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飛竜と魔女の宅配便  作者: HAL
白竜節(冬)の章
6/14

魔女便と工房(後編)

 ことこと。ことこと。鍋の蓋が音を鳴らし、その度に鍋と蓋の隙間から、煮込まれた野菜の甘い香りが溢れ出す。それは台所と繋がった居間にも届き、ソファーで毛布に包まって眠っていた魔女の鼻腔をくすぐった。


(お祖母ちゃん……スープ作ってる……?)


 もぞもぞ、とメリルラーダは身体を起こした。その動きに毛布が肩口からずり落ち肌着姿が顕になるが、寝惚けた彼女はそれに気付きもせず、フラフラと匂いに吸い寄せらた。


「ふわわぁ……。お祖母ちゃん、ごめ〜ん……寝坊したぁ……」

 

 瞼は一割ほども開かないまま、だらしなく大口を開けて欠伸をしながら台所に入ったメリルラーダは煮炊き台の前に立つ人物から掛けられた、

 

「おっ、起きてきたね。おはようさん」

「……。へぁッ!?」


 記憶の中の祖母よりも低く張りのある声に目を見開いた。


*


「ほんっ……と〜にっ、失礼しました……!」


 食卓に額が付くほど頭を下げて、メリルラーダは眼前の人物に謝罪した。 

 食卓の上にはほくほくと湯気を立てる野菜スープ、見た目にも柔らかそうな白パン、野菜サラダに脂の乗った燻製肉ベーコンと豪勢な朝食が並ぶ。それらを挟み向かいに座すのはこの工房の主である老魔女、エルマリアだ。

 彼女はククク、と喉の奥で笑うと、手振りで気にしていない事を告げる。

 

「そんな事よりさっさと食べな。冷めちまうよ」 

  

――昨日、冷凍の魔法が切れる事も、勝手に木箱を開ける事もになよしとしなかったメリルラーダが選んだのは、『冷凍の魔法が切れる前に配達する』だった。

 本来は翌日の昼頃に到着する予定だった道程を、暗視に遠見といった魔法を駆使した強行軍で無理矢理に踏破出来たのはメリルラーダの努力の賜物だが、その代償として風除けの魔法は最低限、到着する頃にはしっかりとずぶ濡れで、身体も冷え切っているという有り様だった。

 そんな彼女を見たエルマリアは、肝心の荷物の確認もそこそこに、遠慮するメリルラーダを風呂に放り込み、暖かい飲み物を与え、毛布に包んでソファーに転がしたのであった(寝台はメリルラーダが固辞した)。

 さしものメリルラーダも疲労困憊で、ぽかぽかに暖まった身体と、心地良い毛布の誘惑に抗う間もなく眠りに落ち、そうして今に至る。


「えっと、ではお言葉に甘えて、頂きます……っ!」


 昨日の夜に宿泊予定だった宿を飛び出してから、何も食べずにミストラまで飛ばしてきたメリルラーダである。実のところ食欲を誘う香りの前に彼女の腹はとうに屈して、先程からぐきゅるきゅると、か細い鳴き声を上げていたのであった。


 まだ湯気を立てる野菜スープを匙に掬い、火傷しないようふぅふぅと冷まして慎重に口に含む。途端に、何種類もの野菜が混ざった甘みと程良い塩気が、口中にぶわりと広がった。

「美味しぃ……っ!」

 

 一度食べ始めてしまえばそこからは止まらない。ほんのりと暖かく柔らかい白パンにバターを塗り、塩気の効いた燻製肉ベーコンと共に囓る。直前まで冷水に浸かっていたのか、瑞々しい野菜サラダをシャキシャキと頬張る。


 メリルラーダが目の前の食事を綺麗に平らげていく向かいで、エルマリアは素知らぬ振りで食事を続ける。もしメリルラーダにそちらに気を掛ける余裕があれば、老魔女の唇が愉快げに吊り上がっていたのが見えただろう。


*


「あらためまして、クレシャンテ運送で魔女便の配達員をやってます、メリルラーダです!美味しいご飯をありがとうございました!」

「知ってると思うが、エルマリアだよ。ここで魔法具の工房なんてもんをやってるが、ま、見ての通りのババァさ、堅っ苦しいのはよしとくれよ」


 すっかり片付けられた食卓の上に食後のティーポッㇳとカップが二脚。メリルラーダは淹れたての紅茶が燻らせる湯気越しに、あらためて向かいに座る老魔女の姿を伺う。白髪混じりで淡くなった赤髪や、目尻に刻まれた深い皺こそ年齢相応なのであろうが、椅子に腰掛ける姿勢やカラカラと笑う様子は壮健そのものだ。

 昨日から既に数時間を共にしているが、ろくに落ち着いて話す時間もなかった二人である。あらためての自己紹介の後は、荷物の無事の確認や、昨日の輸送中の顛末を話し合った。


「――なるほど。いつも来て貰ってるミルアーゼの嬢ちゃんは雨なら普通に外套着てたしねえ。たまたま今まで問題にならなかったんだねぇ」

「ごめんなさい、私が考え無しに魔法を使ったせいで……」

「いやさ、魔女便も始めて半年だ、こんな事もあるだろう。アンタは身体張って自分のケツを自分で拭いてんだから、堂々としてりゃいいよ」

「……け、ケツを……」

 

 あけすけな物言いにメリルラーダは頰を赤くした。交友関係がクレシャンテ運送の同僚を含めても一握りしかいないため、対人経験が非常に薄いのは彼女の悩みだ。だがそんな様子とはお構いなしに、エルマリアはずいと身体を乗り出した。


「そんな事よりさ。アンタ、魔法にはだいぶ自信があるみたいじゃないか」

「えっと、自信は別にないですが……まあ、それなりかと……」 


 その獲物を見付けた鷹のような視線にメリルラーダは思わず仰け反りそうになりながら答える。その肯定とも否定とも取れる返事に、老魔女はニヤリと笑った。


「ちょっと工房の仕事を手伝う気、ないかい?」

 

* 

 

「ほあぁぁ……」

 

 エルマリアの工房に足を踏み入れたメリルラーダは口をぽかんと開いた。魔法具を作りはするが所詮は趣味程度でしかない、彼女の作業部屋とは訳が違う。

 広さはクレシャンテ運送の倉庫とそう変わらないだろう。だが棚や机、はたまた空いたスペースに、大小様々なサイズの魔法具、素材となる鉱物、植物、はたまた鱗や牙のような生物由来の物までが、所狭しと並んでいるのは壮観ですらあった。

 

 様々な色合いの宝石が埋め込まれた粘土板。木箱に雑然と放り込まれた大小様々な杖。馬車並の大きさの金属製の箱など、最早用途の予測も付かない物もあった。

 ある棚では液体や粉末など多種多様な薬瓶が並び、成分や効能が記載された羊皮紙が紐で括られている。

 毛の一本一本が針のような質感を持つ真紅の毛皮が丸められ転がっていると思えば、ガラスケースに保管された虹色に煌めく美しい竜鱗がある。

 

 一見、ガラクタやゴミのように見えるものも多いが、見る者が見ればそれらも全て貴重な品々である事は一目瞭然であった。あちらの山からこちらの山と目移りしていたメリルラーダだったが、いつの間にか先に進んでいたエルマリアから「ほれ、こっちだよ」と手招きされ、慌ててその後ろ姿を追い掛けた。


*

   

「……ここミストラはとにかく土地が痩せていてね。昔は作物を育てるのにそりゃあ苦労したのさ」


 工房の通路を歩きながら、訥々とエルマリアは語り始めた。メリルラーダはその背中に付いて行きながら、聞き逃さぬように耳を傾ける。

「そこでアタシは領主の依頼を受けて、一つの魔法具を作った。付近の地脈を活性化させて、土地を豊かにする作用がある魔法具さ」


 地脈、とメリルラーダは鸚鵡返しに呟いた。

「地面の下を通ってる、魔力の流れ、みたいなものでしたっけ?」

 

 その回答にエルマリアは満足気に一つ頷く。

「そうだね。地脈の影響が強い場所はそれだけ自然に根差す精霊や妖精が集まり力を増すのさ」

「ああ、それで植物とか生き物が育ちやすくなるんですね。魔力の濃い場所に住んでた事があるから、何となく分かります」

「そりゃ話が早い。で、アンタに頼みたいのはその魔法具の燃料作りさ。調合は済んでるんだが、仕上げに魔力を込める必要があってね」


 言いながら老魔女は工房の一角にある棚から小振りなガラス瓶を取り出し、メリルラーダに手渡した。中には何やらドロリとした赤黒い液体が入っている。濃度が高く、明かりに透かしてみても光を通さない。

 

「……なんですかコレ。なんか血みたいですけど」

「幾つかの素材を調合してるが、基礎ベース地竜アースドラゴンの血液だね」

地竜アースドラゴン!?貴重品じゃないですか!」

「自然環境に手を加えようってんだ、触媒にもそれくらいの格が必要ってもんさ」

 

 地竜アースドラゴンと言えば地底深くに住み、大地の魔法を操る巨大にして強大な生物だ。滅多に人前に姿を現す事はないが、一度牙を剥けば自然の猛威にも等しい存在である。当然ながらその素材はおいそれと入手出来るようなものではない。

 同じ竜と言えど、メリルラーダもよく知る飛竜とは根本的に違う生き物なのだ。

 

「……竜の血は魔力を通す事で励起し、様々な権能をもたらす。それをアタシの魔法具で制御するってワケだが、いかんせん年食ってから魔力の回復が遅くてね。ここは一つ若者の力を借りたいのさ」


 一宿一飯のお礼にと気軽に引き受けてしまったが、この一瓶だけで自分の給料何ヶ月分になるのだろうか。

 メリルラーダはクラクラしながら、これは中々に大変な仕事だぞ、と瓶の中で揺れる赤黒い液体を睨んだ。


*


 物質に魔力を込める作業を、魔法の心得がない人間に説明する際によく例えられるのが、容器の口にコップの水を注ぐ作業だ。物質によって容器の容量や口の大きさ、込める側の能力によってコップの大きさや注ぎ口の形が変わってくる訳である。

 当然、入れ過ぎて溢れたり、勢いが良過ぎて零したりすると、魔法具や触媒の損耗に繋がり、最悪二度と使えなくなる事もある。

 この例えでメリルラーダが地竜の血を評するならば――容器のサイズはとてつもなく大きく、口の形が独特で、注ぎ口を工夫しないと詰まったり、逆流したりする、であった。


*

 

 血に触れるか触れないかの所で静止したメリルラーダの指先には淡い魔力の光が点る。光は少しずつ血液へと染み込んで行き、暗い液体の中で星のように僅かに瞬く。一定の間隔で繰り返される明滅は、まるで心臓が脈打つかのようだ。そのリズムを崩さないように、メリルラーダは指先に神経を集中させる。


(いや目茶苦茶難しいんですけどーーー!?)

  

 内心では悲鳴を上げるメリルラーダだが、その指先はピクリとも動かない。と言うより、口を開いたら魔力を注ぐリズムが崩れ、逆流しそうな予感があった。時折、返ってくる感触に合わせて注ぐ魔力を調整しながら、瓶いっぱいの竜の血液に魔力を注ぎ切る。


「……ッぶふぁ!」


 注ぎ切る直前は気付かぬうちに息を止めていたらしく、メリルラーダは慌てて息を吸い込んだ。じわりと額に浮かんでいた汗を拭いながら工房の時計を見れば、一本の瓶で30分近く経過していた。

 ふと隣に目をやれば、メリルラーダにやり方をレクチャーした後にのんびりと着手したエルマリアは既に二本目を終えていた。今は余裕の表情で、三本目を前に一休憩とばかりに煙管きせるをぷかぷかと燻らせている。


「エルマリアさん何でそんなに早いんです!?」

「何回もやってると一度に魔力を注ぐペースが判ってくるのさ。なぁに、初見で1瓶無事に終えただけで大したもんだ。アンタもそのうち出来るようになるさ」

「うぅ、今のところは注ぐだけで精一杯ですね……」

 呻きつつもメリルラーダは二本目の瓶に手を伸ばした。 

  

 とは言え続けるうちに多少は慣れるもので、その後メリルラーダは2時間で合計5本の瓶底に魔力を込め終えた。その間にエルマリアは10本の瓶を仕上げて、作業はそこで切り上げとなった。

 

「いやー進んだ進んだ。アンタ魔力の操作が上手いんだねえ!」

「ほとんどエルマリアさんがやってたような気が……私、役に立ってました?」

「なに、1日にやれるのはアタシもあの本数が限界なのさ。手伝ってくれて助かったよ」

「それなら良かったです。……あの、私も貴重な体験が出来ました。ありがとうございました!」


 ぺこりと頭を下げるメリルラーダだが、「さて、こんだけやって貰ったんだ。何かお礼をしなきゃねえ」と言うエルマリアの声に慌てて頭を上げ、手をパタパタと振った。

 

「そんな、ご迷惑かけたお詫びのつもりだったし、大丈夫ですよ!」

「馬鹿をお言い。あれだけやらせてタダで帰すなんて真似が出来るかい。……普通に給金でもいいけど、アンタも魔法具作るんだろ?何なら現物支給でもいいよ」


 現物支給と言われ、はた、とメリルラーダの手が止まった。最初に工房を観察した際に幾つか目に入った素材があったのを思い出したのである。


「あの、それなら……」

 

*


風精霊シルフィードが溜め息零し〜♪そよ風舞って頰撫でる〜♪」

 

 夕暮れ時。

 王都への帰路に着くメリルラーダは鼻唄を茜空に響かせた。ご機嫌の理由は鞄に納まっている、幾つかの魔法の触媒である。細々としたそれらは、エルマリアの工房で現物支給として貰った物だ。


 工房の作業を手伝った後は昼食を振る舞われ、メリルラーダが工房を辞したのは昼を少し回った辺りだった。別れ際、あれだけ迷惑を掛けたにも関わらず、エルマリアは「アンタは筋がいいから、良ければまた手伝っておくれ!」と声を掛けてくれた。短い間だったが、工房での時間を思い出して、メリルラーダはどこか擽ったい、ソワソワとした気持ちになった。

 

(大変だったけど、楽しかったなぁ。魔法の勉強、ちゃんとやろうかな)


 思えばこの半年、魔女便の仕事を憶えるのにいっぱいいっぱいで、魔法の練習や勉強には手を付けていなかったのだ。今回の失敗だってエルマリアは気にしないように言ってくれたが、一番良いのは自分がもっとちゃんと魔法を使えるようになる事だろう。

 よし、と箒を握るメリルラーダの手に力が入る。


 ――手始めにこの触媒で風除けの魔法具を作ろう。配達の注意点は、アルヴィンに聞いたら色々と教えてくれそうだ。魔法の使い方については、もっとクレシャンテ運送の同僚達に聞いてみよう。時間があったら、またエルマリアさんにも話を聞いてみたいな。

  

 夕陽を背負って魔女が飛ぶ。

 その頰はこれからの事を夢想して、淡く弧を描いていた。

ワ……ワァ……。前編から一月も空いてるゥ……。

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