006 そんなの絶対許さない
「先輩、ちょっといいですか?」
喫煙所の出来事の翌日。
空いた時間に家で握ってきたおにぎりを食べていると、真宮が人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべてヘラヘラと近付いてきた。こいつには要注意だ。気を抜くと、飯を根こそぎ掻っ払われるからな。
「あげませんよ」
「いりませんよ、そんな貧乏臭いおにぎり」
「び、貧乏って、ただのおにぎりでしょう。どこが貧乏臭いんですか」
「デカ過ぎるところです。おにぎりだけで腹を満たそうという先輩の考えが透けて見えるようなサイズですね」
「……でも、ワンタンスープもありますよ。こいつと冷や飯を頬張ると最高の味わいとなります」
「へぇ、じゃあ試させてください」
言いながら、真宮は俺のおにぎりとワンタンスープをひったくってかぶり付きながらゴクリとやった。
「……ふぅん」
「なんですか、その興味の無さは。味の感想くらい言ったらどうですか」
「はいはい、おいひいでふ。もぐもぐ」
「そうでしょう、俺はその組み合わせが好きなんです。……というか、そろそろ返してくれます?」
「いやれふ」
気が付けば、俺のおにぎりとワンタンスープはすっかり真宮の胃袋の中へ吸い込まれてしまっていた。こいつ、文句垂れておきながら完食するとかどんだけ素直じゃねぇんだよ。
うまいならうまいって言えってよな。それなら、俺だって気持ちよく盗まれてやれるのに。
「ところで、俺の昼飯は?」
「知りませんよ」
「真宮さんの分をくれるとかはないんですか?」
「あたしはさっき事務の子たちと食べてきましたから」
「そんなんありですか」
「昼休みが終わった後に食べてる先輩が悪いんですよ、リモート会議とか知りませんから」
「……」
俺は、デスクの袖からカップラーメンを取り出して給湯室でお湯を注ぎ、その場で立ったまま麺を啜った。せっかく安く済ませようと思ったのに、結果として二食分かかってしまっている。俺の貯金が思うように進まないのも、こういった積み重ねのせいに違いないのだ。
「何見てんですか」
「ぷぷ、先輩ってカップ麺が似合いますね」
「……まったく」
「そんな貧乏臭いことばっかりしてるから、いつまでたってもコイビトが出来ないんですよ。本当に恋愛向いてないですよねっ」
「信じられない角度から非モテ煽りしてきますね」
……しかし、本当にそうなのかもしれん。
有坂は安居酒屋でも楽しそうにしてくれていたが、実は無理をしていたのではないだろうか。だとすれば、次に食事に行く時は少しいい店に連れて行ってやりたいものだが。
俺の他のレパートリーといえば、サイゼリヤとモツ焼き屋くらいのものだ。もう少しくらい、女の喜びそうな店を勉強しておくんだった。
「どうしたんですかぁ? せんぱぁい」
「いや、なんでもないです。ごちそうさま」
水道でカップをゆすぎ、プラのゴミ箱へ捨てて自動販売機でアイスコーヒーを購入。その足でいつもの屋外喫煙所へ向かいソケットへタバコを差した時、真宮がニヤニヤしながらストーキングしてきていることに気が付いた。
「まだついてくるんですか」
「いいじゃないですか、外の空気を吸いたかったんですから」
「……真宮さん、なんか変ですよ。どうしたんですか」
「べっつに〜」
「解決は出来ないかもしれませんけど、一緒に考えることくらいは出来ますよ。話してみたらどうです?」
言って煙を吹くと、真宮はしばらく俺の目をジトッと見つめてから反らした。どうでもいいことはのべつ幕無しにまくし立てるくせに、本当に困っている時は相談したがらない天邪鬼。それが、俺の知っている真宮里香という女だった。
「先輩、もうカノジョ作らないんですか?」
「……まだ非モテ煽りする気ですか。飽きませんね」
「煽りっていうか、純粋な興味です。先輩って、仕事も基本一人でやるし、大学時代も一人で小難しい本ばっか読んでたし。なんというか、それで寂しくないのかなって」
企画立案がスタンドプレーになるわけないだろうに。こう見えても、そこそこ連携はとってるんだぞ。
「まぁ、正直言うとずっと寂しかったと思います。相手の気持ちを理解できなかったし、その責任を負うのも怖かった。でも、今はそうでもないかもしれません」
「なんで」
「笑わないでくださいよ」
「……はい」
「本当に好きな奴が出来たかもしれないから」
× × ×
……吐き気がした。
「情ない話ですけど、この歳になってようやく真剣に向き合う気になったんです。小っ恥ずかしいから、言いふらしたりしないでくださいね」
誰よりも長く一緒にいたはずなのに、ただの一度も見たことがなかった依弦先輩の本当の笑顔。それは、まるで子供のように純粋で、ずっと見ていると吸い込まれそうな気分になった。恋を語る男なんて、須らくロクデナシだと思っていたのに、真っ直ぐな気持ちは眩しくて、心の奥底がじんわりと温かい気持ちになった。
その笑顔が、あたしのものでないのはなぜ?
「先輩、二人の時は敬語使わないでっていつも言ってるよね」
「誰が聞いてるか分かりませんから」
「……あの女にはタメ口だったくせに」
日常の喧騒に掻き消されそうなほど小さな声で呟く。依弦先輩は、聞こえたのか聞こえなかったのか判別つかない愛想笑いを浮かべた。
「どうせ、先輩に女を幸せにすることなんて出来ないよ。前もそうだったじゃん」
「そうですね」
「失敗するって分かってることをやるなんて、全然先輩らしくないよ。やめといたほうがいい」
「確かに、今までの俺ならそうしたと思います」
「じゃあ、今回は何が違うって言うの!?」
依弦先輩は、また、あの眩しい笑顔で笑った。
「相手のことを好きになったのなら、半分はきっと俺のためです。自分が失敗する分には、別に構いません」
……ドス黒い感情。
心の奥底から湧き上がってきて、目の前が滲んでくる。言葉を紡ぐことが出来ない。どんな形を作ったって、必ず泣いてしまうって分かったから。
依弦先輩が『好きになったかもしれない奴』が、絶対にあたしではないと分かってしまったから。
……それでも、あたしの方が好きだ。
あたしの方が、絶対にあの女より依弦先輩のことを好きだ。なのに、どうしてこんなことになる。ずっと一緒にいて、大変な仕事だって一緒に乗り越えて、ゼミでも共同執筆で論文を書いたりもした。出張に行った時はデートだってしたし、辛い時に一緒にいてくれた。あたしと依弦先輩が一緒に過ごした時間の方が、あんな、あんなぽっと出の女なんかよりずっと長いはずだ。
昨日の朝、目の当たりにした出来事を思い出す。
頬を赤らめて、依弦先輩の袖を掴んだあの女。普段はクールを気取ってるくせに、かわいこぶって依弦先輩の気を引こうとしているあの女……っ!! 行き遅れのくせに、人の恋路を邪魔してくるあの女ッ!!
依弦先輩は、触られることを極端に嫌うだ!?
知ったかぶってんじゃねぇよ!! クソ女!! お前が依弦先輩の何を知ってんだよ!!
先輩は、大学時代に一言もお前の話なんてしてなかった!! それは、お前が好かれていなかった証拠だ!! だったらなんだ!? あたしは、わざわざ依弦先輩に嫌われるようなことをしてたっていうのか!? 自分なりに考えて、彼に振り向いてもらいたくて、そんな努力が全部裏目に出てたっていうのか!?
そんなの――。
「……赦せるわけがない」
だから、ぶっ壊してやる。
依弦先輩はあたしのものだ。あたし以外に、誰も必要なんてないことを証明してやる。
そのためなら、あたしはなんだってする。城田依弦は、ずっとあたしの男だ。




