還るべき場所
ようやく俺は、俺のいるべき場所に還ってきた。
来訪は2度目だが、この場所で感じる懐かしさは単純な回数では表せない。
やけに暖かい土の中、重力から解放された身体はリラックスしていた。
グレンに刺された痛みも今は無い。遠くで人々が歓喜する声が聞こえる。
「ロディ様。……いえ、あなた」
俺は振り返る。そこにはタリアがいた。以前見た時と同じように、赤ん坊を抱えている。
無言のまま泳ぐようにして地中を進み、我が子ごと妻を抱きしめる。子供はまだ眠っているようだった。
「おかえりなさい」
タリアにそう言われて、俺は若干の恥ずかしさを覚えつつも「ただいま」と返した。
約束は守った。グレンを討ち倒し、復讐は果たされた。まずはそれを伝えたかったが、喋ろうとすると涙声になりそうで躊躇する。こんな時にも魔人としての見栄を張ってしまう自分の性格を呪いつつ、俺は黙って2人を抱きしめ続けた。
「名前は決めてくれた?」
タリアの質問に、俺は首を縦に振る。
「ああ、前に言われてから、しばらく考えていた」
不敬になるのかもしれないが、これしかないと思った。
「レイシャス。俺の尊敬する男の名だ」
「あら、許可は取ったのかしら?」
気づくとすぐ側にズーミアが立っていた。その隣にはシルフィ。
「許可してやる」
更に魔王様まで現れて、俺の子供をあやし始めた。
これで良かったのだ。
俺の居場所は間違いなくここだ。使命は果たしたし、現世に未練はない。
王国の復興は、ナイラがチェルあたりと協力してやっておいてくれるだろう。
俺はこうして安寧の中で暮らしていく。ここは俺の用意した究極の畑だ。誰にも文句は言わせない。
「さて、戻ったら何から取り掛かるつもりだ?」
突然、魔王様が俺に尋ねた。
「……どういう意味ですか?」
「地上に戻った後、何をするのかと聞いているのだ。当然、復興計画はあるんだろ?」
俺は咳払いを1つして、丁寧に状況を伝える。
「お言葉ですが魔王様。グレンを倒すには私自身の命を捧げる覚悟が必要でして、相討ちが精一杯でした。何とか倒す事が出来たのです。ただ地面を沼になったままですから、俺の身体はそのまま沈んでここに行きつきました。戻る事は出来ません」
「つまり、何?」と、ズーミア。
「……つまり、もう死んでいるのだ、俺は」
「いやまだ死んでないよ?」と、シルフィ。
「は?」
嫌な予感がする。
瞬間、何者かに肩を掴まれた。
「な、何だ!?」
そのまま引きずられように、体が中に持ち上がる。
「ま、待て。俺はここにいたい。もう戻りたくない! 農業なんて真っ平ごめんだ!」
「やっぱりあなたは、何をすべきか分かってるのね」
そう言うタリアの腕に抱かれたレイシャスが、俺に向かって無邪気な笑顔で手を振っていた。
「や、やめろ! うわああああああ!」
こうして、俺は地上に引き戻された。
先ほどまで微かに聞こえていた人間達の声が、急にはっきりと聞こえ出した。
身体は寒いし、腹から背中にかけては痛みが酷いし、全身は泥だらけ。四肢に一切の力は入らず、ついでに喉も乾いている。
だが確かに俺は生きていた。
「ロディ! ちょっと起きて!」
聞き覚えのある声に重い瞼を僅かに開く。
ぼんやりとだが、ナイラの姿が見えた。いや、ジスカの方か? 意識が朦朧として判断がつかない。
「ロディ、お疲れ様」
ナイラらしき影の隣に、ジスカらしき影もあった。この際どっちがどっちでもいいが。
どうやら、2人が俺をここに連れ戻したらしい。何故そんな余計な事を。
「起きたか? どうだ? まだ戦えそうか?」
そんな声の方に視線をやると、そこにはドラッドが立っていた。妻の仇、ではあるが、俺の身体は限界であり、そもそもドラッドに指示をしていたグレンは既に倒した。恨みが無いとまでは言えないが、とりあえず今はいい。というか死なせてくれ。
「見て分かるだろう。こんな状態のロディとでは戦いにならんさ」
そう言ったのはチュートンだった。気づけば霧は晴れており、見覚えのある人間も何人か集合している。
「ふん、まあいい。身体が治ったらどちらが強いか勝負といこう」
そう言うドラッドの隣にはサルムもいた。満身創痍の俺を見て何か言いたそうだが、気を使ってやる余裕はない。
軽い絶望の中、ゆっくりと意識が薄れていく。血を失い過ぎたし、ここで気絶すればそのまま死ぬ可能性は大いにある。全身の寒さにもこんな眠気にも抗えるはずがない。よし、このまま死のう。
「あ、ちょっとロディ、待って。気絶する前に、これから何をすればいいか教えて」
「……は?」
ナイラがメモを取り出して俺の言葉を待つ。
「な……何がだ?」
「王都を元に戻す為に何から手をつけていいのか指示して。この傷だと、下手したら1ヶ月は眠る事になる。だから今言って」
いやまずこの状況を見ろ。そう言いたくなったが、そんな元気はなかった。
「まずは被害状況を……確認しろ。それから、野菜達はそのまま食ってしまっていい」
「魔人達はどうするの?」
「グレンが俺に負けた事を宣伝すれば……ごほっ、ごほっ。……大人しくなるはずだ。元々良い政治をしているはずがない。グレンに不満を持っていた者ならいくらでもいる」
「分かった。人命を最優先で良いんだね?」
「ああ、物資の管理はチュートンがする。はぁ……はぁ……それから……」
息も絶え絶えになりつつ、俺は指示していたが、やがて限界を迎えたらしく、そのまま俺の意識は暗闇へと消えていった。
――3ヵ月後。




