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飛竜と魔女の宅配便  作者: HAL
白竜節(冬)の章
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魔女便と工房(前編)

 びゅう、と寒風が王都の上空を吹き抜けて。

 ぶるり、とアルヴィンは飛竜の上でその身を震わせた。


 季節は白竜節ふゆに移り変わって間もなく。飛竜乗りにとっては辛い時期だ。肌を刺すような冷たい風を、遮る物一つない空の上で一身に浴びるのだ。乗り手への負担は語るべくもないだろう。加えて、飛竜にしても小型の爬虫類のような冬眠こそしないが、寒さは苦手としており、その動きには精細を欠く。


 これが国の護りを司る竜騎士団ともなれば相応の対策がされているが、いち民間企業であるメイザール運送ではそうもいかない。

 白竜節ふゆの飛竜便は、寒さとの戦いなのだ。


*


「なあ。その格好、寒くないのか?」


 膝丈までの黒い胴衣ローブから覗く魔女の細い素脚が視界に入って、思わずアルヴィンはそう聞いた。前触れのない質問に首を傾げたメリルラーダだが、その視線を辿り「あ、これ?」と胴衣ローブの裾を摘む。


「風除けと保温の魔法があるから寒くないよ」

「マジか、羨ましい。……それと服の裾はピラピラしないように。はしたない」


 はぁい、と素直に頷き、いそいそと裾を伸ばす魔女の薄着ぶりとは対照的に、ウラリスの背の上、寒さを耐え忍ぶアルヴィンの服装は重武装そのものだ。通常の制服の上から毛皮ファー付きの厚手の外套、手袋、膝下まである長靴ちょうか、帽子にゴーグル。元々が長身でヒョロリとした印象があるだけに、横への着膨れが目立つ事この上ない。


「アルちんはモコモコだねぇ」

「こっちは風をモロに受けるからな………」


 そう言えば、といつだか彼に風除けの魔法を掛ける約束をした事をメリルラーダは思い出した。そもそも、別に彼女からしたら勿体ぶる程のものでもないのだ。よし、腕捲くりをして、

 

「お試しで風除けを掛けてあげよう」

「え、いいのか?」

 

 いいですとも、と鷹揚に頷いた魔女は箒をアルヴィンのすぐ傍まで寄せると、小さく呪文を唱える。


『風や風や·愛し子を·その腕に·抱き留めよ』


 メリルラーダの指先に淡い紫紺色の燐光が灯り、それがそっとアルヴィンの肩口に触れる。瞬間、彼の周囲に同じ色の光がふっと広がり、身体に溶け込むようにして消えていった。

 

 瞬間、辺りが静かになったようにアルヴィンは感じた。耳元でびゅうびゅうと鳴っていた風の音が弱まった影響だ。剥き出しの肌を容赦なく叩いていた風も、そよ風のように優しく撫でるようなものに変わった。例えるなら、身体の周りに薄い膜が貼られているような感覚だ。アルヴィンの口から感嘆の声が漏れる。


「おお……。直接風が当たらないだけでも寒さが全然違う」

「ぇっへへへー、そうでしょうそうでしょう」

「いや、お世辞抜きでホントに凄いぞ。これ、どのくらいの時間効き目があるんだ?」


 鼻を高くしていたメリルラーダがそっと目を逸らした。

「…………私から離れたら……5分くらいですかね……」

「…………。いや、いいんだ。うん。貴重な体験をさせて貰った、それで十分だ、うん。」

「……な、なんかごめんね?」


 一度知ってしまった蜜の味を惜しんで、遠い目をするアルヴィン。飛竜便はこれから王都を出て配達に向かう所だったので、二人は風除けの魔法が切れる頃には解散した。


(風除けか保温の魔法具でも作ってあげれたらいいけど、素材が手元にはないんだよなー……)

  

 北の空へ飛び立って行く彼の後ろ姿を眺めながら、せめて向こうの天気が良い事をメリルラーダは祈った。


*


「あれ、ミルアーゼさんは風邪でも引いたの?」


 クレシャンテ運送の事務室で、メリルラーダは首を傾げた。彼女の目線の先には壁の黒板に書かれた魔女便の運行表がある。そこには現在クレシャンテ運送に所属している5人の魔女の名と一ヶ月分の予定が記入してあった。一番下段がメリルラーダで、その一つ上にミルアーゼの名はある。並びは魔女便に所属した順なので、メリルラーダにとっては一番近い先輩という事になる——魔女便自体が始まってまだ一年も経っていない事業なので、団栗ドングリの背比べではあるのだが——。

 

 メリルラーダの記憶では、そのミルアーゼは明日から3日ほど掛けて遠方のミストラ領まで配達の予定だったはずだが、今はその上から横線が引かれ、『休』と一文字だけ書かれていた。


「なんか季節風邪にかかっちゃったみたい。熱で魔法も上手く使えないって」

 

 応えたのは、クレシャンテ運送の事務員である女性で、ルナリアといった。魔女便の調整役もしている為、メリルラーダにとって何かと世話になっている人物である。

「どうにか予定を調整しないといけないんだけど、遠くまで行ける子は限られてるから、どうしたもんかなー」

 

 そんな彼女はまさに今、欠けた運行の穴埋めに苦心していた。魔女便は王都から1日で回れる範囲内の配達が主で、これは配達能力が魔女個人に由来する所が大きい。遠方への配達となると、それだけで魔力の絶対量や、ペース配分といった高い実力が要求されるのである。


 そんな彼女の悩みを見て取ったメリルラーダは、自分とミリアーゼの運行表を見比べ、少し躊躇った後おずおずとルナリアに進言した。

「あの、行き先ミストラでしょ?私、行こうか?」

「あら、いいの?王都から離れたがらないメリルちゃんが」


 ルナリアは少し驚いたように問い返した。言葉の通り、メリルラーダがこれまで遠方への配達はあまり担当して来なかった為だ。立場上、一番の新人だと言う事もあるが——ルナリアが何か思いついたようにニヤリと笑うと、怪訝な顔をするメリルラーダにそっと顔を寄せた。 

「……飛竜便のカレは放っといていいの?」


 耳元でそっと囁かれた言葉に、メリルラーダの顔が一瞬で茹で上がった。 

「なっ、なんでそこであの人が出て来るの!?ただミストラなら知ってる所だし、私が行くならルナリアさんも楽だろうと思っただけで…………そりゃ、確かにアルちんも何日か王都を空けるみたいだったけど」


 顔を赤くして早口に捲し立てたる、その正直な反応が面白くて、ルナリアはククッ、と口の中で笑った。それを見咎めてメリルラーダが頰を膨らませたので、慌てて謝罪を入れる。


「いや、ごめんごめん。メリルが行ってくれるなら助かるよ。貴方が行く予定だったのは近場の細かい仕事だったから、他の人で上手くカバー出来ると思う。ありがとね」


 表情をあらためて、ルナリアは柔らかく微笑む。内心ではメリルラーダのその風船のような頰をつつきたい衝動を堪えていたが、そこで魔女の機嫌を損ねるほど彼女は愚かではない。結果、メリルラーダの膨らんだ頰はみるみる萎んでいった。


「もう、また変な事は言ったら行かないからね!」

「悪かったって。ミストラ行きの荷物とかルートはこちらでまとめた物を用意しておくから、今日の所は帰って早めに休みな。明日はいつも通りの時間においで」

 

 まだ感情が収まりきらぬらしく、まったく、と頰の代わりに口を尖らせたメリルラーダは事務所を出て行く。と思いきや、扉から顔だけ出すと「あ、後でミルアーゼさんには差し入れ持って行くね!」と告げ、とてとてと去っていった。ありがとねー、とルナリアはその後ろ姿を見送る。

 

(あの年頃でああも気楽に長距離の飛行出来る子は中々いないだろうね……さすがは『災厄の魔女』の肝入りって所か)


その眼差しは、年の離れた後輩を労うものであると同時に、僅かに憐れみの色を孕んでいた。

 

*

 

 翌日、メリルラーダの姿はミストラへ向かう空の上にあった。薄曇りの空の下にぽつぽつと雨粒が落ちる、生憎の空模様ではあったが、いつもの風除けを少し調整して水滴を弾く程度に魔力を注いだおかげで、雨が彼女の肌を濡らす事はない。

 

 箒に跨るその姿はいつも通りのクレシャンテ運送仕様の胴衣ローブにつば広帽という出で立ちだが、鞄だけはいつもの物に加えて、木箱を一つ余分に箒に吊り下げていた。一見すると何の変哲もない木箱だが、よく見ればその表面に薄く霜が降りているのに気付くだろう。

 

 白竜節ふゆとは言え、そこまで気温が低いわけではない。掛けられた冷凍魔法により、内部が低温に保たれているのである。これが陸路ではなく、魔女便で遠方のミストラへ向かう理由であった。

 

(中身は魔法の触媒かぁ。常温だと駄目になっちゃう素材も多いもんね。馬車だと時間掛かっちゃうけど、私達なら一日ちょっとで済むし)


 聞いた話では届け先もエルマリアという名の魔女の工房で、向こう土地では手に入りにくい素材を王都から定期的に取り寄せているのだそうだ。

 メリルラーダとしては長距離の配達はそれこそ飛竜便の方が得意だと思っているのだが、そこは魔女同士の付き合いもあるのだろう。

 

(どっちにしても、ミリアーゼさんの代わりはしっかりやらないとね!)


 ふんす、と気合いを入れ直したメリルラーダは、木箱をしっかりと風除けの影響範囲に収めると、一路ミストラを目指すのだった。

 

*

 

 異変に気付いたのは、その日の夜だった。中間地点の街でメリルラーダは宿を取っていた。大事な荷物を抱えているので、当然ながら鍵付きの個室である。そこで件の木箱を前に、メリルラーダは唸っていた。


「うぅ、どうしよう……」

 

 ここまで運んで来た木箱の表面はしっとりと濡れていた。風除けは絶えず掛かっていたので、雨に打たれたわけではない。木箱の温度が上がっている——冷凍の魔法が切れかけているのだ。まだ木箱から冷気は漂っているが、出発した時のように霜が貼り付く程ではなく、触れればひんやりする程度の温度でしかない。


「今はまだいいけど、これ明日まで保たないよね……」


 メリルラーダがアルヴィンに掛けた魔法がそうであるように、魔法は使い手が力を注ぎ続けなくては解け、消えてしまう。そうならないように、特定の物質や構造を用いる事で込めた魔力が逃げないようにしたものが魔法具だ。

 この冷凍魔法も、木箱の中にある何某かの魔法具によって維持されている筈だが、そこに込められた魔力が不足していたか、予想より消費が激しかったという事だろう。

 

 心当たりは——あった。風除けの魔法だ。


(雨に濡れない方がいいと思って、一日中、強めに魔力を注いでた。それが魔法具の魔力に干渉しちゃったんだ)


 これが予定通りミリアーゼが配達していたのであれば、雨対策に水を弾く為の外套を併用しただろう。そもそも、丸一日、飛び続けながらあの強さの風除けを維持出来る者の方が稀なのである。

 実のところ、魔女としてのメリルラーダの力はかなりのものだ。経験の浅さはあるが、それも今までは魔力の強さでカバー出来ていた。だが今日に限ってはそれが全くの裏目に出てしまったのだった。

 

(予定では明日の昼前にミストラには到着するけど、それまでは冷気が保たない……。箱を開ければ中の魔法具に魔力を注ぐなり、どうにか出来るかもしれないけど、勝手に開けちゃ駄目だよね……)


 どうしよう、どうしたら、という感情は焦りを産むばかり。配達員としても、魔女としても未熟な自分を実感して、メリルラーダは湧き上がる不安感に瞳を潤ませた。


「……っ、泣いちゃ駄目だ。アルちんのおかげで、また飛べるようになったんだから、ちゃんとやらなきゃ」


 アルちん——アルヴィン。自分の言葉に触発されて、ギュッと瞑ったメリルラーダの瞼の裏に、一つの光景が浮かんで消える。


 ——暗い室内。閉じた窓から見える青空。伸び伸びと宙を舞う飛竜。全身に風を受けて、楽しげな笑みを浮かべる青年。暗闇の中、虫が光に惹かれるように、記憶の中の自分が空に手を伸ばして——


 ぐい、とメリルラーダは目元を指で拭う。再び開いたメリルラーダの翡翠色の瞳から、迷いは消えていた。


*


 工房の戸を激しく叩く音に、エルマリアは訝しげに眉を潜めた。魔法具の工房を長らく営む魔女であり、領主を始め大口の顧客を数多く抱える彼女を尋ねる者はそれなりに多い。が、時刻が日付を跨いだ深夜となれば話は別だ。

 わざわざ戸を叩くのだから物取りでは無いとは知れたが、厄介事である事は間違いないだろう。エルマリアは警戒を深めつつ扉を薄く開き、その切れ長の目を丸くした。


 一人の少女が扉の前で蹲っていた。黒い胴衣ローブをぐっしょりと濡らし、水をたらふく吸ったつば広帽の先端がくたりと折れ曲がっている。少女は扉が開いた事に気付くと、顔を上げて勢い込んで言った。

 

「……あのっ、エルマリアさんですか。こんな時間にごめんなさい、クレシャンテ運送の者です」


 そこで始めてエルマリアは、少女の纏う胴衣が馴染みの運送会社の制服であること、蹲っていたのは木箱を抱えていたからだという事に気付いた。


「……これは驚いた。アンタ、こんな時間にどうしたんだい」

「えっと、荷物に掛かっていた冷凍の魔法が切れそうで、ご迷惑とは思ったんですけど、中身が駄目になるよりは良いかと思って、急いで持って来ました」


 かなり身体が冷えているのだろう。辿々しく言葉を紡ぐその唇は、よく見れば真っ青だ。翡翠の瞳だけは強い光を放っていたが、その身体の震えは隠しきれていない。

 風除けや保温の魔法が使えないほど未熟なのか、だがそんな魔女をクレシャンテ運送が寄越すだろうか。幾つかの疑問がエルマリアの頭に浮かんだが、彼女はそれを一旦投げ捨てて、少女の手を掴んだ。


「ふむ、細かい話は後だ。とりあえず中に入って身体を暖めな。湯を沸かしてやる」

「えっ、そんな、家が濡れちゃう……あの、せめて荷物、荷物を先に!」


 反論しようとした少女を、一睨みして黙らせる。

 エルマリアは80歳を越えた辺りで年齢を数えるのを止めてしまったし、最近では自前の工房もそろそろ店仕舞を考えるようになった。

 だが、雨の中を自分が凍える事も厭わず、荷物の都合を優先して飛んでくるような立派な阿呆をそのまま帰すほど、耄碌もうろくはしていないのだ。

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