② 「チキュー人ってこんなに勉強するの……」
「〜であるからして、──……」
警官に追いかけられてから三日が経った昼過ぎ。僕はノートを広げ、頬杖をついて講師の話を聞いていた。
先程見たテレビで気象予報士が今季の最高気温を更新したと言っていたが、空調の効いた講義室はとても快適だ。
退屈な講義を右から左へ流しつつ、一番後ろの席から周りを見渡す。教科書を立てて携帯を覗いている者、友人と談話している者など、様々な学生がいた。
「なぁ、こんな話を聞いて何の意味があるんだ?」
隣にいるレオンが小さな声で尋ねる。隠すことなく大きなあくびをしており、退屈そうだ。
「あの講師の話に意味はありません。ここに居ることに意味があるんですよ」
同じように声を潜めてそう返す。「ふーん」とつまらなそうに言うと、レオンは顔を伏せてしまった。
仕方ないので、一人でこの空間に耐えることにする。
僕達は今、二駅離れたところにある大学に来ていた。
地球に来てからの数日で現在の世界情勢をある程度把握した僕は、早いうちに地球人の生活に溶け込む方が賢明だと判断した。そこで提案したのが、日本の学校に潜入することだった。
いつの時代も、流行や噂などの情報の中心にいるのは若者だ。現代の日本にはスマートフォンやSNSと呼ばれるものが普及しており、若者のマストアイテムになっているらしい。僕が生きていた、箱型のパソコンでインターネットの使用が始まった時代に比べると、今の若者が持つ情報量というのは桁違いに増えていると考えられる。そんな彼らが集まる学校という場は、情報収集にはうってつけだ。
キースはこの提案を容易に受け入れてくれた。そして早々に手続きを終えてくれたため、僕達はこうして堂々と大学に潜入出来たのである。
そこまでは良かった。しかし、死んだ当時まだ高校生だった僕には大学の仕組みが分からず、立ち往生してしまった。
困った僕達は一先ず多くの学生が座る講義室に入ってみたが、講師が一方的に話をしているだけで自分達は何も出来ず、現在に至る。
仕方なく学生の観察をしているものの、既に六〇分以上時間を無駄にしている。隣のレオンが寝始めたが無理もない。
「この後どうしましょう……」
ここに来る前にもう少し下調べすべきだったという後悔の念が押し寄せる。仕方なしにノートを立て、その後ろでスマートフォンを操作し始める。
昨日僕達には一人一台ずつスマートフォンが支給された。地球での情報収集と自分達の連絡用にと、事務長が手配してくれたらしい。その機器の操作と機能を、僕達は一日かけて把握したのだった。
ちなみにキース曰く、寮や宅配便で届いた生活用品の手配も全て事務長が行なったそうだ。生徒指導室に呼ばれたあの日、ただ僕達のやりとりを記録していただけで言葉すら交わさなかった彼だが、その陰で様々な準備を行なっていたようだ。おそらく、今までの極秘任務での生活の手配なども全て彼が行なっていたのだろう。
とはいえ、疑問点はまだいくつかあるが。
一先ず僕は、インターネットを開き“大学生生活”と検索をかけた。膨大な数の記事を上から順に目を通し、そこから自分達に出来そうなものをピックアップしていく。
「コンパは遠慮したいし……バイトが一番手っ取り早いか……?」
暫く調べた後に頭を抱えていると、チャイムらしき音が室内に鳴り響く。大学の校歌だろうか。その合図とともに、講師は教壇から去っていった。
「さて、礼音、行きますよ」
「んー……、どこ行くんだ?」
「学食です。ここの学食は一般開放もしているようなので、運が良ければ学生以外からも情報が得られるかもしれません」
「飯か! 腹減ってたんだー!」
食事と聞いて飛び起きたレオンは、すぐさま扉へと向かう。こういう時は本当に素早い。というか、目的は食事ではなく情報収集なのを分かっているのだろうか。食事と筋トレしか頭にない彼にそんなことを言っても仕方ないか。
机の上を片付けレオンを追う。学食の場所は伝えていないが、既に彼の姿はなかった。ま、彼の事だから匂いにつられて辿り着くだろう。
多くの学生が行き交う廊下を、僕は足早に進んでいった。
その頃別な場所では、ソフィアが女生徒に囲まれていた。ほんの数分前転校生として紹介された彼女は、たどたどしく自己紹介をした後席に着いた。するとすぐに生徒が集まり、今のような状態になっている。
「ねぇねぇソフィアちゃんって外国の人なの? それともハーフ?」
「なんでこんな時期に転校なの? お仕事の都合とか?」
「綺麗な金髪だね! 目も緑で可愛い! お人形さんみたい!」
「え、えっと、あの」
早速質問攻めに逢い、ソフィアは戸惑っていた。元々社交的ではあるが、ここは全く環境の違う世界だ。頼りになる幼馴染もおらず、一人で乗り切らねばならないという焦りも重なり固まるしかなかった。
「あ、一気に質問しちゃってごめんね。外人さんの転校生って珍しいから話してみたくて」
「ううん、大丈夫! 私こそごめんね。チ……じゃなくてニホンの学校って初めてだから、緊張してるの」
「やっぱり今まで外国にいたんだね! 日本語も上手〜! どこの国から来たの?」
「えっ⁉︎ えーっと……」
出身を尋ねられて困惑する。まさかここでアテラと言うわけにはいかない。しかし他の地名など知るはずもなかった。
答えられずにいると、先程自分を紹介してくれた担任が顔を出した。
「シュルツさん、教科書とか渡すものがあるからちょっと来て」
「あっ、はい!」
助け舟が現れ、ソフィアはすぐに教室を出る。ホッと胸を撫で下ろしていると、担任が気さくに話しかけてきた。
「初日で緊張してるのにごめんなさいね。みんなもあなたと友達になりたいだけだからさ」
「はい、分かっています。私も前の学校では友人がたくさんいました。ここでもすぐに打ち解けられると思います」
「そう、良かった。じゃ改めて宜しくね、シュルツさん」
そう言い担任が手を差し出す。ニッと笑うその人は、とてもハキハキとしていて頼りになる大人のお姉さんという雰囲気だ。
「こちらこそ宜しくお願いします。えっと……北条先生」
「みんなアタシを下の名前で呼ぶの。だからあなたも恵美でいいよ」
「ふふ、ありがとうございます。恵美先生」
恵美の手をしっかりと取り握手を交わす。
先程簡単に紹介を受けた彼女は、担任であり、保健体育の教師でもあるそうだ。パッと見た感じでは、三十代半ばといったところだろうか。
とにかく、彼女のクラスならばこれからの学校生活もなんとかなるだろう。
「それでね、あなたに渡す教科書なんだけど」
そう思った矢先、通された多目的室に置いてある本の量を見てソフィアは目を張る。
「これ全部私の分……?」
「三年生って受験対策もしないといけないからね。科目選択もどれにするか分からなかったから、全部用意してみたんだ」
「チキュー人ってこんなに勉強するの……」
少なくとも二十冊は積んである本の山を見て、思わずそう呟く。
アテラでは演習科目が多かったため、ここまで冊数はなかった。しかし地球での演習科目と言えば、恵美が担当する保健体育や芸術系、家庭科くらいらしい。この量になるのは仕方ないのかもしれない。
それにしても、とソフィアは肩を落とす。そんな彼女に、恵美はグッと親指を立てて陽気に言った。
「若者よ、勉強は今しか出来ないんだ。大人になってから後悔しないためにも、今頑張ろう!」
明るい笑顔を前に、ソフィアの顔が引きつる。
……あぁ、アッシュ、レオン。私、チキューの学校でも補習から逃れられなそうだよ。
ソフィアは恵美に、不器用な愛想笑いを返すことしか出来なかった。




