迎えた朝
月曜日の朝。
目覚まし時計の無機質なアラーム音が、静まり返った部屋に鳴り響いた。その冷徹な音色は、昨日までの、世界から隔絶されたような熱狂を強引に「日常」という名の檻へと引き戻していく。
湊は重い瞼を開け、隣で眠る凪の肩を揺らした。
「……凪、起きろ。学校だぞ」
その言葉を口にした瞬間、喉の奥に妙な違和感が走った。昨日、一箱分の「愛」を使い切るまで熱を重ね合った仲だというのに、今日からは再び、世間に向けて「ただの幼馴染」という嘘を吐き続けなければならない。その二重生活の重みが、目覚めたばかりの身体にずしりとのしかかる。
凪は「うう……」と小さく声を漏らし、湊の腕を掴んだまま、まだ夢の名残を追いかけていた。
「……あと、五分。……湊、ぎゅってして」
起きたて特有の、熱を帯びた掠れ声。その甘い響きに、湊の心臓が不規則に跳ねる。だが、今日からは「最強の共犯者」としての戦いが再開するのだ。ここで甘やかしては、学校という戦場で足元を掬われる。
湊は、凪の左手を取り、その薬指で鈍く光るサファイアの指輪をそっと外した。
「……これは、家の中だけだ。学校では、外しておけ。いいな?」
「……うん。わかってる。……でも、寂しいね」
凪は寂しそうに微笑み、湊から手渡された指輪を、宝物を隠す子供のような手つきで自室の引き出しの奥へとしまった。指輪を外した瞬間の彼女の指先は、ひどく無防備で、寄る辺ないものに見えた。
家を出る際、二人は示し合わせたように数分の時差を置いて玄関を潜った。
五月の横浜の空気は、驚くほど澄んでいて冷たい。駅へと向かう通勤客の群れ、規則正しく響く電車の音。どこにでもある、退屈で平和な月曜日の風景。
湊は駅のホームで、少し離れた場所に立つ凪の後ろ姿を、他人のふりをして見つめていた。薄い制服のブラウス越しに透ける彼女の肩のライン。その肌の熱さを、湊は誰よりも、そして昨日の誰よりも知っている。その秘密の共有が、胸の奥で心地よい毒のように疼いた。
教室に入ると、そこにはすでに「最強の共犯者」たちが、それぞれの持ち場で待機していた。
「……よお、湊。いい顔してんな。誕生日は無事に終わったか?」
涼が、湊の肩を親しげに、けれど探るように叩いた。その鋭い瞳は、湊の表情に刻まれた、わずかな「男」としての変化を逃さなかった。湊はわずかに視線を逸らし、感情を殺した声で短く答えた。
「ああ」
「……へえ。……何があったかは聞かねえが、一線を越えた、いい面構えだ」
涼は低く笑い、それ以上は追求しなかった。彼は、湊が単なる「幼馴染」や「元義兄妹」であることをやめ、一人の男として、誰にも渡さない覚悟を決めたことを瞬時に察したのだ。
一方、凪の方は、千尋の執拗なチェックを受けていた。
「凪、ちょっと。……あんた、今朝、なんか雰囲気変わってない? 肌ツヤ良すぎっていうか、その……何、満たされてる感じ?」
千尋の直球すぎる問いに、凪は耳まで真っ赤にして「な、何もないよ! ケーキ食べただけ! 食べ過ぎてむくんでるだけ!」と慌てて弁明していた。だが、凪の瞳に宿る、隠しきれない多幸感。それは、鋭い千尋の目をごまかすにはあまりにも鮮やかすぎた。
「なるほどねぇ……まあ、いいわ。あんたたちが幸せなら。……でも、学校では絶対にボロを出さないでね。私が後ろ指刺されるのは御免よ」
千尋は呆れたように大きな溜息をついたが、その口元には、友人の幸福を喜ぶような微かな笑みが浮かんでいた。
昼休み。
湊と凪は、打ち合わせ通り、いつものように屋上の陰で、数分間だけの接触を持った。
周囲に誰もいないことを確認し、湊は凪を冷たいコンクリートの壁際に追い込んだ。
「……ボロは出してないか?」
「……うん。……でも、湊に触れられないのが、こんなに辛いなんて思わなかった。学校って、こんなに長い場所だったっけ」
凪が湊の制服のシャツの裾を、誰にも見えない位置で、爪を立てるように握りしめる。
湊は彼女の耳元に唇を寄せ、周囲の喧騒を遮断するように、一瞬だけ彼女のうなじに指先を這わせた。
「……我慢しろ。家に戻れば、一緒にいられるんだから」
湊の低い、独占欲の滲んだ声に、凪の身体が目に見えて小さく震えた。
昨日、黄金色のパッケージをすべて使い切るまで、互いの存在を貪り合った記憶。それが一瞬にして脳裏にフラッシュバックし、凪の呼吸を奪う。
学校という巨大な嘘の檻、教師たちの監視、クラスメイトの好奇の目。
そのすべてが、二人の愛を燃え上がらせるための「燃料」でしかなかった。誰にも知られない、誰にも暴けない真実を胸に秘めて過ごす時間は、背徳的で、それでいて究極の優越感を与えてくれる。
「……うん。……待ってる。……湊、大好きだよ」
凪は、湊の瞳に映る自分を見つめ返し、一瞬だけ「妹」の顔を消した。
予鈴が鳴り、二人は再び、無機質な廊下へと出ていった。すれ違う際、肩さえ触れ合わない。視線さえ合わせない。けれど、二人の薬指があった場所には、同じ熱い残像が刻まれていた。
17歳の誕生日を越え、一線を踏み越えた二人は、もはやただの幼馴染でも、傷を舐め合う義兄妹でもない。
自分たちの幸せを、自分たちの嘘で、自分たちの力だけで守り抜く。
夕暮れ。
黄金色の空から、琥珀色の残照が街を包み込む。
駅の改札で、また数分だけ距離を空けて待ち合わせ、二人はいつものマンションへと帰っていく。
重いドアを閉め、鍵を掛けたその瞬間。
本当の「凪と湊」の時間が、再び動き出す。
「……おかえり、湊」
「……ああ。……ただいま、凪」
鞄を放り出し、どちらからともなく求め合う。
もう誰にも、神様でさえも止めることはできない。二人の愛は、隠微な夜の深淵へと、より深く、より静かに、堕ちていく。
この後は関係が変わった2人の日常をのんびり書いていきます
予定では卒業までは書きたいと思っているのでちょこちょこイベント起こしつつ書いていくのでよろしくお願いします!
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