29:社長
「力が戻る過程で傷も治った、とかですかね?どうもしっくりこない気もしますが……危険な兆候というわけではなさそうですし、なあなあでいいんじゃないでしょうか」
「痛みもないし、今のところ僕が感じられる不利益はないね」
「そういう理解できない現象、今だと数え切れないくらいに飽和してますからね。いちいち気にしてたら何もできません」
やれやれと言わんばかりに首を振る千紗ちゃん。
超常現象には辟易しているようだ。
「それはそれとして、です。今後しばらくはこの結社ビルで暮らすことになるでしょうから、社長のところに行って登録を済ませてしまいましょう」
「社長?」
「結社のボスです。イルミナティとかだと『王』って呼ばせてるみたいですから、そういうのに比べると大分大人しい呼称ですね」
どこからそんな知識まで仕入れてくるのだろうか。
「登録って? 社員登録、とか?」
「まあ概ねそうですね。私たちみたいな特殊な人間────結社での呼称は『半覚醒者』っていうんですけど、半覚醒者が結社に所属する場合は傭兵契約というものを結びます。私たち三人は特に改造人間、なんて揶揄されることもありますけど。それで、契約を結ぶと、首輪つきになりますけど、歩合の報酬の他に衣食住をしっかり提供していただけます。そのあたりの報酬制度はきっちりしてるんですよね、だからこそ集団として成り立っているんでしょうけど」
「首輪っていうのは、具体的には?」
「この刻印です」
そう言いながら千紗ちゃんが差し出したその右手の甲には、タトゥーのようなものが刻まれていた。
「逆らえば死、というものらしいです」
「……重すぎない?」
「まああくまでそれは社長の言い分です、私たちとしては実際のペナルティはそこまで重くはないか、あるいはこの刻印に叛意を認識する機能がついているという事自体がブラフなのではないかと睨んでいます。本当にそこまで強力なものなのであればわざわざ刻んだ後にまでしっかりと報酬を支払う必要なんてありませんからね。その能力だけで十分に支配できるはずなんです。それに最悪結社を裏切るような場面になったら手を切り落とせばよさそうでもありますし、そこまで契約を渋る必要はないと判断しました」
「……それは本当に最後の手段にしてね……」
「そういうわけなので、さっさと社長のところに行って登録を済ませてしまいましょう。このままでは悠一郎さんの分のご飯が貰えません。お腹、空いてますよね?」
「ああ、言われてみれば……胃に何も入ってない感じがする」
一ヵ月の間眠っていたのだから当然か。
そういえばその間排泄などはどうなっていたのだろう?……あまり考えないことにしよう。
嫌な考えを振り払うように首を横に振っていると、栞ちゃんが立ち上がった。
「じゃあ、私たちは先に食堂に行ってるねー。お腹ぺこぺこだよー」
「そうだな。今日は結構疲れた……飯食って風呂入って寝てしまいたい」
それに続くように志木も歩き出す。
「風呂まであるのか、ここ」
「大浴場だけだがな。水道はもう機能していないが、水を出すことに特化した半覚醒者がいるらしい」
「一人で大浴場を満たすほどの量の水を出すのか? 今更物理法則がどうこうなんて言うつもりもないけど、また随分滅茶苦茶な話だね。どっから捻出してるんだよ」
「制約の厳しい転移能力かも、なんて話はありましたね。実際エーテルに満ちたダンジョン内ならともかく、そうでない普通の場所でその量の水を直接生成するのは現実的な話じゃないです。可能性は0ではないですけど。それじゃ、私たちも行きましょう」
千紗ちゃんの後を追うようにして僕も部屋を出る。
「そういえば、千紗ちゃんと志木で一緒にいたけど、もしかしてこの部屋で一緒に住んでる?」
「そうなりますね。あ、同じ部屋で寝てるわけじゃないですよ。ここ、マンションみたいな構造になってるので、同じ家の別の部屋で寝ている感じです。私と栞とカルさんは相部屋ですけど」
それを聞いて少し安心したが、結局一つ屋根の下という状況は変わらない。
志木め、おいしい思いをしやがって。
というか、カルも同じ場所に住んでいたのか。姿を見なかったので失念していた。
「カルって今何してるんだ?」
「遠征任務中です。カルさんは『覚醒者』なので、一人だけ重要な任務を任されることがちょくちょくあるんですよね」
「半、が取れてるのか。どういう基準なんだ?」
廊下を少し歩き、エレベーターに乗ると、千紗ちゃんは30階のボタンを押した。
「先天的なもので半分、後天的なもので半分です。私とかは後天的なもの────エリア様の改造のみなので半覚醒者というわけです。結社の方々は大抵が先天的なものだけですね。後天的な覚醒の要因というのは別にエリア様の改造に限った話ではないんですけど、それでもほとんど起こった事例がないそうです。結社の把握している限りでは、覚醒者はカルさんと社長の二人だけ。覚醒者は半覚醒者と比較してダンジョン外で行使する能力が非常に強力であるという特徴があります。……着きました、社長室です」
エレベーターを降りてまた少しだけ歩いた先のドアを千紗ちゃんがノックする。
「失礼します」
その部屋の中でペンを走らせていたのは予想に反してかなり若い男性だった。25歳前後、といったところだろうか。
その男はペンを置くと立ち上がり、恭しくこちらに礼をした。
「やあやあ、伊丹さんか。どんな御用かな?」
「こちらの男性の傭兵登録をお願いします」
お互いに、そこそこ気心が知れたような雰囲気がある。この結社のボスというと暴君のようなイメージを抱いていたのだが、全くそのような気配は見せない。
「君は例の、眠り続けていたという……望月くんかな?」
「よく御存知ですね」
僕の話まで耳に入っているとは思わなかった。
「半覚醒者って、そんなぽんぽん湧いて出るものじゃあないからねえ……それに関する情報は大体把握しているつもりだよ。挨拶くらいはしておこうかな? この結社の社長を務める、和弘宗次だ」
「望月悠一郎です」
「伊丹さん、彼は本人で間違いないね?」
「ええ、そのあたりの確認は羽生が済ませているはずです」
羽生とは、栞ちゃんの苗字だったか。
「うむ。さて、そうであるなら検証とかも飛ばしてしまっていいかな。君が同意を示し次第印を刻んでしまうよ」
「あー、えっと」
「同意してしまっていいと思いますよ」
「あ、はい、同意します」
千紗ちゃんに促されるまま同意を示す。
かなり情けない絵面だ。
「うむ、それじゃあ右手を差し出してくれたまえ」
言われるまま右手を出す。
ピリ、という痛みが走り、朱色の印が手の甲に刻まれた。
「はい、これで君も今日から結社の兵士だ。ビル内の施設は自由に使用してもらって構わないし、それに────」
「詳しくは私から話しておきます」
「うむ、そうしておいてくれ。もう少し話したい気持ちもあるのだが、仕事が山積みなのでね。何かあれば連絡がいくから、それまでは自由にしていてくれ」
「失礼しました」
言うなり千紗ちゃんは速足で部屋を出た。
「それじゃあ、食堂に行きましょう」
「……なんか、態度が結構雑だね。こういう組織の長となると、もっとへりくだって接さないと怒りそうなものだと思ってたけど」
「雑でいいんです。彼はそういう人です」
再びエレベーターへと乗り込む。
「カリスマがないっていうか、なんというか……」
「まあ支配者の器でないという感じはありますね。力だけが彼を社長たらしめています。それよりもご飯です、今日は確か中華が食べられたはずですよ。急ぐべきです」
「好きなの?中華」
「油をふんだんに使った料理こそが真なる美味しさを秘めています」
「そ、そう……」
千紗ちゃんと食事をしたことはなかったが、なかなかこだわりのある、というか食い意地の張ったタイプかもしれない。
ピン、という音と共にエレベーターが停止し、扉が開く。
この階では直接食堂に出るようだった。
「随分広いね。人も大勢いる。これ全員、その、半覚醒者ってやつなの?」
「そういうわけではないはずですよ。経理とか技術者とかも必要ですからね、特殊な能力を持っていなくても結社の一員として採用される余地があります。平社員、って呼ばれてますね」
「……なんかもう、普通の会社みたいだね」
平社員とは、また緊張感の一切感じられない呼称である。
「おい、伊丹ィ。その男誰だ?」
その大勢の人の中に、千紗ちゃんに声をかける女がいた。
見覚えがある。蟷螂を彷彿とさせる細身の姿。隣にいる大男。
以前僕が殴り飛ばした人達で間違いないだろう。
いや、しかし、何も恐れることはない。誰だ、と問われている通り、向こうは僕のことを認識できていない。
それもそのはず、あの時は包帯で顔を隠して犯行に及んでいたのである。暗い倉庫で目を見ただけなのだから、僕を特定できようはずがないのだ。
初対面を装おう。
「誰だ、と聞かれても結構説明しにくいんですけど……まあ半覚醒者です」
「ほう? 君、名前は?」
「望月悠一郎です、どうぞよろしく」
一瞬偽名を名乗ることも考えたが、社長に知られている以上隠し通すのにも無理がありそうなのでそのまま本名を名乗る。
「ほうほうほうほう、なるほどなぁ……」
じろじろと視線が絡みつく。品定めでもされているかのようだ。
「私がこのゴリラと仕事させられてる間にお前はこの優男とデートか。良い御身分だなおい」
「交換してあげましょうか?」
「えっ」
意図せず情けない声が出てしまう。
「冗談です。そんな本気で落ち込まないでください」
「イチャつくのをやめろ。殴り飛ばすぞ」
「反作用であなたが吹き飛ばされるのがオチですよ」
「んな話はしてねえんだよ。あー、私は平野。こっちのでかいのがゲントだ。クソみてえな職場だが、まあ仲良くしようぜ、兄弟」
「よろしく頼む」
平野の言葉に続いてゲントと呼ばれた大男が口を開く。
見た目からして日本人ではなさそうだがどのあたりの出身だろうか。アラビアンな雰囲気を感じないでもない。
名前でも尋ねてみるか。
「ところで、二人のフルネームは?」
「呪う気か?」
「まさか。興味本位だよ」
「俺は呪術師でな。呪術を扱う者は例え仲間相手であっても自らの本名を晒さないものなんだ。君も次からは気をつけるといい、望月悠一郎青年」
どうも先に名乗ってしまったのは失敗だったようだ。
ゲントは余裕の伺える笑みをこちらへ向けている。
「私は平野玲、こいつはアズィーズ・ゲントだ」
「おい平野!」
一転、物凄い形相で叫び出す。
「神経質すぎるんだよお前は。初っ端からフルネーム名乗った望月くんが呪術師だと思うか?」
「こいつ経由で漏れる可能性だってあるだろうが! くそ、お前はいつもそうだ、いくら言っても何も変わりやしない」
本格的にイチャついてるのはあちらの方に見える。
「アズィーズ、というとクルド人かアラブ人あたりの名前ですかね。中東の出身ですか?」
千紗ちゃんはなんでも知っているな。僕はというとクルド人という単語がそもそも初耳だ。
「詳しいな。まあ、そういう家系というだけで、俺は生まれも育ちも日本だ。中東に多少のコネはあったが、今となってはほぼ無意味だな。あっちがどうなっているのかすらわからん」
「そうですか。ああ、どうでもいいことに時間を使いすぎました。ご飯を受け取りに行きましょう」
千紗ちゃんはゲントの言葉を遮るように歩き出した。
「伊丹お前……随分ふてぶてしくなったな……」
「お陰様で」
僕がいない一ヶ月の間、かなりこの人たちと仲良くしていたようで、僕は蚊帳の外という空気だった。
何とも言えないもどかしさを感じる。千紗ちゃんの横顔を見ると、たった一ヶ月の空白が、酷く大きな喪失であったように思えた。




