第1章:碧の瞳ー002ー
白き代理人体が振るう戦斧は円眞の目前にあった。
碧い瞳に獲物を捕らえた確信が宿る。だが驚愕へ染まるのも瞬く間であった。
斬りつけられた円眞は、反射的に身体を捻った。右斜めから振り降ろされた白き戦斧が奪えたのは、頭髪の二・三本だけだ。寸前で避けたさまは、まさしく神技としか言いようがない。
「そんな……」
思わず呟いた碧い瞳の少女は、次の瞬間に息を詰まらせた。
円眞が身を翻したことで背後から迫っていた刀の切先は、そのまま前方へ尽き出されていく。
戦斧を持つ白き人影の胸元を深々と貫いた。
白き女性は日本刀によって串刺しになった。霧散するのも、あっという間だった。
かはっ、と苦鳴を吐き出す碧き瞳の襲撃者だ。自分の発現した代理人体が受けるダメージをもろ被りするようであれば、粉砕はかなりきついはずである。
ふらり、碧き瞳の少女は揺らめく。そのまま後ろ倒しで落ちていった。
危ない! 実際に声が出ていたか定かでないが、円眞は飛び込んでいた。
碧い瞳の襲撃者の意識は朦朧としている。このままでは後頭部を、したたかに地面へ打ちつけてしまう。舗装された固い路面では、万が一もあり得る。
手の甲を路面に擦らせて伸ばした円眞の右手はぎりぎり間に合った。碧き瞳の少女の後頭部が落ちきる寸前に支えられた。
けれども円眞に安堵を覚えている暇はない。
代理人体から我が身を守った際と同じ気配を感じ取った。つまり殺気である。
考える間もなく碧き瞳の少女の頭を横たえた。
振り向きざまに刀身を捉えた。今回は素手だ。能力を発現させる暇もない。
円眞は真剣白刃取りを強いられていた。
斬りつけてくる相手は、細身の女性だ。さらりとした長髪であり、ビジネススーツで決めている。やり手のキャリアウーマンといった見た目だが、左腰に差さる鞘が一般人ではないことを明言していた。
「おどき、えんちゃん。憬汰さんが残してくれた店に手を出すなんて、生かしちゃおけないわ」
憤怒の形相で両手で刀の柄を握りしめている女性であるが、円眞の呼び方は親しき表現だ。
うっ、と呻く声が路面から立ち昇ってきた。碧き瞳の少女が意識を取り戻したようだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、彩香さん」
背後を気にかけつつ円眞は訴える。
彩香と呼ばれた女性には、かばう格好がおもしろくないらしい。
「なに、えんちゃん。そのオンナに惚れた? 店をめちゃめちゃにされたのよ」
さらに滾らせた声と共に、刀を握る手へいっそう力を込めたみたいだ。
返答ができないほど懸命に刃を両手で挟む円眞だ。押し込んでくる力はかなりである。
がくり、と片膝が落ちた。
見上げる碧い瞳に驚きが走った。
操る白き女性が放つ打撃力に自信を持っていた。それを受け止めきった標的のほうが上だったと認めるしかない。
ところが今、自分の敵わなかった相手が力負けしている。見た目は美人のお姉さんといった態だが、秘めた怪力は凄まじい。
噂通り、この街は怖ろしい所だ。
どれほどの者たちが巣喰っているのか。大したはずだった自分の能力をいとも容易く葬られた。
しかも碧き瞳の少女の安否は計らずも、襲撃した相手に委ねられている。
押し込まれた刀に片膝を突きながらも必死で堪える円眞が、ふと思い出したように口にした。
「あ、彩香さん。スキルは使わないでよね」
「使わないで欲しかったら、えんちゃん、どいて。私にそいつの両手両足を切り離させて、両目を潰させなさい」
「で、でも彩香さん、言ったじゃないか。まず私怨を晴らすより金銭だって。命よりもまず賠償の算段が先だって」
あっ、といった感じの彩香だ。
鬼の形相をあっさり解けば、刃を引き揚げる。さっさと腰元にある鞘へ収めた。
円眞は目前の相手へ、はっきり届くほど大きな安堵の息を吐いた。
彩香は照れたように頭へ手を置いた。
「商売していくなら、何に代えても、まずおカネよね。私が教えたことを、ちゃんと覚えていてくれて嬉しいわ」
「す、スキルを発動させる前に思い出してくれて良かったです」
黒縁メガネを押し上げつつの敬語調が、円眞の真剣さを物語っている。
あはは、と彩香はごまかし笑いを立てた。
軽く息を吐いてから円眞は、ついさっき店で起こった一連について報告した。
「いわゆるエージェント・ボディってやつね。サロゲーターなんて呼ばれているらしいけど」
答えながら彩香は興味深げに見降ろす。
視線の対象となった碧き瞳の少女は相も変わらずだ。攻撃の衝撃で、未だ身体を起こすどころか指先さえ動かせない。
「どうしよう」
円眞は、ぼさぼさ頭を抱えた。襲撃者よりも気にかけなければいけない事実が突き上げてきたからだ。
「これから華坂さんたちが来ることになっているんだ」
「ジィちゃんズか。でも全部がダメになったどうかはわからないわよ」
ほとほと困り果てたといった口調にも、彩香の心得た励ましだ。
少しばかりながら円眞は気力を取り戻す。
「そ、そうだね。もしかして大丈夫かもしれない。確認したいんだけど、彩香さん。この場、任せていい?」
微笑しながら、うなずく彩香だ。
お願いします、と駆け出した円眞はまさしく脱兎のごとくだ。あっという間に、店内へ消えていく。
見届けた彩香が、薄く笑った。
「えんちゃんは、ホントに素直な良い子だわ。こんな私を疑いもしない」
横たわる碧い瞳の少女にすれば我が身の危険を感じさせずにいられない形相であった。