表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まだ、誰かが残っている  作者: 伊丹 宝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/9

第六話 鍵のない家

その家には、鍵がなかった。


正確には「鍵穴はあるのに、鍵の概念だけが欠けている」だ。玄関扉は閉まる。施錠されたようにも見える。しかし誰も“施錠した記憶”を持っていない。


最初に違和感を覚えたのは、不動産会社の管理記録だった。物件リストの1つに、奇妙な注記がある。


「施錠状態:常時固定」


担当者は意味を理解できなかった。家は通常、開閉されるものだ。常時固定とは何か。しかし現地確認では、もっと奇妙なことが起きる。扉は開くし、普通に入れる。しかし、出入りの記録だけが一致しない。


「入ったはずの人間が、入っていないことになっている」


その家に住む家族がいた。夫、妻、子どもの、ごく普通の三人暮らし。しかしある日、妻がこう言う。


「この家、前から誰か多くない?」


夫は笑って否定する。


「いや、3人だろ」


しかし子どもだけが黙っている。その夜から異変が始まる。玄関の鍵を閉めた記憶がないのに、朝になると閉まっている。冷蔵庫の中身が少しずつ変わる。使っていない部屋の灯りがついている。…しかし誰も触っていない。家族は監視カメラを設置する事にした。


リビング

廊下

玄関


映像は正常だった。誰もいない時間はない。全員の動きも一致している。ただ一つだけ異常がある。カメラが“家の中全体”を映していない。必ずどこかが欠けている。妻は気づく。この家には「死角」があるのではない。“映らない領域が最初から存在している”と。


その夜、妻は違和感で目を覚ます。玄関の音……誰かが入ってくる音ではない。誰かが“家に追加される音”。彼女は廊下を見る。そこには誰もいない。しかし何かが増えた感じが確かにした。隣の夫に話すと、彼は笑う。


「疲れてるだけだよ」


しかし子どもだけが言う。


「最初からいたよ」


その瞬間、家の構造が少しだけ揺れる。揺れたのは壁ではない。“認識の配置”だった。妻は気づく。この家では、誰がいるかではなく、“誰がいることになっているか”が優先される。そして玄関を見る。扉は閉まっている。しかし鍵はない。鍵がなくても、閉まることが先に決まっているのだ。


その夜、彼女は確信する。この家には「内側」と「外側」がない。ただ一つの空間があり、そこに“人が割り当てられているだけ”だ。そして気がつく。出入りという行為自体が存在していない。あるのはただ、“配置の更新”だけ。彼女は玄関を見る。ドアノブに触れた瞬間、違和感が走る。この家は「入る場所」ではない。その家に「異常がある」と気づいた者は、最初から少なかった。なぜなら、異常が“変化として現れない”からだった。


市の住宅管理システムでは、その家は正常だった。


入居者:3名

構造:一戸建て

設備:標準

異常報告:なし


しかし、別のログだけが少し違っている。


「在住人数:変動中」


その一行は、誰にも注目されなかった。妻は、日常の違和感を記録し始める。しかし記録するたびに、内容が微妙に変わる。


朝書いたメモ

ー今日は四人分の食器があったー


夜見るとこうなっている。


ー今日は三人分の食器だったー


書き換えた覚えはない。しかしどちらも“正しい気がする”。夫は何も気づいていないようだった。むしろ落ち着いている。この家の中では、彼だけが“整っている”。子どもは逆だった。時々、誰もいない廊下に向かって話している。


「そこ、通るよ」


しかし誰もいない。妻は聞く。


「誰に言ってるの?」


子どもは答えない。ただ一言だけ。


「いるよ」


その夜、家の中で音がする。ドアが開く音。しかし誰も開けていない。その代わりに起きるのは、“部屋の数が変わる感覚”だった。廊下が少し長くなる。知らない扉が一つ増える。しかし誰もそれに驚かない。


翌朝、食卓には一人分多い椅子が置かれている。誰も置いていない。誰も気にしない。しかし妻だけが違和感を覚える。


「最初からあった気がする」


その瞬間、理解が近づく。この家では、物が増えているのではない。“必要な数に合わせて現実が調整されている”。彼女は冷蔵庫を開ける。中身は整っている。三人分…いや、四人分にも見える。見方によって変わるのだ。ここで気づく。この家には「正しい状態」が存在しない。あるのはただ、“その時点での整合性”だけだ。


その夜、妻は玄関の前に立つ。鍵はない。しかし扉は閉まっている。そして初めて、気づいてしまう。この扉は「外に出るためのもの」ではない。中を確定させるための境界だ。背後で子どもの声がする。


「今日は4人だよ」


妻は振り向く。しかしそこには誰もいない。代わりに、食卓の椅子が1つ増えている。当然のように。その瞬間、妻は理解する。この家は住まれていない。この家が“住む人数を決めている”。つまり家は空間ではない。人間の配置を決定する装置だ。夫が帰宅する。


「ただいま」


その瞬間、家の空気が一瞬だけ揺れる。揺れたのは構造だった。そして妻は見てしまう。夫の背後に、もう一つの“影”が重なっている。しかし誰も気にしない。影は最初からいたことになっている。その夜、家の中は静かだった。静かというより、「これ以上の変化が必要ない状態」に固定されているようだった。


妻はリビングの中央に立っていた。椅子は四つ、食器も四つ、コップも四つ。しかし誰も四人目を認識していない。夫はテレビを見ている。子どもは床で遊んでいる。そのどちらも自然だった。そして“それ以外”も自然だった。妻はゆっくりと気づく。この家では「違和感」が発生しないのではない。違和感が発生する前に修正されている。その瞬間、玄関から音がする。鍵が回る音。


ーカチャー


妻は凍りつく。しかしすぐに理解する。鍵は存在しないはずだ。この家には鍵がない。それなのに、音だけがある。まるで「鍵があったことにする処理」が走っているように。玄関の扉が開くが、誰もいない。しかし“入ってきたことになっている”。リビングの空気が一瞬だけ変わる。誰も見ていないのに、視線が増える。妻は理解する。この家には「人間」が増えるのではない。


“認識が増える”


その瞬間、背後で子どもの声がする。


「5人になったね」


妻は振り返る。しかし誰もいない。夫も子どもも、何も言わない。ただ自然に“その前提”で動いている。妻は気づく。この家では「誰がいるか」は問題ではない。“何人いることになっているか”だけが現実を決める。玄関を見る。扉は閉じている。しかし今度ははっきりと分かる。これは出入り口ではない。“人数を更新する装置”だ。鍵はそのためのものではない。施錠とは「人数を固定する操作」だった。妻はようやく理解する。鍵がない理由。それは必要ないからではない。この家では、最初から人数が固定されているからだ。固定されているものは変えられない。変える必要もない。だから鍵は存在しない。


その夜、リビングの椅子がもう一つ増える。誰も驚かない。むしろ当然のように受け入れられる。妻は最後の確認をする。


「今、何人いるの?」


夫は少し考えたあと答える。


「4人だろ」


子どもも頷く。


「4人だよ」


しかし妻だけが違う数を感じている。5人…いや、6人に近い気配。その瞬間、理解が落ちる。この家では、人数は“観測者ごとに違ってよい”。そしてその違いすら修正される。つまりこの家は…。


・空間ではない

・生活でもない

・記録でもない


“認識そのものの整合装置”だった。妻は玄関を見る。扉は静かに閉じている。しかしもう分かっている。この家から出るという概念はない。出ることは「人数の外に出ること」。しかし外側は存在しない。あるのはただ、更新され続ける内部だけだ。そのとき、背後で子どもが言う。


「次は7人かな」


妻は振り返る。しかしそこにはもう“家族”という概念すら曖昧になっている。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ