③ 「不審者に名乗る名前は生憎持ち合わせていません」
「はー重かった……! もし全部持ち帰れなんて言われてたらもっと大変だったよ」
テーブルに腕と顎を乗せたソフィアが溜息交じりに言った。彼女の横には、パンパンに膨らんだスクールバックが置いてある。
「チキュー人って勉強が好きな生物なのね。あ、だから篤志も本が好きなんだ」
「僕の本好きは関係ないですけど。まぁ地球と言うか、日本人は学歴が全てって考えがありますから」
言いながら珈琲を一口含む。
自分が日本で生きていた時代はまだまだ学歴主義で、いい学校に行けばいい就職先が見つかるなんて言われていた。くだらない世の中だと思っていたが、現代もそこは変わらないのか。
「リマナセも似たようなモンだろ。一流企業に就職するならリマナセ、なんて言われてたし」
「少し違うんですけどね」
レオンの言うことも分かるが、意味合いが違った。僕達の通うリマナセは、日本でいうところの高専と防衛大学が合体したような学園だ。戦争の実戦訓練をしたり、こうして極秘任務に就いたりするところが“いい学校”とは言い難い。
「なんでもいいよ。私はこれから補習漬けになると思うとさ……はぁ」
「まぁまぁ、地球の授業なんてテキトーに聞き流せばいいじゃないか。俺達は勉強しに来たわけじゃないんだし。あ、はいこれショコラオレ」
ソフィアが盛大な溜息をつくと、後ろから制服を着た見知った顔が現れた。彼は、普段は下の方で結わえている銀髪を後頭部にまとめ、愛想の良い笑みを浮かべている。
……なんだか胡散臭さが倍増した気がする。
「あれ、キースさん。何でここに? その格好……」
「ここで昨日から働き始めたんだ。ずっと寮にいても仕方ないし、カフェってところはいろんな情報が入りそうだったからね」
ウインクしたキースが、持ってきたカップをソフィアの前に置く。上にかかっている苺ソースは何故かハート型だ。それを崩すようにカップを掻き回すと、甘い香りが鼻をくすぐった。
「ブレイクハート……! ヒドイなぁ」
「え、何? あ……これ甘くて美味しい」
「疲れた心に甘いもの、ってね。俺からの愛がこもってるからより甘いよ!」
「愛?」
「キースさん早く仕事に戻ってください」
まったくこの人は部下に一体何を言っているのか。
ピシャリと言うと、キースは悪い笑みを浮かべて耳打ちしてくる。
「妬いちゃった? ごめんね」
「そういうのではありません。油売ってるとすぐ解雇されますよ、新人さん」
「ハイハイ、戻るよ。あ、でもこれだけ言っておくね」
まだニヤケているキースは先程よりも小さな声で楽しそうに囁いた。
「ここのカフェの各テーブルに盗聴器仕掛けちゃった。監視カメラにもハッキング済。これでたっぷり情報が得られるね」
それだけ言った彼は、じゃ! とだけ言って裏側に消えていく。
……なんて仕事が早いんだ。さすが、学園中に情報網を張り巡らせているだけある。
その行動力に感心するが、同時に自分達に支給されたスマートフォンへの疑念が湧いた。もしかしてこれの操作履歴もキースに筒抜けなのでは?
机に置いていたスマートフォンをそっとしまう。操作するのがなんだか躊躇われた。
「僕やっぱりキースさん苦手です」
「何言われたんだ?」
「知りたくなかった事実ですよ。あとで話します」
「そうか。で、この後どうするんだ?」
キースとのやりとりを気にしていないレオンは、サンドイッチをつまみながら尋ねた。それぞれの学校への潜入調査が終わった初日であったため、二人には気疲れが見られた。ソフィアと落ち合うためにここのカフェに来たものの、その後のことは考えていない。とは言えもうすぐ黄昏時だ。今日の夕飯当番はソフィアであるため、早く帰るのが妥当だろう。
「特に何も考えていません。一息ついたら寮に戻ろうかと」
「来たばかりだけどもう帰るんだね。帰ったらご飯作らないと。礼音はそれが夕飯なの」
「なワケないだろ。おやつだよ、おやつ」
「はぁ。それで太らないんだから羨ましいわね」
相変わらずの食事量を見ながらソフィアはカップを傾ける。余程好みの味だったのか、飲みながら幸せそうに目を細めていた。
自分も最後の一口を流し入れその余韻を楽しむ。鼻に残るほのかな香りとスッキリとした後味は、記憶にあるままのものだった。
「そういや、他にも同じような店あったけど何でここにしたんだ?」
サンドイッチを平らげたレオンが疑問を投げる。確かに周囲には、駅前とだけあって複数の喫茶店が存在している。その中でもここはチェーン店ではなく、他店とはまた少し異なる雰囲気があった。
隠すほどの理由なんてないのだけれど。
「久しぶりに此処の珈琲が飲みたくなって」
「知ってる店だったのか」
「まぁ昔馴染みみたいなところです」
そう言って店内を見渡す。あの頃時折来ていたこの喫茶店【しえすた】は、珈琲の味だけでなく中の雰囲気もそのままだった。
しかしもう、店内の端にまで通るくらいハッキリとしていたあの声は聞こえない。もしかしたら、なんて淡い期待を抱いていた自分が少し恥ずかしくなる。
「味が変わってなくて良かったです」
「サンドイッチも美味かったぜ」
「ここのたまごサンドは僕のオススメですから。
さて、どうせキースさんはまだ終わらないでしょうから、もう少ししたら行きましょう」
机の上を片付け、ソフィアの様子を見つつ言う。夕方になり、店内には少しずつスーツ姿の男女が増えてきた。仕事帰りの一服を邪魔しないためにも、ただ屯しているだけの自分達は早いとこ去ろう。
「はー美味しかった! なんだか疲れが取れた気がする!」
「それは良かったですね」
「よし、んじゃ行くか」
こうして、全員分の食器を持ったレオンに続いて出口へ向かう。
外は先程よりも人通りが多くなっていた。涼しかった店内から出ると、夏の蒸し暑さが身体に纏わりつく。これからもっと暑くなると思うと憂鬱だ。
「今日の飯は何にするんだ?」
「陽太のリクエストでハンバーグにするつもりよ」
「お、いいね。焦がすなよ〜」
「失敗なんてしないわよ!」
駅に向かいながら幼馴染二人は並んでそんな会話を繰り広げていた。いつも一緒にいるのに本当に会話が尽きないな。
二人の後ろ姿を眺めながら、駅ビルの上に表示された時計を確認する。十七時三十分の表示に切り替わり、時計から鐘が一度だけなった。
ここの鐘の音も、あの頃と変わらない。あの頃と違うのは、いつもこの時間に待ち合わせていた友人がいないことだけだ。
「篤志ー、何やってるのー」
「昔の思い出に浸ってると置いてくぞー」
既に改札口前まで進んだ二人がこちらに手を振っていた。今はあの二人が傍にいてくれる。それだけで今の人生は満たされているのだ。これ以上望むものなどないじゃないか。
今行きます。そう言いかけた時、綺麗な黒髪の少女が前を通り過ぎる。
「……え?」
思わず目を見開く。見間違いだろうか。そう思って後ろ姿を見てみるが、やはりよく似ていた。
「あ、待って!」
何も考えないまま制服を着た少女に向かって言葉を掛けると、彼女は立ち止まって振り向いた。
初めは不思議そうな表情だったが、何も言わずにこちらを見るだけの自分に徐々に不審の目が向けられる。
「何ですか? 誰、ですか?」
茫然と立ち尽くす自分に警戒したのか、言いながら後ずさる。それでも僕は言葉を発することが出来なかった。
その少女があまりにも“友人”に似ていたから。
「……私急いでいるので」
少女はそれだけ言うと進行方向へ向き直して歩き出す。先程よりも心なしか早足になっている。
もしかしたら。いやでもそんなことがあるだろうか。もしも本当に彼女だとしたら、自分はどうするのか。
動き出した彼女を追いかけて、僕はその細い手を取った。そして振り切られそうになる前に、混乱した脳内を制止してなんとか言葉を絞り出す。
「あの! えっと……木下さん、ではありませんか」
「いいえ。人違いではありませんか? それと、しつこいと人呼びますよ」
そう言われても引き下がれなかった。この手を離したらもう二度と彼女に会えないのではないか。そんな焦りに心が支配されていく。
「ではせめて君の名前を教えてください」
「不審者に名乗る名前は生憎持ち合わせていません。では」
掴んだ手が捻られる。彼女は毅然とした態度でそう言い放ち、人混みに消えていった。
待って、僕はもう一度だけ君に。その思いで再び手を取ろうとしたが、それはレオンによって静止される。
「何してんだよ。らしくないぞ」
「礼音。僕は」
「ソフィアが待ってる。行くぞ」
そのまま引っ張られるように改札口へと連れて行かれた。これ以上の抵抗を諦め、行き交う人々を見ながら自分の行いを振り返る。
側から見れば、自分は彼女の言う通り不審者そのものだった。彼女の冷たいあの目は僕を軽蔑していた。
僕は一体何をやっているのか。ただよく似ている人がいた、それだけじゃないか。この大都会東京には何万という女性がいる。彼女に似た人が居ても不思議ではない。そもそも普通に時間が経過していれば、彼女は既に四十手前だ。学生服を着て歩いているなど有り得ない。
「知り合いにでも会ったの?」
「いえ、人違いでした。すみません、ご心配をかけて」
「いいのいいの。でもそっか、残念だったね」
レオンが来てくれて良かった。こんな惨めなところ、ソフィアには見られたくない。いつもの冷静さが戻ってきたのを自認し、ソフィアを改札口へ促すと支給されたICカードをかざして駅構内に入っていく。
「きっと陽太が腹空かして待ってるぞ」
「アンタの腹の虫にも急かされてるから早く作るよ」
「おっと、そりゃ失敬」
何も気にしていない様子のソフィアにホッとする。問い詰められたらどう答えればいいか分からなかった。
“彼女”はただの友人ではないのだから。
「お、すぐデンシャが来るみたいだぞ」
「じゃ急ごう! 篤志、今度は遅れないでよ」
「大丈夫です。行きましょう」
階段を駆け上がるとすぐに電車がやってきた。窮屈な車内に半ば無理矢理乗ると、何度か開閉しながら扉が閉まる。
「チキュー人っていつもこんなにギュウギュウ詰めの箱に乗るの」
「帰宅時間なので多いだけです。次は時間をずらして乗りましょう」
密着した車内でなんとかソフィアを隅に寄せ、人の波に押し潰されないよう男二人で囲う。何年経っても満員電車は解消されないらしい。
そういえば、こんな感じで友人と電車に乗ったこともあったっけ。彼女もその時ソフィアと似たような文句を吐いていた。
思い出さないようにしようとしても景色を見ると自然とあの風景が広がってくるなんて、重症だ。
「ねぇ篤志、またあのお店行こうね」
「……そうですね」
また、との誘いに一瞬躊躇うが、不審がられても取り繕う自信がないので了承する。
会えなくてもいい。せめて、生きていてほしい。それだけ確認出来れば、地球に来てからのこのモヤモヤした気持ちも晴れるのに。
「近いうちにまた、お茶しましょうか」
それだけソフィアに言うと、遠い記憶の中の彼女の面影を探すように、窓に流れる景色を見つめた。




