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番外編:けだものどもの外のうち(咲木花菜恵編)

 咲木花菜恵はごく普通の女子高生であった。少なくとも、この地に舞い戻って来るまでは。


 小学校の途中でこの地を離れて生活し、高校二年生に上がってから編入という形で花菜恵がこの学校に入ったのは、まったく間違いといって良かった。このときの花菜恵には知るよしもないのだが。


 きっかけがなんであったのかは、未だに花菜恵は理解していない。ある日をさかいに花菜恵はほとんど脅迫に近い嫌がらせを受けるようになった。


 当たり前だが、それは花菜恵にとってとてつもなくショックな出来事である。


「ひどい! だれよ?! こんなことしたの!」


 初めて下駄箱にあった上履きが被害――このときはたしか土が詰め込まれていた――にあったとき、花菜恵の親友である根本芽衣は目を吊り上げて周囲を威嚇するように見回した。花菜恵はそれをなだめにかかると、仕方なしに職員室へスリッパを借りに行ったのである。


「どうしたんだ、咲木。上履き忘れたのか?」


 そう言ったのは花菜恵の担任である三枝である。さわやかなスポーツマンタイプに見える国語教師だ。実際に花菜恵たちとも年が近いせいか、彼に対して恋愛感情を抱いている生徒も少なくないと聞く。


 花菜恵が三枝の言葉になんと答えればいいのか窮しているうちに、いっしょについて来ていた芽衣がすべて説明してしまった。三枝は途端顔を渋くさせて花菜恵をいたわってくれる。


 だいたいいつもこうであった。内気で口下手な花菜恵は土壇場に弱く、困るとすぐ口ごもってしまうのだ。そういうときはたいてい芽衣がこうして助け船を出してくれる。


 陸上部に所属する芽衣はいかにも体育会系といった風体で、声も大きくはきはきとしたしゃべりだ。髪も花菜恵が伸ばした髪を校則にそってゆるく結んでいるのに対し、芽衣はすっきりと切ったベリーショートである。


 花菜恵と芽衣は周囲がいぶかしむほどには接点がない。花菜恵は内向的で運動が苦手で園芸部所属。芽衣は外向的で走るのが得意な陸上部所属。他人から見たときにわかりやすい接点といえばクラスが同じということくらいだろうか。


 実際にはふたりは小学校時代を共にすごしている。先述のとおり花菜恵は芽衣と卒業式を迎えられなかったが、それでもふたりは高校で再会してすぐに打ち解けられるくらいには、仲が良かったのである。



 嫌がらせはなおも続いた。続けば続くほどに周囲の人間は花菜恵を心配してくれた。


「早く犯人捕まらないかしら?!」


 そう言って芽衣は怒ってくれる。少々その怒りが行きすぎてしまうことはあったが、それでも心のそこから憤ってくれる芽衣の存在を花菜恵はありがたく思った。ともすれば降りかかる火の粉を避けるために離れてしまう人間もいるだろうに。――実際にそうして花菜恵を避ける人間はいた。悲しいことではあるが。


「辛かったらいつでも言えよ」


 そう言ってくれるのはひとつ上の先輩である苗代耕一である。男子バスケットボール部のエースだという苗代は背が高くはつらつとした先輩である。服装に関してはあまりうるさくない校風であるためか、この先輩はいつもオレンジ色のパーカーを羽織っており、それがトレードマークとなっている。


 苗代との出会いは体育館。花菜恵が日直の当番となったとき、男子バスケットボール部に所属するクラスメイトがノートを提出していないことに気づいたのだ。仕方なしに体育館へと向かへば、ボールをドリブルする音がじょじょに近づいてきたのを花菜恵は覚えている。


「危ない!」


 次の瞬間、バシンという物が衝突する激しい音が眼前で響き、花菜恵は思わず目をつぶってしまった。恐る恐る目を開けば、見知らぬ男子生徒が花菜恵に向かって勢いよく飛んで来たボールを止めてくれたらしい。これが苗代との出会いであった。


 苗代はなぜか最初から花菜恵を心配してくれていた。花菜恵がよほど頼りなく映ったに違いない。

「困ったことがあれば言えよ」それが苗代の口癖のようであった。


 心配してくれたのは芽衣や苗代だけではない。クラスメイトの幹青葉や、同じ園芸部に所属する草野樹もまるで花菜恵を守ろうとするかのように、いつの間にやら行動を共にすることが多くなっていった。


 幹は隣の席だったときに仲が良くなった。社会見学の班作りの際に、所在なさげにしていたところへ声をかけてから、よく話すようになったのだ。


 こういうときの心許なさは内気な花菜恵は理解していたから、それを敏感に察知して彼女は幹に話しかけたのである。幸いにも芽衣というクラスでも目立つ存在のおかげでほかの班員集めには苦労しなかった。それでも幹は花菜恵に感謝しているようであった。

「困ってることがあったら言ってね」。そう言うとき、幹はいつも少し恥ずかしげだ。苗代のときも思ったが、自分はそんなに心許ないのであろうか。花菜恵は不思議でしょうがなかった。

「なにかあったらボクが咲木さんを助けるから」。幹はそうも言っていた。そのときは大げさだなと思った花菜恵であったが、すぐに嫌がらせが起きるようになってそうも言っていられなくなった。


 草野はこの高校では部活動が必須ということで入った園芸部で知り合った。同じ学年ということもあって、少し遅くに学校にやって来た花菜恵の世話係に指名されたのだ。


 草野は女性的な容姿でおっとりとした性格の男子生徒である。華奢な雰囲気をまとってはいるものの、趣味が園芸というだけあって腕は当然ながら花菜恵よりも太い。


 草野は世話係に任命されたせいか、あれこれと花菜恵に対して世話を焼いてくれた。ふとした世間話で草野が祖母から継いだイングリッシュガーデンの整備をしていると聞いたとき、花菜恵が軽率に「見てみたい」と言った。すると彼はこころよくそれを承諾してくれたのだ。


 しかしその庭を褒めたとき、なぜか草野の表情がくもった。理由を聞いてみればこの庭が一度荒れたとき、元に戻すのを手伝ってくれた人とうまく行っていないということを言われたのだ。


 そのときは「そりがあわなくなっちゃうこともある」と無難なことを言ってみたが、草野は悲しそうに微笑むだけであった。


 それからしばらくして花菜恵が嫌がらせを受けるようになると、なにかを決意した様子で草野は花菜恵にこう言った。


「僕は咲木さんの味方だよ」と。その意味は今をもって花菜恵には理解できないが、言葉自体はとても嬉しかった。


 気がつけば、周囲にはいつも彼らがいるようになっていた。そのことに戸惑いはしたが、少しだけ舞い上がってしまったのも事実である。嫌がらせの犯人はそれが気に入らないのか、犯行はますます過激になっていた。


 それでも花菜恵は芽衣と彼らと、他の支えてくれる女子生徒たちに、親身になってくれる担任の存在もあって、学校へ行くのをあまり苦痛とは感じていなかった。


 ある噂が流れるようになるまでは。


「一年の子をいじめてる先輩がいるらしいよ」


 はじめはそんな噂だった。それがどんどんと具体的になって行き、最終的には


「一年の咲木という生徒に嫌がらせをしているのは、二年の凪という生徒。理由は男を盗られたから」


 という風にあっというまに変化して行ったのだ。


 これには花菜恵は困惑した。花菜恵は「凪」という名の先輩のことをまったく知らなかったし、「男を盗った」という意味もまったくわからなかった。


 しかし人脈の広い芽衣に説明されてどうにか事態を把握することができた。


 近頃、ことさら花菜恵を心配してくれている三人は、もともとは凪という先輩と仲が良く、いっしょにいることが多かったらしい。それが突然花菜恵の周囲に彼らが集まるようになった。それを良く思っていない凪という先輩が、花菜恵に嫌がらせをするようになった――。


 それが噂の詳しい内容である。花菜恵を守るように行動するようになった三人に、もとから花菜恵よりも親しい人間が――しかも女子生徒がいるとは露ほどにも思っていなかった。


 そして今までの人生で彼氏と縁が薄かったために男慣れしておらず、突然優しくしてくれるようになった男子生徒を相手に、少なからず心を躍らせていた自分に気づき、花菜恵は初めて周囲を見た。


「凪先輩がそんなことするはずないのにね」

「つかだれがこんなくだらない噂流してるわけ?」

「案外咲木じゃないの」

「それマジでありそう」


 最初から内向的であるがゆえに友人が少なかった花菜恵は、この噂をもってしてクラス内で孤立したのだ。特にそれは女子生徒のあいだで顕著だった。


 花菜恵は凪という先輩の人となりを知りはしなかったが、彼女が教師からの信頼も厚く、学年を問わず生徒から信望を集めていることを知り、血の気が引く思いをした。


 花菜恵にはかつていじめられた苦い経験がある。そのときは主犯格の女子生徒が、まるで花菜恵が先に嫌がらせをしたかのような態度を取ったために、ずいぶんとこじれたことを覚えていた。結局そのときは芽衣の助けもあって教師の疑いを解くことができたのだが、クラスメイトは違った。


 結局父親の転勤に助けられる形で花菜恵はこの地から逃げ出したのだった。


 それを、花菜恵は今さらながらに思い出したのだ。


 このままではいけない。花菜恵はそう思って「だいじょうぶ」だと三人に言って聞かせるのだが、三人はどうしても花菜恵から離れてくれない。


 そのうちに噂は錯綜しだし、クラス内でも「花菜恵が先輩にいじめられている」と信じる人間が現れた。そして「噂はデマだけどそれに対し花菜恵はなにもしない」と心証を損ねる人間も出だしていることで、花菜恵はなかばパニックに陥って行った。


 だからあんなことが起こってしまったのだ。


「花菜恵、それじゃああたしは部活に行くから、帰りはだれかに送ってもらいなよー?」


 芽衣にそう言われてうなずいたものの、花菜恵はそうしてもらう気はなかった。だからクラスメイトの幹に声をかけられる前に教室を飛び出す。今思えばそれはまったく良くなかった。


 階段までやって来た花菜恵は、あろうことかそこで足をくじいてしまったのである。


「危ない!」


 後ろで女子生徒の声が聞こえ、体勢を崩した体から腕を引っ張られるが、それでも勢いは止まらない。結果、花菜恵はその女子生徒と共に階段から転げ落ちてしまったのだ。


 意識ははっきりとしていたがすぐに救急車を呼ばれて病院に搬送された。そこで花菜恵は初めて気づいたのだ。女子生徒の名前が凪千海であると。


「あの、凪先輩……ですよね。ごめんなさい! 巻き込んでしまって」


 泣きそうになりながらそう謝れば、凪は気にしていないと言って笑ってくれた。しかしその足にはギプスがはめられている。花菜恵を助けようとしたときに運悪く骨を折ってしまったのである。


 もう一度頭を下げようとしたとき、凪はそれを制止して言った。


「巻き込んじゃってるのは私だよね。……ごめんね。なんか変な噂が流れちゃってて」

「あっあのっ、そんなことないです! 凪先輩の方が迷惑しているのではないでしょうか?!」

「そんなにびくびくしなくてもいいよ。こういう噂を信じる人はさ、しょせんそこまでの人ってことだしね。咲木さんもあまり気にしないほうがいいよ。噂なんてそのうちなくなるから」


 噂にたがわぬ寛大な人だと花菜恵は凪に対して好感を持った。


 そしてやはりあの三人には迷惑をかけられないとも思う。花菜恵の面倒を見ているために、彼らをよく思わない人間も出てきているのだから。


 そう決意し次の日の登校を待つ花菜恵であったが、現状を上回る地獄がこの先に待っていることに、このときの彼女は当然知るよしもなかった。

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