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理理不尽の粉砕者:キャプテン・スマッシュ
「……あんたと、もうやっていけない」
冷え切ったリビングに、その言葉が突き刺さった。
コウタは何も言えなかった。
言い返す言葉も、謝罪も、言い訳も、喉の奥で乾いてひりつくだけで。
前日。離婚の話し合いは平行線のまま、午前様になった。
翌朝、コウタは取引先に提出する見積もりの数字を一桁間違えていた。
部長に呼び出され、始末書を書いた。机に向かいながら、何度も同じ数字を書き間違えた。
その夜。
コウタは定時で上がった。
「お父さん」
リビングに入ると、息子がコントローラーを抱えて立っていた。
「『アルティメット・バトラーズ』、一緒にやろう」
コウタはネクタイを緩めながら、ソファにどかっと座った。
「いいぜ。でも、お父さん、ゲーム下手だからな」
「知ってる!」
無邪気な笑顔に、胸の奥がぎゅっとなる。
テレビを起動。キャラクターセレクト。
コウタは何となく、キャプテン・スマッシュを選んだ。
一戦目。瞬殺。
二戦目。完璧なコンボを決められる。
三戦目。必殺技を出そうとしたら自爆した。
「あはは! お父さん、なにそれ!」
「うるさい、これ、ボタンが悪い!」
「言い訳しないの!」
息子が腹を抱えて笑う。
その笑い声が、昨日までの重たい空気を溶かしていく。
四戦目、五戦目、六戦目。
コウタは一度も勝てなかった。
でも。
「お父さん、さっきより動き良くなったよ!」
「そうか?」
「うん! キャプテン・スマッシュ、お父さんの得意キャラだね!」
得意キャラ——そう言われて、コウタは初めて画面の中のヒーローをじっくり見た。
蒼い装甲。銀河を背負ったマント。そして、何かを粉砕するために振りかざされる拳。
「……そうかもな」
負け続けても、このキャラは面白い。
どんなに吹き飛ばされても、立ち上がる。
相手がどんなに強くても、拳を握る。
「もう一回やろう!」
息子の声に、コウタはコントローラーを握り直した。
「おう、かかってこい」
——その時だった。
蒼い光が、テレビから溢れ出した。
コウタの身体が、装甲に包まれていく。
バイザーが形成され、視界に無数のデータが流れる。
「Target: Unreasonable Despair.(対象、理不尽な絶望)」
システムボイスが、脳髄に直接響く。
「な——」
コウタは自分の両手を見た。
そこにあったのは、握り込んだコントローラーではなく——蒼い炎を纏う、鋼鉄の拳。
「お父さん……?」
息子の声が、遠くから聞こえる。
コウタは振り返った。
リビングの隅。暗がりの中で、黒い影が息づいている。
昨日の罵声。
始末書の文字。
妻の、冷えきった目。
——そして、まだ見ぬ未来に待つ、息子の孤独。
「あれが……理不尽、か」
コウタはゆっくりと立ち上がった。
「お父さん、どこ行くの?」
息子の問いに、コウタは振り返らずに答える。
「ちょっと、理不尽を殴ってくる」
「え?」
「すぐ戻る」
キャプテン・スマッシュは、拳を握った。
「Smash——」
蒼い炎が、天を衝く。
「——Obliterate!!」
拳が、闇を貫いた。
---
「お父さん、帰ってきた!」
息子の声で、コウタは我に返った。
気がつくと、ソファに座っていた。コントローラーを握っている。テレビ画面では、キャプテン・スマッシュが勝利のポーズを決めていた。
「……俺、勝ったのか?」
「ううん、コンピュータ戦で僕が負けただけ」
「あ、そう」
隣を見ると、息子がコントローラーを置いて、じっとコウタを見ていた。
「お父さん」
「ん」
「なんか、すごい顔してた」
「どんな顔」
「えっとね——」
息子は首をかしげて、少し考える。
「——ヒーローの顔」
コウタは思わず笑った。
「ヒーローなんかじゃないよ、お父さんは」
「でも、キャプテン・スマッシュ、上手になったよ」
「負け続けてるけどな」
「いいの! 負けても、立ち上がるのがヒーローなんでしょ?」
コウタは、言葉を失った。
——負けても、立ち上がる。
「……どこでそんな言葉、覚えたんだ」
「テレビ。キャプテン・スマッシュが言ってた」
そうだったのか。
コウタは画面の中のヒーローを見た。
蒼い装甲は、今日も無数の傷跡にまみれている。
それでも、彼は立っている。
「お父さん」
息子が、コウタの袖を引っ張った。
「また明日も、やろうね」
コウタは、息子の頭に手を置いた。
「ああ。約束する」
その夜、コウタは寝室のドアの前で、しばらく立ち止まった。
中からは、妻の寝息が聞こえる。
彼はそっとドアを開け、枕元に一枚のメモを置いた。
『明日、話をしよう。
ちゃんと、向き合うから。
——勝手なやつでごめん』
寝室を出て、自分の布団に入る。
コントローラーを握った右手が、まだ少し熱かった。
---
翌朝。
コウタがリビングに入ると、テーブルの上に、折り目のついた離婚届と——その隣に、一枚のメモが置いてあった。
『話そう。
こっちこそ、ごめん』
妻の文字だった。
コウタはメモを手に取り、何度も読み返した。
キッチンから、食器の触れ合う音がする。
振り返ると、妻がコーヒーを淹れていた。
目が合う。
「……砂糖、多めで」
妻が、ほんの少しだけ口元を緩めた。
その横顔を見ながら、コウタは思う。
——俺は、まだ何も粉砕してない。
でも。
負けても、立ち上がるのがヒーローなら。
——まだ、戦える。
「お父さん、お母さん、おはよう!」
パジャマ姿の息子が、リビングに飛び込んできた。
朝の光が、三人の間に差し込む。
蒼くはないけれど、確かに温かい光だった。
END




