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Rosebud of Black

「~~、~~……」


鼻歌を歌う、一人の女が歩いていた。

かつん、かつん、と、よく磨かれた赤い革靴の踵が、薄暗い廊下を叩く音が、鼻歌の長閑なリズムと共に響いた。

黒いスーツに赤いネクタイを締めたその女は、とある所を目指して歩いていた。


今日、この基地に入ってきた新人の、顔を拝みに。



「……おやァ?」



そうして、ぴたりと足を止めた。

新人が待たされている広間。降り注ぐ色硝子の光の真ん中に立っている件の新人であろう男の姿に、とても見覚えがあったからだ。

ぼんやりと壁のステンドグラスを見上げているその大男に、声をかける。



「おやおやァ、意外な方がお越しくださいましたネェ。」



くつくつと笑いながら声をかけると、ばっと男がこちらを見る。



「っ、誰だ……!?」



薄闇の向こうから聞こえた女の声に、警戒して戦闘態勢を取る男。その見覚えのある構えに、尚更確信する。どうやら、男は女の知る人物本人のようである。



「誰だとは酷いですネェ、見知った仲じゃアないですか。」



闇の中から、闇に紛れていた黒い中折れハットと、黒薔薇の模様が入った白い仮面が、ぬうっと浮かび上がる。スーツに其れ等を纏った女が、色硝子の光が落ちる広間に、完全に姿を現わした。



「お前は……!」



男は目を見開いた。酷く見覚えのあるその佇まい。そして、腰に下げられたホルスターに入った、銀のリボルバーが色硝子の光を反射していることに、遅れて気が付いた。

そして、現れたその宿敵(ヴィラン)の名を口にした。



「リボルバー……ッ!」


「ハァイ♡ ご機嫌よォう、セ・イ・ヤ・サ・マ?」



男に『リボルバー』と呼ばれた女は、仮面の下でニヤリと笑う。一方セイヤと呼ばれた男は、一歩後退った。

リボルバーという女は、いつも慇懃な口調で飄々と、ひらひらと舞うように現れ、幻術や魔法のようなものを使って撹乱してくる、不気味なヴィランである。その惑わせる口調と術に、何度セイヤ達が苦しめられてきたか。

そんな思考の読めない敵として対峙してきた仮面の女が、今こうして目の前に居るのだから、警戒するのは当然のことだった。



「妙に血気盛んな新人が来たという報告を受けて来てみれば……まさかまさか、セイヤサマがいらっしゃるとはネェ。」



ゆらゆらと、大袈裟に左右に身体を揺らしながら近付いてくるリボルバーに、セイヤの太い首筋に汗が伝った。かつん、こつん、と、一歩一歩赤い革靴に包まれた足が、態とらしいほど音を立てて近付いてくる。自然と緊張の糸が張り詰めて、身に纏った黒のバトルスーツの装甲に汗が一粒落ちて、弾ける。

そうして、距離が縮まって、リボルバーがセイヤを見上げた。



「悪の組織の基地に、何しにいらっしゃったんです? 正義のヒーロー。」



『正義のヒーロー』

広間に落ちたその言葉が、今は酷く、重くセイヤにのし掛かる。ぎり、と、奥歯が軋んだ。


この世界では、遠い昔に『限られた優れた人類だけを進化させ、新時代を築くべき』という思想に至った科学者が、同時多発的に大気中に流布した人工ウイルスにより、人類の一部の人間に脳に変化が起きるようになってしまった。科学者自身は、ウイルス研究の何もかもを徹底的に破棄・破壊し、自殺。人類はそのウイルスを破壊する術を失い、今も猶、空気中に漂うそのウイルスを破壊すべく、日夜研究が進められている。

その脳に変化が……科学者の言う『進化』の起きた人間は、超自然的な力に目覚める。世界統計では、世界人口に於ける約10%がウイルスに適合し、力を得るという。

そんな世界で、その目覚めた力を正しく使おうとする人間と、力に溺れる人間が生まれるのは、当然のことで。


正しく使い、人を救うことを信条とする人間を【ヒーロー】。

力に溺れ、人を傷付けることに使う人間を【ヴィラン】と、この世界の人々は呼称する。


今ここにいるセイヤ(もとい)守本(もりもと)聖哉(せいや)は、本来ヒーローを生業とする男である。

社会に広く知られたヒーロー戦隊『ブレイブ・レイ』―――レイ・レッド、レイ・ブルー、レイ・イエロー、レイ・ピンク、レイ・グリーン、そして、レイ・ブラック。その六人から成るヒーローの、レイ・ブラックこそ、セイヤであった。

セイヤは、彼の190cmを越える恵まれた大柄で頑強な身体を使って、仲間達を、市民を悪から守り抜く肉弾戦を得意とするのが、彼のスタイルである。

そんな人物が、悪の組織に現在、新人として居る。

その意味は、誰が見ても明白だった。



「……チッ、白々しい。報告受けてきたなら、どうせ知ってんだろ。わざわざ言わせるなんて趣味悪ィな。」



舌打ちを一つ零し、セイヤは構えを解いて、リボルバーを見下ろした。その瞳は、何処か昏く、ぎらぎらと輝いていた。



「俺は、力が欲しくてここに来た。これで満足か。」



その言葉の意味は単純だ。―――つまりは、英雄の悪墜ちである。

セイヤの拳に、無意識に力が入る。指の関節が白く浮き上がるほど。彼の目の奥には、怒りとも悲しみともつかない濁った光が渦巻いている。

彼がここに来た理由は、先程彼自身が述べた通り。力だ。誰にも見下されない、圧倒的な力。それだけを求めてきたのだ。



「正義から悪に墜ちる俺を嘲笑いに来たんだな? ハッ、そうだろうな。」



吐き捨てるように、セイヤはそう言った。普段の寡黙でありながら、ヒーローとして立つ姿からは考えられないような、剥き出しの感情が見える。



「…………ふゥむ。」



リボルバーは、ぐるりとセイヤの周りを回った。顔や身体のあちこちを見て、そうして、彼が偽者でないことを再度確認し……仮面越しに頬を掻いた。



「なァるほど。ワタクシが呼ばれるワケですネェ。」



確かにこれは、一端の構成員では流石に対処できなさそうな案件である。仮にもヒーローが、こんな昏い眼をして悪の組織の門戸を叩くなど、余程の事情が無ければ起きない。彼が属する『ブレイブ・レイ』と何度か相対している自分が呼ばれる訳だと、納得の首肯を一つ。

その仕草さえ気に障ったのか、また一つ、セイヤが苛立たしげに舌打ちを零した。



(これは相当荒んでるな……)



ヒーローに有るまじき態度である。

内心苦笑して、くるりとセイヤに背を向けた。



「……はぁ。取り敢えず、こちらへおいでなさいな。ここに来た詳しい理由をお伺いしましょう」



セイヤには歩き出したリボルバーの全てが癪に障ったが、ここまで来てしまっては、行く当てもない。のそのそとリボルバーの後についていく。

薄暗い廊下に二つの影が伸びていた。セイヤが待たされていた広間は、リボルバーが属する組織【ブラック・ローズ・ガーデン】の基地の入口にしか過ぎなかったが、内部は想像以上に広く、壁面には赤黒い蔦のような装飾が這い回っていた。


途中途中、恐らく構成員と思しき面々と擦れ違う。全員リボルバーに向けて会釈をし、そして後ろにいるセイヤに目を丸くした。



「……あれ、レイ・ブラックだよね……?」


「何故ここに……?」



リボルバーに連れられていくセイヤに首を傾げる構成員の視線と、耳打ちの小声が、どうしても耳に入る。ぎろ、と一睨みすると、構成員二人は震え上がり、そそくさと去っていった。



「すみませんネェ、ワタクシの部下が。非礼はきちんと指導しておきますので、そこまで睨まないでくださいな。」



リボルバーの声が、振り返らず投げられた。それに一つ舌打ちを返して、セイヤは歩みを再開する。

案内された部屋は応接間のような場所だった。革張りのソファが二脚向かい合い、テーブルの上には紅茶のセットが置かれている。悪の巣窟にしては妙に小綺麗で、まるで何処かのサロンのようだった。



「どうぞ、おかけになって。」



リボルバーに手でソファを示され、勧められたまま、セイヤはソファに腰を下ろした。ぎ、とセイヤの体格を受け止めた革が悲鳴を上げた。

リボルバーは手慣れた手つきで、紅茶を淹れ始める。丁寧な所作で茶を淹れる様をセイヤは黙って見ていた。仮面をつけたまま器用にティーポットを傾ける姿は何処か滑稽であり、同時に不思議と様になっている。



「……お前、いつもこんなことしてるのか。」



サーブされたカップから、湯気が立ち上る。場違いな程上品な香りがセイヤの鼻腔を擽った。



「悪の幹部が新人のために茶ァ淹れるとか、聞いたことねぇぞ」



セイヤはちらりとリボルバーを見た。

何てこと無いようにセイヤの前にいるこの女は、ただの構成員ではない。【ブラック・ローズ・ガーデン】の幹部にあたる地位にいる。その事実を再確認するだけで、セイヤの喉の奥に不快感が溜まる。こんなふざけた女が、組織の中枢に添えられているということが、今の彼には、どうしても引っかかるのだ。

だが、そんな女が、手ずから「新人」に茶を淹れている。



「ンン? まぁ、立場の垣根とかあんま無いですしネ、ここ。それに、お客人に茶を出す事なんて、社会人じゃア良くあることでは?」


「それは……そうだが……」



向かいに座ったリボルバーの返しに、セイヤは微妙な顔をした。ヴィランに社会のあるあるを説かれるヒーローとは、随分と妙な図だった。

気まずそうに視線を逸らして、乱暴にカップを掴んだ。まだ熱い紅茶を一口煽って、口内を火傷してしまう。



「あっっつ……」



セイヤがカップをソーサーに戻した。唇がわずかに赤くなっているが、本人は気付いていないようだった。

暫く、沈黙が流れる。紅茶の水面が、小さく揺れていた。



「それで、此方に来た詳しい理由をお伺いしても?」



足を組み、リボルバーはセイヤに促した。話の本題である、セイヤが力を求める理由を。

問われたセイヤは、逡巡する。



(……こんな女に話していいのか。いや、俺は、この組織に力を求めてきたんだ。)



セイヤは、リボルバーを見た。黒薔薇の咲く白い仮面の裏は読めない。この状況でリボルバーが何を考えているのかなんて、セイヤには分からない。だが。



(幸いこの女は幹部。コイツがアイツらを全員黙らせられるような、絶対的な力を齎してくれるのであれば……俺は、悪魔に魂を売ったっていい。全部全部、利用してやる……!)



そう覚悟を決めて、残った茶の水面を見つめながら、重たい口を開いた。



「……理由なんざ、見りゃ分かんだろ。俺は……あの戦隊で、何の価値もなかったんだ。」



その言葉を境に、彼は、堰を切ったように話し出した。彼がヒーローとしての矜持を捨て去り、力を選んだ理由を。



「知ってるだろ。俺は、非適合者だ。特殊能力もない、あるのは……この頑丈な身体と腕力だけ。」



セイヤは、自分の手を見つめた。黒いヒーローとしてのバトルスーツに包まれた、その手を。



「だが、それでもヒーローになりたくて……ヒーローに憧れて、精いっぱいやってきたんだ。やってきたんだよ、俺は……」



目を閉じたセイヤの脳裏に、養成所時代の訓練が思い出される。

例え、ウイルスによって超自然的な力に目覚めることのできない非適合者でも、ヒーローを目指す者はいる。多くは力自慢や、ヒーローへ協力する企業から開発されたデバイスを駆使して戦う者がほとんどだ。

セイヤも、その一人だった。



「俺はな、子どもの頃にヒーローに救われた。怪人に襲われた町で、泣いてた俺を助けてくれたのがヒーローだったんだ。ブラックのスーツを身に纏ってさ……めっちゃくちゃ、格好よかったんだ。」



セイヤの目元が、緩む。想い出のヒーローを語る語り口だけは、柔くなった。

運命の転換点となったあの日。怪人の出現警報を受け、両親と共に町の避難所へと逃げ出した。だが、その途中、人混みの中で手が離れ、両親と逸れてしまった。警報が鳴り響く町で、恐怖と混乱で泣きじゃくる幼いセイヤを、ブラックのスーツを着たヒーローが、ひょいと抱き上げ、避難所へと連れて行ってくれたのだ。


“大丈夫だ、オレがどんな怪人からも守ってやるからな。この身体は鋼だ、君を傷付けさせやしないよ”


そう笑ったヒーローの腕の中で得た、『嗚呼、この人が居てくれれば大丈夫だ』という安らぎを、今でも憶えている。

今度は、それを他の人にも渡したい。その安らぎを与えられるヒーローになりたい。

仲間を、無辜の人々を鋼の肉体を使って守るヒーロー。そんなあの日のヒーローに憧れて、彼も正義の道を志した。

そうして、高校卒業と共に養成所へ入り、ヒーローに成るべく訓練を積んだ。厳しく過酷な戦場に立つ、戦士として戦えるようになるために。



「辛くて何度も挫けそうになった、何度も諦めそうになった。だが、それでも……誰かを、守れる人になりたくてさ。」



あの日のヒーローの言葉を、想い出を捨てず、辛くても奮い立ち、彼は真面目に訓練に励み続けた。幸い、彼には肉体的な適性があった。そのため、日々の訓練の中でメキメキと頭角を現し、やがて優秀な成績を修め、養成所を卒業した。そうして、ヒーロー事務所としてトップの知名度と強さを誇る【ガイア・ガーディアンズ】にスカウトされて、憧れだったあの日のヒーローとお揃いの、ブラックのスーツに身を包むことになったのである。



「そこまでは良かったんだよ。俺の希望だったカラー担当、やらせてくれてさ。……だけど、そっからが地獄だった。」



―――だが、現実はとても残酷だった。



「……『ブレイブ・レイ』はな、腐ってんだよ、中身が。……いや、違うな。正確に言いやぁ、ブルーと女衆の中身が腐ってる。」



ぎち、と、拳が震えるほどきつく握られる。

『ブレイブ・レイ』は、男女比率としては半々だ。だが、世間としては珍しく女性メンバーが多い戦隊だった。レイ・レッド、レイ・ブルー、そしてレイ・ブラックであるセイヤが男性、レイ・グリーン、レイ・イエロー、レイ・ピンクが女性である。

その中の、四人。レイ・ブルー、レイ・グリーン、レイ・イエロー、レイ・ピンク。この四人に、セイヤは酷く苦しめられてきたのだ。



「……俺が六年前に入隊した時、アイツらはもう出来上がってた。同じ養成所の、同期だったんだとさ。レッド……エンジを中心にした、ハーレムかなんかみてぇな状態でさ。」



その情報はリボルバーも知っていた。

『ブレイブ・レイ』のリーダーのエンジ(レッド)基、守谷(もりや)焔治(えんじ)。そしてセツ(ブルー)基、郡山(こおりやま)(せつ)モエ(グリーン)基、森田(もりた)(もえ)レイナ(イエロー)基、光谷(みつや)麗奈(れいな)。最後に、マナミ(ピンク)基、花守(はなもり)愛美(まなみ)。この五人は、セイヤが通っていた非適合者の養成所ではなく、適合者が通う養成所にて訓練を積んでいたと、報告が上がっている。

長い沈黙が流れる。セイヤは太い腕を組み、目を伏せた。



「アイツらは、エンジ以外の人間を人間と思ってねえ連中だった。」



語る声が、低く、重くなる。



「最初の頃はまだマシだった。でも半年もしねえうちに、「臭い」って言われ始めた。毎日、風呂入ってんのにな。そのうち「キモい」とか、「キショい」とかが加わって、訓練で俺の近くに立つのを嫌がるようになった。装備の配給も俺だけ後回し。作戦会議で意見言っても無視される。」



重く語られるのは、四人から受けた壮絶な嫌がらせ。

今セイヤが列挙しただけでも、最早いじめと言っても過言ではない内容だった。

だが、セイヤが力を選んだ理由は、それだけではない。



「……しまいにゃ、SNSで俺だけ晒されて叩かれてた。『ブレイブ・レイの汚点』ってよ。」



セイヤは、片手で顔を覆う。

最近はめっきり見なくなってしまったSNS。入隊直後に事務所に言われて作ったアカウントも、もう動かすどころか、アプリケーションを開く気力すらない。だってログインした所で、飛んでくるのは罵詈雑言ばかりだと、分かってしまっていて。



「一番きつかったのは……子どもの言葉だ。“お前みたいなのがいるからヒーローの品格が下がる”って。親に連れられて来た小学生に、面と向かって言われた。」



喉が引きつるように動いた。

思い出すだけで、心がぐちゃぐちゃになって、情けない気分になる。



「アイツらに馬鹿にされて、世間様にも嗤われて。それで、どうやって戦えってんだ……」



普段なら、絶対に吐かない弱音だった。誰かに聞かせるつもりなどなかったのに、口が勝手に動く。この場所の空気がそうさせるのか、それとも目の前にいるのが『敵』だから逆に気が楽なのか。



「それでも戦ったさ。誰かを守るために拳振るってきた。……なのにあいつらは、俺が傷ついて帰ってきても、「早く着替えて」しか言わなかった。……けどな。」



両手で顔を覆った。指の間から、押し殺した声が漏れる。



「エンジだけは違ったよ。あいつだけは、俺に普通に接してくれてた。あいつは、そんなことしなかった。……それが余計に惨めだった。」



ふと、セイヤが自嘲するように笑う。



「……エンジはよ、火を使えるんだぜ? カッコいいだろ。女にも、子どもにもキャーキャー言われてよ。事務所内の人気投票でも、毎度一位だしよ。対して俺は……言っちまえば、ただの肉壁だ。人気投票も最下位。それがどうしようもなく、恨めしい時があるんだよ。なんでそんな、一番恨みてえ奴に優しくされなきゃなんねえんだ。」



非適合者でもヒーローになりたい。そう志したのは自分のはずだった。だが、エンジの活躍を横で、名声を浴びる様を間近で見ていると、どうしても嫉妬が吹き荒れる。火を繰り、人を守り、自分には出来ない戦い方で戦う背中に、劣等感が刺激された。

セツ達に囲まれていながら、自分の辛さに気付かない恨めしさと、綯い交ぜになってしまっているのかもしれない。だが、そんなことはもうどうでもいい。

手を下ろし、セイヤは充血した目でリボルバーを見た。



「でも、もう限界だ。あいつの優しさに縋るのも、あいつを恨まないフリをするのも。全部、疲れた。」



そう、セイヤ自身が言った通り、彼の心はもう限界だった。

あの日のヒーローへの憧れだけで奮い立つには、六年の間に『仲間』から、『守るべき市民』から受けてきた傷は、深くなりすぎてしまった。

リボルバーを見る目には、先程までのやさぐれた色とは違う、切実な光が宿っていた。



「なあ、お前の力で、何かできんだろ。あいつら全員、黙らせられるような力を……俺にくれ。」



ヴィランが集う悪の組織の中には、非適合者を肉体改造により、強制的にウイルスに適合させ、力に目覚めさせる術を持つ者がいると聞く。その手術を重ねて、【怪人】と化す者もいる。

以上が、彼が此処に訪れた理由。力を求め、悪の路を行くことを決意した訳である。


セイヤの話に一切口を出さず、静かに聞いていたリボルバーは、足を組み直し、かく、と首を横に傾げる。仮面越しに、じっと、セイヤの目を見つめ返した。



「その問いの答えの前に一つ、私からも問いましょう。守本聖哉。」



いつも彼と対峙する時のような、ちゃらけた様子のない声音で、リボルバーは問う。



「貴方がここに来た目的は、今の話で分かりました。復讐ですね。……ですが。貴方は、復讐の業火に身を焼かれる覚悟は、本当にあるのですか?」



その静かな問いが、応接間に落ちた。



「復讐の炎はね、簡単には消えないのです。腹の底に怒りを宿り続け、ぐるぐると渦巻いて、復讐を遂げるまで……いいえ、復讐を遂げたとて、炎は身の内で囂々(ごうごう)と燃えたまま。それを宿し、一生背負う覚悟は、本当にお有りですか?」



紅茶の水面が、また微かに震えた。セイヤ自身の手が震えているのだと気づくのに数秒かかった。

あのちゃらけた女の声が、別人のように低く響いた。仮面越しの瞳が、冗談の一切を排してセイヤを射抜いている。それが妙に重くて、息が詰まった。



「……」



握る指に力がこもる。だがセイヤは構わず、絞り出すように口を開いた。



「覚悟がなきゃ、ここまで来てねえよ。」



声は低かった。虚勢ではない。腹の底から這い上がってきた、泥臭い本音だった。



「六年だぞ。六年間、あいつらの盾やってきた。殴られても蹴られても、世界のためだって我慢してきた。でもよ……限界ってのは来るんだ。ある日突然、プツンと切れんだよ。糸みてえなもんだ。」



セイヤは一度目を閉じ、そして開いた。そこにはもう迷いの色はなかった。



「業火だろうが何だろうが構わねえ。燃やせ。俺ごと全部。」


「…………。ふぅん、そう。」



セイヤの答えを受け、リボルバーは、一つ首肯する。そうして、徐に自分の仮面に手をかけた。

この男は、本気で復讐を望んでいる。であるならば。



「であるのならば、歓迎いたしましょう。ようこそ、復讐者の園、【ブラック・ローズ・ガーデン】へ。」



この男も、志を同じくする同胞である。同胞には、仮面ではなく、素顔で接さなくては。


するりと、仮面が外れた。


仮面が外れた瞬間、セイヤは思わず息を呑んだ。戦場では一度も見たことのない素顔がそこにあった。まじまじと、その顔を見る。黒味の強い焦げ茶の髪、土のようなブラウンの目。仮面のヴィランの素顔は、思っていたよりもずっと、普通の顔をしていた。

セイヤはしばらくリボルバーの顔を見つめていたが、やがて不意に顔を背けた。



「……仮面の下、そんな顔してたのかよ。」



ぶっきらぼうに言い捨てて、残りの紅茶を啜る。今度は火傷しなかった。



「で、具体的に俺はどうすりゃいい。まさか、茶飲んで終わりじゃねえだろ。」



その問いかけには、先ほどまでの投げやりな響きはなかった。復讐者の園への入場券を手にした男の、最初の一歩を踏み出そうとする声だった。

窓の外では、いつの間にか日が落ちかけている。差し込む夕焼けの赤い光が、二人の横顔を照らした。



「うーん。そうですね。」



リボルバーは、ハットも外して、自分の横においた。さら、と、髪が流れて揺れる。



「まず、復讐する相手を、整理しましょうか。その後に計画を詰めていきましょう。」


「整理だぁ?」



リボルバーの言葉に、訝しげにセイヤは眉を顰める。



「整理も何も、アイツら全員、力で押し潰しゃいい話じゃねぇか。何を整理するっていうんだ。」



苛立ち交じりに、リボルバーに噛みついて返す。リボルバーは、ようやく口をつけた自身の紅茶のカップを傾けながら、答えた。



「標的を整理する理由は二つ。まず、もし、そうする理由があったとしたら? それを強要されていたら? ……後から真実を知って、その炎を向けたことを後悔するのは、貴方ですよ。そうならないように、きちんと下調べは必要なんです。」



セイヤは、口が開きかけて、閉じた。反論しようとして、言葉が出なかった。

『強要されていたら』

その可能性を考えたことがなかったわけではない。だが認めたくなかった。認めてしまったら、この怒りの行き場がなくなる。



「……。」



大きな体を縮めるようにして背もたれに体を預けた。天井の優美な照明の光が目を刺す。



「じゃあどうすんだ。じっくり観察してから決めろってか。その間にあいつらはのうのうとヒーローやってんだぞ。」



苛立ちは隠せなかったが、さっきのように噛みつく勢いはなかった。セイヤとしては、早く、あの五人に目に物見せてやりたいのだが。



「落ち着きなさい。焦っては事をし損じます。」



だが、そんなセイヤに、リボルバーは静止を求める。

カップを置き、セイヤを見た。



「貴方には、先程『復讐の炎を宿す』覚悟を問いました。それはつまり、復讐の炎を向ける正しき矛先、その相手を見据えること。その周りの罪なき無辜まで総てを燃やし尽くすのは、『復讐者』に在らず。ただの快楽殺人犯です。」


「なっ……てめぇ……!」



快楽殺人犯。

その言葉は、茹だっていたセイヤの思考に冷や水を浴びせたように反響した。だが、瞬間に怒りが突沸する。何かを反論したくて、咄嗟に身を乗り出して掴みかかろうとするが、そう語るヴィランは、あまりにも凛と、しゃんと背を伸ばしてセイヤの目を見つめていて、動きが止まった。



「貴方は、快楽殺人犯になりたいのではなく、復讐を遂げたいのでしょう。ならばこそ、準備が必要なのです。これが、二つ目の理由。復讐する相手を正しく見据え、相手に一番苦痛を与える方法で復讐する。それが我らの礼儀です。」



セイヤは身を乗り出したまま、その言葉を咀嚼していた。全身どころか脳味噌まで筋肉で出来ているような男だが、“復讐相手を正しく見据える”、そして“一番苦痛を与える方法を取る”という理屈は理解できた。むしろ、力任せに暴れるよりも遥かにセイヤの性分に合っている気がした。伸ばしかけていた腕を組み、太い指で顎を擦りながら、黙って座り直す。



「……なるほどな。ただ殴る蹴るじゃ、六年の苦しみに釣り合わねえってことか。」



低い声に、微かな熱が戻っていた。怒りとは違う、もっと冷たく、鋭い何か。

セイヤの中で、復讐の形が変わり始めていた。漠然とした破壊衝動ではなく、もっと精密で、陰湿で、そして確実な何か。目の前に座るこの仮面を外した女は、確かにただのちゃらけたヴィランではなかった。



(……こいつなら、本当に……俺の怒りを、復讐を成してくれるかもしれない。)



そんな期待が、セイヤの中で高まっていく。

 


「えぇ、そうです。だから、具体的な報復は、標的を見据えてから。そして、それが決まったら、セイヤサマにも行動してもらいます。」



ぴっと、リボルバーはセイヤを指差した。



「……何すりゃいいんだ。」



今度こそ、問う。己が為べきことを、目の前のヴィラン(救い主)に。

これから始まる、セイヤの復讐の第一歩。一体何を言われるのかと、セイヤは固唾を飲む。

そして、にっこり微笑んだリボルバーの口が、開かれた。



「貴方、弁護士を雇いなさい。」


「―――……は?」



間抜けな声が、夕陽に染まる部屋に響いた。

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