馬鹿にしている感があるし、そんなことを言われて「はいそうですか」と引き下がる人も中々いないだろう。
現に、前のめりだった恵美は困惑しているようだ。
「眼鏡が本体って漫画の世界みたいだね……」
「あの、そういう訳ではないんですけど……」
「ご、ごめんなさい。なんていうか、その……」
言い出しっぺのソフィアまでオロオロと焦り始める。困ったような顔でこちらを見られても、僕にもどうも出来ないのだが。
軽く溜息をつくと、それを見た恵美が苦笑しながら言った。
「いえ、いいです。外せない理由があるみたいですし。
ごめんなさいね。ちょっと昔の知り合いに似ていたので気になって」
彼女は軽く謝りを入れ、カップを傾ける。昔ならとことん追求していた彼女だったが、そこは大人になったようだ。疑いは晴れてなさそうだが、一先ずはソフィアの従兄弟として接してくれるだろう。
「その知り合いの方はアツシというお名前なのですか?」
「そうです。アタシの弟みたいなヤツで。……もう死んじゃったんですけどね」
そう言った恵美はどこか寂しそうに笑った。
そんな顔をさせてしまった申し訳なさと、自分がいなくなって寂しいと感じてくれていることの嬉しさが、心の中で混ざり合う。
「名前が同じだったので生まれ変わりだ! と思ったんです。でも、そんなファンタジーな話なんてないですよね。
あ、初めてお会いしたのにこんな話、ごめんなさい」
「いえ。貴重なお話でした。ありがとうございます」
本当はそのファンタジーなことになっているということを伝えたかった。こんな距離感のある関係ではなく、昔のように対等な関係でいたかった。
けれど、今の自分は異星人であり、地球を調査するという任務で地球に来ているのだ。本当のことを言えるはずがない。
「さて、じゃアタシはそろそろ退散しようかな。この後学校に行かないといけないんだ」
いつの間にか珈琲を飲み干していた恵美が、そう言って立ち上がる。空元気の様にも見えたが、初めて会ったという設定の今の僕には慰めることも出来なかった。
「お休みの日なのに先生も大変なんだね」
「教師はいろいろと忙しいの。じゃまた月曜日ね! 灰田さんも今日はありがとうございました」
「はい。こちらこそわざわざ出向いていただきありがとうございました。お気をつけて」
バッグを持った恵美が出口の方へ向かっていく。途中のカウンターを覗いて手を挙げると、こちらにもまた手を振ってきた。その顔はすでにいつもの明るい笑顔だ。
……やっぱり恵美は、少し大人にはなったが恵美のままだ。
「あの、北条先生!」
言いながら立ち上がると、すでに店のドア付近にいた恵美が振り返る。
「ファンタジーな話、僕もきっとあると思っていますので!」
周りの視線も気にせず大声で言った。そんなことを言ったら疑いが晴れないどころか更に詮索される可能性もあったが、何故か言わずにはいられなかった。
恵美はポカンとしていたが、すぐに満面の笑みを浮かべて返す。
「あはは、灰田さんって面白い人ですね! ありがとう! ではまたご縁があれば!」
カラン、とドアにつけられているベルが鳴る。そこに恵美の姿はもうなかった。
フゥと一息ついて座り直し、最後の珈琲を口に含む。冷めてしまっているが、その味わい深さは全身にくまなく染み渡っていった。
「なんか、今の篤志らしくなかったね」
「そうですか?」
「だって、自分から正体をばらすようなものじゃない。
……でもいいなって思った。なんていうか、青春? って感じだった」
「青春って。まぁ、当時の彼女と変わらないってことが分かって良かったです」
隣に座るソフィアがそんなことを言った。今の発言を否定しないでいてくれるところに、彼女の優しさが垣間見える。
それにこの場をセッティングしてくれたのも彼女だ。何と礼を述べたらいいだろう。
「ソフィア、一緒にいてくれてありがとうございます」
「どーいたしまして!」
そう言ってソフィアもカップを空にした。とりあえず彼女の分の会計も自分が持つことにしよう。
「それで、今日はこの後どうするの?」
「特に予定はないので、ソフィアの行きたいところに付き合いますよ。この辺りは服や雑貨など、いろんな店がありますから」
「本当? 気になるお店があるんだよね~。そこに案内してくれると嬉しいな」
「いいですよ。行きましょうか」
買い物などは調査任務には関係ないことだが、ソフィアが地球の環境に慣れるという意味では重要だろう。それに今日の分の礼もしなくては。
僕達は店を出るべく移動する。するとカウンター越しに咲夜から声が掛かった。顔を赤らめてもじもじとしているが、恥ずかしがることがあっただろうか。
「あの、ソフィアさん。良かったらまたお店に遊びに来てください! ソフィアさんとはいろんなお話してみたいので」
「うん。私もこのお店の飲み物好きだからまた来るよ。じゃ、今日はごちそうさまでした」
「あ、ありがとうございました!」
どうやら彼女はソフィアと仲良くなりたいようだ。自分に対してはあんなにはっきりと拒絶する態度をとっていたのに(自分にも悪い点はあったが)。きっとシャイなのだろう。
しえすたを出た僕達は駅前のビル街へと向かう。休日ともあってかなりの人混みだ。
今の時代はGPSというもので互いの位置情報を知ることができるらしいので、はぐれても迷子になることはないだろう。しかし、まだ地球の環境に慣れていないソフィアが迷子になるといろいろと危険だ。
「では、手繋いで行きますか」
「えっ! な、なんで」
「迷子になってもいいんですか」
「それは困る……けど……わっ!」
先程の咲夜のようにもじもじとしているソフィアの手を握り、ビル街へと歩き出す。
いつ握っても、彼女の手は本当に小さい。普段は刀を振り回しているような女の子なのに。
そういえば、自分よりは小さかったものの、恵美の手はもっと男っぽい硬い手だったっけ。
「アッシュの天然たらし……」
「しっかり握らないとはぐれますよ」
「分かってるもん!」
当時の記憶がまた蘇ってくる。
恵美はせっかちで、いつも僕は手を引っ張られてはいろんなところに連れ回されたっけ。まぁ、さっき自分のことを「弟みたい」と言っていたので、きっと彼女にその気はなかったのだろうけど。
「それで、行きたい店は何ていう名前のところですか」
「えっとね」
それでも自分にとって、当時の恵美との時間は特別だった。彼女と過ごした日々は、今でも忘れられない。
そんな彼女とこれからまた新たな関係を築いていけるだろうか。いや、難しいだろう。所詮僕は“自分の一生徒の保護者”でしかないのだから。
「そこならもう少し歩かないといけませんね。いいですか?」
「うん、大丈夫」
「では行きますよ。それと、外で元の名前で呼ぶのは禁止です」
「うわ、地獄耳……」
「ソフィア程ではありませんよ」
けれど、全く無関係というわけでもなくなった。今大事なのはこの極秘任務をやりきることだ。私情などをむやみに挟んではいられない。
駅ビルにある時計の鐘が鳴り響く。それを聞きながらソフィアの手を固く握り、僕達は人混みの中を進んでいった。




