第一席 邂逅
僕、藤田次郎の脳天に雷が落ちた。
これは比喩表現じゃなくて、たった今起きた出来事だ。
夕暮れの雲一つない空だった。それなのにどうして落雷に打たれたのかは僕にも分からない。
とにかく頭のてっぺんからつま先に至るまで物凄い衝撃を受けたのは間違いない。一瞬にして身体が粉々になった感覚がして、ああ僕は死ぬんだなと傍観者のように思えた。
再び目を開けると天国ではなく地獄でもない光景が広がっていた。
大勢の人々が僕の周りを囲んでいた。
心配そうな顔ではなく、奇妙なものを見るような目つきだった。
それは僕のほうも同じだった。何故ならその人たちは和服とちょんまげだったからだ。
時代劇で見るような格好と言えば合っているかもしれない。
まだ頭がはっきりしない状態だったけど、起き上がろうとした。本能的に異常を察知したんだろう。ここにいたらまずいと警鐘が鳴っていた。
「……なんだ、ここは」
立ち上がると囲んでいた人たちが一斉に離れていく――そんなことはどうでもいい。
これまた時代劇の建物そのものだった。茶道部の活動を終えて、学校からの帰り道にいたはずなのに、一瞬にして移動したのか……それとも気絶した間に移動されたのか。
「あんた、大丈夫かい?」
考えていると和服の集団の一人が話しかけてきた。
大丈夫じゃないけど「何があったんですか……」と訊ねる。
「屋根から落ちたんだよ。なんだって昇ったりしたんだい?」
「……僕が、屋根にいたんですか?」
意味が分からず繰り返すと「いいや、お前さんは空から落ちてきたんだよ!」と別の人が喚く。
「何もないところからいきなりどすんって落ちたんだ!」
「馬鹿言え。天狗の神隠しじゃあるまいし」
「だけど見ろよ。南蛮人みたいな格好をしているぞ」
「確かに奇妙な風体だな」
何一つ今の状況を好転させるような情報がない。
屋根から落ちたのか、それとも突然空から現れたのは定かじゃないけど、一番重要なのはここがどこなのかだ。
「あのう。ここはどこでしょうか?」
「はあ? あんた頭がおかしくなったのか?」
周りを改めて見渡すと人がかなり多い。僕を奇妙な目で見てくる人もいる。店が多く立ち並んでいて活気づいている。昔の字みたいな看板が店の正面に立てられている。本当に時代劇に迷い込んだみたいだ。
「ここは泉州の堺だ」
誰かが教えてくれたけど、センシュウのサカイなんて地名聞いたことがない。
少なくとも学校や自宅近くにはそんな所はないはずだ。
「そういえば南蛮人の宣教師みたいな格好をしている。もしかして切支丹か?」
「きりしたん? ……なんですかそれ?」
「なんじゃい違うのか? ならなんでそんな奇妙な格好しているんだ?」
僕の学校の制服は今どき珍しい学ランだ。
まあ奇妙とは言えなくもないが、なんだかズレがあるような気がする。
「ここは……日本ですよね?」
「にほん? 何が二本なんだ?」
「……今の総理大臣って誰でしたっけ?」
「そうりだいじん? ……そんな官職知らないが」
ますます困惑する空気が感じられる。
なんとなく嫌な感じがした。
だから答えによっては非現実的な現象を認めざるを得ない質問をすることにした。
本当は嫌だけど、物凄く嫌だけど。
「今年、何年でしたっけ?」
ここで西暦か元号、どっちだ? という質問が来れば安心できた。
だけど――
「うん? 天正三年だ。そうだよな?」
あっさりと答えた和服の人。
周りの人もうんうんと頷いている。
てんしょうさんねん……?
ふらつく足。
混乱する心。
目線が定まらなくなった――
「ありゃ、堺政所の――」
聞こえるかどうかの狭間で。
僕の意識は暗転した。
◆◇◆◇
気がついたら部屋の中だった。
和室で真っ暗だった。光がない。だけど自分が布団に寝かされているのが分かる。
固い枕――後頭部がかなり痛い。
「ここは……」
目が慣れてきた。
障子から光が漏れている。
ゆっくりと――開ける。
ホウホウと鳥の鳴く声。
綺麗に整頓された庭。縁側だろうか、空に浮かぶ三日月が静かに映えている。
「お目覚めですか」
縁側に男の人が座っていた。
小柄な僕より遥かに大きい。百八十ぐらいはありそうだ。
暗くて顔が見えない。穏やかな低い声だけど……。
「あのう。あなたは――」
「わたくしはたいした者ではありません。それよりもお身体のほうは大事ないでしょうか?」
自分の身体を触ってみる。
怪我や違和感はない。
ホッとしたけど、すぐに昼間のことを思い出して身震いしてしまう。
「お寒いですか?」
「ち、違います……もしかして、ここはセンシュウのサカイ、ですか?」
「そのとおりでございます」
「じゃあ、今は……てんしょうさんねんですか……?」
自然と涙が出てくる。
茶道部員だから分かってしまった。
てんしょうは天正で、昔の元号だ……
「左様でございます」
「あははは、そう、なんだ……」
信じたくないけど、僕は過去の日本にいるようだ。
天正三年が西暦で何年なのかは分からないけど、とにかく現代じゃない。
「もう少しお休みになられてはいかがですか」
「そうしたいのですが……あなたはどうしてここにいるんですか?」
まだ混乱しているから、この状況で意味のないことを訊ねてしまう。
すると男の人は「見事な月だと思いませんか」と見上げていた。
「欠けたところが愛おしい……この侘しさは見事だと思いまして。しばらく見ていたわけです」
「ええまあ……」
確かに綺麗だと思う。
だけど今はそんな状況じゃない。
「これから僕はどうなるんですか?」
「堺政所の松井さまの差配となります。しかし苛烈な処分を下す方ではありません」
そう言われても安心なんてできない。
幸い、学生服のままだからこのまま逃げ出せる――
「無礼を承知で申し上げますが、お逃げになられるのは止したほうがよろしいかと。屋敷には警護の兵がおりますゆえ」
心を見透かした上に逃げ出せない理由まで……。
僕はおとなしく座るしかなかった。
「月を愛でる気持ちにはなりませぬか?」
「今はそれどころじゃないんです。まさか過去に来るなんて思わないじゃないですか」
「かこ、ですか」
「信じられないと思いますが――」
僕は目の前の男の人に洗いざらい話した。
自分がこの時代より未来に生きていること。
突然の雷でこの時代に来たこと。
そして――帰る方法が分からないこと。
「僕はどうなるでしょう……」
「……何か武芸や学問を修めておりますか?」
「いえ。運動はからっきしですし、学問っていっても受験勉強ぐらいで……」
高校三年生の十七才はか弱い存在だと気づかされる。
よく政治が悪いとか言うけど、何の不自由もない暮らしができていたのは凄いことだ。
「それに僕は中高……六年間茶道部でしたし……」
「さどうぶ、とはなんでしょうか?」
「ああ。この時代だと茶の湯でしたっけ」
それを聞いた男の人は「茶の湯は未来にもあるのですね」と若干の驚きを見せた。
「つまり茶を点てられるのですね」
「ええまあ。素人に毛が生えた程度ですけど」
「素晴らしい。あの空に浮かぶ若月のようですね」
興奮しているようだけど……そんなに期待してもらっても困る。
この時代で通用するか分からないのに。
「あなたの素性は分かりました。これでようやくわたくしも名乗れますね」
警戒していたのはお互い様だったようだ。
男の人がゆっくりとこちらを向く。
そして立ち上がってこっちに近づいてきた。
黒一色の和服。
頭には茶人帽を被っている。
穏やかな声と似あっているたれ目をしていた。
歳は五十代ぐらいに見える。
そして長身の男の人は僕の前に座って深くお辞儀をした。
「わたくしは――千宗易と申します」
せんのそうえき……千利休のことか!?
驚きのあまり口をパクパクさせてしまう。
「あ、あなたが、千……宗易さん……?」
「おや。未来でも知られているのですね」
これでようやく確証を得た。
今は戦国時代……日本が一番危なかった時代だ。
「失礼ながら、あなたのお名前はなんでしょうか?」
僕は正座になって、千宗易さんに頭を下げた。
「ふ、藤田次郎と、言います」
「藤田さまですね。よろしければ――」
千宗易さんは穏やかに微笑んで提案した。
「わたくしと一緒に茶の湯を学んでみませんか?」
「……えっ?」
戦国時代に来てこれからどうしようか悩むところだったけど、そんなことが吹き飛んでしまった。
それぐらい茶道部員としては魅力的すぎる申し出だった。




