二人の時間はもうすぐ
テーブルの下という、誰にも見えない暗がり。そこで交わされる湊の足先は、凪の足の甲を愛おしむように、しかし確かな支配欲を込めてなぞっていた。ほんの数ミリ、意図的に重ねるだけの、小さな接触。その一瞬の重なりが、凪の神経を逆撫でし、背筋に電流のような戦慄を走らせる。湊は凪の靴の甲をゆっくりとなぞり、そのまま足首のラインをなぞるように力を込める。それだけで、凪の身体が小さくビクッと震えるのが、隣に座る湊には痛いほど分かった。
リビングには、涼と千尋の賑やかな笑い声が満ちている。涼は手元のグラスを煽りながら、学校のテストの順位について不満げに愚痴をこぼし、千尋はスマホの画面を凪に突きつけ、SNSで見つけた面白い動画について熱っぽく語っている。
(……バレてない、よね。心臓の音が、みんなに聞こえそう……)
凪は表面上、千尋のスマホを覗き込みながら、必死に平静を装う。顔は火照り、頭の中は白く染まりかけている。だが、湊の足先が自分の靴の甲をなぞる感覚に、全ての意識が一点に集中して離れない。これは「えっち」な行為ではない。しかし、誰にも言えない秘密を共有する二人にとっては、この何気ない接触こそが、日常の中に隠された甘美な麻薬だった。
「……で、結局、湊はあの問題解けたの?」
千尋の問いかけに、湊は氷のような冷淡な表情を崩さぬまま、少しだけ凪の足に力を込めて返答した。
「ああ。午前の授業の補足が必要だったが、凪も理解できたみたいだ」
「へえ、湊に教わるとか凪ちゃんも大変だね。あいつ、教え方厳しいだろ? 成績トップだからって、妥協しなさそうだし」
涼の言葉に、凪は心臓が口から飛び出しそうになるのを感じる。湊の足が、凪の足の甲を飼い慣らすように、執拗に撫で回しているからだ。これは、もはや純粋な友情などという枠組みでは到底説明のつかない、独占するかのように。けれど、テーブルの上では二人はいたって普通の、少しだけ距離の近い幼馴染として振る舞っている。この食卓という安全地帯で、誰にも気づかれずに愛を交わす。
「……厳しい、かな。でも、湊くんの説明は分かりやすいから」
凪の声がわずかに震える。湊は涼たちの顔を見ながら、ふっと口元に冷ややかな笑みを浮かべた。涼たちは、その笑みの裏にある獣のような執着には気づかない。
「凪が理解力があるからだ。……それに、俺たちもこうして教え合うことで、確認できることがある」
湊の言葉には、涼たちには決して解読できない、二人だけの文脈が含まれていた。「教え合う」という言葉が、夜の寝室での情景を鮮明に連想させる。凪は耳まで真っ赤に染め上げ、視線を落とした。
湊は、あえて凪の足から自分の足を離した。離れた瞬間の喪失感が、凪の胸をチクリと刺す。
「……時間遅くなってきたけど二人は大丈夫?」
耐えきれなくなったのか凪は二人に問いかける。
凪は早く二人になりたくて仕方なかった。
「……あ、そろそろ帰らないと。明日の部活、朝早いんだよな」
涼は察したかのようにそう言って帰る準備を始めた。その言葉に、湊と凪は同時に小さく安堵した。
「……次はもっと早めに連絡くれ」
「わかったよ。邪魔して悪かったな、湊」
涼が笑いながら湊の肩を叩く。千尋もまた、凪の頬を軽くつついて、「じゃあね、凪ちゃん。また来週学校で!」と、まるで全てを察しているかのような、なんとも言えない含み笑いを残してリビングを去った。
玄関まで送り、扉を閉める。鍵をかけ、静寂が訪れるまでの一瞬の猶予。バタン、と玄関の重厚な扉が閉じられた瞬間、背後からいきなり凪が湊に抱きついた。
「……みーくん」
「……凪?」
先ほどまでの冷徹な仮面は、どこにもない。凪の声は甘く、そして震えていた。湊は彼女を受け止めるように、背中に手を回す。
「……みーくんの意地悪。ずっとずっと、いじめすぎ」
「ごめん。……だが、あの場でお前が必死に耐えている顔を見るのが、どうしても好きで」
湊は彼女の頬に唇を寄せ、小さく謝罪した。凪は湊のシャツをぎゅっと握りしめ、顔を埋める。
「……みんなが帰ったら、もっとイチャイチャしようって言ってたよね。……我慢してた分、全部、全部」
それまで湊の腕の中に大人しく収まっていた凪が、ふいに顔を上げた。いつもは見せない、獲物を見るかのような強い眼差しが、湊の瞳を真っ直ぐに射抜く。
凪の手が湊の胸元に置かれる。
次の瞬間凪はそのまま体重をかけて湊を背後のソファへと押し倒した。湊の身体がクッションの奥へと沈み込む。不意を突かれた湊の喉から、低い吐息が漏れた。
「……凪?」
驚きが零れる。いつもは湊にリードされるばかりの凪が、今は獣のような瞳で自分を見下ろしている。そのあまりのギャップに、湊の独占欲と加虐心が同時に刺激された。
凪は湊のシャツのボタンに手をかけ、器用に一つ、また一つと外していく。その間も、彼女の視線は決して湊から逸らさない。剥き出しになった湊の胸元に、凪は自分の額を押し当てた。
「……ずっと、こうするのを想像してたの。湊くんが私に触れたいのに触れられないで、必死に理性で自分を抑えてる、あの顔を……今度は、私が支配するの」
凪の指先が、湊の鎖骨をなぞり、ゆっくりと胸筋を指で描くように下っていく。そのたびに、湊の身体が微かに跳ねる。彼女は湊のネクタイをゆっくりと引き寄せ、自分の方へと引きずり込んだ。
「……湊くんが、私を一番欲しがってる顔、見せてよ。……学校では見せられない、本当の湊くんを」
凪の言葉には、一週間の抑制から解き放たれた狂気が宿っていた。彼女は湊のシャツを両サイドに広げ、その身体の上に覆いかぶさるようにして、湊の首筋に甘噛みをする。
「っ……!」
湊は凪の腰を抱き寄せ、そのまま彼女を自分の身体の上で押し上げるようにして体勢を反転させようとしたが、凪はそれを許さなかった。彼女は湊の肩を抑え込み、逃げ場を塞ぐ。
「だめ。今日は、私の番だって言ったでしょ?」
凪の瞳に、湊の姿だけが映る。湊は凪の背中に手を回し、彼女をさらに自分に密着させる。
「……俺も我慢するつもりは______」
湊が言い終える前に凪は湊の唇を貪るように塞いだ。学校での冷徹な仮面は、もう跡形もなく消え去っている。





