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キャプテンスマッシュ: なぜなぜ5回の理不尽


その日、都内のとあるオフィスビルに、一際異様なプレッシャーが漂っていた。


「なんで、この書類がまだ上がってこないんだ!」


部長の怒号がフロアに響く。原因は、たった1行の数字の間違いだった。しかし、彼の追求はそこで止まらない。


「なんで、お前はいつもそうなんだ!」

「なんで、もっと全体を見て動けない!」

「なんで、そんなことも分からないんだ!」

「なんで、俺を怒らせるんだ!」


「なぜ」を5回繰り返すことで真因を追求する「なぜなぜ分析」。しかし、この男の「なぜ」は、原因究明のためではなく、ただただ目の前の社員を論理で追い詰め、屈服させるための凶器と化していた。


5発の「なぜ」を叩き込まれた若手社員は、机に突っ伏して動かなくなった。周りの社員は誰も助けられず、ただうつむくだけ。


「これが…現実の理不尽破壊…」

「キャプテン…助けてくれ…」


誰かの小さな呟きが、ビルの窓ガラスを震わせた次の瞬間、


ドゴォォォン!


天井を突き破り、紅く輝くマスクとマッシブな肉体を持った男が着地した。


「聞こえたぜ、叫びが。」


キャプテンスマッシュだ。


「な、なんだ君は!無断立ち入りは困る!なぜ警備は止めない!なぜ通報が遅い!」


部長がキャプテンに「なぜ」の銃口を向ける。しかし、キャプテンは動じない。ゆっくりと部長に近づき、机の上の書類を手に取った。


「お前の理不尽、見せてもらったぜ。」


「なぜ、そんなにえらそうなんだ?」


カウント1。


部長は鼻で笑う。「決まってる!俺が部長だからだ!」


「なぜ、部長ならえらそうにしていいんだ?」


カウント2。


「それは…役割が…責任が…」部長の声がわずかに揺らぐ。


「なぜ、役割や責任が、他人を言葉で傷つける免罪符になるんだ?」


カウント3。


「う…うるさい!なぜ、お前にそんなことを言われないといけない!」


「なぜ、人を傷つけることでしか、自分の存在を示せないんだ?」


カウント4。


部長の顔から血の気が引いた。膝がガクガクと震え始める。キャプテンは最後の一撃を、静かに、しかし重く放った。


「なぜ、お前は弱いんだ?」


カウント5。真因の完全な特定。


「なぜなぜ分析」を逆手に取り、5回の質問で、この理不尽の根っこ――部長自身の器の小ささ、精神的な弱さ――を完全に暴き出したのだ。


「ひ、ひぃ…」部長はその場に崩れ落ち、ただただ謝罪の言葉を繰り返した。


キャプテンは倒れた部長を見下ろし、小さくうなずく。


「これで、お前の理不尽は破壊された。あとは、お前自身が変わるだけだ。」


そう言い残し、キャプテンは来た時と同じように、颯爽と去っていった。




夜のオフィスビル。


誰もいないはずの会議室から、微かに音がする。


カツ…カツ…カツ…


蛍光灯の明かりもつけず、一人の男がパソコンに向かっている。指はキーボードの上で止まったまま。画面は真っ暗。


彼はただ、そこに座っている。

動かない。

泣かない。

叫ばない。


ただ、時折小さく息を吸うだけ。


その呼吸の一つ一つが、砕けたガラスのように、静かに、鋭く、部屋の中に散らばっている。


---


キャプテンスマッシュは、そのビルの屋上に立っていた。


「…まだ、いたのか。」


彼にはわかる。あの会議室にいる男の名前も、年齢も知らない。しかし、あの「沈黙」の匂いだけは、嫌というほど知っている。


なぜなぜ分析でメンタルを破壊された者の、最後の叫びの匂いだ。


叫べない者の叫び。

泣けない者の涙。

怒れない者の怒り。


それらはすべて、沈黙という名のガラスになって、人の心の中に降り積もる。


---


キャプテンは、音もなく会議室の窓の外に立った。


男は気づかない。ただ、暗い画面を見つめている。


キャプテンは、ガラス越しにその横顔を見る。


――お前の怒り、聞かせろ。


心の中で問いかける。


男の口は動かない。しかし、キャプテンの耳には、砕け散ったはずの「なぜなぜ」の残響が、幽霊のように聞こえてくる。


「なんで、こんな簡単なこともできないんだ」

「なんで、いつもそうなんだ」

「なんで、お前は……」


5回の「なぜ」は、真因を探す旅ではなかった。

5回の「なぜ」は、罪人を確定するための尋問だった。

5回の「なぜ」は、魂を解体するためのメスだった。


そして今、この男の心は、5つに解体されたまま、組み立て直せずにいる。


---


キャプテンは、ゆっくりと窓に手を当てた。


ガラスは、割らない。


今回は、違う。


「おい。」


声をかける。男がハッとして顔を上げる。


「だ、誰だ…!」


「キャプテンスマッシュ。理不尽を破壊する者だ。」


男の顔に、一瞬、光が走る。しかしすぐに、暗く曇る。


「…もういい。誰が来ても、もういい。俺は…俺が悪いんだ。全部、俺が…」


「違う。」


キャプテンは遮る。


「お前が言いたいことは、それじゃない。お前の本当の言葉を、俺に聞かせろ。」


「…本当の…?」


「怒れ。俺に怒れ。俺が今からお前に言う言葉に、怒れ。」


キャプテンは、一歩踏み出す。


「お前がミスをしたのは、お前がバカだからだ。」


男の眉がピクリと動く。


「お前がミスをしたのは、お前の努力が足りないからだ。」


拳が、わずかに震える。


「お前がミスをしたのは、お前が社会人失格だからだ。」


「…違う。」


男の口から、かすかな声が漏れる。


「お前がミスをしたのは、お前が生きている価値がないからだ。」


「違う!!!!!」


男が立ち上がった。机を叩く。パソコンが揺れる。


「違う…違う…違う…!」


涙が溢れる。拳が震える。そして、叫ぶ。


「俺は…俺は…確認したんだ!あの時は、確かに確認した!でも、その後に別の仕事を頼まれて…それで頭が切り替わらなくて…!」


「それを言いたかったんだな。」


キャプテンの声は、優しい。


「…でも…言えなかった…『言い訳するな』って…『言い訳するな』って…また怒られるから…」


男は泣き崩れる。


「俺は…謝った…謝ったのに…『謝れば済むと思ってるのか』って…じゃあ…どうすればよかったんだ…どうすれば…許してもらえたんだ…!」


「許す気なんて、最初からなかったんだよ。」


キャプテンは、男の肩に手を置く。


「あいつが欲しかったのは、お前の謝罪でも、お前の改善でもない。お前が謝っている姿、お前が苦しむ姿、それを見て、自分が偉いと感じたかっただけだ。」


「そんな…」


「ああ、そんな簡単な、くだらない理不尽だ。」


---


バリン!


キャプテンが手を振り抜くと、男の周りに積もっていた「なぜなぜ」の残骸――目に見えないガラスの破片が、粉々に砕け散った。


「お前の怒り、確かに受け取った。」


「キャプテン…」


「そして、お前に伝える。お前は悪くない。悪いのは、『なぜなぜ』を凶器にしたあいつだ。そして、それを見て見ぬふりをした、このクソッタレな空気だ。」


男は泣きながら笑った。


「はは…キャプテンなのに、汚い言葉使うんですね…」


「ああ。正論だけが正義じゃないからな。」


キャプテンは、窓を開ける。夜風が入ってくる。


「さあ、外に出ろ。家に帰れ。そして、明日も生きろ。お前の怒りは、お前のこれからを生きるためのエネルギーになる。」


「…はい。」


男は立ち上がる。足はまだ震えている。しかし、一歩、また一歩と歩き出す。


「キャプテン!」


振り返る。


「また…またミスしたら…また怒られたら…」


キャプテンは、紅いマスクの下で、にやりと笑った。


「その時はまた呼べ。どこからでも飛んでくる。そして、お前を守る正論をぶっ壊してやる。正論を凶器にする奴も、正論で自分を追い詰めるお前自身の悪いクセも、まとめてな。」


男は、涙を拭い、笑った。


「…ありがとうございます、キャプテン。」


---


男が去った後、キャプテンは一人、夜のオフィスを見渡す。


まだいる。

このビルのどこかに、まだ声を出せない者たちがいる。

まだ怒れない者たちがいる。

まだ、沈黙という名のガラスに閉じ込められている者たちがいる。


「まだまだ、破壊し足りないようだな。」


キャプテンスマッシュは、次のガラスの破片を探して、夜の街へと消えていった。



翌日。


同じオフィス。同じ時間。同じ場所。


キャプテンに救われた男――佐藤は、昨日より少しだけ軽い足取りで出社した。


しかし。


「おい、佐藤!」


朝一番、部長の声が響く。


「昨日の書類、また間違ってるぞ!なんで直してない!」


佐藤は固まる。


確認した。昨夜、キャプテンと話した後、会社に戻って全部確認した。間違いはないはずだ。


「い、言い訳はいい!なんでいつもそうなんだ!なんで確認を怠る!なんで!」


なぜなぜが、また始まる。


佐藤の手が震える。声が出ない。まただ。また同じだ。


「なんで黙ってるんだ!なんで謝らない!なんで!」


「ちょっと待て。」


バリン!


その場の空気が割れた。


紅いマスク。鋼の肉体。キャプテンスマッシュが、佐藤と部長の間に立っていた。


「…!」


佐藤の声が裏返る。


部長は一瞬たじろいだが、すぐに態度を硬化させる。


「またお前か!昨日も来てたな!なんで毎回邪魔する!これは会社の内部の問題だ!なんで部外者が!」


なぜなぜの連打。


しかし、キャプテンは動じない。ゆっくりと部長の机に歩み寄り、書類を手に取った。


「この書類、どこが間違ってる?」


「ここだ!この数字が!」


部長が指さす。キャプテンはその数字をじっと見る。


「…佐藤。」


「は、はい!」


「お前、昨夜これ確認したか?」


「し、しました!絶対に間違ってないはずです!」


キャプテンは部長に向き直る。


「おい。これ、合ってるぞ。」


「は?そんなはずはない!なぜなら――」


部長が別の書類を引き出そうとした、その時。


ドガシャアアアン!


キャプテンの右ストレートが、部長の顔面を捉えた。


部長の体が吹き飛び、後ろのホワイトボードを粉砕する。ガラスの破片が舞う。オフィス中が静まり返った。


「…な、なにしやがる…!」


部長が這いながら叫ぶ。


キャプテンは、ゆっくりと部長の前に歩み寄る。そして、見下ろす。


「言いたいことは、それだけか。」


「な、なにが…」


「お前が今、この男に言ったこと。全部、間違いだった。書類は合ってた。なのにお前は謝罪もせず、なぜなぜを続けた。それに対して、言いたいことは、『なにしやがる』だけか。」


「う…」


「よし。じゃあ、代わりに言ってやる。お前が言うべき言葉を。」


キャプテンは、部長の胸ぐらを掴み、持ち上げる。


「『すみません、私の確認ミスでした。佐藤さん、間違って指摘してごめんなさい。』」


「な、なぜそんなことを…」


バキッ!


キャプテンの頭突きが、部長の額を捉える。


「次。」


「いたたたた!」


「『私の勘違いでした。佐藤さんは悪くありません。』」


「わ、わかった!わかったから!」


「まだだ。」


キャプテンの目が、紅く光る。


「『いつも感情的になって、なぜなぜ分析を理由に人格攻撃をしていました。それは私の弱さの裏返しです。』」


「そ、それは…」


「言えないか。」


キャプテンの拳に、力が入る。


「じゃあ、もう一つ聞く。お前は、この男に昨日も今日も、何も確認せずに怒鳴った。もし、お前の指摘が間違っていなかったとしても、その『怒鳴る』という行為は、正しかったのか?」


「…それは…」


「正しかったのか!」


「ち、違う…」


「なぜ違う!」


カウント1。


部長の目が泳ぐ。


「なぜ怒鳴った!」


カウント2。


「お、俺は…早く直させたくて…」


「なぜ早く直させるために怒鳴る必要がある!」


カウント3。


「それは…それが…俺の…」


「なぜお前は、人に優しくできない!」


カウント4。


「…わから…ない…」


「なぜお前は、わからないことを認められない!」


カウント5。


ズガァン!


部長の中で、何かが砕けた。長年彼を支配してきた「自分は正しい」「上司は怒るものだ」というガラスの鎧が、完全に破壊された。


部長は、その場に崩れ落ちた。


「…すみません…」


小さな声で、呟いた。


「佐藤さん…間違ってました…ごめんなさい…」


オフィス中が、息をのむ。


佐藤は、立ち尽くしていた。涙が、止まらない。


「あ、ありがとう…ございます…」


キャプテンは、二人を見渡し、静かに言う。


「終わったな。」


窓から去ろうとして、ふと振り返る。


「佐藤。」


「はい!」


「お前、今日はよく我慢した。でも、次からは我慢しなくていい。間違ってないなら、間違ってないと言え。それでも怒鳴る奴がいたら――」


「俺がぶん殴る。」


にやりと笑い、キャプテンスマッシュは空へと消えていった。


残されたオフィスには、砕けたホワイトボードの破片と、土下座する部長と、涙を拭う佐藤と――


そして、静かに拍手を始める同僚たちの音が、響き始めた。


キャプテンスマッシュ: 砕けたガラスのゆくえ


あの日から、一週間。


オフィスのホワイトボードは新品に交換され、部長は大人しくなり、佐藤は少しだけ顔を上げて働けるようになった。


誰もがそう思っていた。


だが。


「おい、佐藤!この書類、なんで提出が遅れた!」


金曜日の夕方。部長の声が、再びフロアに響く。


佐藤の肩が跳ねる。心臓が早鐘を打つ。


「あ、明日の朝までって…言われてたので…明日提出しようと…」


「なんで明日までに出せない!なんでギリギリまで待つ!なんで報告しない!」


なぜなぜが、また始まる。


佐藤の視界が歪む。まただ。また同じだ。あの日、部長は謝ったのに。キャプテンがぶん殴って、謝ったのに。


「なんで黙ってる!なんで――」


部長がそこまで言いかけて、固まった。


佐藤の後ろに。


それが、立っていた。


---


紅いマスク。

鋼の肉体。

そして、今にも拳を振り抜かんとする、あの構え。


キャプテンスマッシュの幻影が、佐藤の背後から、部長をじっと見下ろしていた。


「……ッ!」


部長の喉が、変な音を立てる。


まさか。ありえない。あいつはもう来ない。ぶん殴られたのは一週間前だ。幻覚だ。これは幻覚だ。


そう思っても。


その幻影は、確かに「次」を待っていた。


部長がもう一言、佐藤に「なぜ」を重ねたら。

部長がもう一歩、佐藤を追い詰めたら。


その瞬間に、この拳が飛んでくる。


幻影の目が、そう言っていた。


「……いや…その…」


部長の声が、みるみる萎む。


「わ、悪かった…ちょっと、急ぎすぎた…明日でいい…明日で…」


部長は、佐藤に背を向けると、早足でその場を離れた。


自分のデスクに戻っても、背中に「それ」の視線を感じる。振り返ると、佐藤の後ろには何もいない。でも、視界の端に、確かに紅い色がチラつく。


部長は、それ以上、誰にも「なぜなぜ」をしなかった。


---


佐藤は、呆然としていた。


部長が途中で引き下がった。なぜだ。自分は何も言っていない。キャプテンも来ていない。


でも、部長の目が、一瞬だけ自分の後ろを見て、青ざめたのは確かだった。


「…キャプテン?」


小声で呟く。返事はない。


しかし、窓の外を風が吹いた時、カーテンがふわりと揺れて、一瞬だけ――


紅いマスクのシルエットが、ガラスに映ったような気がした。


佐藤は、そっと笑った。


---


その夜。


ビルの屋上に、一人の男が立っていた。


紅いマスクを外し、夜空を見上げる。


「…ガラスは、なおってたか。」


キャプテンスマッシュ――いや、素顔の彼は、満足そうに呟いた。


あの日、砕いたのは部長の「理不尽」だけじゃない。部長自身の心に張り付いていた「俺は正しい」というガラスの鎧も、粉々に砕いた。


砕けたガラスは、消えない。


破片となって、心の奥底に残る。


そして、同じ過ちを繰り返そうとした時、その破片が光を反射して、かつての自分を思い出させる。


「もう、あの場所には戻らない」と。


「理不尽は、破壊するだけじゃダメだ。破壊した後、その破片が何を映すか。そこまでが、俺の仕事だ。」


キャプテンは、紅いマスクを再び装着する。


夜の街のどこかで、今夜もまた、誰かが「なぜなぜ」の凶器に傷つけられているかもしれない。


「さて、次のガラスを探しに行くか。」


バリン――


風の音と共に、キャプテンスマッシュの姿が消えた。


屋上には、静かな月明かりだけが残された。




キャプテンスマッシュが破壊したガラスは、消えてなくなるわけではない。砕けた破片となって、人の中に残り続ける。そして、再び同じ理不尽を振るおうとした時、その破片が「過去の自分」を反射し、ブレーキとなる。


真の破壊とは、消し去ることではなく、二度と同じ過ちを繰り返せなくすること。


ガラスはなおったのではない。

ガラスは、破片となって、永遠に心の中で輝き続けるのだ。

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