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20:代行者

 母に声をかけることもせず、すぐに家を出て、早足で駅まで歩く。

 時間は限られている。


「なんて読むの?あの名前」


「たからあさぎ、じゃないかな?」


「知り合いじゃないの?」


「まさか」


「どういうこと?なんでメールが来たの?」


 歩きながら、カルはまくし立てるように質問を続ける。

 この文面だけ見せられてもわからないのは当然か。


「うーん、趣味が高じてというか……いや、そんな綺麗なものでもないんだけど……まあ会ってみれば多分わかるよ、イタズラかもしれないけどね」


 個人情報の具体性とシンプルに助けを乞うメッセージから実際に赴く判断をしたが、真実どうであるのかはわからない。

 面白半分に送られてくるものがほとんどだ。


「出会い系とか?」


「そういうものならカルがいるのにわざわざ会いに行かないよ」


「ここからその住所の場所までどのくらいかかるの?」


「霞ヶ関らしいから一駅かな。歩く時間とか諸々込みで20分ちょっとか。具体的に何が起きてるのか知らないけど、下手したら手遅れかもね」


 話している間に駅まで着いた。

 ICカードを改札に翳し、階段を経由してホームへと進む。

 電車を待つ間に先程のメールに返信しておく。


「趣味って、どんな趣味なの」


「んー、中学生の頃の僕さ、色々格好つけたりしてたよね。あれの延長みたいなものだよ」


 自分で言っていて恥ずかしくなってきたが、過ぎたことだと割り切る。


 夕暮れ時であるので駅を利用する人間は多い。

 そのため、見目がよく、若干ビビッドな色合いの髪と瞳をしたカルの方に視線が集まったりもしているのだが、慣れているのか、本人にあまり気にした様子はない。


 当のカルの視線はずっとこちらに向いている。

 周囲の人間から僕への嫉妬の色の混ざった眼差しが心地良い。


「なんて返信したの?」


 一応画面を覗かれないようにしてはいたのだが、それでも何をしているのかというのは明らかだったようだ。


「状況を教えてくれ、って送ったよ。分かってなくてもなんとかするけど」


「本当に、その会ったこともない女の子がユウに助けを求めてるってこと?」


「半々だね。そうかもしれないし、さっきも言ったように単なるイタズラかもしれない」


「それでも行くんだ」


「本当に、こんなものに縋るしかないほどに切羽詰まっているのなら、僕が救ってあげないといけないからね」


 そう言って、携帯を振ってみせる。

 傲慢な偽善であるのかもしれないが、救われる人間がいて、そして救った僕も気持ちが良いのなら、win-winの素晴らしい行いだ。


 僕が度々モラルに則った、道徳的な行動を取る理由の一つとして、他人を見下すための尺度が一つ増えるから、というものがある。

 道徳的でない人間を見下すために道徳的な行動を取る。

 少々アイロニックだろうか。

 しかしながら、僕の精神衛生を保つことにおいてこれほどコストパフォーマンスに優れる要素もそう存在しない。

 ちょっと落ちていた缶を拾ってゴミ箱まで運ぶだけで、僕は自分の持つ余裕を感じ、路傍にゴミを捨てた人間への優越を感じ、自己愛が育まれ、街は綺麗になり、不利益を被る人間は誰もいない。

 もしかしたら、清掃業者の仕事を奪っているかもしれないし、缶を集めて売ろうとしているような人間にとっては迷惑この上ないのかもしれないが、一つ運んだ程度でそう変わるものでもないだろう。


 そういった考え方のもとで、僕は諸々の行動を選択している。


 正義はコスパがいい。


「そんな状況だったら先に警察に連絡するんじゃない?」


「そうできない、あるいはそうしたくない場合もあるってことだね。細かい事情は本人に聞こうか」


 ガタガタと空気を揺らしながらホームに停まった電車へと乗り込む。


 カルは痴漢の被害に遭ったりしたことはあるのだろうかと考え、聞こうとしたが、デリカシーの欠片も無い質問であると気付き、直前で思いとどまった。


 利用するのはたったの一駅分であるので、3分程で電車を降りる。


「わざわざ電車使う必要あったの?」


「まあ僕免許持ってないし、ホームで待つ時間込みでも自転車よりは早いよ。多分」


 携帯で地図アプリを開き、メールに添付されていた住所を入力する。

 駅から五分ほどの距離にある目的地が表示された。


「急ぐよ」


 早足で歩き出す。

 走らないのはカルの体力の程度を知らないため、そして僕の体力を極力温存しておくためだ。


 歩きながら、顔にポケットから取り出した包帯を巻いていく。

 これも中学生時代の名残であり、今更同じことをするのは恥ずかしくも思うのだが、こうしなければメールを受け取った人間だと判別してもらえないという事態が起こり得るので感情を押し殺して装着する。当然顔を隠す目的もある。


 カルの視線が痛い、が、あまり否定的なものでもないように感じる。

 坊主憎けりゃというが、翻って好意を寄せる相手のファッションであれば何でも受け入れられるのだろうか。


 僕達が足を進めただけ塀や電信柱が後ろへと流れていき、しばらくして、携帯が示す近代的な一軒家の前へと辿り着いた。

 求めた追加の情報は結局届いていない。


 他に取るべき方法も見つからないので、インターフォンを鳴らす。


 ピンポーン、というどこか気の抜けるような音がして少し経つと、スピーカー越しに少女の震えた声が聞こえた。


『代行者さん……?本当に来てくれたの?』


「ああ、そうだよ。君を助けに来た。状況を教えてほしい」


『ただの都市伝説なんかじゃなかったんだ……ああ……』


 この今にも泣き出しそうな声の主がメールを送った本人、高良浅葱であると判断して会話をする。

 代行者などという呼ばれ方にカルが怪訝な顔を作るが、割って入る様子はない。


『説明するので……中に入ってください』



 少しして、ガチャリという音と共に扉が開いた。


 そこにいたのは、顔を腫らし、青痣を作った、中学生くらいの少女だった。

 綺麗なままの部分から判断するに本来端正なのであろう顔立ちはその大部分が、おそらくは暴力によって、醜く歪められていた。


 メールがイタズラなどではなかったということは一目で理解できた。


 居間へと案内された後、会話を再開する。


「二人組、だったんですか……?」


「普段は僕一人なんだけどね。君が高良浅葱ちゃん?」


「そ、そうです」


「君をこんな風にした人間はどこに?」


「あの、お父さんが……」


「父親に暴力を振るわれているの?」


「違う……連れ去られて、その時に、私も殴られて」


「なるほどね。場所はわかる?」


「わからない……でも、お父さん、何か隠し事してるみたいで、私よりも殴られて……」


 場所がわからないとなると、途端にハードルが上がる。

 代行者は基本的には『ただあなたの代わりに相手を殴るだけ』という触れ込みの存在であり、対象の居場所の特定などという部分まではそもそも考慮していないのだ。



 都市伝説と呼べるようなものにまでなっているとは思わなかったが、代行者とは、僕が中学生時代に流した一つのローカルな噂である。

 あるアドレスに名前と住所を添えてメールを送るとどこからともなく現れて依頼を聞き、その依頼に正当性があった場合にのみ相手を殴りに行く包帯男。


 今考えれば個人情報を抜き取る目的にしか思えないような噂であるが、その噂をあの手この手で流した直後からそれなりの数のメールが届いていた。

 その内実際に僕が赴いたものは極一部であったのだが、かえってそれが噂の流布に一役買ったらしく、放っておいても噂はより広まるようになり、僕の元へ届くメールの数も増えていった。それでも絶対数は少なかったが。


 慎重に内容を吟味していたつもりではあったが、それでもハズレの依頼を引くことは多かった。

 いざ住所のあたりまで行ってみると交番があったりだとか、酔っ払った大学生の集団が騒ぎながら待っていたりだとか。当然遠目に見えた時点で引き返したが。


 一番酷かったのは指定された場所で待っていたら警察に囲まれた時だ。

 側にあった消火器の中身を撒き散らして虚をつき、生まれた綻びから必死の思いで逃走し、かなり迂遠なルートを通って帰宅したことでどうにか撒くことができたようだったが、疲労と緊張で頭がどうにかなりそうだった。

 あの時のことを忘れることはないだろう。しばらくはメールに応じることもなかった。

 ただ、メールでやり取りをしている以上、本気で僕を捜そうとすればプロバイダーに情報の開示を要求するなどの手段を取れたはずであるので、その後何も無かったことを考えればあの時はあちらとしても注意をする程度で済ませるつもりだったのかもしれない。

 だとするならとんだ無駄骨を折ったことになるのだが、まあ過ぎたことをいつまでも考えていても仕方がない。


 喧嘩屋に関する記憶のほとんどはこんな滑稽なもので、今回のように切羽詰まったものは、あるにはあったが極少数だった。


 それで、父親の場所だったか。

 正直特定のしようがないので、こんな時のために連れて来た部分もある超常現象に頼るより他にないだろう。


「カル、この子の父親の場所とかわかる?」


「その人の持ち物があれば、大体の距離と方角はわかるかな。超能力って括るほどのものでもないと思ったから、さっきは言わなかったけど」


 それは十分超能力だ。


「と、いうわけなんだけど、何かないかな?」


「あ……とってきます」


 浅葱ちゃんがとてとてと歩いていく。

 怪我人を動かすのも悪い気がしたが、僕らにはこの家のことはわからないので他に選択肢はない。

 

「……このライターで大丈夫ですか?」


「うん、十分かな」


 そう言うとカルは浅葱ちゃんから100円ライターを受け取り、胸の前で握る。


「あっちのほうかな。結構近いね」


 傍目には何の変化もないのだが、カルには浅葱父の場所が把握できたらしく、ある方向を指差しながらそう告げた。


「なるほどね……じゃあそこへ急ごうか。浅葱ちゃんは一人になるけど大丈夫?」


「はい、多分……殴られはしましたけど、父の隠し事にしか興味がない様子だったので」


「そっか。じゃあ、お父さんは必ず連れ帰ってくるから、お留守番よろしくね」


「お願いします……!」


 それを聞いて、僕とカルはまた早足で家を出た。


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