33 チャドの妹 リリー
チャドに指示した男が逮捕されてから、ペンダントには何も現れていない。
「何も現れていないと今や不安になるわね」
「いやそれ、間違ってるから」
アリスとアランはアリスの部屋でくつろいでいる。
公爵家から久しぶりに帰宅したアリスを囲んで家族で楽しく夕食を食べたあとだ。
「アリス姉さん、まさかと思うけど、コルマ王国まで出向いてシンディーを助けようなんて思ってないだろうね?」
「思ってるわよ」
「はああ?」
「でも、そんなことはさすがにできないってこともわかってるわよ」
「ふぅぅ。安心したよ。自分を正義の御使いと勘違いしてるんじゃないかと心配していたよ」
アリスはベッドに向かい、うつ伏せにボフッと倒れ込んで顔だけを横に向けて会話を続けた。
「そもそも不運な人生を送るように選ばれてしまった私よ?コルマに出向いて不運を撒き散らしたところでシンディーが幸せになれるわけでもないし。それにコルマに行けば生首王子とまた顔を合わせることになるもの。私だってさすがにね」
「姉さんにそれだけの分別があるとわかって安心したよ」
「相変わらず失礼ねアラン」
二人がそんな会話をしていると侍女のアメリが「妙な様子の女の子が来ています」と知らせに来た。
「チャドの妹だわ。今日来ることになっているの。アラン、あなたも一緒に会ってくれる?」
「もちろんさ」
*****
チャドの妹はリリーと名乗った。
「お兄ちゃんを警備隊に突き出さないでください。そのためなら私、なんでもします。お願いします」
リリーはそう言っていきなり床にひざまずいて額を床につけた。
黒い髪に黒い瞳は兄と同じ。そしてずいぶん痩せていた。痩せ方がアリスとは違って不健康そうな痩せ方だった。
「リリー、立ってちょうだい。チャドのことは警備隊には突き出さない。あなたのことも。公爵様にお任せするわ。あなたもチャドも生きるために必死だったのでしょう?チャドが私を拐ったとき、あなたは屋根の上にいたという話だけど、いつもそんな手伝いを?」
「はい。私も兄さんも身軽なので、力が無い私は兄さんが泥棒をする時に盗んだ品を受け取ったり、兄さんがひったくった鞄を抱えて屋根の上に逃げたりしていました」
「あなたがそんなことをしなくても済むように、なんとか考えるわ。そんなことをしていたら、いつか捕まって死罪になるか怪我をして死んでしまうかよ。いい仕事を私が見つけるまで、うちで働かない?私の権限では賃金のことまでは決められないけど、住むところと食べることは提供できるから」
「どうして……」
ヒックヒックとリリーが泣き出した。
「どうして優しくしてくれるんですか?私達のせいであなたは殺されていたかもしれないのに」
「私にもいろいろ事情があるの。今までも死んでいたかもしれないような不運が私には何度もあったわ。でも最近はあるお方に助けられて、今では不運なことも避けられるようになったの。だから今度は私があなたを不運から助けたいの」
「私の不運?」
「そうよ。チャドに聞いたわ。妹と二人で生きるためになんでもしてきたって。これも何かの縁だわ。私にできることがあるなら力になりたいの」
「不運とか、よくわかりませんけど、ありがとうございます!ありがとうございます!」
「僕は弟のアランだ。そうだよね。いきなり不運とか言われてもわけわかんないよね。姉さんの説明は本の真ん中をすっ飛ばして最初と最後だけの説明だから、わからなくても気にしなくていいよ。でも姉さんはいい人ではあるから信じてあげてね」
優秀な弟にさり気なく酷いことを言われたような気もしたが、まあいいかとアリスはリリーを連れて使用人控室に向かった。
侍女頭のスーはアリスに「この少女を使用人として使ってやってほしい」と頼まれて笑って引き受けた。
「どの程度働けるのか、見せてもらいましょうか。それで働けそうなら旦那様に待遇を相談させてもらいます」
スーはアリスがこうして誰かを拾ってくるのに慣れていた。保証人のいない者ばかりなので母屋には入れない下働きの使用人として様子を見ながら働かせるのだ。居つく者もいたし気ままな暮らしが恋しくて辞めていく者もいた。
今回の少女はずいぶん痩せて栄養が足りていないのは一目瞭然だったので、まずは食事を出すことにした。
「おなかは空いてないかい?良かったら今出せるものを並べるから食べなさい」
「ありがとうございます」
リリーはおどおどしていたが、肉と野菜のスープ、パン、肉の煮込みの余り物を並べられると目を輝かせて食べ始めた。
「美味しい……こんな美味しいもの、初めて食べます。それに温かい食事なんて久しぶりです!」
パクパクと気持ちよく平らげていくリリーを眺めながら、スーはアリスに(大丈夫、引き受けますよ)と目配せをした。
「じゃあ、リリー、スーの言うことをよく聞いてね。嫌でなければ今夜からここで暮らして。あなたのお兄さんにも必ずそう伝えておくわ」
この日からリリーはギデオン伯爵家の使用人となった。
スーの優しい眼差しに見守られて、リリーは食べながら泣いた。
そして物心ついてから初めて普通の人間として扱われたこの日を、決して忘れないようにしようと思った。




