31話 合言葉
「俺の知り合いに公爵のおじいさんがいるんだ。オーガスト大公のことを覚えているだろうか」
オズワルドの言葉にリリアンは驚きながらもうなずいた。
「ええ。先日、生徒会室にいらっしゃっていた」
「ああ。彼があのとき、リリアンのことをひどく気に入ったみたいでね。君と話したいと言っているんだ」
「そうなの、ですね」
あのとき、オズワルドとオーガストは対立していたように見えた。オズワルドが彼を警戒しているのだと思っていたが……。
考えていることを察したのか、彼は眉を下げて笑う。
「彼は親戚のおじさんのような人なんだ。だから、つい甘えた態度を取ってしまうんだよ」
彼は頬を掻きながら、言葉を続ける。
「オーガスト大公は妻を既に失くしていて、孫たちも立派に働いている。年齢が理由で表舞台からは引退したけれど、一人で寂しいと言っているんだ」
彼はそう言うと、様子を窺うようにリリアンを見る。
「どうだろう、少しだけで良いのから、話し相手になってくれないかな」
正直、少し怖い気持ちがあった。おそらく彼は悪魔……人の魂を喰らう者だ。
「……お話するだけですよね?」
「もちろん。君に危害を加えることは、俺が許さないよ」
その言葉を聞いて、ホッと息を吐く。もっと大変なことをお願いされたら困ったが、それくらいならお安い御用だ。
「でしたら、ぜひ」
了承すると、オズワルドは嬉しそうに微笑んだ。
「君なら、そう言ってくれると思ったよ」
彼はカップを手に取って、口をつける。
「でも、リリアン。君はもっと俺を頼っていいんだよ。今回のことも俺が勝手にしたことだ。君が気にすることじゃない」
自分より上の身分の人はもっと傲慢だと思っていた。だが、オズワルドはそうではなかった。自分を気にかけてくれ、色々を助けてくれる。それがとてもありがたく……恐れ多かった。
「オズワルド様はお優しいですね」
そう言うと、オズワルドは目を細めて首を横に振る。
「違うよ。君だから、俺は何かしてあげたいと思ったんだ」
彼はカップを置くと、まっすぐこちらを見た。
「もっと俺を頼って。遠慮しなくていいんだ」
彼の言葉は気遣って出たものではないように感じられる。その目は何かを欲しているように鋭く光る。
「……俺は君に頼られるのを、ずっと待っているよ」
彼は目を細めると、にこりと笑う。その瞬間、緊張した空気が和らいだ気がした。彼は何でもないようにカップを手に取って、お茶を飲んだ。
オズワルドとリリアンは先輩と後輩の関係だ。どうして、彼がそこまで自分を気にかけてくれるのかわからない。……彼は何を望んでいるのだろうか。
「……ありがとうございます」
口ではお礼を言いながらも、わからなくて、不思議で……少しおかしいと思った。
オズワルドに挨拶をし、生徒会室をあとにする。すると、ふわりとレジーナが姿を現した。
「レジーナ様、どうされたのですか?」
制服を着ている生徒の中で黒いドレスを着た彼女は浮いていた。けれども、ほかの人はレジーナに目もくれない。他の人には見えないようだ。
彼女は生徒会室の方に目を向けて、鼻の上に皺を寄せる。
「あの男……臭いわね」
「そうですか? 何か香水でもつけていたのでしょうか」
近くにいたが、特に香りはしなかった。レジーナは鼻が良いのだろうか。
そんなことを思っていると、彼女はこちらを見た。何か考えるようにして口元に指を当てている。そして何かを思いついたように目を細めた。
「……ねえ、あなた。いいものをあげる」
レジーナはリリアンの手を取ると、人差し指を彼女の手首に向けてクルリと回した。どこからか紅色のリボンが現れ、リリアンの手首に巻き付く。リボンは手首を結ぶと、ゆっくりと消えていった。
「これは……?」
「余興よ。楽しいものを見せてちょうだいね」
レジーナは満足そうにうなずくと、「じゃあね」と言って姿を消した。
手首を何度見ても、さきほどのリボンはない。一体あれはなんだったんだろうか。
首をかしげながら教室に戻ると、ウィリアムとルシルが話しているのを見つけた。声をかけようと、彼らのもとに近づく。
「お前、本当にこのままでいいのかよ」
二人はこちらに気づいていないようだった。ウィリアムが深刻そうな表情で話すのに対して、ルシルは平然と答える。
「これが望んだ形だからいいのよ。……それに私はとても、幸せなの」
なぜか声をかけられなかった。どうしようかと思っていると、ウィリアムがこちらに目を向けた。その表情に焦りの色が見えた。
「リ、リリアン。戻ってきたのか」
ウィリアムは焦りながらもそれを隠そうと口を開いた。ルシルは動じた様子もなく微笑んでいる。
「用事は終わったのかしら?」
「待っていてくれたのですか?」
「もちろん。リリーと一緒に帰りたいもの」
ルシルはいつも通りに振る舞っている。何の話をしていたのか、気になった。だが、二人がそれを口にしないということは自分に聞かれたくないことなんだろう。
胸の中が少しモヤリとする。だが、それに気づかないふりをしてうなずいた。
「ええ。オズワルド様と少しお話をしてきました」
「オズワルド様? 何かあったのか?」
「いえ、少しお礼を言いに……お礼の代わりにオズワルド様に頼まれて、今度オーガスト大公のお宅へ伺うことになったんです」
その名前を聞き、ウィリアムは眉を寄せる。
「オーガスト大公って、この前生徒会室でリリアンに危害を加えようとした人だよな」
ウィリアムの言葉にルシルが目を剥く。
「行かない方がいいわ。絶対に何かある。それか、私も連れて行って」
その言葉にウィリアムは息を吐く。
「貴族じゃないお前を連れていけるわけないだろ」
「なら、ウィリアムが行けばいい」
「上の身分の者の紹介がないと、俺はいけないんだよ」
「めんどくさいな、貴族社会は」
ルシルは考え込むように腕を組むと、「じゃあ、合言葉よ」とこちらを見た。
「リリー、何か選択を迫られたとき、『考えさせてください』と言うこと」
「ただお話をするだけですよ?」
苦笑しながら言っても、ルシルは真面目な表情を崩さなかった。
「それで終わったら、問題ないわ。もしもの話よ。リリーは決めたら、それしか見えなくなってしまうから……約束してくれる?」
ルシルが本気で心配してくれているのがわかった。不思議と胸の内が温かくなってくる。
「……わかりました。もし何か話を持ち帰ったら、一緒に考えてくれますか?」
「もちろん!」
ルシルがうなずくと、二人で顔を見合わせて笑いあった。




