33:扉
ミカハヤさんの後に続いて下水の迷宮の中を歩く。
ミカハヤさんが来るまではそうでもなかったのだが、今現在この迷宮内部はめちゃくちゃに暑い。信じられないくらいに暑い。脳みそが茹でられて美味しく調理されてしまいそうだ。
ミカハヤさんが僕を食う気なんじゃないだろうな?
「……ミカハヤさん、僕のこと茹でてます?」
「は? いや……そんなつもりはないんだが。少々暑すぎるか? しかし、死にたくなければ多少は我慢してもらわなければならない」
「え、なんで?」
まず熱で死にそうなんだけど。
「細菌だとかウイルスだとか、この辺りに充満するそういうのを全て焼き殺している。目に見えるサイズの眷属よりそっちの方が余程厄介だ。人から人への感染能力も高く、相当に死人が出た」
「あー、なんか千紗ちゃんもそんなこと言ってた気がするな」
イヴは確かそういったものへの対策のために連れてこられていたはずだ。
殺菌の余波でこの馬鹿げた気温になっている。まあそういうことなら多少熱が籠るのも仕方がないか。むしろこの程度で済んでいてよかったとも考えられる。
もし千紗ちゃんたちとはぐれてさえいなければイヴがもっとスマートに対処してくれていたのだろうか。白魔導士なんて言うくらいだから熱で焼き殺すなんて強引な手段は取らないだろう。イヴが恋しい。暑い。暑すぎる。どうしてこんなことになってしまったんだ。
「着いたぞ、ここだ。このハンドルを回してくれ」
ミカハヤさんに案内されて辿り着いた先にあったのは巨大な金属製の扉だった。
隣にはミカハヤさんの言う通りこれを回して開けてくれと言わんばかりのステアリングホイール──舵輪のような形のハンドルが刺さっている。
「どっちに回せばいいの?」
「知らん」
「えー、じゃあ左に回しますよ」
ハンドルの近くまで歩き、潰さない程度にしっかりと握ると、左に回すために力を込めた。
ぴくりとも動かない。
向きが違うのかと思い、同様に右に回すように力を込めてみるが、そちらにも全く回転する気配がない。
「……びくともしない。右に回しても同じだ」
「全力を込めているか?」
「いや、加減してますよ。壊れちゃいそうだし」
「試しに全力でやってみてくれ」
「いや、試しにっていうか……いいけどさ」
言われた通りに思い切り力を込めてハンドルを左に回す。
ポキリ、という音がした。
案の定、ハンドルは根元から折れていた。金属が破壊されているとは思えないほど軽い音だったが、まあ結果として、ハンドルはまともに握ることもできなくなってしまった。
「ふむ」
ミカハヤさんとしてもこうなるのは想定できていたようで、そこまで驚いた様子ではない。
「まあこうなるよね。別のロックを解除してから回さなきゃいけなかったんじゃないですか?」
「最初からダミーだったのかもしれん。まあいい、とにかく別の場所を探すぞ。ここは外れだったようだが、まだ歩いていない場所はいくらでもある」
ミカハヤさんとしては結構適当に探索しているような様子が窺える。
このハンドルが本当に重要な仕掛けだったらどうするんだ。
「扉を熱で溶かしたりとか出来ないんですか?」
「……試してみるか」
試してなかったのか。
ミカハヤさんが手を翳すと、扉の周りの空気が熱によって揺らいでいく。
扉自体も窯に入れられた鉄のように徐々に赤くなっていく。しかし、ただ色が変わるのみで、溶け出すとか壊れるだとかはしないようだった。
「無理そうだな。俺にこれ以上の温度は出せん」
はあ、と息を吐いて手を下ろすミカハヤさんを尻目に、僕は扉へと駆けて、思い切り右脚で蹴りつけた。
ゴオン、という音と共に扉が変形する。
ミカハヤさんが目を見開いて驚愕しているようだった。
こういうことをさせるために僕を連れてきたのではなかったのだろうか。
変形が半端なので、もう一度思い切り蹴りつけると、今度はしっかりと人が通れるくらいの空間ができた。
「ちゃんと熱で柔らかくなったみたいだね。コンビネーションだ。興奮する。僕は分業的な解決が大好きなんだ」
その趣向は過去にMMORPGにハマって人生を台無しにしてしまった最大の理由でもある。最早どうでもいいが。
「……足、大丈夫なのか?」
「痛いけど、まあ多分大丈夫ですね」
ちゃんと歩ける。足としての機能に問題はない。
「じゃあ、奥に行きましょうか」
「……うむ」
どうせこの先の道はミカハヤさんもわからないだろうから、僕が先立って歩くことにする。
扉の先も何のことはない、先ほどまでと比較しても特に代わり映えのない、気の滅入る灰色の通路が続いている。
踏まれる足元のコンクリートは延々単調な感触を返してきて、その無機質な感覚の連続は確実に僕の精神を疲弊させていく。
というかそもそもこのクソ蒸し暑い空間をむさい男と二人で歩いているという状況が良くない。僕の精神衛生上全くよろしくない。
誰なんだ、こいつは。
千紗ちゃんが恋しい。イヴでもいい。この際平野でも文句は言わない。ミカハヤさんとの間には会話もない。さみしい。寂しすぎる。
そしてこの通路はあまりにも長い。すぐ何かしらのオブジェクトが目に入るなら別に無理して話すこともないだろうと思っていたのだが、何一つとして僕の目には映らない。
この空気に耐えかねたので、少し話を振ってみることにする。
「えーっと、ミカハヤさんって、何をして……いや、以前何をされていたんですか? 土方とか?」
「……そう見えるか?」
「まあ、割と」
筋肉質でワイルドな容貌のミカハヤさんがやってそうな仕事なんて大方予想がつく。土木関係でないにしろ九割九分九厘肉体労働だ。
離島に住んでいるかのような発言からスポーツ選手だとかいう線は薄い。
「祭司のようなことをしていた」
「それだけで生きていける収入があったんですか?」
「ああ。良くも悪くも、それだけで成り立つようにできていた。俺はそのためだけに育ってきたんだ」
全然肉体労働ではなかった。どころか、なんか地雷を踏み抜いてしまった気分だ。
祭司か。なんとかカミという名前もそのあたりに由来するのだろうか。なんとなくそれっぽい気はする。ミカハヤさんだからミカハヤなんとかカミか。
まあいい。この話は忘れよう。
ミカハヤさんが可愛い女の子ならともかく、こんな筋骨隆々の男の心の傷に寄り添ったところで仕方がない。この男から堅い信頼を勝ち取るモチベーションは僕にはない。放置が正解だ。聞かなかったことにしよう。
「あまり詳しく聞きたくはなさそうだな……まあ、俺としても好き好んで話したいようなものでもない。聞きたいというなら話してもいいという程度のものではあるがな。ある程度吹っ切れたんだ。以前はよくこんな境遇に産み落とした両親を恨んだりもしたものだが、その両親も今回の災害で死んだ」
親を恨むような境遇か。
ミカハヤさんもなかなか大変な人生を歩んできたようだ。
災害、というのは、異界種たちの世界と僕たちの世界が混じってしまったことを指して言っているのだろう。ミカハヤさんの島でだけそう呼ばれているのか、広くそう呼ばれているのかは知らないが、僕が一ヶ月前、気を失う直前に見たあれは、あの光景はまさしく災害だった。
待て。
おかしい。
その光景が思い出せるのに、その前後に起きたはずのことがまるで思い出せない。
外部からそうされたのか自己防衛としてそうしたのかは知らないが、記憶が不自然に欠落している。
アリスを殺した瞬間。そこまでは明瞭に記憶している。思い出せる。それは確認していた。既に分かっていたことだ。
動画を再生するようなイメージで想起し、記憶を流してみると、アリスを殺したその直後、僕の脳は暗闇に支配される。
これもいい。既に経験した感覚だ。
僕はこの事から単純に、アリスを殺した直後に僕は意識を失ったのだと考えていた。
だが違った。
その後の記憶が存在している。
僕の頭の中に浮島のように孤独に、ぽつりと映えている、世界が崩壊していく光景。
異界の化け物が僕の世界の人間達を羽虫でも潰すように殺し、人類の軌跡とも言えよう建物群を破壊していく光景。
今現在僕たちが立っているのは崩壊後の世界だ。状況を鑑みれば簡単に、この記憶が崩壊するまさにその時のものであるということはわかる。
わからないのは、その記憶の中に不自然に存在する靄のようなものと、そして──なぜ僕の中にこんな記憶があるのかということだ。
この記憶の存在が意味すること。
それはアリスを殺してから気絶するまでの間に、僕が活動していたことの証拠に他ならない。
僕は一体何をしていた?
「……おい、どうした? ……ああ、俺の発言が気に障ったか? すまない、配慮が足りなかった」
ミカハヤが僕を慮るように声を掛ける。
配慮?
何に対してだ?
ミカハヤの言葉を思い返す。
両親……そう、両親だ。
ミカハヤは僕の両親が災害で死んでしまったものと思ったのだろう。もしその予想が当たっていて、そして僕が家族愛に溢れる暖かい心を持った人間なのだとしたらその発言は地雷を思い切り踏み抜いてしまっている。
だが、しかし。
僕は今この瞬間まで両親のことさえすっかり忘れていた。
ただの一度も考えなかった。
急に特殊な環境に放り込まれて精神的に追い詰められていたためか?
その程度で僕が両親の事に考えが及ばなくなる程に揺らぐか?
僕は人並みの家族愛を持っているつもりだ。母親に対しても父親に対しても、人並みの愛と感謝を持っているつもりだ。
人並み程度の愛でしかし、僕たち家族3人は人並みより仲睦まじくやっている自覚があった。
これも何か、消えた記憶に関連しているような……そんな気がする。
いや、気がするだけじゃない、不自然な欠落という共通項がある以上、関連するものとして見る方が自然だ。
「おい」
「──いやあ、すいません、ちょっと立ち眩みしちゃいまして。進みましょう」
「……そういう風には見えなかったが……まあそういうことにしておこう」
無理があったらしいが、ミカハヤさんは割と大人な対応をしてくれた。
僕の記憶については一時保留だ。
ここはダンジョンの中なのである。余計な感傷に浸ったり、自分の記憶で勝手に混乱しているような余裕なんてない。
目下の目的は千紗ちゃん達との合流である。
僕はなぜか震えている足を無理やり前に動かした。




