最終決戦
王都を覆う白い霧はどんどん濃くなり、人々から完全に視界を奪っていた。
その中を泳ぐは真紅の龍。纏った炎は皮膚を焦がし、血を沸かせ、命を飲み込む。
グレンらしく実に荒っぽくて雑なやり方だったが、狙い通りの効果は出ていた。人間達は恐怖のあまり混乱状態に陥り、お互いに助けを呼び合う声だけがそこかしこから響いていた。グレンを見失い、もはや包囲は崩れた。弓矢による援護も望めないだろう。どうやらグレンは、ただ俺を仕留めるだけではなく、これをきっかけに真の絶望という物を人間に与えたいらしい。
かつて人間達の信頼を得た魔人が、悪逆の王を討つ為に王都へ戻ってきた。期待高まる中、無残にも殺される魔人。もはやこの世に救いなどなく、あるのはただただ隷従のみ。絶望の中、人々は口を噤み黙々と働き続ける。そんなストーリーを描いているのだろう。
だが俺の手には斧がある。これをグレンの頭に振り下ろせば、それで決着がつく。
「前方100mのあたりに3つともあるね。動いてないよ」
チェルの指示を頼りに、霧の中を1歩1歩慎重に進んでいく。出来れば背後を取りたいが、エレメントの守護者であるチェルでも流石に向きまでは分からないようだ。方向に関係なく、射程に入った瞬間に斬りかかる必要があるだろう。奴が反応出来るかどうかは分からない。
準備して、協力してもらい、周囲を巻き込み、最後の最後は運任せというのは作戦の質として褒められた物ではないが、その程度の戦力差があるというのは事実だ。
炎のドラゴンにも気を配りつつ、しばらく進むとチェルが声を潜めながら言った。
「すぐ近く」
俺は足を止めてやや身を屈めつつ正面に目を凝らす。
いた。ぼんやりとだが、人影がある。体格もグレンと一致する。何よりこの状況において堂々としたその立ち姿が、本人である事を証明している。肝心の向きは……俺に背を向けている。これはラッキーだ。
呼吸を整え、ゆっくりと斧を振りかぶる。やがて地面を蹴ると同時に振り下ろす。
間合いは完璧だった。狙いもズレてはおらず、脳天に一直線。
霧を裂き、命を断つ。迷いはない。
だが次の瞬間、俺の腹には剣が突き刺さっていた。
俺は斧を落とし、グレンの出した刃を握る。
「魔王軍の元参謀の割にはよ、読みが甘いんじゃねえか?」
グレンはしっかりと俺の事を捉えていた。何をしようとしているのか、いや、この霧自体が撒き餌だったのだ。あえて自ら視界を失う事によって、俺が奇襲を仕掛けやすいように仕向けたという訳だ。
「力だけじゃねえ。俺は頭でもあんたを上回った。感謝するよロディ。これで心置きなく、お前を殺せる」
グレンは剣を握った手にゆっくりと万力のような力を込めて捻ってきた。俺は両手、グレンは片手。にも関わらず、少しずつ刃は俺の腹の中で回転し、内蔵を抉っていった。その剣は、俺の妻タリアを殺した物だった。
「ほら、どうした? お得意の知略はもう無いのか?」
刃が俺の背中まで達し、やがて貫通した。身体から流れた血が尻を伝う。
「そろそろ負けを認めたらどうだロディ。泣いて許しを乞えば、一瞬で殺してやるよ」
俺は答える。
「最初から勝つ気などない」
腹筋に力を込めて刃を固定し、片方の手をグレンの手に重ね、もう片方の手で地面に触れる。
すかさず『地形変化』を発動。地面を底なしの沼に変化させる。
「うおっ」
柔らかな地面に片足を取られ、バランスを失うグレン。それでも俺はグレンの手を離さない。
必然、2人で一緒にずぶずぶと沈んでいく。
「相打ち狙いって訳か。だが忘れたのか? 俺にはエレメントがある」
俺の顔に向けて手をかざすグレン。燃やそうとしているのか、吹き飛ばそうとしているのか、どちらにしてもこの距離で喰らえば即死は免れない。
「チェル」
「はいはい。長くは持たないからあんまり期待しないでね」
俺の持つ土のエレメントから出てきたチェルが、グレンの胸と一体化したエレメントに飛び込んだ。
「くたばれ!」
グレンがそう叫んで手のひらに力を入れるが、何も起きない。チェルがエレメントの力を一時的に停めているからだ。
「おい……何をした? 答えろ」
俺の口から血が垂れる。俺もそろそろ限界のようだが、グレンを捕まえる力だけは緩めない。
そのまま沈み続け、俺もグレンもふとももくらいまでは泥に埋まった。
「ああ、分かった……あのクソ妖精か……」
流石のグレンも気づいたようだ。だがその表情に焦りはなく、むしろこみ上げてくる怒りを懸命に抑えているようだった。目を瞑り、集中してる。
胸に張り付いたエレメントが発光し始めた。どうやら中に入ったチェルを追い出そうとしているらしい。かつて勇者がそうしたように、エレメントの力を解放する事により、守護者を殺す事は可能だ。
俺は血の混じったため息をついた後、声をかけた。
「チェル、もういいぞ」
俺もグレンも既に腰まで沼に埋まっているが、エレメントならば脱出はまだ不可能という訳ではない。これもまた1つの賭けだったが、チェルに死なれるのはそれで困る。
「ぶはっ!」
チェルがグレンの持つエレメントから飛び出してきた。
「協力ご苦労。下がっていていい」
「あとは任せたよ!」
チェルが俺の土のエレメントに戻ってきた。
「流石だな、ロディ。ここまで追い詰められるとは思っていなかった。相打ち狙いとは言え、お前は本気だった」
グレンは俺を見下しながらそう言う。地面を沼にしておいて良かった。こいつの前で無様に倒れなくて済む。
「……後悔は無いか? グレン」
「あ? 今更命乞いか?」
「いや……一応聞いておきたかった。魔王様を殺した事について」
グレンは少しの間も置かず答える。
「無いな」
その目は血走っていた。
周囲の沼がフツフツと沸きあがってきた。火のエレメントを使って沼を蒸発させようとしているのだろう。胴から下が埋まったこの状況では風も水も有効ではないし、最後に頼れるのはやはり魔王様が選んだエレメントだった訳だ。
俺もエレメントを使って土の性質を変えようとするが、ここまで急激な加熱には対応出来ない。土の中に住む友人達も、この温度では生存すら許されないだろう。沼化を解除して土が元の硬さに戻れば、グレンは簡単に脱出出来る。周囲は霧に囲まれ加勢は見込めない。俺の身体は血を失い、抵抗する力は最早残されていない。
「これでようやく決着だ」
グレンが更に土へと火を注いだ。
それが最後の一手だった。
何か1つ足りなければ、きっと間に合わなかっただろう。
「……かはっ」
俺だけではなく、グレンも吐血していた。
「これ……は……な……何をした?」
同僚の質問に俺は答えてやる。
「お前はエレメントを使いすぎた」
胸と一体化したエレメントは、グレンの肉体の更に深くへと沈んでいた。
「魔王様は、俺達四天王それぞれの実力に合わせてエレメントを選んだ。お前はそれに逆らった」
グレンの肌にヒビが入った。こうなっては声も出せなくなったようだ。
「あっちで魔王様に怒られてこい」
やがてグレンの身体は砕け散り、後には3つのエレメントだけが残った。
一息ついた後、俺の身体はゆっくりと沼に沈み込んでいった。




