31 一度は許したい
一行が廃屋に到着した時、幸いにもまだ誰も小屋には近づいていないようだった。馬車の轍の跡も馬の足跡もなかった。
アリスは小屋に着くなり「私はこれまで腐った板を踏み抜いてえらい目に遭ったことが何度も……」と言いながら床に這いつくばり、その場所を見つけた。今、ドアとその箇所の延長線上にシンディーは座っている。
シンディーはいつでも抜けられるような縛り方で縄をかけられている。レオンは彼女から少し離れた場所のボロ布をかけたテーブルの中に隠れた。チャドの仲間のふりをするのは冗談だったらしい。相手がプロならバレるから、と。
公爵家の護衛騎士たちは建物の陰や周囲の森の中に隠れることになった。
「私がこの小屋にいれば、不運の巻き添えで指示役がこの板を踏み抜くかも知れません」
実にあやふやな作戦だがレオンはアリスの不運っぷりに賭けた。
「よし、チャド、案内ご苦労だった。今から酒場に行ってシンディーを捕まえてあると報告してこい。護衛が一人ついて行くから」
「へいへいっ!」
チャドがいなくなってからアリスは木箱の中に入り、上から板切れを載せてもらって部屋の隅に潜んだ。
それからしばらくして、そろそろ縮こまってる体がしんどくなってきた頃。遠くで鳥の鳴き声がした。ツツイピピー、ツツイピピーと、蜜吸い鳥の鳴き声だ。だが季節は秋。蜜吸い鳥は南に渡っている。公爵家の見張りからの知らせで間違いない。
馬の蹄の音がして、やがて足音、そしてギギッとドアが開けられた。
「誰っ!あなたは誰なのっ?」
シンディーの悲痛な声は迫真に迫るものだった。
「やあ、シンディー様。お元気そうじゃないですか。泣いてもいないとはね」
「あなたは……コルマの人ね」
「そうですよ。さあ、私と一緒に来てもらいましょうか」
「いやよ!」
「従わないならここで首の骨を折ってもいいかな。その方が楽に運べるし」
そう言って男はニヤニヤしながらシンディーに近寄った。が、あと数歩のところで古い床板をバキッと踏み抜いた。男は素早く飛び退ったが、踏み抜いた時と足を引き抜く時の両方で鋭く割れた板の端が足首の皮膚を裂いた。
「っ!ちくしょうっ!」
血管を傷つけたらしく、足首からダラダラと血が流れ出す。
「ついてねえな」
男はシャツの裾を乱暴に手で裂くと、屈んで手早く足首を縛った。
ダンッ!ガツッ!
「うあっ!」
テーブルの下から飛び出したレオンが鞘に入ったままの剣で男の後頭部を強かに打った。男は朦朧としながらも短剣を取り出して振り回し、力なく抵抗するが、入り口からなだれ込んだ公爵家の護衛騎士たちにたちまちに制圧され、縛り上げられた。
「くそっ!なんだてめえら!」
「シンディーの友達よ」
箱から立ち上がり男を睨みつけるアリスは、ずっと身を縮こませていたせいで脚が痺れていた。格好良く啖呵を切るつもりが男を睨みつけたままグラーリと横に体が傾いた。
「おっとっと。危ないよアリス」
「脚が痺れてしまって」
こうしてあっけなく実行犯は捕縛された。
しかし男はその後一晩中尋問されても口を割らなかった。
朝。公爵家の食堂でアリスとレオンは朝食を食べていた。
昨夜は公爵家に泊まらせてもらい、同じく公爵家に泊まったシンディーに付き添ったのだ。シンディーは昨夜はほとんど眠れなかったらしい。
「はぁ。どんなに締め上げても口を割らない。あれはチャドとは覚悟が違うな。筋金入りの本職だ」
「レオン様、あの男が白状しないと親玉がわからないままですね」
するとそこにもうひとりの声。
「いや、もうひとつ、手がかりがあるぞ」
公爵が食堂に入って来た。
「アリスとシンディーがケーキを食べた店の店員が急に仕事を辞めたと言うから、急いで彼女の家に踏み込ませた。危なかったよ。荷造りをして遠くへ行こうとしていたんだ」
「父上、その女から何かわかりましたか?」
「シンディーたちの会話を盗み聞きしてほしいと頼んだのは外国訛りの女性らしい。結構な額の金と引き換えにな。黒目黒髪というコルマに多い外見だったそうだが、左手の中指にアラベスクの刺青があり、それを太い指輪で隠すようにしていたそうだ」
「それだけだと探し出すのは時間がかかりますね。チャドの報告を受ける人間は捕まりましたか?」
「いや、誰も来なかった。やはりチャドは使い捨てだったようだ」
「公爵様、チャドはどうしていますか?」
「我が家の地下室だ。アリスを拐った時に手伝った妹は助けてくれと。自分は罪を償うから妹だけは、と願ってるな」
「私、一度はチャドの妹さんに会ってみようと思います」
レオンの顔が険しい。
「アリス、君をあんな目に遭わせた兄妹が気になるのか?」
「……はい。私は恵まれた環境で生まれ育ちました。でもチャドとその妹はそうじゃありません。チャドは間違ったことをしてきたけれど、生きるためだったなら一度だけは許したいと思うんです。甘い、でしょうか」
レオンが悲しそうな顔になった。
「人間はそんなに簡単じゃないよ。いつか君が裏切られ騙されて酷い目に遭うのではないか、俺はそれが心配なんだ」
「おっしゃってることはわかります。ご心配をおかけして申し訳ありません」
しかし、アリスは考えを変えなかった。
恵まれない環境で育った彼らを、このまま断罪してはいけないように思うのだ。




