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霧中

 言うまでもなく、魔王様は強かった。1対1なら勇者以外には死ぬまで誰にも負けなかったし、複数を相手にしても戦える方法を持っていた。だがそれでも、誰かと戦う事になった時、取る選択肢としては「戦闘」ではなく「退却」の方が多かったと俺は記憶している。


 若い頃、魔界内で頭角を表すに従ってより多くの魔人達から命を狙われる事になった俺達は、例えば宿で寝てる時、魔物の巣を探している時、気づけば囲まれているという事がよくあった。数は多いが相手は格下であり、蹴散らす事が出来るタイミングでも魔王様は逃げられる時なら逃げを選んだ。これは奇妙な話のように聞こえるが、思い返してみても合理的な判断である事に疑いはない。


 何故なら、複数の敵を相手にした場合、「その戦闘がいつ終わるか」の定義は非常に難しいからだ。

 例えば、立ち向かってくる全員を殺したとしよう。ではその場から逃げた者は? また仲間を呼び寄せる可能性もあるし、仲間がいなくても恨みを持ったまま生きながらえる可能性が多いにある。

 また大多数の敵を殺すという事は大多数の敵の大多数の家族に恨まれるという事でもある。その場で強さを誇示出来たとしても、目に見えないリスクは増大していく。ましてや魔人の寿命は人間よりも長く、戦乱の世において殺せるチャンスは何度でもやってくる。


 では殺すのではなく、強さを見せつけて戦意喪失させたらどうか、と俺は提案した。だがこれがやってみると案外難しい。小便を漏らしながら泣いて許しを乞うたはずの魔人が、その夜寝込みを襲って来る事もある。相手の数が多ければ多いほど、相手が持つ性格や特技の幅は多様であり、把握する事など不可能に近い。

 両者で合意の下、少数での戦闘ならばそれらの問題は発生しない。その条件が整った時、魔王様は誰にも負けなかったし、それで十分だった。実際、多くの敵を殺すよりも効率的な力の使い方だった。


「戦闘における真の恐怖は、負ける事ではない。勝ち続けて戦闘が終わらない事だ」といつか魔王様は語っていた。今、俺の目の前で無双するグレンを見ていると、魔王様の言葉の意味がよく分かる。グレンは自身にとって多くの敵を殺したが、それが多くの敵を相手にしなければならない結果に繋がっている。


 グレン対俺と人間の生き残り達。戦況はグレン側有利だったが、人間側も粘り強く持ち堪えている。グレンの発する炎の射程が把握出来てきたし、障害物を上手く使って避けたり、身体に火がついても冷静に対処出来る者が残ってきた。更に次から次へと加勢も加わり、360度を警戒しなければならないグレンの意識も削がれている。見るからに、イライラが募っていた。


「しゃらくっせえ! お前ら奴隷の癖にまだ勝てる気でいんのか!? ああ!?」

 実際、グレンの言う通り水のヴェールを纏ってからは傷1つつけられていない。最初の不意打ちで致命傷を与えられなかった以上、それは仕方のない事だが、ヴェールを維持するにもエレメントの力を使わなければならない。俺の狙いはそこにある。


「ああ……クソっ。分かった。はっきり分かった。」

 グレンはブツブツとそう言って、風を操り再び地上に降りてきた。俺も人間も警戒しつつ様子を見る。まさかあのグレンに限って投降という事はないだろう。


「何が分かったんだ?」

 俺が遠くから声をかけると、グレンは周囲を見回して、物陰に隠れる人間達を鼻で笑った。

「俺に何が足りてないか、やっと分かったよ」

 グレンには決して似合わぬ謙虚な答えだった。俺は尋ねる。

「何だ?」

「非道さが足りてなかった。お前ら虫けらの扱いが甘すぎた」

「……ふむ。それで、どうする?」

「これからお前らには最高の恐怖を味わってもらう」


 そう言うと、グレンは両手を重ね合わせた。そうきたか、と俺は咄嗟に距離を取る。瞬間、グレンの腕を伝って右手には水のエレメントの力が注がれ、左手には火のエレメントの力が注がれたのが見えた。

 次の手を用意する必要がある。チュートンの商人組合の方向はあちらだから、来るとすればこの道。おおよその位置を把握して、俺は移動を開始する。


「白い闇の中で死ね」


 グレンがそう言うと、重ねた手の中から猛烈な勢いで霧が発生した。

 水を熱して湯気状にし、それを風のエレメントで拡散しているのだ。3つのエレメントをフル活用している。


 瞬く間に周囲は深い霧の中に包まれた。上下左右の純然たる真白。

 これではグレン自体の視界も制限されるが、次にグレンの取った攻撃手段は実に奴らしかった。


 遠くから人間の悲鳴が聞こえ、そちらの方を向くと燃え上がる炎が波打つのが見えた。どことなく、ドラゴンのような形をしているのがおぼろげながら分かった。勇者に絶滅させられる前、ドラゴンは魔王軍にとって重要な戦力だったが、グレンがあえてその姿を模したという事は、恐怖を煽るための手の1つなのだろう。


 深い霧の中を泳ぐ真紅の竜。狙いなどは鼻から無く、手当たり次第に目の前の人間を焼いて回っている。距離感が掴めないので、これでは避ける事もままならず、人間の強力な武器である連携も取れない。霧は晴れる事なくますます濃くなっており、例え逃げ出そうとしても方向が分からない。確かに、恐怖を与えるという点にはおいては効果的な手段だと言えた。


 だが悪手だ。


「ロディ、そこか?」

 聞き覚えのある声に導かれ、俺は霧の中で俺を最も憎んでいるであろう者に会う。


「これ、チュートンからだ」

 サルムが届けてくれたのは斧だ。俺が以前使っていた物と重さもサイズも近いが、それより遥かに頑丈で、切れ味も鋭い。

「……ありがとう、サルム」

「礼はいい。さっさと殺れ」

「ああ」


 この霧の中では、グレンは俺が武器を手にした事を知らない。

 そして俺には、エレメントの守護者がついている。


「チェル。お前なら、この霧の中でもエレメントがどこにあるか分かるよな?」

「そうだね。エレメントから君達を守るのが僕の役目だし」

「だが奴のエレメントに守護者はついていない」

 戦力差のある相手に奇襲は最も有効な手段と言える。


 グレン、お前は敵を増やしすぎたんだよ。

 やがて俺は霧の中を走り出した。

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